旧い文章ですが、そのままコピーしました。
村田茂太郎 2012年3月9日
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この本は、膨大な内容を持った、非常に面白い本だが、ここで私はこの本の紹介や批評をするつもりはない。この本を読んで知った事実の中で、私が一番感心したことについて書こうとするものである。つまり、頼山陽に限らず、当時の知識人の交友の細やかさということである。
この本には、頼山陽という有名な文筆家・漢詩人をめぐる人物像が沢山描かれている。彼の師・弟子・論敵と、ほとんど幕末に近い日本の漢学の知識人たちすべてが登場する。私が最も感心したのは、これらの知識人達が、師弟や友人同士の交友において、実に繊細で暖かく人間的な関係を維持していたということ、そして、自分の知識と交友を増やすためには、百里千里を遠しとしないで、こまめに歩き続け、訪問し続けたということである。それが既に知っている人に対してだけ行われたのではなく、全く未知な人に対しても、どこそこにすぐれた学者が居ると聞いただけで、九州の端まで訪ねていくということが、ほとんど、日常的に行われていたということが、私を驚嘆させた。
彼らの人間的交友と新しい知識と学問への貪欲なまでの情熱は、私の心を激しく打つ。その性急さと直截さとを私はうらやましくも思う。当時としては、多分、それが、日常あたりまえのことであったのであろう。今ほど、書籍も自由に手に入らない時代にあって、壮大な気宇を持った若者たちにとって、目的に達するための苦労などは、なんでもない当たり前のことであったに違いない。迎える師匠達も、気に入れば徹夜での討論も辞さなかった。そこには、虚偽が入り込む余地がない。日本の将来への想いと、そのための学問への純粋な情熱だけが燃えていた。自分が本当に好きになった、尊敬し、敬愛する人に会いに行くためには、どのような障壁も辞さず、ただスグに直接に行動に移せた彼らの生き方は潔く、羨望の念が沸くのを禁じえない。
私自身、今まで、直接会って、話しを聞きたいと願った人が何人か居た。しかし、私には、江戸の武士たちのような勇気は無かった。気が小さかったというか、ただの一愛読者が、面会を申し込んでいたのでは、会うほうも大変に違いないと、いつも、勝手に相手の身になって考え、結局、何もしないで終わってしまった。そして、83年の3月を迎え、7月を迎えた。83年の3月1日は小林秀雄が亡くなった日である。
私は工学部を3年の途中で退学し、もう一度、受験勉強をしなおして、文学部へ入学した。この転換を生む原動力となったものは、小林秀雄の本であった。今では、私の工学部時代というのは、まさに自己探求の時代であり、とても重要な意味を持っていたことが分かっている。しかし、いずれにせよ、私は、小林秀雄に私淑する中で開かれた地平に向かって、とびだしたわけなのだ。名著“無常といふ事”や“モオツアルト”を数十回、それこそ暗唱してしまうほど読み親しんだ結果であった。そして、いつの間にか、私の内部で小林秀雄に直接会いたいという希望が、単なる愛読者としてでなく、小林秀雄論執筆という形で行いたい、というような願望にかわっていった。そのために、かえって、素直に、一愛読者として会いに行く機会を永遠になくしてしまった。没後、新潮社から追悼特集号が出版され、そこに、載せられた小林秀雄の講演を読んで、私は彼がテレパシーや予知等の心霊現象に興味を持っていた事を知った。この超心理学の西洋の文献を沢山読んでいる私は、きっと、この領域において、小林秀雄と楽しい会話がもてたに違いないと、本当になくした機会が惜しまれる。
83年7月11日には、サンタ・バーバラ在住の探偵作家ロス・マクドナルドが亡くなった。67歳という若さであった。このことについては、既に“探偵小説の読み方(1)”で、書いておいた。ハードボイルド探偵小説の最高峰として、不滅の私立探偵リュー・アーチャーを創造したこの人物には、いつか会いたいと思っていた。私は19編に及ぶ、彼のアーチャーもの探偵小説を全部読了していた。私に、探偵小説のすぐれた作品について問いあわせる友人たちには、必ず、ロス・マクドナルドを筆頭に推薦していた。私はLAに居て、彼はサンタ・バーバラに戦後ずっと住んでいることもわかっていた。そして、82年11月にサンタ・バーバラまでドライブしたときにも、ここに、ロス・マクドナルドがいるのだがと思いながら、会いに行けなかった。この場合も、私は、もう一度、全作品を読み返して、英文または日本文でロス・マクドナルド論を書いてから、会いにいこうと考えていたのである。
どうして、こうであったのか。多分、私はあまりにも気位が高すぎて、単なる愛読者という状態に居ること、或いは、そう相手に思われることに耐えられなかったのであろう。そして、いつも自分勝手に、相手に迷惑と思われる会い方はしたくないと考えて、結局、何もしないで過ごすことになってしまった。
これでは、いけないと思う。あつかましい奴だと思われてもかまわない、恥知らずだと思われてもよい、自分が本当に好きで、会いたいと思えば、遠慮せずに行動に移さなければならない。生きているうちに会っておかないと、チャンスは二度とやってこないかもしれない。今、私は、そう思う。そして、“頼山陽とその時代”を読んで、感銘したのも、まさに、江戸後期の知識人たちは、己の意志と願望に忠実に行動し、しかも、彼らは即座に行動することが出来たということであった。
これでは、いけないと思う。あつかましい奴だと思われてもかまわない、恥知らずだと思われてもよい、自分が本当に好きで、会いたいと思えば、遠慮せずに行動に移さなければならない。生きているうちに会っておかないと、チャンスは二度とやってこないかもしれない。今、私は、そう思う。そして、“頼山陽とその時代”を読んで、感銘したのも、まさに、江戸後期の知識人たちは、己の意志と願望に忠実に行動し、しかも、彼らは即座に行動することが出来たということであった。
(完了)1984年5月9日 執筆
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