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3/27/2012

コロラド汽車の旅 (その2)



コロラドの汽車の旅 (その2)     

200573日、私たちは早朝のまだ誰も動き出していないころにDurangoの汽車の駅に到着した。入り口はまだ開いていず、私たちは外で待たねばならなかった。

駅で名前を言ってチケットをもらってはじめて、これで本当に、この、10年以上前から憧れ、なかばあきらめていた汽車旅行がいよいよ実現するのだという喜びが実感として湧き上がってきた。一人の旅行も楽しいが、喜びを共有できる気心の知れた友人がかたわらにいると、喜びもひとしおである。こうして、この一日の汽車の旅は始まった。


Durango-Silverton間は50マイル足らずで、クルマで有名なSan Juan Skyway またの名 Million Dollar Freeway を走れば1時間の距離である。そして、このすばらしいSan Juan Skyway を私は何度もドライブし、そのたびに感激して、機会があるごとにこの絶景に満ち満ちたSkywayをドライブすることにしていた。おそらく、全米の数あるScenic Driveのなかでもベストといえるだろう。したがって、ただSilvertonに向かうだけなら何も一日かけて汽車で7080ドル余計に支払って移動する必要はない。


1880年以来稼動している有名な汽車の旅を実現できるということが、このDurangoの街を繁栄させてきたし、時間と金を使うだけの価値はあるということは、私たちが実際に確認できたことであった。これはまさに Life Time Experience であった。私の机上のPCにはDigital Cameraで撮った1万枚を超える写真がFileされていて、Screen Saver を、そして Backgroundの写真も Dell PC の Auto Slide Modeにセットしてあるので、すべて自分の目で見てきた自然がつぎつぎとあらわれる。Durango-Silvertonの汽車の旅の写真はかならずScreenにでてくるので、そのたびに私は楽しかった旅行の思い出を再現することになる。また、機会を作って訪れたいと本当に思う。Best Spent Money であったと思う。安いものである。


汽車は朝、30分ほどの間隔で3本でるだけである。どれも指定席で、Open Car も2台あり、結果的にみて、そのほうがよかっただろうと思ったが、それは天気がよければの話で、なにぶん汽車で煙を吐きながら走るので、Openの場合はそのことを知っていなければならない。

幸いこの日はすばらしい天気であったので、Openの車両の席のほうが周りの景観を楽しむにはベターであったと思った次第で、その分、私は写真をとるためにあちこちの空いている席に移動したりしなければならなかった。


3時間半で終点 Silvertonに着く。どうしてこんなに時間がかかるのか、どこかで留まっているのではと思ったが、実際、給水にとまったりしても、ほとんど動いていて、ゆっくりと海抜2000メートルのDurango から 約2900メートルのSilvertonまで900メートルあがるので、クルマと違って、時間がかかるのであろう。


Silverton では2時間の休憩があり、丁度 ランチタイムでゆっくりと食事をして、帰りのたびにつくというわけである。したがって、汽車で往復すれば9時間の旅で、まさに一日がかかりである。往復汽車の旅は馬鹿らしいと思う人もあり、片道だけで、戻ってこない人も居る。その場合はバスでDurangoにもどることになり、San Juan Skywayの一部を楽しめるので、全行程236マイルのSan Juan Skyway を自分でドライブするつもりがなければ、そうするのがベストであろう。時間的に余裕があれば、Silvertonで一泊して、翌日、汽車で帰るのがよいという。それがベストかもしれない。私たちは一日で往復して、それで満足であった。席は同じなので、行きと帰りでは目にする景観も異なり、私はやはり往復汽車の旅をできてよかったと単純にそのことを喜んだ。それほど、この汽車の車中からの景観はみごとなものであった。このあと、汽車ではないが、このコロラドで同じように川沿いを往復する有名な列車に乗ったが(Royal Gorge Route Train 後述予定)、私の印象では、この DURANGO-SILVERTONの汽車の旅の方が文句なしに圧倒的にすぐれていた。      


汽車は最初、街中を走り、すぐに郊外に出る。Animas River沿いを走って、野原、Highway、林を切り抜け、森の中に入ってゆく。この列車はもともとSilvertonの鉱山で採れた金と銀をDurangoまで運び出し、加工するために1880年代に創設され、鉱山業の盛衰にもおとろえず、継続的に運営されてきた。1950年代以降は観光産業が主役を演じ、今では年間20万人以上の乗客がこのすばらしい汽車旅行を楽しんでいるそうである。


しばらく走ると、比較的早い時期に、汽車は断崖絶壁のふちを走るようになる。それはどの写真家も必ず撮る景色である。はるか下をAnimas Riverが流れ、がけぶちすれすれに10台ほど連結した列車が走っている光景である。写真家は川におりて、したから上を見て汽車をとらえるか、少し距離を置いたところからとるのであろうか。秋には特別に写真家用の列車が出るそうで、それなら頻繁にとまってくれるので、いいショットも可能かもしれない。ともかく、この場面が現れて、やったぜベイビーと快哉したくなるような、見事な、興奮をさそう眺めにわれを忘れて、しばらくは忙しく写真を取りまくる。Digital Camera はショットの後が時間がかかり、連続ショットは無理なので、いいショットはみのがしがちである。大概の乗客は望遠レンズつきのいいカメラを持って乗車しているので、きっとすばらしいショットがとれたであろう。


そして、汽車はやがてほとんどコンスタントにAnimas River沿いを走ることになる。

水は豊かで、アメリカの川としては清流で、薄緑色をして流れており、緑濃い森林と山々の岸壁そして、青空や白雲が見事な調和を示して、なんともいえない満ち足りた気分になる。(Colorado River もコロラドの中を流れている間は清流であるがUtahArchesの近くを流れるころには土砂を巻き込んで土色または黄土色をした流れとなる。)汽車は川のマジかを川と平行して走り、時に橋を渡って反対側を走るので席からは川が見えなくなり、山際の木々や草原がみえたりする。。時々汽笛を鳴らし、黒煙をはいたりして本当に汽車に乗っているのだと実感し、うれしくなってくる。流れは急流となったり、穏やかな流れになったり、また川幅もかなり狭まったり、広くなったりし、その間、アスペンの森林やダグラス ファー、スプルースの林を過ぎていく。何度か川を横切り、時にはRafterが流れと格闘しているのをみたり、Kayakの何組かが通り過ぎてゆく。川の緑と空の青、白い雲、山の岸壁のいろが、列車の黄色とうまく調和して、すべてが最高だと感じる。


行きと帰りは同じ席なので、反対側が眺められることになり、車窓の光景もまた異なるのがわかる。往復する価値は十分にある。時には帰りのほうがすばらしい山の景色を捉えることがある。


Silvertonに到着すると汽車は街の真ん中で停車する。そして、2時間の休憩のあいだに入れ替えが行われる。かえってくるころには、進行方向に機関車の前部が位置している。


2時間の休憩といっても、時間は瞬く間にすぎ、私たちはAvalanche Café というレストランにはいって、ささやかなランチを味わった。しばらく街中をうろつき、Historicな建物のたたずまいを楽しんだ。町並みを写真に収め、駅にもどり、汽車の写真を撮り、満足して帰りの出発を待った。


断崖の写真は今度は見逃さないようにと注意していたので、本当に川のふちぎりぎりの断崖のところを過ぎてゆく写真をとることができた。Durangoに近づくにつれて、Animas River がゆったりと流れているさまがよくわかり、牧歌的な、田園調の落ち着いた景色が現れ、心がなごむ思いをした。穏やかな流れの川岸で、RaftingのボートがいくつかFloatの準備をしている光景も見られた。こうして、往復乗車時間7時間の汽車旅行は無事終了した。

それは、一生の記憶に残るすばらしい体験であった。

5・11・2007 村田茂太郎





















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