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3/15/2012

“北の国から”(倉本聰)との出会い

 あさひ学園15年目の最後の年、国語教科書で倉本聰の「北の国から」と出会いました。
そのときの読書の喜びを生徒たちに伝えようとした文章で、1994年、すでに今から18年ほど前の文章です。

 こうしてみると、感想文を書いておいたおかげで、わたしはあのころのことを思い出せます。今から考えると、"ニングル”の感想文を書いておかなかったのが残念です。

村田茂太郎 2012年3月15日

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“北の国から”(倉本聰)との出会い

 中二の国語教科書に、倉本聰のシナリオ“北の国から”の一部が載せられている。年間スケジュールと取り組んだとき、“シナリオ”というのは、少し教材として異色で、指導が難しいように思い、ほとんどカットの方向でセット、漢字表や主題・段落リストで済ませてしまうつもりになっていた。ところが、“1993年度あさひ文集”を読んでいて、210ページにあるO校****の脚本“あいかわらずだな大輔くん”を読んでいて、気が変わった。これは、表現の課題、“想像を膨らませて”にある教科書P,118-P,119の漫画を見ながら、それにふさわしい物語を創作するというテーマに対して、シナリオ式に応じたものであるが、実に見事に脚本技術をマスターした書きっぷりで仕上げていて感心した。

 この生徒が、こういう、それなりに完成した脚本を作り上げることが出来たというのも、きっとその子は教科書のシナリオ“北の国から”に接して、ある意味で感動し、表現技法に興味を持ったからに違いない。もし、私が、本当に教材としては特殊だが、それなりにすばらしいこの“北の国から”という作品を漢字や主題だけで済ましてしまえば、大事なものを勉強する機会をとりあげることになると思い始めた。

 それで、あさひ学園の図書に、倉本聰の作品が沢山あり、“北の国から”というのもあったのを思い出し、この本と取り組むことにした。倉本に関しては、人に薦められて、私は“ニングル”というすばらしい小説を読んだことがあり、いつか感想文にまとめておきたいと思ってそのままになっているが、その後、倉本の本をあさひ学園の図書で探したところ、沢山見つかったが、すべてシナリオなので、どうしたことか、私は遠慮して、結局、何も読まなかった。シナリオ的な作品に関して、読まず嫌いの拒否反応を持っていたからに違いない。ともかく、“北の国から”とは取り組むことにした。そして、その結果は素晴らしい体験といえるものであった。冒頭に、“読者へ”という作者の前書きが載っている。大事な内容なので、そのまま引用させてもらう。

 “シナリオは読みながら、その情景や主人公の表情や悲しみや喜びを、皆さんの頭のスクリーンに描きやすいように書かれています。単に<間>と書かれている時間の中で、主人公が何を考えているのか。<誰々の顔>と書かれているところで、登場人物がどんな顔をするのか。そういうことを読みながら空想し、頭に映像を作っていくことで、みなさんは自分の創造力の中の監督や俳優になることができるのです。そして、もしかしたら、みなさんの創造力は、実際にこのシナリオを元にできたドラマより、より深い、より高い、一つのドラマを頭の中に創ってしまうかもしれません。”(“北の国から”読者へ。)

 そういうことである。ただ、受身に鑑賞するだけでなく、自分が俳優になったり、監督になったり、演出家になったりして、一つの作品を創出する作業に直接的・能動的にかかわっていくことが出来る世界。それが、シナリオの世界である。それは、ふつうの“小説”の読解・鑑賞とは違った世界であり、読者への積極的コミットメントを要求する世界である。

 そして、私は、“北の国から”の魅力的な世界に没頭し、前編・後編の二巻をスグに一日で読了した。それは、実にすばらしい体験であり、シナリオ拒否反応もいっぺんに消え去って、私はもう倉本の他のシナリオ作品を全部読んでしまおうと、土曜日の来るのが待ち遠しいくらいである。中二の教科書との出会い、そして、“あさひ文集”のなかの作文(脚本)との出会いが、私に新しい世界をひらいてくれたわけである。

 このシナリオの背景に関しても、作者倉本聰が本のカバーで簡潔にまとめあげているので、もう一度引用させてもらおう。

 「“恵子ちゃん、ぼくは北海道に来た。本当は内緒にしたかったんだけど、父さんと母さんは別れちゃったんだ。”-少年純(じゅん)の手紙で綴られるこのドラマの舞台は、北海道の富良野(ふらの)です。富良野市麓郷(ろくごう)の農家に育った純の父親、黒板五郎は、父母を捨て、東京に出て、そこで東京の女と結ばれ、二人の子供が生まれました。しかし、五郎には東京は重く、家でも仕事場でも、うまく行かない、うだつの上がらない毎日でした。そうして、突然、五郎は妻に男の出来たことを知ってしまうのです。妹の蛍と共に父に連れられ、初めて父の生まれ故郷である麓郷の廃屋に住むことになった純。都会の中に、どっぷりひたって、ぬくぬくと育ってきた少年少女が、厳しい富良野の四季に接して、何を見、何を学んだか。北海道の一年を通じて、地方から都会へメッセージを送る。これは、一種の文明批評でもある小さな家族の大きな物語です。」(倉本聰)。

 そういうことである。北海道の富良野という厳しくも美しい大自然の中で、実際に何年も生活してきた倉本聰自身が、自分の富良野生活体験を踏まえて創出した、“小さな家族の大きな物語”であって、離婚という悲劇的情況と、新しい環境への適応という、困難の中で揺れ惑う子供の心の成長発展をメイン・テーマに、そして、美しいが粗野で厳しい北海道の大自然をバック・グラウンドに、織り成される、内容豊かな人間劇となっている。

 便利な都会生活になじんでいたのに、いきなり離婚によって、妹の蛍と一緒に、父親五郎の故郷、北海道の厳しく原始的な生活環境の中に放り出された少年純が、新しい生活のすべてに拒否反応を示している様が、純の“語り”つまりナレーターとしての生き生きとしたひとりごとを効果的に用いながら描かれ、いろいろと大変な苦労を嘗めながら、だんだんと大自然の中で生活することの魅力を感じるようになる、その成長の様子が、ユーモアを交えながら上手に展開されている。

 教科書には、テレビ・ドラマのシーンが数葉収められているが、五郎を演じる田中邦衛と、別れた妻を演じる いしだあゆみ、そして純に蛍の子供は、みな役柄にぴったりの感じで、上手にキャストがえらばれていたようだ。教科書記載の部分は、後編、正式に離婚するため、必要書類を持った弁護士を連れた妻令子が富良野を訪れる場面であるが、物語は北海道らしく、水道も電気もない小屋住まいから始まって、野生のキツネとの出会いや吹雪での遭難騒ぎ、空知川のイカダ下りやUFO騒ぎ、廃校寸前の分校生活、自力で水道や風力発電完成、そして、思春期(純)らしい出来事や大人の恋愛問題と、いろいろ変化に富んだ展開を見せ、それを通して、大自然の中に根付いて暮らす人間の苦労や喜び、大自然の厳しさ、美しさが力強く、見事に描かれている。読後、たしかに大変だが、なんと魅力ある世界であろうという印象を持つ。純と蛍という二人の子供の、母親と父親をめぐる愛情と理解、その細やかな心の動きは、とりわけ見事に描き出されていて、この作品をすぐれた人間劇としている。もそっとしているが、大地の力強さを秘めた父親五郎の言動も、物語の進行を支えるだけの魅力と逞しさを備えている。また読み返したいと思う作品であった。

(記   1994年4月4日)

「北の国から」倉本聰 つづき4篇を読み終えて

 4月2日にあさひ学園の図書から借り出した倉本聰の「北の国から」前編と後編はその翌日に全部読了した。待ちに待った4月9日入学式の日の朝、誰も居ないあさひ学園の図書室に行って、倉本聰のシナリオが沢山並んでいるのを確かめ、その中からまず7冊を借り出した。そして、その晩、5冊を読了した。4冊は『北の国から』のつづきであり、1冊は「海へ」と題する高倉健主演のパリ・ダカール レーシング映画のオリジナル・シナリオであった。

「北の国から」は、「‘83冬」「’84夏」「‘87初恋」「’89帰郷」とつづいたわけである。それぞれに、テレビ映画からの写真が数葉収められてあり、子役であった二人の少年少女がどんどん大人に成長していく様子がわかり、従って、「北の国から」前・後篇で知り合った黒板家族の変転にそのままつきあって、まるで古くからの知り合いのような、なまの感覚が生まれてくる。都会の生活からはずれてしまった子供達が、人生の苦労を子供の頃から体験していく成長談となったわけで、たしかに大自然に囲まれて、貧しく厳しい地方の田舎で生活する人たちには、いまだにこういう世界があるに違いないと悟らせるものがある。

前・後篇の最後では、別れた妻の令子がヘンな病気で急死してしまい、子供達は完全に母ナシ子となる。そのあとの続編では、黒板家族のその後の生活ぶり、成長ぶりが展開されるわけで、父親五郎のの東京への出稼ぎと帰郷、麓郷村での人々とのやりとり、丸太小屋の火事、純の風力発電機作成、純の初恋と別れ、純の東京定時制高校入学と職場遍歴、都会での生活違和感で悩み、グレかかる純、蛍の初恋と別れ、純の帰郷、初恋の女性との再会、父親五郎の麓郷村での生活ぶり、病院で看護見習いとして働きながら看護学校で勉強する蛍といった様々な体験が展開されていく。

ふだん恵まれていて、大学まで、勉強以外の苦労など何も知らないで成長する人には、なかなか実感としてつかめないような世界だが、考えてみれば、高校へ行きたいが貧しくて不可能なため、昼は自分で働いて生活費を稼ぎ、夜、定時制高校に通って勉強するというひとも沢山いるのである。

親の離婚や母との死別、たくましいが貧しい父親、そして厳しい北海道の大自然、そうした中で苦労しながら初恋の喜びを体験し成長していく二人。大学、そして就職・結婚というコースを安易に考えている人々に、この「北の国から」のストーリーは、それとは違った世界があること、それは苦労し、努力しながらも立派に充実した人生を築いていく道があることを示してくれる。従って、作者が言うように、都会生活に対する文明批評ということになる。最後まで読み進めると、しみじみした感慨に襲われる貴重な読書体験となった。

(記 1994年4月10日)

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