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10/26/2014

SFV Bonsai Club 盆栽クラブ 2014年10月26日 月例会 報告

SFV Bonsai Club 盆栽クラブ 2014年10月26日 月例会 報告

 今日の盆栽クラブの会合はChatsworthの会長宅でありました。自分の盆栽を扱う日で、わたしは手ごろなものがなかったので、どうしてよいのかわからないJuniperの鉢植えを持参しました。

 月一回の盆栽クラブの会合は私にとっては外部の人と接触するほとんど唯一の機会で、私自身の健康管理のためにも大事なものとなっているのは自分でもよくわかっており、いろいろ自分の抱える内部の問題で気が伏せているときでも、この会合に参加して失望したことはありません。

 今回は、最近ではめずらしく、非常に沢山の参加者があり、うれしく思いました。あたらしい参加者が5名も居り、途中で引き上げた人も含めると20人近くの人が集まりました。

 みな立派な盆栽を持ってきて手際よく処理している人が多く、万年素人の私よりも熱心だなあとうれしく思いました。

 マスターからは、私に SFV JACC の会長から、SFV盆栽クラブの活動振りを示す写真を何枚か送ってくれないかと頼まれたとの連絡があり、私はこのブログの盆栽クラブの活動報告で示すように、すでにそのつど写真を公表しているわけですが、あまり顔がわからないような写真にわざとしているわけで、Officialにリクエストということであれば、メンバーの顔がわかってもよいのだと思いました。しかし、いまさら取り直すわけにもいかず、今までの写真集の中から、適当に電送E-mailしてみたいと思います。

 わたしは今日はPlant2つ、OliveとJuniperを持参しましたが、Juniperのほうはさすがにむつかしく、いいろいろと意見がわかれて、裸のようなかたちになり、またあと半年、どのように茂るかを見てやり直そうということになりました。Oliveのほうは、もう見事なかたちに決まっていたので、Trimする程度で無事終了しました。あとは1-2月に鉢あげするだけです。これで、来年の盆栽ショーの準備がひとつ出来上がりました。(そういえば、毎年、AltadenaのNuccio's NurseryでAzaleaの鉢を沢山購入して、はやく鉢に移し替えすぎたため、からすことが多く、それは私だけではなく、盆栽のベテランの方々もAzaleaをからしてしまう方が多かったのですが、私は、まだあきらめずに5鉢ほど購入しましたが、今回は買ったPotsのままにしてあるので、全部、生きているだけでなく、なんと、さすがは南カリフォルニア、つつじ は3-4月だけというのではなく、ほとんど1年中咲いているので、驚きです。もちろん、3月ごろは盛りで、見事に咲きますが、7月でも10月でも、ともかく、咲き続けているのには感心します。よく本(小説)で、南カリフォルニアはいつでも花であふれている、北国のWashingtonやMontanaと違うと書いてありますが、そのとおりだと感心します。)

 今日はともかく、みなさん、自分の盆栽または人の盆栽のヘルプに精を出され、あまり無駄口をきかない、まさに盆栽クラブの活動そのものという会合になりました。わたしはほかの皆さんが盆栽の手入れをしながら、さまざまなテーマについて和やかに歓談されているのを聞いているのも好きで、いろいろな情報がはいってくるので、毎回楽しみにしています。

 今日の私の収穫のひとつは、Treasurerの仕事をほかのひとに引き継ぎたい(もう4年になるので)と思い、誰か適当な人をと考え、悩んでいましたが、帰る間際に、これという人が見つかり、ほっとしました。彼なら間違いなく頼めそうで、私はうれしくなりました。入金はCashでもよいが、支払いはCheckでないと駄目という意見の持ち主なので、まさにそのとおり、わたしはチェックで立て替え金を支払うと、チェックはDepositしなければならないので、大変で面倒だろうと、かなり大きな金額でもCashで支払うようにしていたため、領収書をなくして、自分でCashを補充しなければならなかったときが何度もあり、苦労した上に100ドルほど損失補てんをしていたのではやる意味がないと思っていましたが、彼なら、はっきり全員にチェックでしか支払わないと徹底できそうで、まさに会計担当に最適の人物だと思いました。わたしは、いつも相手が苦労しないですむようにと思って行動したため、しわ寄せが来るのは自分自身であり、もうTreasurerは充分と思うに至っていました。最近は領収書をなくさないように、ノートにサインしてもらうようにしたので、小さな紙を喪失する危険はなくなりました。もっとはやく実行していれば自己負担もしないですんだのにと、いまさらのように自分のばかさ加減にあきれています。

 ともかく、新しいメンバーも増えて、まちがいなく、このすばらしい盆栽クラブは来年も頑張ってやっていけそうです。

 はや今年もあと2回を残すのみ。来月11月は第4週の日曜日23日。今日と同じく、会長宅で自分の盆栽を扱います。最後、12月は第2週の日曜日。12月14日にクラスの盆栽、つまり来年の盆栽ショーで売り出すための盆栽の手入れをする日で、マスター宅にあつまります。そのあと、引き続いて、忘年会というか年末のPot Luck Partyを同じマスター宅で行います。参加者は何か手ごろなものを作るか購入して持参することになっています。ドリンクス、ビールなどをご持参の方もあり、それもOKです。会社のOfficeでのPot Luck Partyのときは、事前にそれぞれ何をつくってもってくるかを確認しあって、ダブらないようにつとめましたが、この会合では不思議にそのような事前の打ち合わせ、予定通知をしなくても、みなうまく独自なDishを持参できていたようです。わたしはこの2年はキンピラごぼうとキンピラこんにゃくの二品を持参して、それで皆によろこんで召し上がっていただきました。その前には一度、おからの料理をつくって持参しましたが、最近はGardenaのJapanese Marketまで探しにいっても、”おから”が見つからないため、ほかの料理にしたわけでした。自分でときどきキンピラごぼうをつくってうまいと思っているので、今回も同じものでいくつもりです。

 なお、SFV Bonsai Club の年会費は2014年度からは10ドル上げて50ドル、途中から入ったかたには、10月以降は月5ドルということで、実行しています。会は去年は、ずいぶん資金が目減りして、どうなることかと心配しましたが、このすばらしい盆栽クラブを維持していくためにはVoluntary Spirit奉仕の精神 が不可欠であるという私の訴えを、みなさんが真剣に受けとめられ、実行してくださったおかげで、これからも、健全財政で会を維持していくことができそうです。これで、私も安心してつぎのTreasurerに委託できるとわかり、本当にほっとしました。
 
 今日は、おひとり、大事な方が欠席され、どうされたのかと心配しましたが、Medical Insuranceに関する大事な会合に参加されたとうかがって、安心しました。そういえば、私も保険会社をかえないと、好きなUCLA病院が今までの保険をAcceptしないということで、大問題です。ここしばらく、ややこしくなりそうです。

November 23 Own Bonsai At President Garage
December 14 Class Bonsai At Master Backyard & Pot Luck Party After Class Work

村田茂太郎 2014年10月26日

会長宅のガレージで
















この池には鯉か金魚が何匹か泳いでいましたが、今日は何もいません。
Racoon狸がみな取ってしまったとのことでした。網でカバーが必要かもしれません。
ここには、手製の鹿脅しが上手にセットしてあり、ここちよい音を立てていました。

会長宅の自製盆栽はよく整理され陳列されています。

見事な盆栽がいくつもあります。

このShadeも自分でつくられたそうで、私の場合はこういうShadeがないため、
今年は猛暑で沢山盆栽が枯れてしまいました。
盆栽愛好家はこのShadeなしでは、安心できません。













ミニ・ランチャンと会合

ブログ表紙写真 その140回目 銀閣寺庭園、東山 Kyoto, Japan

ブログ表紙写真 その140回目 銀閣寺庭園、東山 Kyoto, Japan

 わたしは学生のころ、吉田山の裏手、吉田神楽岡のアパートに住んでいたので、銀閣寺や法然院はすぐ近くでした。しかし、当時はベトナム反戦運動と大学闘争が日本全体をゆるがしていて(?私の内部だけ?)、京都の寺社観光などというムードではなかったため、今から考えると、せっかく京都の町に下宿していながら、なんと”もったいない”ことをしたことかと、すこし残念な気がします。銀閣寺は多分、一回訪れただけ、法然院のほうは哲学者九鬼周造のお墓があったりして、何度か訪れたものでした。銀閣寺のおくの道から登っていく大文字山には春夏秋冬計10回登りましたが。

 エルパソで生活するようになり、アメリカの裸の自然、荒涼としたMonument ValleyやSouthwestの自然になじむにつれ、雨が多いために緑と渓谷の美しい日本の美をとくに強く感じるようになりました。ゲーテは外国語を知らないと自国語もわからないといいましたが(ゲーテ自身はドイツ語だけでなく英語、フランス語、イタリア語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語その他を充分よく知っていたようです。)、自国の自然美についても同じことが言えると思います。もともと、日本は自然が美しいところだと思っていましたが、世界で一番美しいところではないかと思うようになったのはアメリカ南西部の自然に接してからです。「ロシヤにおける広瀬武夫」の紹介文で引用しましたが、19世紀明治の日本をおとずれたロシア海軍の軍人が、ほんとうにこの世にパラダイスがあるとしたら、それはJapanではないかと広瀬武夫の恋人であるロシア貴族の女性の兄に言ったという話ですが、本当にそうだと私も思います。戦時中の軍国政治の時代ならともかく、いまはデモクラシーも浸透して、ほかのデモクラシーの国(イギリス、フランス、アメリカ、カナダ、スイス・・・)などと同様、個々に小さな犯罪が発生しても、合法性が支配している、安心できる国という意味では、日本も梅棹忠夫が「文明の生態史観」で展開したように、ほかのデモクラシーが未確立の国々にくらべて、安心して生活できる国、そして見事な、変化に富んだ素晴らしい自然が国全体にひろがっている、まさに地上の楽園に当たる国です。最近は、いろいろ信じられないような犯罪が多発して、日本はどうなっているのか、しっかりしろといいたいほどですが、根本的に平和を愛好するすばらしい国であり、国民であり続けると思います。

 そして、そういう外国を知った目で日本を見るようになり、京都や奈良の美しさ、文化的な尊さ、史跡・遺跡に見られる文化の高さを見直すようになって、日本美を再発見するようになりました。銀閣寺も有名な建物周辺よりも、小高くなったTrailや苔、樹木のたたずまいに、今まで気がつかなかった美を認めるようになりました。私は学生時代に桂離宮、修学院離宮とそれぞれ3回ほど参観する機会がありました。そういった特に有名な庭園だけでなく、無隣庵とか、さまざまな寺社庭園がそれぞれすばらしいものを保持しているのを知り、ときどき日本を訪問するときは必ず、京都や奈良その他日本国中を見て回るのが楽しみになりました。

ともかく、緑が美しいのは本当に素晴らしいと思いました。

村田茂太郎 2014年10月26日

銀閣寺庭園、Kyoto 東山, Japan













10/22/2014

小山勝清 「それからの武蔵」を読む


小山勝清 「それからの武蔵」を読む

 最近、また「それからの武蔵」を読み返した。もう少なくとも、私は、5回は読んだことになる。娯楽もの時代小説としては最高に楽しめる小説であり、文庫本6冊を読みながら、わたしは毎日楽しく過ごすことができた。

 「それからの武蔵」とは、もちろん、有名な佐々木小次郎との巌流島での決闘から、その後ということで、第一冊目は、その決闘からはじまっている。

 学生時代に、この本をベースにしたと思われる映画がTV30分もので放映され、私は機会があるたびにその放映を楽しんだ。月形龍之介が武蔵を演じていて、わたしはイメージ的にVery Goodと感じながら楽しんだものであった。映画は1964-1965だけでなく、1981年、1996年にも作成されたらしい。ストーリーはすこし原作とは異なった展開をしたところもあるという。

 宮本武蔵といえば、小説では吉川英治が有名だが、これは小次郎との決闘で終わっているから、そのあとの武蔵の成長にはふれられていない。この「それから」のほうは、決闘から始まって、62歳で亡くなるまでの波乱万丈の物語を事実とFictionをまじえながら、興味深く展開しており、娯楽ものとはいえ、非常に深みのある武蔵像を上手に描き出していて、名作だと私は思う。当時としてはめずらしいほど合理的精神を保持してすべてに対処し、宗教に頼らないで独自の境地に達したようで、非情な世界を徹底して生ききった達人の姿をこの小説は描ききっているように思う。よく武蔵を読み、理解し、自分のものにして描ききっているというのが私のこの小説を楽しめる理由だと思う。

 宮本武蔵といえば剣の達人として有名だが、ほかに絵も描き、彫像や鍔もつくり、そして兵法の書や哲学的思想的な五輪書をあらわした、ひとりの文武両道に秀でた天才であり、絵は国宝級で、鈴木大拙の「Zen and Japanese Culture」にも写真が紹介されて、世界に知られているほどである。

 浜松の工学部の大学を中途退学したとき、私は友人からの餞別として何を望むかとたずねられ、自分の希望を伝えたが、ひとつは「イタリア語4週間」という本、別の友人には、宮本武蔵の「五輪書」を所望した。なぜイタリア語の入門書であったのかは、よく覚えていないが、多分、Mozartの音楽に没頭していて、ケッヘル番号表を豆ノートに全部書き写して、聴いた音楽を全部マークしていったくらいだから、そして音楽用語といえば、みなイタリア語でできていたから、そしてMozartはもちろんイタリア語のオペラと関係が深かったから、私もイタリア語が必要と思ったに違いない。

 「五輪書」はもちろん宮本武蔵が死ぬ前に書き上げた名著であり、当時、小林秀雄の「私の人生観」などを愛読していて、“独行道”とともに武蔵理解に欠かせない文献だと思っていたからである。

 「それからの武蔵」には、Fictionをまじえて、女性が5名ほど(お孝、お悠、おりん、お松、由利姫)登場する。私たちは、武蔵が結婚をしなかったことを知っているが、ここに登場する5人の女性は、それぞれ立場がちがっても、武蔵の強烈な人間性・人格に魅惑され、懊悩しながらたくましく生きようとし、武蔵自身もその影響をうけざるをえなかった。この小説で、ほとんど結婚の約束までかわしながら、武蔵が唯一君主として認めた熊本城主細川忠利が病没したため、成就しなかったことになっている最後の女性・由利姫の成長発展ぶりもすばらしい。

 史実としては、丁度、武蔵が生きた時代が、関が原から徳川幕府成立・確立の前後にあたっていたため、三大将軍徳川家光との謁見、“島原の乱”とその前後の長崎近辺の様子なども描かれ、熊本藩の内部の出来事としては森鴎外によって描き出されたため、特に有名な、殉死をめぐる「安部一族」の事件まで、かなりくわしく描出されている。ほんの断片だが由比正雪まで登場する。徳川政権安定を目指して、大名取り潰しが続出して天下に浪人があふれた様子も描き出されている。

 著者小山勝清(こやま かつきよ これは東京よみ、熊本では おやま と読んだらしい)は九州出身のひとらしく(熊本県球磨郡相良村)、九州の自然の美しさが見事に描き出されている。

 わたしは高校の修学旅行で九州の上半分を観光し、工学部の学生であったときに友人と、今度は一応、宮崎、鹿児島まで含めて観光したことがある。

 この武蔵の小説を読みながら、熊本や天草、島原、雲仙などが魅力的にえがかれていて、一度、ゆっくり九州観光をしたいという思いにかられたが、わたしも年をとり、アメリカに住んでいては、もう不可能であろう。残念である。(余談 先日、TV NHK World を見ていて、たまたま Ken Noguchi をUniversity of Tokyoのアメリカ人Professorが流暢な日本語でInterviewするという番組があり、わたしは途中から見つづけたが、この、世界7大陸の最高峰に25歳までに全部登頂してWorld Record保持者となった世界的に有名なAlpinistが、番組の最後のあたりで、日本の白神山地などが最も美しい自然だと思うといい、日本はサンゴ礁の海からほとんどあらゆる変化に富んだ自然を擁していてすばらしいとかと言っているのをきいて、世界中を見てきたはずの人も、やはり日本列島という見事な自然を擁した国のすばらしさを確認しているのを知って、わたしと同じ意見だと納得した。本当に日本全体がカリフォルニア一州に収まる程度の国の広さにもかかわらず、サンゴ礁から流氷まで、ほとんどあらゆる自然現象を擁しているすばらしい国であることを確認できるのはうれしいことである。Noguchi氏は日本人がヒマラヤにかぎらず、富士山などすべてのところで、ごみを散らかしたままで平気なのを恥ずかしく思い、自然を守り、ごみをなくす運動をヒマラヤでも日本でも組織し、清掃に効果を挙げているのは見事なものである。かれはヒマラヤ登山に欠かせないシェルパが、一緒に遭難しても、ニュースにもならないのに怒りを覚え、遺族たち、特に子供たちが教育を受けられるように基金をセットしたりして、あらゆる面で貢献しているようだ。よい番組であった。)

 室町幕府・第15代将軍・足利義昭の孫娘由利姫“というのが登場し、これがとても魅力的で、小説としての展開も面白いものになっている。長崎・島原では危険を犯してキリシタンの孤児を収容・救済する仕事に没頭し、最後のほうでは、彼女はなにもかも捨てて四国88箇所巡礼の旅まで貫徹する。

 細川忠興の孫娘“お悠”というのも、武蔵の魅力にひかれ、武蔵との愛はまっとうしないが、武蔵から学んだ生き方を自分も貫徹しようとする。

 佐々木小次郎の愛人で、正式に女房になるつもりであった女性“おりん”が登場し、巌流島での決闘の結果、すべてがぽしゃったため、恨みに思って武蔵を追い続け、短筒でねらいつづけるが、彼女はほかの女性が武蔵を恋続けるのが気に入らず、とうとうこの忠興の孫娘を撃ち殺したことになっている。彼女の相棒とも言える男もずっと武蔵を追い続けたが、そのうち、江戸で兵法指南番にまでなり、有名な寛永御前試合を将軍のまえで行うという行事を取り仕切るまでになる。それもこれも、彼が武蔵を追いかけながら、武蔵の兵法を徹底的に探求したことが、兵法の専門家にまで仕上げたということらしい。この辺はみなFictionらしいところである。

 佐々木小次郎の弟子で、武蔵を恨む何人かの若者たちが、ほんものの武蔵に触れて、武蔵の偉大さに目覚め、弟子となり、誠実に女性たちを守り続けるすがたは気持ちよい。

 そのほかに、有名な槍の高田又兵衛との試合や棒術との試合など時代物小説らしい興味深いシーンも散らばっている。新陰流で有名な上泉伊勢守の弟子の一人で九州に引退した体捨流の丸目蔵人(まるめ くらんど)を訪問する場面も非常に興味深い。

 ともかく、小説的面白さに富みながら、宮本武蔵という人間の魅力と偉大さを多面的に描き出した、すばらしい伝記小説・歴史小説である。

 著者小山勝清は1896年から1965年のひと。若いときは労働運動に参加して挫折を経験し、一時、柳田國男に師事したこともあるという。児童文学者としても有名であったようだ。「彦一 とんちばなし」・・・

 幕末から明治期に生きて、「大言海」という本格的な日本語の辞書をあらわした大槻文彦の伝記小説「言葉の海へ」を書いて有名な高田宏が「われ山に帰る」という評伝小山勝清を書いているらしいが、残念ながら読むチャンスがない。

村田茂太郎 2014年10月21日、22日

10/19/2014

ブログ表紙写真 その139回目 秋色のGuadalupe Mountains National Park, Texas USA

ブログ表紙写真 その139回目 秋色のGuadalupe Mountains National Park, Texas USA

 1994年10月 はじめて Texas の Guadalupe Mountains National Park を訪れて以来、2005年の10月最後の訪問までに私は何度訪れたことだろう。テキサス最高峰Guadalupe Peakだけでも7回ほど登頂し、秋の色で有名な(テキサスで一番美しいといわれている) McKittrick Canyon は毎年2-3回、したがって10年ほどの間に20回以上訪れたことになる。Guadalupe全体としては40回以上訪問したはずである。最初の1年間に15回ほど訪問した。あるとき、Rangerの人と話していて、私のほうがこのCanyonについてはよく知っているねと笑ったことがある。ともかく、アメリカの国立公園訪問としては一番数多く訪れたところである。ここはWild Parkで、ほかのNational Parkとちがって、自分の足で歩かねば、そのよさはわからない。わたしは一度も失望したことはなかった。あるときは雨だと知って、わざわざ雨のGualdalupeをハイクに行ったりした。あるときには、金曜日に雪が降り、土曜日に雪のFranklin MountainsとOrgan Mountainsを訪ね、日曜日には雪のGuadalupe Mountainsを訪れたりした。ほとんど一人旅で、ときたま同僚を誘ったりした。エルパソから丁度120マイル、クルマで約2時間。手ごろな距離である。私のエルパソ生活が楽しいものとなったのは、このGuadalupe,そしてCarlsbad Cavern National Park, Organ Mountains, Franklin Mountains、 White Sands National Monumentがそれぞれ、間近にあったり、2時間以内の距離にあったからである。エルパソは自然愛好家には便利なところである。

 Guadalupe Mountainsの有名な秋の紅葉・黄葉は10月中旬から11月初旬までで、10月下旬が最高になるはずであるが、もちろん、その年の雨の降り具合とか、9月10月の気温変化が大きく影響する。紅葉・黄葉といっても、輝くばかりのときもあれば、なんとなく鈍い感じのときもある。

 ある風景はよく写真になり、非常に有名で、誰が撮ってもそれなりに美しい紅葉写真ができあがる。紅葉は、Canadian Big Leaf Mapleが主であるが、ほかの木も秋色を示す。Aspenは見た記憶がないから、アスペンの黄葉はみられない。あるいはBowlといわれる頂上の盆地の部分にあるのかもしれない。この山Guadalupe山脈は化石でできている堆積岩の山で、Carlsbad Cavernのある北部に続くかたちで台地状に山脈が形成されており、富士山のような火山性のとがった山ではない。
 

 Guadalupe 山脈自体、水の乏しい砂漠の中の山であり、原生林であり、National Parkであるが、Mckittrick Canyonには当然Canyonがあり、細々とではあるが渓流が流れている。あるところでは流れは地下にもぐって、上の川床はDry Riverとなっているところもある。流れのあるところには、必ずRainbow Trou虹鱒が泳いでいた。それを見るのが楽しみで、流れに出るたびに、Troutを探したものであった。ここはProtectの領域で、流れに手をつけてもいけないことになっていた。人間の手が水を汚染するというのである。


村田茂太郎 2014年10月19日

秋色のGuadalupe Mountains National Park, Texas Mckittrick Canyon


ここはDry Riverだが多分、地下に流れがあるはずである。この前後に流れがあるから。


このショットは秋のGuadalupeの魅力を示すものとして有名で、誰が撮っても一応サマになる。
このショットのなかに、虹の七色以上の色が配置されているのがわかる。
赤、橙、黄、黄緑、緑、青、深緑、こげ茶、黒、白・・・
秋色のMckittrick Canyonは本当にきれいである。特に空が青く、白い雲が浮かんでいるときの色の対照はあざやかで、見事だと思う。



紅葉・黄葉は太陽の光が木の葉を照り輝かせているときは最高にうつくしい。
 





これが Mckittrick Canyonの清流で、同じような保護色で見分けにくいが、Rainbow Troutが何匹か泳いでいる。

私がはじめてここへきたとき、この草の茂みはほとんどなくて、流れが見えていて、岩をとびながら私はTroutを数え、休憩したものであった。年を経るにつれ、野性味が加わり、これはこれで素晴らしいと思うようになった。