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9/29/2013

ブログ表紙写真 84回目 宇治川 京都、Japan

ブログ表紙写真 84回目 宇治川 京都、Japan

 宇治川といえば平等院の鳳凰堂(ユネスコ、世界遺産)か平家物語の有名な”宇治川の先陣”争いが思い出されます。

 この宇治川の戦いは、平家物語とはいえ、平家と源氏の戦いではなく、源氏側・木曽義仲と源頼朝側の戦いです。義仲に関しては砺波山(となみやま)・くりから峠の戦いと義仲討ち死にの場面は特に有名で、松尾芭蕉が義仲が好きで、義仲をうたった俳句を作り、(木曽どのと 背中あわせの 寒さかな)、義仲を祀ったお寺にほおむられることを望んだ(滋賀県大津市ー義仲寺)というのも、みなこの平家物語のなかの一篇のせいに違いありません。もちろん、この戦死の場面は、小林秀雄の言う叙事詩人としての伝統的魂が描き出した創作の中の真実で、今日は特によろいが重いと言った義仲とその親友今井四郎兼平の両者が討ち死にしたのですから、本当に義仲がいったのかどうかはわからないはずで、詩人の詩魂が生み出した創作的真実が芭蕉を魅了したということでしょう。

 わたしが影響を受けた小林秀雄の「平家物語」もこの場面(先陣争い)をうたった子規の歌ではじまっていました。(先駆けの 功(いさお)を立てずば 生きてあらじと 誓える心 いけずき知るも ー 私の記憶からの引用)-高校国語の2年の国語教科書での出会いが私の人生を変えることになるとは、そのときは思いもしなかったことでした。

 それだけに、宇治川は小学4年の遠足で訪れたきりで、もう一度訪問したいと思っていましたが、エルパソ以来の友人のおかげで、見事に実現し、すばらしいときを持ちました。

 日本名河川100景のなかに選ばれている立派なきれいな川であることを再確認し、うれしく思いました。わたしは清流をみると感激するので、同じ友人はわたしは水を見ると異常反応をするとからかったものでした。コロラドを発し、ニューメキシコを縦断してテキサスでメキシコと国境をつくりながらメキシコ湾に流れ込むRio Grandeは約1900マイル弱、3000キロ・メートルの長さの川ですが、今では灌漑用水に利用されたりして、そして雨が足りなくてドライで、ある部分を流れるときは乾いたようになっているときがあり、エルパソにすんでいた私はいつもリオ・グランデの水量を気にしていました。宇治川が豊かな清流として幅広く流れているのを見たのはわたしの大きな喜びのひとつでした。

 平家の宇治川の場面は琵琶湖に近いほうだと思いますが、平等院といえば、源頼政が平家討伐のいくさをしかけて討ち死にしたことが思い出されます。日本は本当に国中史跡に富んでいるので、ほんの少しでも歴史知識があると、どこへ行っても感銘深いものがあります。

 わたしは、宇治川とは関係ないのですが、宇治川の流れのなかで、船のながれで、水しぶきが太陽に光るさまをイメージ化して、中国は唐の時代の自然詩人 葦応物(い おうぶつ)の漢詩のなかの

   寒樹 依微 遠天 外  夕陽 明滅 乱流中
かんじゅ いびたり えんてんのそと  せきよう めいめつす らんりゅうのうち

という七律の対句を思い浮かべるのが常でした。”夕陽 明滅 乱流の中” というのが、すごい表現だといつも感心するのが常でした。

 ともかく、宇治川は歴史的・文化的に見ごたえのあるところです。紫式部の石像が川のほとりに立っていました。もちろん、宇治は、源氏物語、宇治十帖ー浮船、薫、匂宮が演出する大事な舞台でもあります。紫式部のいたころは、まだ平等院は出来上がっていませんでした。鳳凰堂が出来上がったのは、50年ほどあとの話です。

村田茂太郎 2013年9月29日


宇治川、宇治平等院へ向かう橋


宇治川の清流








屋形船




宇治平等院鳳凰堂


 


修学旅行の生徒がたくさん訪問していました。
宇治川ほとりでの水遊びもいい思い出になるでしょう。

紫式部とならんでご満悦の私




9/22/2013

SFV Bonsai Club 盆栽クラブ 2013年9月22日 例会報告

SFV Bonsai Club 盆栽クラブ 2013年9月22日 例会報告

 8月中旬から9月中旬にかけてロサンジェルスでは暑い日がつづき、暑いだけならまだしも、湿度が高くて、蒸し暑い日本の大阪の夏を思い出すほどでした。9月の第3週からやっと涼しさが加わり、今日、第4日曜日の朝など、犬の散歩が寒いくらいで、心地よい風が吹き、高原の秋のさわやかさを感じるほどでした。そういえば、ここは海抜約400メートルの丘の中腹で、まさに高原の秋であったのかもしれません。こういうときは、私はエルパソ時代にScenic Drivingで訪れたNew MexicoのアルバカーキーやサンタフェあるいはTaosの秋のさわやかさを思い出します。エルパソもドライであるため、すばらしい瞬間をいくつも持ったものでした。

 今回は盆栽クラブのメンバーはマスターの庭においてある来年の盆栽ショーで販売予定のPlantを盆栽の型にする大事な基本作業を実施するということで、マスターの家に集まり、みなさん、ベテランぞろいで、手分けして作業を進められました。今回は、どうすすめればよいのかわからないほど難しいPlantが多かったため、下手な私がカットして全体をだめにしてしまうのを心配し、基本的には、みなさんの作業振りを見学させてもらって勉強の時間といたしました。それだけでは、申し訳ないので、会計担当の役割を発揮して、みなさんに会からささやかなFast FoodのLuncheonを提供ということで、ひとりで買出しに出かけました。今日は参加者はみなで12名ということで、みな役割を知った人ばかりで、スムースに仕事ははかどりました。

 例によって、作業を進めながら行われる会話に耳を傾け、それなりに納得のする知識をえることができました。たとえば、今、政府の政治レベルでは日本の、中国と韓国とに対する関係が尖閣や竹島その他をめぐる問題で、緊張しているように見えますが、一般観光客は中国からクルーズで団体客1万人という数字で日本に上陸してきたりするということで、旅行客を扱うビジネスには大切なお客であり、また日本の家電製品の販売も大きく影響するようで、そのツアー客の重要さは明らかなようでした。そして、政治レベルではややこしいようだが、一般的に、普通の人間にとっては日本という国はとてもすばらしい国で、喜んで何度も訪問したくなるようだとのことでした。

 「文明の生態史観 -梅棹忠夫」 で紹介しましたように、デモクラシーが充実した国は世界中でかぎられており、アメリカやイギリス、フランスは当然その代表的な国々ですが、日本も政治的にはひ弱さを感じさせながらも民主主義は地に着いており、世界でももっとも安心して生活できる国のひとつであることは確かです。

 そういう安定した国にすばらしい自然と文化そして、文明の最先端をいく家電製品などが安価に氾濫しているのですから、お金を持った新中国の上層階級(これが人口の多い中国で、上層部5%としても、何百万人となるわけで)が好んで日本を訪問することになるわけで、これはなにも日本訪問だけでなく、わたしがアメリカ、ユタ州のArches National Parkを訪れたときにも、昔の農協の団体がヨーロッパをさわがせたように、辺鄙ともいえるArchesに中国人団体客がバス1台で乗りつけるという状態が見られ驚いたものでした。いまや、地球上のどこにでも中国人は進出しているようです。

 ということで、政治的に緊張しているようでも、庶民レベルでは、観光客(金持ちの)は日本訪問を楽しんでいるという話を聞き、すこし安心しました。今や日本は外貨を稼ぐものは少なくなり、今後は観光立国でいくしかないのではと思われる状況の中で、政治の口論に影響されずに日本訪問がつづくということはありがたいことだと思います。そういえば、2008年2月に信州奥飛騨のロープウエー(ケーブル・カー)に乗ったときにも、乗客の多くは中国人や韓国人など外人客が多く、おどろいたものでした。

 盆栽クラブでの会話は日本を訪問したりしたひとや、日本のAirlineとコネをもっているひとがいたりして、なまの反応がきけるわけで、わたしもそういう会話を聞くことを大切に思っています。

 Next Bonsai Club 会合は10月27日 第4日曜日で7月からはじまったPresident宅で行います。自分の盆栽の手入れの日です。11月も同様で、12月は、またマスターの家にあつまり、盆栽ショー用の植木の手入れをしてから、Pot Luckの忘年会をマスター宅で例年通りに行う予定です。

村田茂太郎 2013年9月22日





















ブログ表紙写真 83回目 岐阜ぎふ 高速車道ツアー・バスの窓から 岐阜県 Japan

ブログ表紙写真 83回目 岐阜 ぎふ 高速車道ツアー・バスの窓から 岐阜県 Japan

 日本の友人に信州上高地を含む観光ツアーに入りたい旨伝えていたら、2泊3日の旅で岐阜羽島駅を起点とするすばらしい観光バス・ツアーが実現しました。2008年5月。

 新幹線で岐阜羽島駅に着き、そのあとは、きれいな観光バスで飯田、霧が峰、美ヶ原、八ヶ岳野辺山高原、軽井沢、白根山、安曇野。上高地、乗鞍岳という豪華なルートで、特に上高地は最高でした。

 霧が峰や美ヶ原はまだ寒すぎて、5月では早すぎるということがわかりました。はじめての軽井沢、浅間山、そして白根山。ここも雪に覆われた寒い状態でしたが、それなりに興味はありました。安曇野に出て、そのあと、上高地は雪と新緑で最高の美しさ。45年ぶりに訪問の夢がはたせました。学生時代に槍ヶ岳登山を計画していて、入院・手術で挫折したままになっていました。美しい梓川の清流を見て、心も洗われるような思いをしました。

 そのあとの乗鞍岳へのバスでのツアーもすばらしいもので、とてもいい思いをしました・

 そして、バスは乗鞍岳を下山して、岐阜羽島駅に向かいましたが、その間、高速道でいったん北上してから南下するというルートで、岐阜県の一部を高速道で縦断するようなかっこうになり、そのバスの中から見たあちこちに展開する岐阜の街のたたずまいが、本当に美しく、まだまだ日本には唱歌に歌われたような変化にとんだ見事な街や村が山、川、水田、畑、に囲まれてうつくしく展開しているのがよくわかり、岐阜県の美しさをはじめて知っただけでなく、日本の美しさを確認できて本当にすばらしい旅となりました。国立公園や各地に展開する絶景はもちろん見事なものですが、そのほかに、大都会ではなく、地方で普通に展開している町並みが、わたしには驚くほど美しく感じられました。

 ちょうど、5月の新緑と稲の水田の時期であったため、山々の間に展開する水田と川と町の家並みが、高速を走るバスの上からでも、とても美しく感じられ、アメリカの南西部の荒涼とした、しかし、それなりにユニークで美しい自然とはまた異なった日本の自然美を心から確認することができ、充実した旅となりました。企画して行動をともにしてくれた友人には心から感謝しています。(アメリカ南西部の自然については、このブログでも沢山の写真や私の紀行文ですでに紹介しました。)

 このブログでも、すでに、岐阜の車窓からの風景ということで、紹介してありますが、もう一度、ブログ表紙ということで、Pick up しました。

 岐阜羽島駅といえば、悪名高い大野何某の像が建つ金と権力で人工的に作られたところだときいていましたが、今は、岐阜・信州など観光の基点として観光バスがつらなるかたちで展開されており、にぎわいのある大都市から出発するのではなく、何もないところに集まって、出発し、帰ってくるのはいいことだと思いました。

 ちなみに、岐阜という名前は織田信長が択んだそうです。岐阜は、山また山で、自然の美しいところだとはじめて知りました。大阪生まれ、大阪育ちで、あまり地方を知らないまま外国にきてしまい、もったいないことをしました。今からでも遅くないと、友人の助けで、日本を訪問するたびに、あちこち飛びまわれたのは幸運でした。念願の長州・桂小五郎(木戸孝允)生誕の地・家を訪問したり、熊野の瀞八丁その他、そして、女房と一緒に鎌倉・東慶寺に小林秀雄のお墓まいりも実現できたのは私には最高のよろこびでした。

村田茂太郎 2013年9月22日

岐阜の町、高速道を走るツアー・バスの窓からの風景
以下すべて同様
山・川・町村・水田・畑・瓦屋根の家並み