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11/29/2013

Nicholas Sparks ニコラス・スパークス「The Notebook」を再読して


Nicholas Sparks ニコラス・スパークスThe Notebook」を再読して

 私のもっているPaperbackを見ると、この本が出版されたのは1996年。Paperback初版は1997年10月。 私が購入して次の日に読み終わったのが1998年1月12日と記されている。

 Nicholas Sparksは、この本がベスト・セラーになって以来、続々とベスト・セラーを生み出し、そのいくつかは映画にもなった。「Love Story」を主題とした小説家の中ではすでに信頼できる作家として定評を確立している。

 映画、「The Notebook」、「Message in a Bottle」、「A Walk to Remember」、「Nights in Rodanthe」、「Last Song」など。映画は8か9、作成されたようだ。

 私も何冊か、出ると、それぞれすぐに購入して読み終わっていた。

 しかし、ほかの小説のあらすじは覚えているのに、この本がどういう内容であったか、記憶にないので、Movieをまず見てみた。Love Storyはよく似た話が多いので、どれであったかわからなくなっていたわけであった。

 この映画は名作であった。最初のほうのストーリーの展開は気に入らなかったが、あとはすばらしく、全体としてよくできていた。

 そして、今日、「The Notebook」の二度目を読了した。読んでみて、映画はよくできていると感心した。特に、老年のカップルを演じたGena RowlandsJames Garnerは見事であった。まさに原作に忠実なといえる展開であった。最初の場面・カーニバルで若者が示す態度(Aggressiveで無理強いを強いるような態度)は気に入らなかったが、そしてそれは原作にはない場面であったが、二人の若者がデートに入っていくきっかけを生み出すために新しく設定されたものであろう。

 「A Walk to Remember」でも、最初の場面は原作にはなかったものだが、映画としてのリアルさをもたせるために、シナリオ・ライターがセットしたという。

 ともかく、再読してみて、これは第一作目であったが、今では数多いNicholas SparksLove Story関係の書物の中でもベストに属するのではないかと思った。

 テーマは二つであると今思う。「愛の貫徹」と「アルツハイマーとの格闘」である。

 Rich金持ちとPoor貧乏人の違いのある男女の間に生まれた愛情が、その経済的・社会的環境の中で引き裂かれていくというのは、Love Storyの常套のテーマである。このブログでもすでに「Gazebo」や「The Best of Me」などを紹介した。

 この「The Notebook」もそのひとつであるが、展開がみごとである。

 この物語は3つの年代でできあがっている。現在(1995年ごろ)、1932年、1946年である。80歳の老人がSpecial Careの病院に自分も入っているのであるが、別の部屋にいる、年老いた女性を訪れる場面からはじまる。老人はNotebookをその女性に読んで聞かせることを日課のようにしており、それがこの本の題名となっている。

 話は1932年に始まる。どうやら若者は17歳、少女は15歳らしい。女性のほうは金持ちの娘でいわば別荘にひと夏を過ごしにきていて、若者と親しくなるというありふれた話である。少女にとっては、はじめてのまじめな恋愛体験であり、また自然に溶け込んだような生き方に魅力を感じたわけである。しかし、経済的・社会的な環境の違いで、ふたりは別れていく。男のほうは毎日手紙を書くが、一度も返事が届かない。そのはずで、母親が毎日、郵便受けをチェックして、娘に知らせないで隠してしまうからである。娘はReal Loveをなくした悲しさをまぎらわせるために、ちょうど第二次世界大戦にアメリカが参戦したころから看護婦として傷ついた兵士の面倒をみるようになり、そのうちに兵士の一人から好かれて、婚約・結婚という方向に展開し、あとしばらくで、結婚式というときに、昔、親しんだ男のRemodelした家の写真とその男の話が新聞の一面に出ているのに気がつき、結婚式できる衣装をトライしていた彼女は気を失って倒れてしまう。異常な気分の高まりを体験した彼女は決意をする。だまって、結婚式の準備で疲れたから、ちょっと休みに行くといって、車で、昔の男友達のいるはずの方向に向かう。これが、1946年ごろ。戦争を無事終えて生還した男が、昔、廃墟であった家を買い取ってRemodelすると彼女に言っていたことを実現したわけであった。

 14年経っていた。女性のほうは29歳になり、結婚予定の相手はAttorneyで、南部の州の名家出身の金持ちで、結婚式にはGovernorSenatorなども参加すると決まっていた。男は彼女以上の女性はみつからないと信じるほどであるが、なにしろ弁護士稼業が多忙で、女の気持ちを斟酌する余裕を持たない。女は昔、絵を描き、大学もArtまで専攻したくらいだが、今は恋人をなくして以来、特に自分の欲望を主張する意思もない。

 女は昔の恋人のいる町のホテルに宿を取り、車で男の家のあるほうに向かう。そして、男と再会し、お互いの現在を語り合う。はじめに結婚がもうすぐだということ、どういう男と結婚するのかということまであかしてしまう。そのほうが、安全であるだろうと(?)思ったらしい。その日はDinnerだけで終わったが、次の日にも会い、ボートですばらしいところに案内され、夕立にあって、だんだん二人の中は自然と溶け合うことになる。この日はもうホテルに帰らずに男と愛情に満ちた自然な関係にとけこんでいく。次の日、ふたりが仲良くすごしていると、訪問者があった。なんと母親がやってきたのだ。母親は娘とは一見うまくいっていないように見えたが、自分は娘を愛しているし、娘が急に新聞を見て態度が一変したのに、何が起こったかすぐに気がつき、まあ、追いかけてきたわけである。自分が仲を裂いたようなものだが、母親としては一時的なPuppy Loveだと思っていたわけであったが、娘の愛情が本物だったらしいと気がつき、気になったのである。しかし、母親は、無理強いして、上流社会の一員になるはずの弁護士との結婚を勧める気はないという。娘が自分で決めることだと。母親は、昔、男から毎日のごとく届いた手紙を娘にみせなかったわけだが、捨てたわけではなく、今その束を娘に渡し、自分は娘のためを思って見せなかったのだといいわけをする。ここで、映画では母親がブルーカラーの年配のおとこが働いているところへ娘を乗せてドライブし、自分は愛したブルーカラーの男を選ばないで、金持ちの男を選んだということをわからせる場面がある。原作にはなかったようだ。母親は娘から見れば、あきらかにHappyな結婚生活を選んだとは、子供のころから思っていなかった。母親自身、自分が金持ちを選んだが、その結婚がHappyであったとは思っていない。

 29歳の女はどちらをえらぶか、愛としてはまちがいなく、この昔愛したおとこだが、今の婚約者は悪い男ではない。人間的にも家柄も将来性もすべてすばらしく、男自体、親切でやさしい、よい男であるのはまちがいない。どこにも欠点はない。そこで、泣きながら、昔の恋人とわかれて、女を捜して、抗争中の裁判を延期してもらってまで、女性を探しに来たという婚約者に会うためにホテルにもどる。婚約者の車があり、覚悟をして会いにゆく。ここで、いったん話は途切れる。娘はどちらを選んだのか?

 そこで話は現在にもどるわけである。どうやら、この80歳になる男は愛した妻と49年目の記念日を迎えようとしている。男の名はNoahといい、女はAllieと呼ばれていた。この老人が会いに行く女性も、時には、このNotebookを読んでくれている男が、自分が昔愛した男Noahであると気づき、自分がこのNotebookAllieと呼ばれている女性だと感じることはある。医者はアルツハイマーが進行して、どんどん脳細胞が破壊され、何も見分けがつかなくなるという。男はそれにもかかわらず、毎日、Soul Mateである妻のところにゆき、Notebookを読み上げながら、二人のLove Storyを語り続けるわけであった。そこで、この男女が、主人公NoahAllie、つまり女性Aliieは、あの決定的な日にホテルで話し合い、結局、選んだのは昔の恋人のほうであったとわかることになる。二人は子供と孫にめぐまれ、彼女も絵画の天分を生かして、アメリカだけでなくヨーロッパの美術館にも飾られるほど世界的に有名なArtistに成長したということがわかる。そんな彼女のそばには、いつもおおらかでやさしく愛情に満ちた夫Noahがいたということがわかる。

 Noahも今では健康ではなく心臓も悪く、歩くのも大変であるが、アルツハイマーで夫と気づかない日が多くなる妻をNursing Homeの彼女の部屋に毎日訪れ、Notebookを読んで、自分の名前すらわからなくなっている彼女に、すばらしかった思い出をよみがえらせようと努力し、そして、そういう努力がみのり、AllieNoahと呼んで一緒になったときに、二人に死が訪れる。(まちがい。このときに死んだわけではなく、アルツハイマーの後期でなにもわからないはずのAllieがNoahにこたえて彼の名前をつぶやき、彼としては至福の満足を感じながら、Allieのよこに添い寝したというところで終わる。しかし、Allieに最後の意識がよみがえったということは、このときにAllieのほうは安らかに死んでいったということかもしれない。今、私はこの小説の続編とも言える「The Wedding」を読んでいる。Allieが亡くなってすでに5年ほどたち、Noahのほうはともかく、がんばって生きているということで、話は彼ら(AllieとNoah)の娘の一人(Jane)とその夫(Wilson)、そして彼らの娘の一人(Anna)のWeddingをめぐる話が展開し、なかなかよい。追記:2013年12月4日)。

 (追記:2013年12月7日。きのう、LAPLーLos Angeles Public Library からもう一度 The Notebook DVDを借りてきて、見直した。わたしの最初の印象・記憶はまちがいでなかった。ふたりは同じベッドに横たわって、安らかに眠ったようにして死んでいるのを看護婦が見つけた、というところで終わっていた。したがって、この映画の続編はありえないわけである。映画が原作どおりでないのは普通であり、限られた時間で、まとまった話を展開しようとすれば、かなりの変更も強いられる。映画では1940年に17歳のAllison(Allie)が愛する男をみつけ、そのあと、引き裂かれたようなかたちで、離れ離れになってしまう。365日手紙を書き続けたNoahは、一通も返事が来なかったため、あきらめて最後の手紙を書いて、ちょうど、第二次大戦がはじまり、アメリカも参戦したため、自ら進んで軍隊に入る。彼の親友も一緒に行動していたが、最後に戦死し、Noahは無事にもどり、Plantationを購入し、Remodelし、という具合に話がすすみ、1946年に再会ということになる。別れてから再会するまでは6年である。そうすると、The Weddingでも重要な役割をはたしていた、14年間別れていても真実の愛情はかわらなかったというような話が展開できなくなる。ともかく、映画もよかったが、原作はVery Goodであり、そのSequelともいえる The Wedding もVery Goodであった。この両方の本には、特にEvil悪質な人間も状況もあらわれず、心穏やかに読み進めるられる、すばらしい本であった。一方、同じ作者の「Safe Haven」は、暴力的で異常な夫から苦労して逃げ出してきた若い女性が、いい伴侶を見つける話であるが、この自分の好みのためには、すべてに破壊的に、暴力を振るう男を描いた場面が出てきたあと、私は読む気がしなくなり、まず最後のページを見て、一応、Happy Endingになっているのをたしかめ、そのあと、まずMovieをみてみようと、またLAPLからDVDを借り出して、映画を見た。映画はもちろん原作とは違うわけであるが、一応、納得して、今度は原作を全部その日に読み終わった。もちろん原作のほうが映画よりすぐれていたが、この本は私の好きなものではなかった。Evilなものが存在するのがこの現実であり、そのため、みな苦労をし、悲劇が出現しているわけであるが、わたしはやはりFairytale的なものの方が好きである。女・子供が苦労する小説・映画は読むのも見るのも耐え難い。)

 Allieはだんだん自分の意識がうすれ、今に自分すらわからなくなる日が来ると悟って、自ら看護施設に入り、Noahも一緒にはいるわけであるが、そのとき、Allieは夫Noah宛に最後の手紙を書いて手渡していた。Noahは何度もその手紙を読み返したらしい。どうやら、この「Notebook」という二人の人間のLove Storyを書き記そうと企画したのは彼女のほうであったらしい。こうして、アルツハイマーになって、どんどん記憶が破壊されていくのを感じている今、二人のLove Storyを書くことによって、お互いがよみがえる可能性もあると感じたからであった。そして、そのとおりの効果を発し、Noahが読んで聞かせるFairytaleが自分たちのことだとはわからなくなっているほどだが、ときたま、男Noahを思い出し、Allieは自分だと感じたりするということであった。

 こうしてあらすじを書くと探偵小説なら読む意欲もなくすかもしれないが、この小説はすばらしい作品で、この紹介を参考にして読んでみようとか映画を見ようという気になれば、私の紹介の意味があったということになる。小説もすばらしいが、映画も見事である。映像にすばらしい画面が出てくる。二人の老人の場面はさすがに年季の入った名役者の演出であると思う。LakeCreekかカヌーか小船か、ともかく、見事な映像を生み出している映画であった。一般評価は 7.9 ほどで、非常に評価が高い。みな同じように感じたのであろう。

 さて、アルツハイマー。Mediumたちの話では、人は死ぬとお迎えにしたがって、光を求めて別の次元に移るようである。そのとき、死ぬ前に持っていた意識、記憶、個性もすべてそのまま維持しているということで、それならアルツハイマーやComaの状態で、意識がないとか、記憶も何もなくなっているような状態で死んだ場合はどうなるのか。そのときは、いきなり異次元にうつらないで、いわば休憩所のようなところ、魂の療養所のようなところで、しばらく休み、破壊された肉体からはなれて、魂が若いころの健康な状態に戻るのを待って、別な次元に移ってゆくようである。したがって、しばらくすると、生前健康であったころの意識をもった魂となるようである。これは、Handicapの肉体を持った人間の魂は健康な知恵者の魂で、魂自体は傷ついていないのと同じである。

 また、アルツハイマーやComaの状態にあるとき、魂は肉体から抜け出して、その肉体の周辺をさまよっていたりするらしい。したがって、Comaでなにもわからないと思わないで、声をかければ、魂は理解するようである。これは臨死体験で意識のないと思われる状態で、医者や看護婦がいい加減な冗談を言っていたりしたら、Out-of-Bodyで上から見ていた魂がみな聞き取っていて、生き返ったときに、陰口をたたいていた人間をはじいらせることがあるというのと同じである。駄目になっているのは肉体だけで、魂は不滅、したがって、Out-of-Bodyの状態にいる可能性もつよいのである。

 さて、愛の貫徹。この小説の二人の主人公はそのはじめての愛情を14年後にも確認し、お互いがSoul Mateであったことを確認して、それを全うすることができた。まさにLove Storyである。

 最近、私はMatt DamonEmily Bluntの「Adjustment Bureau」(2011)という映画を見た。(DVD LA Public Library)。若いCongressmanであった、将来を期待されているPolitician David Norris (Matt Damon)が若く魅力的なDancer Elise SellasEmily Blunt)と出会い、運命的な魅力にとらわれて、すべてを投げてMattがその女性を追い、奇妙な妨害に何度もであう。これが、いわゆるAngelとかGuidesとかの別な次元からの介入で、どうやらPre-natal Planによると、この男DavidMatt)はCongressmanからSenatorそして、将来はPresidentにでもなって、この地球をもう少しまともな世界にするように働く男として運命付けられているはずなのに、Planにはない横道にそれようとし、そのため、Plannerのほうでは、なんども妨害するのだが、あきらめない。そのうちにAngel, Guideのほうの男のひとりも、そういうMattに感心して、手助けすることになり、とうとう若い二人は不思議な追っ手から逃げ切ってビルの屋上で抱き合う。追手はそこまでやってきたが、最後に、どうやら二人の愛情の深さ、真剣さに感心したPlannerが別なPlanも生まれたということで、二人を解放してやる、という筋である。この二人はPast Livesでもやはり恋人同士(Soul Mate)であったということであった。

 これは、まさにアメリカでよくある、天使が介入するという話(映画 City of Angel, Michale,そしてTVドラマ ”Touched by Angels"など)の現代版で、第一級の政治家になるように運命付けられた男が、その方向から踏み外さないように援助または妨害をし、男はそんな運命などものともせずに、Free Willを発揮して、一途に愛を貫徹するという話であり、映画ではその二人の、すべてを捨ててでも一緒になろうとする意思の力に譲歩することになるというわけである。

 話の展開がどのようなものであれ、愛情のためにはすべてをすててでも貫徹しようとするというのが本当のLove Storyであり、設定は違うがこの「Adjustment Bureau」も「The Notebook」同様、すぐれた映画であった。一般評価も7.0で、Anna Kareninaなどよりもはるかに高い。ただ、この映画はふしぎなパワーをもったあやしげな男たち(Angel? Guide? まるでSecret Serviceのよう)が、二人を追跡し続けるので、場面はめまぐるしく動き、大変疲れる映画であった。

 Soul Mate! これはReincarnationの研究にはしょっちゅう出てくる話で、男女は過去のLivesでは男女の性を変え、親子兄弟恋人親友として関係を変え、何度もくりかえしていろいろな関係を生み出しているようで、単純に、愛した男女がそのまま、また愛を繰り返すというわけではないようだ。しかし、一目見ただけで、ふるい昔からの知り合い、友人、愛人に会ったような気になるということは考えられる話で、Soul Mateが、だから男女の愛情関係だけでなく友情の場合も、あるいは親子の場合もあるわけである。ともかく、今、いろいろなひとがPast-life Hypnosisをつかって、あるいはMedium経由でReincarnationの研究をおこなっている。これからも、いろいろな説が生まれるであろう。自分が納得すればよいわけで、テラピーとしては、それなりに効果はあるようだ。

 

村田茂太郎 2013年11月29日

11/25/2013

「心霊現象の科学」をめぐってーその70「Return from Heaven」(霊界からの生まれ替わり)(2001年)Carol Bowmanを読む その1


「心霊現象の科学」をめぐってーその70「Return from Heaven」(霊界からの生まれ替わり)(2001年)Carol Bowmanを読む その1

 Dr. Ian Stevensonの古典的名著といわれているReincarnation(転生―生まれ替わり)に関する研究 (「Twenty case suggestive of Reincarnation」など)はアメリカ本土ではなく、おもにAsia諸国や中近東の資料を集めたものであった。しかし、これが契機となって、Reincarnationの研究が進められ、Reincarnationというアイデアが一般に(アメリカなどにも)知れ渡ってくると、ReincarnationCaseStudyの研究はなにもアメリカ以外の国、アジアや中近東の国に限らないということがわかってきた。

 そして、Dr. Stevensonの本に述べられていたような、まだ二歳三歳の子供がPast lifeについて語ることを耳にする親がアメリカ国内でも増えてきた。

 著者Carol Bowmanは1988年からChildrenPast-Livesを探求し始め、1997年にその調査結果をまとめて「Children’s Past-Lives」という本を著した。

 その本を読んだ読者たちが、それに刺激されて、E-mailで世界中から自分の子供のPast-Livesの記憶に関する情報をおくるようになり、それをまとめて、整理して第二作目となったのが、この「Return from Heaven」であった。

 この著者がこの子供たちのPast-Livesの記憶に興味を抱いたのは、実は、自分の子供たちがPast-Livesの話をしはじめ、それがあまりにも生々しく、詳細にわたり、感情がこもっているので、ただの、本を読んだ感想や映画を見ての印象などではないと判断し、もっと調査をしてみようと思ったのが、彼女がこの領域に踏み込むきっかけとなった。

 Internetの時代に入っていたおかげで、E-mailでの情報交換もスムースに進み、彼女はReincarnationの大家であるDr. Ian Stevensonと直接話し合うようになっただけでなく、彼女が受け取ったReincarnationらしきケースを直接DrStevensonとそのアシスタントが調査する現場にも居合わせ、その徹底的な調査振りから感銘を受けもした。

 そして、彼女は独自の調査から、まだ誰もがまとめていなかった領域に入り、それをまとめあげたのがこの本であった。

 この本はものすごく興味深く、なかなか教訓的で、おおいに役立つのはたしかなので、世の子供を持つ親たち、これから結婚・出産を予定している人たち、生んだ子供をなんらかの理由で亡くすという悲劇にあってきた人たち、妊娠している人たち、何らかの理由で堕胎をせざるをえなくなって、罪の意識と悲しみにうちひしがれているひとたち、いわば子供の親に当たる人たち全部に読んでもらいたいと思う本である。

 2001年出版なので、すでに日本で翻訳されているのかどうか知らないが、翻訳される場合は抄訳ではなく完訳を強くお願いしたい。というのは、“Hello from Heaven!”というBill Guggenheim & Judy Guggenheimのあらわした素晴らしいAFDAfter Death Communication)に関する本があり、私はこれは日本語に訳して皆さんに紹介する価値があると思ったが、すでに訳されていることがわかった。しかし、これが日本語に翻訳されて「生きがいのメッセージ」という題名で出版されているらしいが、これを読んだ読者の一人が原文の大事なところが省略されているから読者に原文で読むように薦めている文章に出会ったので、それはそうだ、コストやページ数の関係で抄訳にしたにちがいないが、やはり完訳でなければ意味がないと私は思うし、このCarol Bowmanの本も日本語に翻訳する場合は完訳でないといけないと、私は強く思う。

 これは子供たちのPast-Livesの記憶の話であるが、同時に出産前後におけるSoulのあり方をめぐるLife-Between-Life(あるいは Life before Life)の話でもあり、受胎前後、妊娠中、出産間際、出産後をめぐる話でもあり、すでにDr. Helen Wambachが「Life Before Life」(1979年)で展開したことでもある。

 この「Return from Heaven」(天国からの生まれかわり) という本の副題は “Beloved relatives Reincarnated within Your Family”という題で、まさにこの本の内容を表している。つまり、単に転生 生まれ替わりがあったというだけでなく、同じ家族または近い親戚の中で生まれ替わっているらしいという資料を一般から集めたものである。

 魂は不死であるとなると、そこからいろいろなケースが生じることが考えられるのであるが、(つまり成仏しないで地上にへばりついていて、Ghost現象を起こしたり、人に取り付いて{憑依現象}Possessionとして人を困らせたり、など)、この本に集められた資料によると、親子・親族・親戚関係の間で複雑な転生をしているということがわかる。おじいさんが孫に生まれ替わったというようなケースだけでなく、流産した(あるいは理由があって生まれる前に死んでしまったはずの)子供が、次に同じ母親から第何番目の子供として生まれかわって、胎児のときの母親たちの会話を理解していたとか、あやうく堕胎されかかった子供が誰かのアドバイスで生きて生まれて、そのアドバイスを両親にしてくれた人を感謝しているとか。あるいは別な本によると、現在は親子だが過去には逆の関係であったとか、兄弟姉妹であったとか、性も男女が違っていたとか、過去の因縁というのか、全く別な場所・国に生まれたときでさえ、親子兄弟恋人といった関係が複雑に維持されているという話である。それは、いわゆるカルマの法則で、浄化するまでいろいろな環境を繰り返すということらしい。これは、まさにReincarnationとカルマの関係にはいるわけで、そういったことを主題に取り扱った本もたくさん出版されている。

 ともかく、2歳3歳になるかならない子供が、過去の生活を語り始め、「自分が大きかったころ」とか、「まだお母さんの胎内に入る前とか」、「お母さんが私の子供であったころ」とか、しゃべり始めるそうである。ともかく、まさにSoul魂が、受胎前、妊娠中、出産間際、出産直後などをすべて意識していて、ことばが話せるようになると、そういう普通には考えられないような、信じられないようなことをしゃべりだすというケースがたくさんあるとのことである。Dr. Ian Stevensonの著書には、ほかの国でのそういう例が具体的に記されていたが、いまや、アメリカ国内でも別に珍しくないほど、Reincarnationとしか考えられないケースがたくさんあらわれているようだ。

 昔、哲学者John Lockeは生まれたときは、子供は何も意識がなくて、成長の過程でいろいろ身に着けてゆくと考えて、白紙の状態でうまれるという表現(Tabula Rasa)は有名になったが、最近のこの、いわゆるパラノーマル、超常現象の解明しつつあることは、生まれたての赤ん坊はすでに立派に意識を持っているということである。ロックは、人間はうまれつきいろいろな知識を身に着けてうまれるのではなく、白紙の状態で生まれて、その後の経験と知覚体験で人間になると考えたわけであったが、いまやこのTabula Rasa説は否定されたということになる。

 ここで、イギリスのDr. Rupert Sheldrakeの話をもちだすのは異例だが、彼は、記憶はFieldにレコードされ、われわれはそれにTune-inする、いわばTVのようなものだという有名なMorphic Resonance説をとなえたが、それも、あながち異様な理論とはいえないと私は感じた。つまり、記憶が大脳の辺縁系記憶細胞にあるだけなら、肉体が死んでしまえば記憶も何も残らないはずである。ところが、最近の、この心霊現象の科学が解明しつつあることは、どうやら人間は、肉体が死んでも意識や個性を保持しているということである。ということは、まさに意識・記憶はエネルギーFieldに保存されているということで、それにアクセスできる能力を持った人は誰でも、取り出せるということであろう。そうなると、Akashic Recordというすべての行動が記録された本と図書館のようなものがあり、特殊な能力を持った人は、必要があればそれにアクセスするということも考えられ、昔、Edgar CayceというVirginia Beachのサイキックが、自己催眠状態に入って、ある人の見た“夢”に直接アクセスして、その意味はこうだと解明したという話もありうる話ということになる。彼は名前と生年月日または住所だけで、そのひとにTune-inして、健康診断から予知まで、いろいろ普通では考えられない能力を発揮したということであるが、私がすでにこのブログで紹介したSandra GibsonというPh.D.保持者も催眠状態にはいると、名前と住所だけで、Edgar Cayceと同じような情報を伝えたというから、このAkashic Recordというのも、エネルギーFieldにすべてがRecordされるというのも、本当かもしれない。最近は、このAkashic Recordに関する本もたくさん出版され、Ervin Laszlo(アーヴィン・ラズロ)なども“Science and the Akashic Field”という本を書き、まじめに研究する人が増えてきているようだ。Edgar Cayceは早くからAkashic Recordに言及していたほどであるから、これからのまじめな研究が期待される領域といえるかもしれない。

村田茂太郎 2013年11月25日 その2 につづく