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12/31/2023

2023年の感想  つづき その6 - 12月31日

 2023年の感想 12月31日 つづき その6

 2023年は私・村田茂太郎にとって様々な出来事があって、悲しみも恐怖も踏み越えて、新しい年、2024年を迎えることになると思っていたら、12月のほとんど最後になって、私にとってミラクルが起きた。そして、種は私がBlogを2012年2月にOpenした日に撒いてあったということがわかった。

 なんと約50年ぶりに京都大学の教養部時代の本当の親友がドイツからメールを送ってきた。私はInternetで何度も名前で探したのだが、見つからず、あきらめていた。ドイツへという噂だけは聞いていたが、本当に彼はドイツで50年近く住んでいるという話。

 ブログをOpenした価値があった。Internetで私の名前をInputして、私のブログに出会ったのだ。そこには私のGmailアドレスが記載されていて、容易に彼は私にメールできたわけだ。

 京都大学時代には、ある時期、毎晩のごとくふたりで話し合ったものであった。1966年、クラスメートの自殺という驚くべき悲しい出来事が起きた時のことは、私の自殺論に書いた。私がその悲しいニュースをすぐに彼に連絡しなかったといって、怒って殴りこんできたというのも彼のことであった。もちろん、私はすぐそうしたであろう。しかし、私が退学した工学部の親友が会社の出張でどこかへ出かける途中に立ち寄って、狭い下宿に一泊してくれ、本来はうれしいはずであったが、クラスメートの自殺でショック状態の私の悲しみを隠して、静岡大学時代の親友を迎えた。翌日は京都案内を少し。有名な料理屋で食事をしたが、ショック状態では消化しないと翌日分かった。そして友と別れて部屋に帰り、思い切り泣いた。そのあと京大の友達がどなりこんできたのであった。

 私は1971年の暮れにアメリカにわたったので、彼とは1972年以来連絡が途絶えた。そして時々、Internetで彼の名前をInputしたが、本人は見つからなかった。私はもうあきらめていた。

 そして突然、2023年12月27日、私にGmailが届いた。差出人を見て驚いた。51年、音沙汰なしであった友人の名前であった。生きていたという喜び。そして発信はドイツからであった。なんと50年近く、彼はドイツに住んでいたのだ。そしてうれしいことに結婚して子供と孫をたくさん持つ親になっていたのだ。

 私は親の金のおかげで、自分で働かないで京都大学を卒業したが、彼は学業の傍ら、自分で働きながら苦学して哲学科を卒業したのだ。私にはとてもできないことであった。

 その彼がドイツでドイツ人の女性と結婚し、自分の優秀なDNAを3人の娘に伝え、さらに6人の孫に遺伝するということで、立派な子孫を沢山もって、Happyに暮らしていると分かり、私は本当にこれこそミラクルだと思った。

 そして今や私は毎日のごとく、ドイツに居る親友とメール交換して楽しんでいる。2023年はいろいろあったが、結果的にHappy endingとなった。

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 8月にAdoptしたSenior Dogs Buster Che Cheも、4か月たち、ジャンク・フードでなく

、私が用意する素晴らしい食事を残さずに食べるようになった。Dry foodプラスChicken, Beef, Pork, Turkey Ham そしてソーセージ。みなCostcoで売っている人間用の食料品である。BusterGreen PeaCarrotが入っていると食べないで残すという悪い癖がある。野菜は大事で、心配だが、友だちからブロッコリーを一緒に炊くと食べる犬があるときいたので、トライするつもりである。そして、全然見向きもしなかったスナック、HanaThumperは大好きであったスナックに見向きもしなかったが、4か月たち、スナックの良さがわかったのか、全部食べるようになった。

 散歩はO’Melveny ParEquestrian Trailという柵のある馬用の散歩道が素晴らしく、毎日、そこを歩いて広い芝生の公園につき、少しひもを放してくつろいでもらう。1時間足らずの散歩で私は大好き。そして次にBee Canyon Parkを30分ほど歩く。そして時々Balboa Lake/Parkへ行き一緒に歩く。散歩に関してはHanaThumperよりも贅沢と言える。ただ、Che Cheは目が見えないので、一緒に歩くのは大変である。Busterは歩くのが好きで、一緒にひもでつないでいると、私の両手が広がったかたちで、犬のトイレの始末もむつかしくなり、ハチかGnatブヨ がAttackしてきても防ぎようがない。

 先日、O’Melveny Parkを散歩していると、私と犬を入れた写真を私のカメラで撮ってあげようという女性が現れて、私は簡単な操作のカメラをその女性に手渡し、写真を撮ってもらった。いつもカメラをもって犬の写真を撮っている私に、写真を沢山撮ってどうするのと尋ねる女性は何人か居たが、本人を入れた写真を撮ってあげるといい、すぐに実行してくれた人はその女性が初めてであった。Thank you. こんなことになるのなら、もう少しまともな服装を着て散歩すべきであったと思ったが、後の祭りであった。

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Digital Photo Frame

 もう2年近く経つが、Digital Photo Frameを購入して気に入り、今年、さらに二つ購入した。違うメーカーで、最初のものよりも値段は安くなっていたが、私にとっては最初に買ったものがSD Cardをそのまま入れて使えて便利で、素晴らしいと思う。後で買った二つはSD CardMicroを入れるだけでなく、自分でPhotoを選ばなければならないので面倒である。

 しかし、それでもSlide Modeで写真がつぎつぎに代わるので、素晴らしいと思う。私はHanaThumper そしてEurekaの素晴らしい写真がいっぱいあるので、思い出をいつも新たにしている感じである。素晴らしいと思うが、最近、何年か前の犬猫の元気な姿を見ると、それがすでに亡くなっていることと重なって、悲しい気持ちに襲われることが多くなった。

 ということで、2023年はいろいろなことがあった。ワイフ健在のときは皆遠慮して訪問者は一人も来なかったが、今や私が一人で大変だろうと心配してくれる人が沢山いて、私も活気ある生活を送れるようになった。サンキュー!

 犬猫だけでなく、裏庭には私がフードを沢山のお皿に用意するので、いまやリスと野鳥の訪問が豊富で、家の中から見ているだけでもとてもかわいい。

まあ、一人になったが、この調子なら頑張ってあと20年は生きられるだろう!頑張ろう!

村田茂太郎 2023年12月31日 日曜日

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12/25/2023

2023年の感想 12月25日 つづき その5

 

2023年の感想 12月25日 つづき その5

去年、2022年の11月・12月は暗い日々であった。

 クリスマスも正月も関係なく、雨がよく降ってめくらの犬2匹の面倒を見るのに精いっぱいであった。夜中の2時3時に起きて、雨の中、Hanaを抱いて裏庭に出し、また抱いて入れるということが毎晩の仕事であった。Diaperを買って身体に着けても慣れないうちはDiaperから漏れる感じで、とても苦労した。ふたりが2022年に続いて亡くなった後、このDiaperを洗う作業も懐かしく思うほどであった。

 去年の12月は19日からワイフがICU緊急病棟に入ったままでクリスマスが過ぎ、元旦を迎えた。私はNurseたちにドーナッツを提供しようと1日と2日、2回にわたってドーナッツ1Dozenを購入して持参し、Nurseに提供した。そして3日、Balboa Lakeの近くの介護ホームに移すと決めて金を払ったら、なんとその日のうちに病院から移された。

 雨の多い日々で何度か雨の中をワイフの様子を見に介護ホームを訪れた。病院で体に着けていた様々なTubeは外されてベターな感じで、食事も鼻からでなく、口に与えているとか。1月8日には意識がはっきりしていたワイフは「家に帰りたい」といったが、それは無理で、何か月かのリハビリテーションが必要ということで、私は家に帰り、9日にはやはり雨が降っていて、私は雨だよと言ったら、ワイフは意識はしっかりしていてわかったのか、「気を付けてね」と言って、それが最後の言葉となった。その夜、ワイフが亡くなったということを10日に訪問した時にわかった。夜、ワイフが亡くなってすぐ私に電話したということであったが、私は知らない。聞きなれない電話は基本的に取らないのでミスしたらしい。

 それが2022年の12月から23年1月初めにかけての暗い日々であった。

2023年の12月はどうか。

 私を心配してくれる人たちがいっぱいいるとわかった。ワイフが居る間はワイフの親戚が日本から訪問する以外は誰も来なかった。訪問したいという人は居たが、私はワイフが喜ばないからと言って、来訪は歓迎しなかった。今や私一人になり、訪問者は大歓迎なので、たくさんの人が訪れてくれる。

  今日は25日。クリスマスの日だからBusterChe Cheにも良い思い出をと思って、Balboa Lake/Parkを訪れたら、なんと人と車で満員。こんなにBalboa Lakeが人と車で混んでいたのは初めての経験。クルマを留めないでU-Turn。そしていつものBee Canyon Parkへ。此方は空いていてホッとする。BusterChe Cheもゆっくり歩いてご満足!

 今日はクリスマスだが私はクリスマスSongには興味がないので、最近やっているようにYouTubeで日本の旧い歌謡曲をなんと20曲以上聞いて満足。

どんな歌を聞いたか、思い出のためにリストアップ。

 君こそわが命、長崎は今日も雨だった、港町ブルース、北国の春、津軽海峡・冬景色、大阪しぐれ、喝采、骨まで愛して、好きになった人、古城、

そして昼から、

 ここに幸あり、アカシヤの雨が止むとき、長崎は今日も雨だった、、喝采、北国の春、古城、知床旅情、大阪しぐれ など。

同じ曲を何度も、違う歌手で聞いたりできてご満足。

 2023年度は私個人にとっては大変な年であったけれどーーーワイフの逝去、Hana, Thumperの逝去、BusterChe Cheの家族入り、そして夜間の強盗とPepper Spray事件、と大変だったけれど、トラウマにもならず、今やBusterChe Che そして Eureka II のおかげで、忙しく楽しい毎日が送れることになって、無事、2024年を迎えられそう。そしてHobby Classのメンバーやあさひ学園でのBest friendsのおかげで、孤独に陥らず、結構元気に過ごせるということで、めでたしめでたし。

 今日もBalboa Lake/Parkでたくさんの人がピクニックを楽しんでいるのをみて、これが平和というものだ、人々でパークがにぎわっているのは素晴らしいことだと平和の味をかみしめました。と同時に、プーチンその他の悪者のために世界中でたくさんの人が亡くなり、平和は一部で、大方は悲惨な暮らしを強いられているという悲しい事実をかなしみました。

村田茂太郎 2023年12月25日 クリスマス 月曜日 6:00PM






















 

12/12/2023

2023年の感想  12月12日 つづき その4

 

2023年の感想  12月12日 つづき その4

 YouTubeで日本の昔の歌謡曲を鑑賞できるようになったということは素晴らしいことであった。ワイフは日本の演歌を好まなかったが、私はクラシック音楽は好きだが、日本の歌謡曲もすきである。アメリカに来てからは、ほとんど日本の流行歌に接する機会がなくなり、1974年以降の流行歌はほとんどなじみがない。

 流行歌はなにも女の苦労を歌った歌ばかりではない。

昨日、12月11日、私は30曲近くの歌謡曲をYouTubeで楽しんだ。

特に望郷の思いを歌ったうたには優れたものがあると思う。

 リンゴ村から、 おさげと花と地蔵さんと、北国の春、など。南国土佐を後にして (ワイフの好きだった曲)。

 緑の地平線 と 人生の並木道 を見つけて、これらは父が好きだった歌で、私も歌詞を覚えてしまったくらいで、昔を思い出しながら楽しんだ。

やはり私はあの世のワイフには叱られるが:

 骨まで愛して、津軽海峡冬景色、港町ブルース、君こそわが命、誰よりも君を愛す、アカシヤの雨が止むとき、私の城下町、初恋の人、あなたの心に、雲に乗りたい、夜の池袋、長崎は今日も雨だった、長崎ブルース、哀愁列車、ここに幸あり、からたち日記、喝采、北の宿から

などが大好きで、YouTubeで簡単に聞けることをとてもうれしく思う。

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 2023年はいろいろ悲しいことで大変だったが‘、2020年ごろはどうであったかと私のWordで書き留めた感想を読み返してみた。

 2020年も、今年のように、初めて暴漢に夜中に襲われるというようなViolentな事件はなかった、悲しい出来事はいっぱいあったことがわかった。

 まず20年以上生きたと思われる猫のEurekaが1月初めに私のベッドの横にセットしたHeat pad付きの椅子の上で眠るようにして亡くなった。これは私にはタイヘンな喪失で、毎晩、私のベッドにあがってきて3-5分ほど私の首にまたがりゴロゴロと、まるで私を慰めるような行動をし、そのあと自分のベッドにかえっていくので、まさにワイフにいじめられてしょげている私を慰めに来たのだと感じたもので、猫はSpiritualだと感心したものであった。

 そしてEurekaのかわりにまた新しく猫をAnimal Shelterから、ワイフ希望の猫をPick Upしたが、ワイフが、なつかない、かわいくない などと言い出して、私の3度のNOにも逆らって返すことになった。私がAdoptionにサインしたので、私に汚点がつき、同じところからもうAdoptionできなくなった。それでWest Valley Animal Shelterで今いるEureka IIAdoptした。しかし、これも引っ掻くとか言って、3度返すと言い張ったが、今度は、私はNoでとおした。そのうちワイフもEureka IIを認めるようになった。やはり猫にはわかるのか、私にはゴロゴロいってくるが、ワイフにはゴロゴロいわないとか。そしてワイフは自分で、この猫は雌猫で、私はオスだから、私を気にいったのかもという。それで満足ならいわせておけということで、無事3年を過ごした。

 そして2020年にThumperDiabetes糖尿病とわかり、私が毎日2回Insulinの注射をやることになった。そしてさらに、Thumperめくらになったことが分かった。一度、犬の眼医者で手術しようと1万ドルの出費を覚悟したが、手術当日、データがThumperの獣医から届いてないとか、血糖値が安定していないとかで、No Surgeryとなった。私はOK,私がThumperの面倒を見ているし、これからも私が全面的に面倒を見るから、めくらでもOKということにした。

 なんとこの2020年の私の感想をみると、ワイフがThumperがめくらになったのは可哀そうだから眠らそうと、ひどいことを言ったと書いてある。私は断固としてNO, 私が今までも全面的に面倒を見てきたし、これからも面倒を見ると宣言し、実行した。2023年7月、3年後に亡くなるまで、私がすべて面倒を見て、家族三銃士の一員として私を楽しませてくれた。

 私がこのGranada Hillsの家の周りをHana, Thumperを連れて散歩中に出会った犬の何匹かは、ナント、みな10歳ほどで亡くなっている。私がどうしたのか、犬を見かけないがと尋ねると、みな老犬(10歳ほど)で病気がちで眠らしたとの返事である。10歳と言えば、私の感覚では老犬でなく、熟年である。こちらの人は本当に、簡単に 眠らせる。眠らせるというと聞こえは良いが、事実は毒殺である。そしてうちのワイフもやはりアメリカ人なみなのか、平気で眠らせるという。眠らせるのは本当に苦しんで、どうにもならないときだけである。

 ということで、2023年が特に悲しい年であったわけではないとわかった。まあ、2020年には暴力的な事件には巻き込まれなかったということ。

 さて、HanaThumperも最後の3年ほどは めくらであったが、私が全部面倒を見てそれなりに充実した楽しい生活を送ることができた。

 もうすぐ4か月たつChe Cheも病弱でSenior Citizen、10歳以上、そして めくら である。めくら であるため散歩はタイヘンで、ゆっくり歩くから、速足のBusterと一緒にLeashで歩くのは大変である。それで別に獰猛な犬でない、Gentleな犬なので、大丈夫だと思えばBusterは ひもでつながないで歩かせる。たいがいスローなChe Che が近くまで来るのを待っている。かわいい。

 Che Cheは目が見えないため、家の中で動くのがむつかしい。低い三段の階段があるが、登りはOK, 降りるときがタイヘン。それで自分でも自信がないのか、ワンワン吠える。自分で上がったんだから、自分で降りろと言いたいが、そこが めくらの苦労。やはり可哀そうで抱いておろしてやる。たったの、低い三段の階段を降りることができない。HanaThumperはめくらになるまでは、この家に住んでいて勝手がわかっているから、大概は家の中の行動に問題がなかったが、Che Cheは目が見えない状態でこの家に住み着くことになったから、勝手がわからず、大変である。くじでも買って、大金が当たれば、1万ドルの手術もOKだが、あと何年一緒に生き続けるかわからない現在、1万ドル払って目の手術をする自信または覚悟は今のところ私にはない。これがHanaThumperのように2歳でAdoptであったら、あと10年以上生きられるということで手術をする価値はあるのだが。まあ、Lotteryくじ も、まず買わないと当たるはずもないので、これからしばらくLotteryに期待するか?

 2023年度は私は虫に何度か刺されて苦しんだ。郵便箱のまわりにハチがたくさん飛び回って、一度、刺された。この郵便箱のハチは本当に寒くなっていなくなるまで、半年ほど苦労した。ナフタリンが効果があるというので、何度か購入して郵便箱のなかや周りに置いたが、それほど目に見えた効果はなかった。平気で飛び回っていた。今、寒くなり、やっとハチを見かけなくなった。来年はどうか?

 そして犬の散歩でO’Melveny Parkを歩くと、ハチだけでなく、ぶよGnatもいて、今年は3回Gnatに刺された。このぶよの毒は強烈で、刺された首のまわりが大きくはれ上がり、それが1週間以上続き苦労した。そしてこれは夏も冬も関係ないのか、また最近、2度刺された。BusterChe Cheをひもでつないで、両手が伸び切った状態のときにくびや顔を刺されても、防ぐことも出来ず、緊急の薬も手元にないため、本当にこのGnatぶよ?には苦労した。手が自由だと帽子で追い払えるのだが、ひもで伸びっているとどうにもならない。要注意である。

村田茂太郎 2023年12月12日

12/09/2023

2023年の感想  12月8日 つづき その3

 

2023年の感想  12月8日 つづき その3

 2023年は私の友達に教えられてYouTubeで日本の昔の歌謡曲を鑑賞できるようになった。

 ワイフ生前は歌謡曲を聞くなどは不可能であった。ワイフは日本の演歌など大嫌いであった。

何故か?確かに歌謡曲の歌のセリフは女が苦労したテーマがいっぱいである。

 強い女、ワイフは日本の歌謡曲がほとんど女の苦労話で満ちているのが馬鹿らしくなったのであろう。

 ところが、私は中学時代、高校時代に聞きなれた流行歌が大好きであった。

 もちろん私はクラシック音楽は大好きで高校時代にクラシックになじみ始めてからは、Mozart, Mahler, Schumann, Bruckner など大好きであった。

 しかし流行歌の良さは、まさに流行がある、つまりそのそれぞれの歌が巷に流れていた時代を生きていた自分の姿がよみがえってくるということで、中学時代に好きになった三橋美智也の歌をきくと、そのころの自分が思い出されて懐かしく感じる。

 あるとき主婦の雑誌 平凡 の付録に 歌謡曲集 があると新聞に出ていて、「おかあちゃん 平凡 買って?」と頼んで、「お前、アホか、勉強の参考書ならすぐにでも買っていいが、歌謡曲集が付録にある雑誌 平凡 など、とんでもないことだ。」としかられた記憶がある。中学1年のころで、声のきれいな三橋美智也に魅せられていたわけだ。

 今もYouTubeで三橋美智也やその他の昔好きだった歌手の歌がレコードのように歌だけでなく、歌っている姿を見ながら聴くことができるのは本当に素晴らしいと思う。

 必ずしも歌手の本人が歌っていなくてもよい場合もある。

「港町ブルース」 を、着物を着た5人の歌手が歌っているのは素晴らしいと思い、YouTubeで簡単にアクセスできることを私は喜んでいる。しかし分析的にみると歌詞の最初に出てくる ―あなたにあげた夜を返してーというところなど、ワイフにいわせれば馬鹿らしい、女自身を侮辱しているということになる。どうしたことか流行歌には女が捨てられて男に苦労したテーマがほとんどである。なるほどワイフが嫌うはずだと私は思う。もちろん、ほとんどの歌詞は男が書いたものであり、男の願望が記されているというべきか。

しかし、―背伸びしてみる海峡をー という出だしは私はとてもかわいいと感じ、初めて聞いた時から好きになったので、いつ聞いてもかわいいと思う。

 三橋美智也の「おさげと花と地蔵さんと」という歌は絶唱だと思い、三橋美智也の歌の中で一番好きといえるものである。「指を丸めて覗いたら 黙ってみんな泣いていた」 という歌い始めが特に素晴らしい。私は大阪市生まれで、いわゆる田舎の生活というのは知らない。しかし私が育ったところは小川が二つ流れ、小学校も中学校も田園・田んぼの中にポツンと建っていて都会という感じではなかった。いわゆる子供の遊び、小川でふなをとり、トンボ・セミ、蝶を追いという遊びに親しむことが可能であった。ともかく、三橋美智也の声は透き通てきれいなので、いつも感心したものであった。

 ということで、流行歌はそれらの歌を聞きなれていたころの自分自身を思い出せるという長所があり、懐かしく思うことになる。

 もちろん流行歌でなくて、MahlerSymphony #1をテープに吹き込んで繰り返し聴いたこと(高校3年生のころ)もそのころの思い出につながるので、あながち流行歌だけというわけではないが、流行歌は巷に流れていて、より親しみやすいせいかも。

 三橋美智也の歌では 哀愁列車、リンゴ村から、古城 などをYouTubeでよく聞く。皆素晴らしい。そして京都大学の学生であったころ、私が心で好きと思っていて言い出せなかったクラスメートの女性が、当時歌われだした「骨まで愛して」が好きだと言ったのを聞いて、私は流行歌を見直し始めた。これは作詞者は女性らしい。女の、愛を求めて生きる苦労をうたった歌で、こんなものを好む女性ということは、彼女も本当の愛を求めているのかという驚きであった。そして、そのすぐあと彼女が自殺してしまい、私は本当に苦しみ、立ち上がるまでに半年ほど悩み続けたのであった。

 そこで私は 骨まで愛して のほかに、君こそわが命 誰よりも君を愛す ここに幸あり からたち日記 アカシヤの雨が止むとき 初恋の人 希望 などが好きになり、今、YouTubeで大津美子やペギー葉山、三浦滉一、春日八郎 その他の懐かしい歌を簡単に聞けるのはありがたい。ワイフは ペギー葉山の歌った 南国土佐を後にして が大好きであった。日本を離れて異国に生きる自分を励ましていたのか?

 ともかく、日本の流行歌はすばらしいと私は思う。

「日本の詩情 流行歌2200曲集」 という本がある。1984年に古本で買ったと記録してある。あさひ学園で時々、父兄が古本を処分した時があり、それを安く買ったにちがいない。これが懐かしい流行歌のほとんどすべてが記載されていて、今や私の大事な参考書のようなものである。歌の記載だけでなく作詞者や作曲家そしてはじめて歌った歌手の名前が載っているから、私の記憶を確認できるわけである。

 日本に居た時は年末の「NHK紅白歌合戦」を楽しんでいたが、アメリカに住むようになってからは、NHK紅白歌合戦 を楽しむということはなくなった。アメリカに居ても、見ようと思えば見れるはずだが、なにしろワイフが興味を示さないということで、日本の流行歌とも疎遠になった。だから日本の人気歌手が亡くなったときいても、何の反応も示さないことになる。流行歌というのは、ただそれが流行っていた時というだけでなく、それを聞いて楽しんでいたという自分があって、はじめて流行歌の価値が出るということもわかった。

 昔はやった流行歌をこうしてYouTubeで楽しめるというのはありがたい。ワイフもいなくなり、誰にも遠慮しないで、これから三橋美智也の歌や美空ひばり、その他、昔私が楽しんだ歌を歌手本人が歌っているを見ながら聴けるのは素晴らしい。Digital ageに生きている良さを実感できるときまで生き延びたということも素晴らしい。私のたくさんの友達やクラスメートが早くなくなって、話し合える機会がなくなったのは残念だが、生きている間に流行歌で昔を思い出しながら余生を楽しもうと思う。

村田茂太郎 

2023年12月9日