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3/27/2012

漢文の学習について

 漢文に興味を持ってもらおうと小学6年生から漢詩を紹介したり、放課後に古典講座と称して漢文・百人一首の補習講座を何年ももったりしました。
生徒はみな楽しんだといってくれました。

 日本の高校に入って、学校で漢文一番になった生徒も居ました。

 漢文は在る意味ではやさしいので、教えるほうさえ自覚的に取り組めば一番教えやすいと思います。現代文を教える難しさにくらべれば、本当に簡単だと思います。

 わたしは小学生から漢詩に親しんでほしいと思っています。

村田茂太郎 202年3月27日

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漢文の学習について

 あらゆる学習において大切なことは、“好きになる”ということである。学問を強制とか義務という次元でとらえていたのでは、学習の効果が上がるはずがない。好きになり、興味を持ってぶつかっていくことが、学習の基本の姿勢でなければならない。漢文の学習もその例外ではない。


日本語の成立と発展に対して漢語・漢文の与えた影響は絶大である。漢字はもちろんのこと、仮名の発明まで、すべて、良きにつけ、悪しきにつけ、中国からの直接の影響下に成立してきたのである。明治以前のかなりの日本人の日常生活から思考形態にまで、作用を及ぼしてきたこの漢文を抜きにして、日本語を語ることは出来ないのはもちろんのこと、日本文学や古典芸術を語ることも出来ないであろう。


日本と日本語、そして日本人というものを、より本格的に知ろうと思えば、漢語・漢文学とその日本文化への影響ということをまじめに考えねばならないのである。日本がまだ、縄文や弥生文化の時代に、“論語”や“史記”を生み出していた中国文化は、その後もますます栄えて、唐詩や宋辞のような世界的な文化遺産を生み続けた。


日本文化の成立と発展とは、この偉大な中国文化の摂取・受容・消化と否定をめぐって展開してきたと言える。単に、中国と中国文学を知り味わうためだけでなく、日本をよりよく理解するために、私たちは漢文読解術を身に付けねばならない。


夏目漱石は、その生涯に、現在残っているだけでも、中学時代から死ぬときまで、二百七篇の漢詩を作った。高杉晋作や勝海舟、西郷南州が漢詩を遺したのはいうまでもない。ある種の感情を表現するのに最も適した形態であったために、晩年の漱石は漢詩を作り続けたに違いない。


日本人の漢文読解法は、一つの偉大な発明と言えるかもしれない。今から、二千年や二千五百年も前の外国語を、まるで日本文を読むかのごとく、らくらくと読みこなす技術を発明し、自由自在に漢語を使いこなして、楽しんできた古代の日本人の精神の逞しさというものを、私たちは直に感じることが出来る。


日露戦争に出征した兵士の中には、漢詩を作れる人が何人もいた。私が育った頃は、既に、読むだけで、つくるところまではいかなかった。最近の、私自身の漢文学習体験から言えば、漢詩を作るくらいの意気込みと関心、そして努力があって、はじめて、漢文の良さ、面白さ、すばらしさも本物になるといえると思う。


それはともかく、中国の広大な風土と歴史は、数々の偉大な作品を生み出してきた。司馬遷の“史記”は、二千年以上も前にかかれたにも拘らず、今も世界の史書の中でも、超一流の作品であり、読んでものすごく面白く、意味深いものである。杜甫の詩は、ゲーテやシェイクスピア、芭蕉の作品とともに、世界の最高傑作の位置を占めており、今も昔も、人々に、限りない喜びと慰めを与え続けている。


そのような、豊富な文化遺産を、日本人は、送り仮名と訓点の発明によって、原典で、そのまま、日本文を味わうように読み取る事に成功した。いくつかの基本法則を学び、その用法に習熟すれば、私たちにも漢詩・漢文がそのまま読み味わえるのだ。これは、何とすばらしいことではないか。しっかりと基礎を身に付けて、漢詩・漢文を楽しんで読み味わえるようになってほしいと思う。


以下、簡単に、基本またはコツを述べる。


漢詩・漢文は調子があって、読みやすく、覚えやすい。名漢詩に限らず、故事・成語・名言・名句、なんでも片っ端から暗記していこう。或いは、暗記してしまうほど、何度も読み親しむこと。そうすると、漢詩・漢文の構造というものが、自然とわかるようになる。従って、訓点つきで読めるようになった人は、白文〔訓点ナシ〕で読めるように工夫し、努力しなければならない。


また、表現の基本句形はしっかりと身に付けるようにしなければならない。また、漢和辞典を引きなおして、一つの漢語に、私たちが常識的に理解している以外に、いろいろな重要な意味と用法があることを理解しなければならない。漢語は、一語一語が独特の深い味わいを持っているから、緻密に読み取っていくことは、きわめて大切である。何度も、通読し、暗記し、句形に親しみ、漢語に親しむこと、これが、漢文学習の基本である。はじめが大切であり、未知な領域は、興味深いはずである。新鮮で逞しいエネルギーでもって、しっかりと取り組んでほしい。


(記                     1985年)

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