Translate 翻訳

3/19/2012

“石川淳 <森鴎外>を読んで”

 石川淳の本は何を読んでもすごさを感じさせます。
やはり何にでもどっぷりつかるほど没頭することができたからだと思います。
広く浅くでは意味が無く、やはり、どっぷりつからないと何でもダメだとわたしは思います。

石川淳はフランス文学のほかに江戸の戯作をしっかり勉強したようで、その点、永井荷風に似ています。荷風のいやみがない点、ベターかもしれません。

村田茂太郎 2012年3月19日

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

“石川淳 <森鴎外>を読んで”         
 この本は、既に、名著として、その評価が定まっている。私もまたそれを確認したに過ぎない。この個性的な作家による著述は、どれも一読にも三読にも値するが、この“森鴎外”も、この著者の持つ強烈な個性と鑑識眼と博学とが渾然一体となって、感銘深い名著となっている。

 私はカバンをささげ、手にギリシャ語の本をもち、“森鴎外”を読み耽りながらバスに乗った。退屈したら、ギリシャ語の復習にかかろうと思って、座席の横においておいた。そして、バス・ストップでバスを降り、オフイスに着いてから、ギリシャ語の本を置き忘れてきたことに気がついた。大学時代以来、ほとんど20年近く持ってきた本である。私は、何か大切なものを失くしてしまったような気がする。

 それほど、“森鴎外”に没頭してしまった。面白く、生き生きとしていて、いくらでも得るところがある本である。石川淳は早くから達人の域に達し、超越・孤高の作家として、文壇の重鎮として、昭和文学史を生き続けてきた。江戸戯作者から多くを学び、自らも戯作的傾向を維持しながら、フランス文学にも深い造詣を示し、独自の達眼でもって、自信満々、凡庸な作家や評家の及ばない傑作を書き続けてきた。

 “森鴎外”も、自信を持ち、その自信を支えるだけの慧眼と洞察力と学識を身につけた著者が、悠々と対象に迫った個性豊かな作品であり、その叙述の中からあらわれてくる著者の生き生きとした肉迫力は、すばらしい魅力を生み出している。個性的な著者らしい独断に満ちていると見る人もあるに違いないが、私のように、鴎外全集に目をとおしたこともない者にとっては、傾聴に値する名言で満ち満ちていて、生きた鴎外に接しているような気がするほどである。

 私が読み始めるや、特に気に入ったのは、その冒頭において、鮮やかに、“渋江抽斎”を鴎外の全作品中の第一であると断定していることである。私は鴎外は好きだが、あまり読んでいない。それにも拘わらず、20年以上も前に読んだ“渋江抽斎”を、読んだ当時も今も鴎外の最高傑作だと思っている。歴史考証で成立しているこの作品をはじめて読んだ時、鴎外が甚大な努力によって、この渋江抽斎という対象に迫り、その独自の考証の中から、幕末という時代の社会相が、生きた立体感を持って構築されているのを知った時の驚きは大変なものであった。その後、北条霞亭も伊澤蘭軒も、私は読んでいないが、この石川淳に言われなくても、私はやはり渋江抽斎が一番だと確信している。それは、たまたま、鴎外がぶつかった抽斎という人間が、巨人森鴎外の探索の下に自己の全貌を現した時、抽斎自身が鴎外の対象となりうるほどの偉大さを、単に学問においてだけでなく、人間的にも保持していたからである。

 北条霞亭の場合はそうではなかった。私が既に読んだ中村真一郎著“頼山陽とその時代”に描かれた事実を見ても、必ずしも単純に偉大といえない人物であった。鴎外も、探求していくうちに、それを発見し、逆に自己を暴露するような形をとっていったらしいことは、この石川淳の“森鴎外”第一章にも記されている。そして、もちろん、一作を読んだだけで、それがその著者の最高傑作だとわかる例はいっぱいあるわけであり、たとえば、ショーロホフの“静かなるドン”やマルタン・デゥ・ガールの“チボー家の人々”、或は、ロマン・ロランの“ジャン・クリストフ”などはその代表といえる。ともかく、私は自分の嗜み、判断と同一の意見をこの特異な達人の鴎外論の冒頭に見つけたので、大いに気に入ったわけであった。

 さて、この“森鴎外”の中で、最も印象的な箇所は、中学生の石川淳が、たまたま、一度だけ、電車の中で、この大文豪を見た場面である。少し、断片的に引用してみよう。

“すぐ鴎外先生だと思った。・・・鴎外の近くにも空席はあるが、わたしは、そこまで行くどころではなかった。いつか車掌台のほうへあとずさりして、入り口に立って、遠くから鴎外の横顔に見とれていた。・・・なまいきにも先生のとなりに勤め人風の男が腰掛けていて、これが平気な顔をして新聞を読んでいる。真向かいの席にばあさんがいて、これは遠慮なく、くさめをしている。先生ほどの文豪が乗っているのに、同席の奴らが帽子も取らずにしゃあしゃあとしているとは何事であろう。そう思いながらも、わたしもはずかしいので帽子をとってはみせなかった。・・・とうに本郷一丁目は過ぎていた。とても電車をおりることなどは考えられない。先生は相変わらず本から目を離さない。きっと、役所まで乗って行くのだろう。わたしもいっしょに乗って行くほかない。・・・学校はあきらめて、パウリスタへ行って珈琲をのんだ。”

 石川淳は超一流の読書眼・批評眼を備えていた。その彼が、何度も幼少の頃から鴎外全集を熟読した、その読後感のエッセンスをまとめたものが、この“森鴎外”である。魅力に満ちているのも当然といえる。

 (私が置き忘れたギリシャ語の本は、翌々日、バス・ドライバーが高らかに笑いながら返してくれてホッとした。彼女はいつも本を読んでいる私に違いないとスグにわかって、保持していてくれたのである。)

(完   記 1984年7月11日、13日)

No comments:

Post a Comment