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3/26/2012

“船旅への想い”

 和辻哲郎 の「風土」をめぐる感想文です。
このあと、梅棹忠夫の有名な、そして独創的な ”文明の生態史観” があらわれ、ますます、風土をめぐる世界史的考察がさかんになり、東大の広松渉が”唯物史観と生態史観”という本で、さらに深く考察したりしました。和辻の"風土”に限界が在るのはあきらかですが、いわゆる哲学者が哲学史に関する本しか書かないのに対し、和辻が哲学で身につけた学力で、世界の風土に接して独自の考察をしたというところが、私の気に入ったところです。わたしもふだんから、哲学者はさまざまな問題に対して哲学的分析力を発揮して、ぶつかっていって欲しいものだと思っています。

 ドイツからイタリアへの旅を実行して、人間が完成したゲーテのことを思うと、風土はやはり、人間の成長に大きな影響力を持つものだと思います。もちろん、イタリアの場合は、単なる地中海性気候ということだけでなく、ギリシャ・ローマ文化の、そしてルネサンスの栄光がゲーテを魅惑したのですが。

村田茂太郎 2012年3月26日

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“船旅への想い”  

 倫理学者・哲学者和辻哲郎の著書に“風土”がある。これも私は受験勉強中の参考書でその断片に出会ったわけだが、その断片だけで、その著書全体に興味を持ち、高校時代に購入して、すぐ読了した。文庫本のような手軽に手に入る本ばかり買っていた私にとって、岩波書店の箱入りの本は高くついたが、ともかく、無理してでも手に入れたいと思わせるような本であった。これは、私がはじめて読んだ哲学書であり、デカルト研究といった解釈学的哲学史的研究書ではなく、自分の体験を省察して書いた、すぐれてオリジナルな思索の書であり、地味ではあるが、興味深く、印象に残る本であった。後に、この本はユネスコから、日本の生んだすぐれた哲学書の一つとして、英語やほかの外国語に翻訳されたことを知った。そして、このような、すぐれた書物への関心をかきたててくれたのも、受験参考書にほんの1-2頁載っていた断片を精読したからであった。この書を読んだのは私の高校時代であり、その後、25年、一度も読み返していないが、私には、たしかにポイントをついていると思われたものであり、時々、考え直してみる。
 和辻は、自らの船旅による外国旅行の印象を、ギリシャ的明晰な思考とか、モンスーン的アジア的思考とかといった思考のパターンと関連させて考えたようだ。自分の体験を哲学化したわけであり、単なる解釈に終わらない、すぐれた独創性が認められる。そして、私も、たしかにそのようなことは言えるかもしれないと考えたものであった。地中海的ともいえる岡山から京大に来たクラス・メートが、京都は暗くて好きになれないなどと言っているのを聞いたり、ギリシャ的な乾いて透き通った、明快な世界に関する小林秀雄の“ギリシャの印象”を読んだりしたとき、私は風土が、そこに住む人間の発想や思考形態に独特の形式を与える事も大いにありうると感じたものであった。たとえば、イギリスのダートムーアかどこかの、霧濃い村で育つのと、アテネの白く明るくすみきった世界で育つのとは、全く異なった人間が生まれて当然だと思われる。いつも霧のようなものに全体が覆われて曖昧な輪郭しか見えないような世界に住んでいると、すべてを明快にハッキリと区切ったり、わけたりするような思考は生まれにくいに違いない。

 このような、“風土”の違いに着眼した思考を和辻哲郎がとりえたのは、ひとえに彼の船旅の体験とそのときの強烈な印象のせいである。現代のように、飛行機で目的地に直ちに到着するのと違って、日本からフランスへ行くのにも、東南アジア、インドやアラビアを通って、一二ヶ月かけて行かねばならなかったことが、逆に、各寄港地の風土や慣習の違いを、より印象付け、考えさせたのである。

 私は今のところ、外国としてはアメリカの西海岸しか知らないが、いつか機会があれば、ゆっくりと世界中を見て廻りたいものだと思う。今、世界では政治的に不安定で、無事生きて帰れるかわからない国もあるが、やはり、自分の目で各国の各民族の生活ぶりや気候・風土を知る事は、自分の思考内容を遥かに豊かなものにしてくれるに違いない。

 アラスカ・クルーズとかメキシコ湾クルーズとかといった豪華客船によるレジャーの船旅もあるようであり、いつか私もやってみたいものだと思うが、今のところ、余裕も何もない。フロイトとユングがいっしょに大西洋を船で渡り、毎朝、お互いの夢を披瀝しあって、今では歴史的といえる彼らの体験を生んだのも船旅の成果であったことを思えば、船旅への想いが強く湧き上がってくる。

 今、読んでいる、辻邦生の“パリの手記 (1)”(海 そして変容)も、彼が三年半のパリ留学に向かう船旅の記録からはじまっていて、香港や上海やベトナムやインドの印象が次々と述べられている。私は和辻哲郎も、ヨーロッパ留学に向かう船旅によって、各国の個性的な印象を鮮明に感じ取り、彼の後年の思索の素材を蓄積したに違いないと思う。

 現代のジェット機によるスピーディな旅行はそれなりに長所もあるが、何か大切なものをなくしてしまったように思える。辻邦生の親友である北杜夫も“どくとるマンボウ航海記”によると、のんびりと漁船に乗って、船旅をし、各地を見てまわったようであるし、その間の膨大な時間を、トーマス・マンの“魔の山”に没頭することによって、楽しく充実した時を過ごせたと書いていた。

 私は単調な海よりも山の方が好きだが、気候が異なる地域を順番に見て廻る船旅は、一度はやってみたいものである。広大な空間と時間の中を横切っていく船旅は、人類の歴史の重みもひきずっており、あまりにも都会化し、機械化し、文明化してしまった世界に住んでいる私達に、古代の人類達への郷愁を呼び起こしてくれるに違いない。

 国語の受験参考書を思い起こしていると、その中で知った和辻哲郎の“風土”が思い出され、今から考えてみると、それが私が始めて接した本格的な哲学書であり、そして、今でも覚えているくらいに納得させられたことがわかった。そして、“風土”の衝撃を与えたのが、船旅であった事を思った時、私は現代の性急な交通手段のよさを認めると同時に、牧歌的ともいえ、ある意味では激しさを伴った船旅が、観光船以外ほとんど不可能な事を残念に思ったのであった。

(完     記 1986年3月20日) 村田茂太郎 

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