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3/25/2012

映画“女体の神秘” ある感想

 Rosemary Brown の Unfinished Symphonies のなかに、自分の夫の先妻がわかくして亡くなり、二人(夫と先妻)の間の子供は流産したため、残された夫は当然子供はいないと思っていた、ところが、サイキック Rosemary Brownにコンタクトしてきた女性はこの17歳になる子が夫の間の子供だと告げる、地上では流産したが、異次元で成長していたという驚異的な話がのっています。これを知ると、流産はやむおえないとしても、堕胎はどの時点でするにしても、おそろしい犯罪だ、殺人だと感じるのではないでしょうか。つまり、受胎調節が必須で、無計画から結果する堕胎はやってはならないことだという厳しい認識・自覚が男女両方に求められているように思われます。無計画な出産は地球を窮乏で破滅させるでしょう。自覚的な受胎調節が今後、地球的規模で必要と思われます。宗教で避妊も禁じるとかというのは、古代の話で、現実的ではありません。

 この映画は本当に感動的な映画でした。これをみると、ヒヨコでさえこうなのだ、まして、人間の子供であればという生命の尊厳に対する感動を呼び起こされます。どうして、こんな題名がついたのでしょう。

村田茂太郎 2012年3月25日

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映画“女体の神秘” ある感想                

 昔、“女体の神秘”という外国映画を見にいったことがある。題名につられて好奇心いっぱいで見にいったわけだが、その面においては期待はずれであった。もともと、教育映画として作られたものであり、まして、日本の映倫を通過した後なので、子供が見ても無害なものであった。アメリカのポルノとは段違いである。

 去年(1983年)か一昨年に、新聞の映画広告で、また同じ題の映画が日本で上映されているのを知った。同じ映画に違いない。それにしても、“女体の神秘”とは、まぎらわしい題をつけたものだ。この題のために、この映画を見る層は限られたにちがいないと思う。

 さて、この映画は、“女体”といったポルノ的意味では、全く観客を失望させるものであったが、別の意味では素晴らしい映画であった。そして、この点において、わたしは全人類の誰もが見る価値があり、見てもらいたいと思う。というのは、この映画の中に、映画があった。カンヌ映画祭か何かでグランプリを獲得したというもので、たしかにすばらしいものであった。映画はベートヴェンの壮麗な“エグモント序曲”で始まり、それとともに終わった。従って、丁度、8分ほどの長さの映画であった。

 記録映画である。ニワトリの卵の受精からヒヨコが生まれるまでの間を適切に追跡した科学映画で、卵の内部で血管が形成され、ドックンドックンと心臓の鼓動につれて、微細胞粒子が規則正しく動き、形を成していくのを克明に捉えていた。自然の神秘、生命の神秘、自然の秩序、生命の貴さ、美しさをまざまざと感じさせる映画であった。

 私はヒヨコ一羽が生まれるまでに、あれほどの秩序だった生命力の総合的な働きがあるのだと知って、まさに生命というものに対して畏敬の念におそわれた。ヒヨコでさえ、そうなのだ。まして、人間の子供であれば。

 堕胎は殺人である。子供が欲しくなければ、はじめから、受胎しないように調節しなければならない。無責任な堕胎がはやったり、生まれた子供を殺したりする親がひところ新聞をにぎわした。宗教とかといったこととは無関係に、生命は貴いものであり、受精卵がいかに美しく強力な営みを開始するかを此の映画から知った人は、犬猫に限らず、生あるものの美しさに驚嘆し、命をいつくしむであろう。生命の尊厳という何よりも人間にとって本質的な命題を、言葉でなく、映像によって、何よりも鮮やかに描き出したすぐれた映画が此の映画の主題を作っていた。
(完                  記 1984年8月5日)    村田茂太郎

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