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3/19/2012

“運命”(現代における無常感の胚胎)

 1985年ごろのJALの遭難を背景にした感想文のようです。もう、30年近くたちます。
あれは事故による悲劇でしたが、今はテロリストによるSuicide Bombingが日常化して、どこで何に巻き込まれるかわかりません。まさに中世とは違った無常の時代に居ると思います。

 Rosemary Brown の Unfinished Symphonies に記載されていた、リストの霊が語った、別な次元ではいわゆる地獄のようなものはない、ただすべてがあからさまになり、この地上での世界のように自分の良心を無視して悪をなした人は、自分のやったことの恐ろしさをみにしみて感じるので、それをつぐなわなければ別の次元にうつれないという、こういう考えをSuicide Bomberたちが理解すれば、もっと世の中も平和になるのではないかと感じました。

 わたしは小林秀雄の「無常といふこと」、唐木順三の「中世の文学」、そして堀田義衛の「方丈記私記」が大好きです。源氏物語がお好きだと思っていた私の恩師が、自分は日本文学の最高の古典は"方丈記”だと思っているといわれるのを聞いて、もう一度、じっくり読み直し、考え直さなければならないと思っているこのごろです。夏目漱石が東京帝国大学で”方丈記”を英訳してProfessorを驚嘆させた話は有名で、またわたしの好きな「百人一首」を政治家の西園寺公望がフランス語に訳したという話もあり、それぞれ外国語に移せるほどよく理解していたということで、わたしももっと勉強しなければと自分を叱咤しているところです。

 ちなみに、最近、わたしは、世界のあらゆる名作古典のなかで、「源氏物語」が最高傑作であると思い始めています。田辺聖子の「新源氏物語」など読んで、ますますその印象が強まりました。「源氏物語」、「方丈記」、「徒然草」、『奥の細道」・・・日本の古典にはすばらしいものがいっぱいありますが、すべてこれ、無常・あわれを感じさせるものばかりです。

村田茂太郎 2012年3月19日

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“運命”(現代における無常感の胚胎)

 8月3日のあさひ学園パサデナ校一学期終業式での派遣教員の訓示を生徒諸君と一緒に拝聴していた私は、教官が“みなさん、死なないように注意しましょう。”といった主旨のことを何度か述べられたのを聞いて、唖然とし、なんだか、現代という一見平和な世界の背後に控える無常の現実をハッキリ提示されたように思い、強い印象があとあとまで残った。

 現代といえども、昔とかわらず、外国の各地において激しい戦争が繰り返され、泥沼化したところもあり、今、この瞬間にも、アチコチで死んだり、殺されたりしているということを、私達はニュースを通してよく知っている。中米、南米、中近東、南アジア、アフリカと、世界中、ほとんどいたるところで政治的動乱が生まれ、数え切れぬ人々が死んでいっている。しかし、日本やアメリカ自体は、この戦後、比較的に平穏であったし、特に、日本は経済的繁栄も手伝って、世界で最も安全な国の一つとして存在し、国民はそれなりの平和と安全を享受してきた。私自身の成長を振り返ってみても、新聞で時たま殺人事件に出くわす事があっても、余程の事がない限り、クラスメートや知人が死ぬというようなこともなく、死を意識する事もなかった。したがって、政治的に不安定の国々の不幸を心から悼むことがあっても、自分の身は、いつも安全と言う安堵感がその背後に横たわっていた。

 最近になって、交通網が一層発達し、情報網も豊かになって、日本や世界がわが郷土のように狭く、自由に往来できるようになると、今までの安全感とは違ったものが、私達の意識の底に生まれ始めた。それは、安全であるはずの飛行機の事故が連鎖反応的に頻繁に起こったことによっても、わかるような、遇死のチャンスが増えた事である。

 日常の行動や休暇旅行と関係なく、全く思いがけないところで死と出会う可能性がものすごく増大した。昔は、夏休みに海水浴で溺死する事件が時折発生した。しかし、最近のように、津波で一挙に、何十人もの命がなくなるとか、飛行機事故で沢山の人が亡くなるということと、全く異質の出来事であった。

 大韓航空機の撃墜事故やこのたびの日本航空の大惨事は、私達が、偶発的な死に出会うチャンスが大きく増大した事、今まで他人事であった事故が、もしかして、自分にもあてはまるかもしれないという可能性が増した事、死は単に、戦場や殺人現場だけでなく、どこにでもころがっている可能性があること、つまり、平和も安定も増加したけれども、個人の生命への安堵感は逆に減り、中世とは違った形の無常感が生まれる世の中になったことを示していた。

 このたびの、JALの事故で亡くなった人の一割は中学生3年未満の子供達であった。そうして、このように、国際的になっている現代においては、私達の知人も一町一村に限られていないので、一見、無関係な場所に知人の名前を見つける可能性も多いのである。今回の五百人を超す乗客というニュースを聞き、東京―大阪という事もあって、私は父母や姉、友人・知人・あさひ学園の教え子達の名前がその中にないかと、とても気になった。今では、日本の子供達も死というものを、未知なものとは感じていないに違いない。平均寿命が80歳近くにまで達したとはいえ、子供達は事故死や他殺・自殺の情報には、よく接し、いわば、厳粛な事実としての人間の運命を感得することが多くなった。

 このような大きな事故で沢山の人が死ぬと、フト、人間の運命というものについて考え込んでしまう。新聞記事の中には、ある人は、今回の飛行機に乗る前に、親戚や近所周りをすませており、まるで、死ぬ予感を持っていたかのようだ、という話しが載っていた。人が自分の死を予感し、ふだんしないことをきれいにしてから、事故でなくなったというような話はよく聞く。逆にヘンな予感を信じて、災難を避けることが出来たという話もよくきく。何年か前、小学6年生向けに、“予知とテレパシー”という文章を書き、その中で、イギリスの研究家がシカゴの列車事故と乗客の関係を調べたと言う話しを書いておいた。7年ほど前、シカゴで飛行機が墜落し、沢山の人が死んだが、そのあと、また、今度はサン・ディエゴで墜落するという出来事があった。その時、シカゴで乗るはずの人が、何かで乗れなくなり、かわりのチケットをもらったひとが死ぬ事になったが、その同じ人が、サン・ディエゴのときにも、乗るはずの飛行機に乗れなくなり、あやうく命拾いをしたという話を聞いた。二回もスレスレで助かったとはいえ、本人にとっては恐ろしい話しである。何らかの予感があって、載らなかったのか、運命がまだ、その人の約束のときでないとワザと乗らせなかったのか。

 ここで、思い出すのは、“サマリアでの約束”という話しである。あるとき、使いに出たバグダッドの召使が、真っ青になって帰ってきて、馬を貸してくれ、と主人に頼んだ。どうしたのかと聞くと、召使は、今、市場で“死神”と出会った。今から、サマリアに逃げれば間に合うだろうとのことで、主人は馬を与え、召使は去っていった。その後、主人は市場に出かけて、“死”が立っているのを見つけ、お前は、ワシの召使をおどかしたそうではないか、と話しかけたところ、“死”は、イヤ、驚いたのは自分の方だ、召使とはサマリアで今晩会うことになっているのだ、バグダッドではなくて、と答えた。

 これが、有名な“約束”である。ジョークともとれるが、逃れられぬ運命をユーモアに描いた意味深長な寓話だととる方が正しい解釈であろう。古代人達も運命について真剣に考えたに違いなく、そうした省察の成果が、このような寓話的表現を生み出して来たに違いない。

 人は絶対的に死を避ける事ができない。しかし、意識的におくらせることはできるのであろうか。或は、自己の予感に忠実に従って、災難を避けえた人も、結局、その場は助かるような運命として決定せられていたということであろうか。インドにおいては、こうした、一見、不公正に見える現実の出来事を、合理的に説明するために、前世の因縁という考え方が生み出された。貧しく死ぬのも、若く死ぬのも、豪華で幸福な一生を送るのも、みな、前世の因縁という考えによってスムースに説得できるので、複雑なカースト制度に生きるインドで生まれるべくして生まれた発想だといえる。

 1927年に謎解きのような構成をもった小説がピュ-リッツア賞を受けて、ベスト・セラーになった。ソーントン・ワイルダーの“サン・ルイス・レイの橋”である。この小説は、1714年にペルーの渓谷にかかるつり橋が落ちて、丁度、その上にいた五人の男女が死んだ。その光景を目撃していた僧侶が、彼らの死は、偶然であったのか、神の審判が働いていたのかを調べようと決心するストーリーであり、もちろん、架空の出来事である。クリスチャンであって書ける小説であり、僧侶は神の摂理が働いていたと結論し、自分も異端とみなされて火あぶりの刑になる。死んだ五人が、すべて悪人であったわけではなく、良い人間も悪い人間もいた。それぞれに神の恩寵が働いた結果であるというわけで、言ってみれば、どうしようもない運命にあやつられたということになる。説明など何とでもつくのである。運命があり、私達はただその運命に従って生き、運命に従って死ぬはかない存在なのか、それとも、短く生きるのも、長生きするのも、私たち自身の選択であり、注意の結果であり、意思決定であるのだろうか。

 運命とは、気にしてもどうなるものでもない。人の運命は生まれたときに決まっているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。ただ、与えられた生命を自分なりに満足に行くように生きるしか私達の道はない。運命はあるかもしれない。ないかもしれない。ただ、説明だけはどうにでもつけられるということだけは確かである。

 私達は今、中世とはまた少し違った形の“無常”の世界に生きている。その世界は、昔の人々の生きた世界に比べて、はるかに豊かで安定し、民衆の全てが幸福になりうる恵まれた世界であるはずなのに、一方では昔の人が知らなかったような文明の利器や兵器で、一瞬のうちに多くの生命が失われる可能性がいつもどこかに存在しているというアンバランスな不確かな世界である。その中で、私達は、厳しい現実をよく認識しながら、希望を失わずに、精一杯の努力をして生きるしかない。“自己実現”が同時に世界平和の実現であるような道をめざして。 そして、その目標を目指して、できるだけ“死なないように”注意しなければならない。もし、それが、避けられるようなものであれば。

JAL123犠牲者の冥福を心から祈る。)
(完                     記  1985年9月4日) 

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