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3/29/2012

“凧(タコ)”<遊び、科学、技術、芸術 ???>


28年前の感想です。
凧揚げは広い場所でやると面白いと思います。
いろいろ工夫してつくれば、創造的なArtといえるでしょう。科学の知識も必要です。

最近はあまり見かけなくなりました。

Balboa Park に広い空間があり、凧揚げにはいいかもしれません。

いろいろな形をしたものを作ってみたいものです。

村田茂太郎 2012年3月29日

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“凧(タコ)”<遊び、科学、技術、芸術 ???>     
 1984年3月4日。犬を近くのパークに連れて行く。芝生の上を勝手に走らせておき、私はのんびり、まわりを見回した。フト、二人の男が、凧あげを始めているのが目に入った。一つの凧はなかなかうまく揚がりそうに無いので、私は少しの間、目をはなして、ぺぺやサンディの行方を追った。それから、もう一度、凧の方を見ると、一つの凧は、遥か上空にあがっていて、気持ちよさそうに泳いでいた。ほんの僅かの時間に、随分高くまで上がったのには驚いた。もう一つの方は、まだ低いところを、バランスのとれない様子でウロチョロしていて、魅力も何も無く、つまらないなと思っていたら、落っこちてきた。先に上がった方は、長い尾をなびかせて、丁度、青空の中を魚が泳いでいるみたいであった。
 そうして、青空の中の凧を見つめているうちに、二十年以上前の凧、三十年以上前の凧の思い出が浮かび上がってきた。子供の頃の凧揚げは、短い糸で電信柱の高さくらいまでしか上がらなかったため、没頭したり、楽しい思いをした事はなかった。静岡大学工学部に入学し、浜松に住むようになって、はじめて、私は浜松の凧揚げは日本一を競う名物である事を知った。大学のスグ横の広い空き地で、五月(であったと思う)、畳何畳という広さの(?)凧を、綱引き用の綱で空中にあげて競い合い、最後には凧の切り合いをやるというものであった。私は、初めてのときは、途中から見物客の中に入って上を向いて眺めていたが、退屈して帰り、二度と見に行かなかったため、本当に凧の切りあいがあるのか、きれた凧が落ちてきたら見物客はどうなるのか、全然、知らないで終わった。

 それまでは、郷土の固有の祭りであったこの浜松の凧祭りも、その頃から、ソロソロ、日本一の凧祭りという宣伝で、大げさになり、俗化してきつつあった。

 日本での凧は、ありふれたものしか知らなかったが、アメリカに来て、ほとんど凧専門といえる店があって、いろいろな形の興味深く面白い凧が売り出されているのを知って、うらやましく思った。こんなに、いろいろな凧を空中に浮かせば、下から見上げていても、本当に青い海に何か生き物が泳いでいるような感じで、随分楽しいに違いないと思った。

 そうして、“凧揚げ”について考えた。

 “凧揚げ”は、自然を相手とした<遊び>である。それは同時に、分析的に見れば、科学の原理の応用である。凧つくりは、工作技術であり、いかに独創的美的にバランスのとれた凧を作るかという点で芸術でもある。立派な凧をつくり、立派に泳がせるには、気候や風に関する知識もなければならないし、凧の形との関係についても考える必要があり、これは立派な学問の一つと言えるかもしれない。凧作りから泳がせるところまで、一人でやれば、これはすぐれた学習課題といえる。

 ベンジャミン・フランクリンは雷雲激しき天候に、凧をとばして、カミナリが電気であることを証明したと伝えられている。独創のせいで彼はラッキーであったのか、その後、フランクリンの真似をしたロシアの科学者は落雷にうたれて即死したという。

 凧揚げは、昔から知られてきたが、どうして凧があがるのかの科学的説明は19世紀にはじめて正しくなされた。流体力学の成立である。重力と揚力と風圧と牽引力との関係において、揚力が強いときに凧はあがるというような説明がなされるようになり、これは理論的には飛行機の可能性を示唆したものであった。

 ともかく、注意深く作っていく凧揚げは、遊びであると共に、科学・技術・芸術であり、注意深さも根気のよさも、自然(気候)に関する知識も必要とする意味で、すばらしい学習内容であるといえる。

 私は、青空のはるか遠くを、全く気持ちよさそうに泳いでいる凧を見上げて、そんなことを考え、そして、そうだ、来学年、私がもし中学2年の担任になれたら、終りの会を何回かつかって、みんなでそれぞれ立派な凧を作ってみよう。きっと、すばらしい時間が過ごせるに違いないと考えた。

 漢詩や文学・歴史の話しなどをしたりする会や、クラス討論の会、あるいは、チェスや将棋の会を持ち、また一方では凧のようなものを、それぞれが企画し、材料をそろえ、緻密に作り上げていき、完成したときには、みんなで庭に出て凧揚げをすれば、きっと楽しいし、何か意味あるものを作り上げたという喜びを味わう事ができるに違いないと思った。

 私自身の中に、いつか、そういうことをしてみたいという夢があったからかもしれない。既に1年以上前に、本屋のセールで、“Create Kite”(凧をつくろう)という本を見つけて買ってあった。凧揚げというのは、単なる子供の遊びではない。大人も楽しめる遊びであり、そのようなものとして、かなり独創的な面をもっており、子供の頃の夢と今とをつなぐ装置でもある。

 私は、ぺぺ達のトイレのあとを新聞紙で始末し、一緒に、少し芝生を駆け、凧がまだはるか上空を飛び続けているのを確かめ、さわやかな気持ちになって家に向かった。そして、のんびりと凧揚げに興じるということは、緊張し疲労した精神を発散させ解放させるのに、どんなに役立つだろうと思った。

(完                  記 1984年3月4日)村田茂太郎

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