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3/21/2012

暗唱 のすすめ

 暗唱は大事です。ニエン・チェン(?)の"Life and Death in Shanghai” というすばらしい回想録を読むと、彼女がばかげた文化大革命に巻き込まれ、監獄にいれられたとき、暗唱していた杜甫の詩などを思い出して生きる勇気を得ていたという話が載っていますが、すばらしいものを暗唱していたおかげです。

 20歳くらいまでは、必死になって覚えたものは一生忘れませんから、せいぜい苦労してでも何でも暗記しておくべきと思います。35歳を過ぎると、かなしいことに記憶力は減退するばかりです。年をとってからの試験勉強でその場で覚えても(CPA試験など)、しばらくたつと忘れているのに気がつき悲しくなります。勉強はやはり、若い間、特に25歳までにしっかりしておくべきと思います。

これは、昔、母の会の求めに応じて書いた文章です。
村田茂太郎 2012年3月21日

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暗唱 のすすめ

 おこがましいが、私が“百人一首”を全部暗唱したのは、小学校三年生のとき、白居易の漢詩“長恨歌”を全部暗唱したのは、十五歳のときであった。(森鴎外は、九歳の頃、漢文においては、今の大学院生並みの実力を付けていたのだから、くらべものにならない。)

 その他、小・中学生の頃、日本国憲法の“前文”や蓮如の“白骨のご文章”、あるいは徳川家康の“遺訓”など、自分で見つけ、名文と思い、気に入ったものは何でも暗記につとめた。今、私は、自分が好奇心で行ったこの暗記の学習法は、方法的に正しかったと確信している。何でも暗記して、スラスラと、いつでもどこでも口に浮かぶ位に親しまなければ、イザというときに役立つはずがないのである。

 清少納言が中宮定子の“香炉峰の雪”のテストに見事にパスしたのは、もちろん、彼女が白居易をそらんじるほど親しんでいたからである。その清少納言を紫式部は日記の中で“よく見れば、まだいとたへぬこと多かり。”と批判することができた。“源氏物語”須磨の巻 をほんの一瞥するだけでも、彼女の教養はホンモノであり、紫式部は“長恨歌”をはじめとして、有名な漢詩・漢文・和歌はすべて諳んじていたことがわかる。

 “百人一首”は単にゲームとして面白いだけでなく、美しい日本語の用法に親しみ、日本的情緒の在り方に親しむという意味で、私にとってはかりしれない成果を生んだ。“長恨歌”の暗唱もまた、漢文をやさしいものにし、他の漢詩に親しむ道を拓いた。今、私は、幼い頃から“百人一首”や和歌・漢詩に親しむことを教育的に見て非常に重要であると考える。その信念の上に立って、私は自分が接するクラスの生徒には、いつも百人一首や漢詩の暗唱を薦めてきた。中には、七日で百種全部暗唱して、自分の能力を新発見し、自信を持った子もいた。

 しかし、もちろん、学習の基本は、好奇心・探究心である。自分から興味を持ってやるのでなければ、何をしてもダメである。

 “好奇心―>集中―>反復―>継続”を何に対しても実行していれば、なんでも知らないうちに暗記してしまっているだろう。従って、問題は、如何にして好奇心を目覚めさせるかである。まさに、ここに、教師の重大な使命があるといっても言い過ぎではない。そして、私は、その目標に向かって、努力している。

(記      1986年12月9日)村田茂太郎

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