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4/01/2012

“海舟とスイス”〔対等と中立〕

I cannot write in Japanese. Keyboard somehow changed to Japanese Hiragana input mode accidentally.
With a lot of effort I can convert to Japanese but not now.
Forgive me of this English writing.

Originally, I was afraid of showing this essay in public.
I was afraid of reaction from left wing and from right wing.
This essay is dealing with somehow Japanese constitution, Self Defence of mother land, unique position of Japan in keeping peace in the world etc...

When I was a student, it was against imperialism and against Stalin ism etc...
Now after I matured somehow, it should be Democracy or Others, I think.
I hate totalitarianism. Stalin, Mao, Hitler all are the same to me.
I love original Democracy when Washington, Jefferson, Adams, Madison & others established in this new country USA.

I hope and I believe my intention is clear in this old essay written 22 years ago.

S. Murata
04/01/2012 11:37 AM

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“海舟とスイス”〔対等と中立〕                
 永世中立という立場と信条は、もちろん美しいものであるが、ただ、それを主張するだけで中立が保たれるとは限らない。戦争というのは、もともと、異常事態であり、平和時の論理が通用しなくなるのは、歴史を振り返ってみても明らかである。特に、ナチズムのような強権が出現したときに、中立を唱えるだけでは、それが守れる保証はなかったわけで、それは、スターリニズムにおいても同様であった。ナチスの脅威が荒れ狂うヨーロッパの直中にあって、ほとんど唯一、中立を保つことが出来たスイスという国の特異性は、従って、一層、際立っており、研究の価値があるわけである。


 2年ほど前(1988年ごろ)、テレビでスイスを紹介したフィルムが映し出された。スイスでは全国民が徴兵され、何年かの訓練を受ける。山岳地帯であるスイスの山中で、ゲリラ戦の訓練が施され、非常警報が鳴ると、フリーウエー(ハイウエー)を走っているクルマがフリーウエーを降りて、空っぽになった道を滑走路にして、戦闘機が降りて来る。また、核戦争を意識して作られた地下のシェルターには、膨大な食糧や救助設備がセットされている。驚くべき内容であったが、スイス中立の秘密はこれであった。中立を宣言するだけでは、ナチスのような国があらわれたとき、中立で居られる保証はどこにもない。ナチスが周りの国々すべてを属国にしながら、スイスには手出しを出来なかった理由は、スイス国民の自衛力と山岳ゲリラ戦の困難さをよくわきまえていたからであった。


 自分の国は自分で守る、しかし、他国への攻撃はしない、これが永世中立の秘密である。核シェルターとその発想は、私には少し危険に感じられるが、50年、60年代の核戦争の脅威の中で、自衛を第一としたスイス人たちの精一杯の発想であったに違いない。


 スイスが、このように特異な政治政策を貫徹できる理由は、きっと、その有名な直接民主制や国民的統一性の中にあるに違いない。日本のように、対立が激しい国にあっては、自衛力は敵国に向けられずに、自国反対派の弾圧に向けられる可能性が強く、国民が一丸となって侵略に備えるという体制はなかなか建てにくいと思われる。


 既に、太平洋戦争に突入して行った苦い体験をもつ日本人にとって、自国の防衛力の強化が純粋な防衛にとどまるかといった疑念が湧くのをどうすることもできず、本来、当然あるべき防衛が、地に着いた発想とならないで居るという不思議が現に起きているわけである。もともと、戦後憲法に存在しない軍隊が、自衛隊という名の下に存在するという異常さも、そうした日本的特殊性のあらわれといえるかもしれない。


 この、自衛とスイスについて考えるとき、いつも私は勝海舟を思い出す。幕末の動乱期には、日本にも様々な優秀な人材が出現したが、幕府側出身の数少ない逸材の一人が勝海舟であった。江戸城無血明け渡しをめぐる西郷隆盛と勝海舟との談判は有名であるが、私が思い出すのはこのことである。江戸城は無事、無血で明け渡され寛永寺にこもった彰義隊事件を除いては、江戸は無事であった。勝の交渉の相手が、器量の大きな西郷隆盛であったからこそ、何事も起きなかった。交渉に臨んだときの勝海舟は、しかし、相手の反応次第で、江戸を混乱に陥れる手はずを完璧なまでに整えていた。丁度、ナチスを前にしたスイスの状態ににている。たまたま、話のわかる大西郷を相手にしたため、勝海舟は非常作戦を展開せずに済んだ。しかし、交渉に臨む勝としては、それだけの準備は必要であった。つまり、火消し取締役の親分の一人、新門辰五郎に命じて、勝海舟の合図一つで、江戸全土を火の海にする手配をすべて整えていたのである。


 中立国スイスと勝海舟について考えるとき、私の中には共通の意識が生まれて来る。それは、人におんぶしてもらうのではなく、自分で守ることが永世中立の条件であるという意識である。もし、攻めてくるなら、チャンと守るぞ、しかし、自分のほうからは攻撃・侵略はしないという姿勢が、永世中立を堅固なものにするのである。


 スイスと違って、日本は加害国であると同時に、世界で唯一の核爆弾被害国であるという特殊な情況にあり、アメリカとソ連、中国にはさまれ、美しい、外から持ち込まれた憲法でしばられている国である。いい面も悪い面も、みな、その特異な情況に由来する。


 プリンストンの物理学者フリーマン・ダイスン(Freeman Dyson)は、スイス人と日本人は、世界平和に貢献できる国民であるという。(Infinity in All Directions)。スイス人の強烈な個性と自衛精神は、明らかに、新しい“戦争と平和の法”を構築していく上で、大いに有効さを発揮するであろう。日本人の場合は、ことはそれほど単純ではないと思われるが、広島を訪問し、原爆記念館を訪れたフリーマン・ダイスンは、ほとんど世界で唯一の被害国であるにもかかわらず、広島や長崎の市民が、明るく、未来をめざして、積極的・肯定的に生きようとしている姿に感動し、こうした苦悩を内に秘めた明るさ、逞しさこそ、これからの世界平和の構築に必要なのだと信じるに至ったようである。


 かって、フランスの日本大使であったポール・クローデルは日本人という国民の特異さ、そして、すばらしさを、“彼らは貧しい、しかし、高貴だ。”と表現した。今、日本を誰も貧しいとは認めないし、高貴かどうかも疑問だが、もし、ダイスンの感覚が正しければ、その期待に応えるよう頑張らねばならない。


(完)1990年4月12日 執筆   村田茂太郎

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