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11/04/2014

ブログ表紙写真 その136回目 城下町ー津和野、島根県 Japan

ブログ表紙写真 その136回目 城下町ー津和野、島根県 Japan

 津和野(つわの)といえば森鴎外の生誕の地、そしてお墓のある地として有名で、私はこの津和野を訪れるまでは、ほかのことはあまり知りませんでした。大きな鯉が泳いでいるきれいな白壁の街の写真はみたことがあり、訪れたいと思ったものでした。

 津和野に来て、鴎外のほかに、西周(にし あまね)の旧宅、有名な絵本作家、日本画家、装丁家で、文化功労賞を受賞した津和野出身の安野光雅の美術館があり、そして明治初期乙女峠隠れキリシタン殉教の場所として知られていることをしりました。

 このときの旅は自転車を利用して効率よくまわることができ、津和野というこじんまりとしたきれいな街をはじめて納得できる程度に知ることができました。

 西周は鴎外の縁者で、鴎外を東京に呼び寄せた学者であり、また日本に始めてPhilosophyという言葉を「哲学」と訳したことで有名です。私はこの「哲学」という日本語訳はすばらしいと思います。”愛知”などと訳されていたら、県の名前かとややこしくなります。あまり学問的でないとも思います。学問という意味では、まさに哲学でなければなりません。哲学の哲は”さとる”という意味が鮮明で、まさに哲学の領域を象徴しているといえます。

 町の中心を流れる疎水のような壁際の流れに沢山の鯉が保育されていて、きれいな風物をつくっています。この鯉の保育は飢饉のさいの非常食になるだろうというお殿様の考え。目的ではじまったようですが、今では絵になる風景をつくって観光客の招請に役立っているようです。私も鴎外のほかに、この鯉がおよぐ白壁の町並みを見たいということで訪問する気になったくらいです。津和野川にも鯉が沢山泳いでいるのが上からみえました。鯉は何でも食べてしまうので、多分、ほかの魚はすめなかったでしょうーみんな食べられた後は。

 私たちは山口県の萩市で二泊した後、この島根県の津和野にたちより、そのあと山口県湯田温泉、山口と言う形で移動しました。

 鴎外記念館の庭は石で見事なつくりでした。さて、お墓は有名で、”森林太郎”と刻んであるだけですが、こうなるまではには有名な鴎外の親友(賀古鶴所 かこつると)に当てたお墓に関する遺書があって、セレブのひとが名前だけでと言う気持ちはわかりますが、かえって意識しすぎというヘンな感慨がわきます。わたしは森鴎外の作品は大好きなのですが、このヘンな注釈・指示があるため、かえってヘンな気持ちになります。説明書きのために、意識しすぎという印象が生まれます。たとえば同じく私の大好きな”小林秀雄”のお墓は東慶寺にありますが、”小林家”と自分が刻んだ標識と自分で見つけて択んだ小さな五輪塔が立っているだけです。森林太郎の場合も、余計な説明ははずして、森鴎外の墓とメモしておくだけで充分だったのではないかと思ったりしました。京都法然院にある京都大学の哲学者九鬼周造(名著「”いき”の構造」 で有名)の場合は、多分彼が好きであったと思われるゲーテの詩「旅人の夜の詩」が刻まれて居ましたが、これは友人・同僚の有名な哲学者西田幾多郎が書いた字を刻んだとなっていました。(確か?)。学生のころにしばしば訪れただけで、もう今から50年ほど昔の話ですが、いろいろお墓をみると鴎外の場合の異常さが明らかに思われます。これは教育委員会の立て札が余計であるということだと思います。森鴎外といえば津和野ということは、鴎外の好きな人には自明の話で、自分の意志で名前だけになっていますというメモ、あるいはこれが鴎外の墓石でという表示で充分だったと思います。私見ですが。


村田茂太郎 2014年9月28日










藩校養老館

森鴎外の墓石に関する遺言碑


津和野川の鯉


森鴎外旧宅



森鴎外記念館

コスモスがきれいに咲いていました

津和野川沿いの民家、自転車が手ごろ

西周の旧宅


おうがいの墓石のあるお寺

有名な森林太郎(森鴎外)の墓石

乙女峠クリスチャン教会跡への道


津和野乙女峠教会址

アニメ画家として有名な安藤記念館

津和野駅前

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