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11/09/2014

Nicholas Sparks 「At First Sight」を読む


Nicholas Sparks 「At First Sight」を読む

 これは2005年に出版された本である。最近、私はAmazon.comJ A JanceAlex Kavaその他をオーダーしたときに、Nicholas Sparksも何冊か購入した。まだ届いていないものもあるが、この「At First Sight」がまず一番に届いたので、J A Janceを読んだ後、すぐに読み始めて、今、読了した。(2014年11月7日)。

 若くもない男女(男37歳と女31歳)がSoulmateのような関係に入り、知り合ってまだすぐの状態で結婚に入ろうとする。男は離婚とそのあとの複数女性関係を経験しており、女は未婚だが、同棲も含めた男性関係はある。男の友人は早すぎると警告を出すが、男は女の棲むNorth Carolinaに移り住むつもりである。

 結婚を前提としての移住だから、男は女の住まいに一緒に住むつもりが、大都会のNew Yorkとちがって、North CarolinaSmall Townでは、数すくない住民誰もがお互いを知っている状態だから、未婚のふたりがいくら結婚を前提としても一緒に住むべきでない、そうでないとすぐにうわさされると女に説得され、どこかに部屋を借りて不便な生活をつづける。そして、車を買うとか家を買うとか、すでに妊娠していることはわかっているのでベービー用品を買うとかという日々をすごしているうちに、男は女が自分にうそをついて別の男と会ったり、手を握ったりしているのを見知って、不信感を抱く。

 おりしも、E-mailにそれを裏付けるような変な匿名のメッセージがはいってくる。それやこれやで、男は女とけんかになり、男は既に決まっている結婚前のBachelor Partyに出席のため、喧嘩別れした状態でNew Yorkに向かう。親の家で、彼の両親は、女に非常に好意的であることをみつける。彼がしらなかったけれど、毎週、女は男の母親に写真入の手紙を送って状況を報告しており、それで両親はとても喜んでいるということであった。不信感にとらわれるばかりで怒りっぽくなっていた男には目が覚めるような発見であった。

 Bachelor Partyは彼の親友が開いたものであったが、そのとき、男は不信感を増大するようなE-mailを匿名で送っていたのは、彼の親友であったことを発見し、理由が何であれ、許せないと怒り、Party 会場をとび出す。

 女は、男が怒ってとびだし、New Yorkに去って、電話もよこさないので、もう自分のところには帰ってこないのではないかとGrandmotherに悩みを訴え、Grandmotherは、時間が経てば帰ってくるから安心するようにと説得する。そして、家に帰ると、まだNew Yorkに居るはずの男が自分の家の前に車を止めているのを発見する。

 結局、ふたりはお互いをあやまり、男はなぜ不信感が増大されたのかの原因を説明し、おたがいに許しあい、本当に二人にとってお互いが無くてはならない存在だと確認する。

 男の女の妊娠に対する不審が女の挙動や匿名のメッセージで倍加されたのは、男の最初の結婚が離婚になったのは、男には子供が生まれない、精子が少ないと宣言されたからであったので、女が妊娠したというのが信じられず、もしかして、手を握っていた男が原因でないかと疑ったからであったが、すべてが解消され、ふたりはつかの間の安定期を迎えて結婚式に向かい、また出産の用意をする。

 Bachelor Partyまでが、結婚するはずでHappyなはずの二人が、不信感で喧嘩別れしたようになるはなしである。Bachelor Partyを抜け出して帰ってきてからが、第二部にあたり、これは結婚式と出産そして結末にあたる。

 第一部は謎の匿名のメッセージがあったりして、不審感と謎を増幅して、通俗的なミステリーじみているが、後半は素直なLove storyである。

 そして、胎児の検査の途中に異常が発見される。“Amniotic Band Syndrome”というもので、紐のようなものがただよっていて、それが胎児につくと、異常なベービーが生まれるということで二人は恐怖につつまれる。それまでの楽しい期待の変わりに、どうなるかという不安につつまれて過ごすことになる。ふたりはもし異常児が生まれても立派に育てようと決心する。

 また男のほうはScientific Americanという雑誌の Science Writerであり、同時にフリーランサーでもあるが、いろいろ気になることが多くて特集記事が何も書けなくなって久しい。家計的にも出費が多くて、余裕もなくなり、どうなるのか気になるがどうすることもできない。

 しかし、ともかく30代の二人の愛情は深まり、お互い、ささえあって子供の出産を楽しみに生きる。

 女は健康で、ふたりは子供の名前も決め、準備万端ととのって出産にかかる。心配したAmniotic Band Syndrome も無事に素通りして、赤子はうまく生まれでた様子だが、母親のほうが、うめき声を上げたように男は思ったが、赤子をとりあげるのに精一杯で、ドクターが、気がついたときは母親の様子がおかしい。急遽、男を部屋から出して、Emergencyのほうに運び出したが、男はドクターたちまでがパニックに陥っているようなので赤子をみるよりも母親のほうが心配である。

 そして、男は愛する女が、ドクターの説明ではAmniotic Fluid Embolismという症状になって、死んでしまったと告げられる。あんなに元気で、子供の生誕を楽しみにしていた妻が突然死んでしまったなどと男は信じられない。しかし、事実であった。女のGrandmotherからは、彼女も孫である女の突然の死に呆然としているが、Babyは母親に似てかわいいから、会ってやれと男に説く。

 しかし、今では男はこのBabyが生まれたために妻が死んだという事実に圧倒されて、Babyがかわいいどころか、憎いくらいになっている。しかし、そのうちに、Babyには責任がなく、亡き妻もBabyのためにすべてをささげてきたのだから、Babyの成長を見守るのが彼の役目だと悟り、Babyを見に行く決心をする。At First Sight一目見て、彼はBabyのかわいさに気がつき、彼だけが頼りだと確認する。今は亡き、妻の面影を抱いているのを知り、すべてを忘れてこの子供を育てることが自分の使命だと理解する。

 はじめて、ためらいながら赤子を抱く場面で、Nurseがこうして抱けばよいと指示し、最後に重要なことばを残す。And then, most importantly, love her for the rest of her life. (Page 262. 娘のこれからの一生を愛しつづけてやりなさい!まさにIndeed!そのとおりである。これがいかに難しいことかは、日本のニュースをみればあきらかである。最近も日本では子供を産んで捨てたり、殺したりしたニュースが Yomiuri On Line で報道されていた。ひところCoin Lockerに赤子の遺体が見つかったというような事件が多かった。今も頻繁に子供たちや赤子が殺されている事件が目に付く。本当にどうなっているのだろうと思う。

 妻が亡くなって、育児に関しては何も知らず、そして、母親も居ない子供を育てるのは大変だと男は思う。しかし、男の母親が New Yorkからかけつけ、しばらく面倒を見て育て方を指導する。、女の Grandmother も援助する。そして、なんとか一人で子供を育て続ける。まわりの大人たちは男に再婚をすすめるが、男はとてもそんな気になれない。妻の面影を宿したかわいい娘を育てるだけで自分には充分だと思っている。そして、4歳になったころ、娘が Nightmare 悪夢を見て、毎晩、夜中におきるため、男も不眠症になる。そのうち、きっとGhostらしきものの夢を見るのだろうと推定し、自分が娘の母親と初めて遭い、愛情が生まれることになった場所―女の親の墓場につれていく。女の両親のお墓に愛するつものお墓も作ったのだった。男はその墓場で幽霊のようなLightsがみられるといううわさを耳にして、それを確かめるために訪れたのが女との出遭いとなったのだ。(これは叙述からして、わたしが目撃したTexas Marfaの有名なLightsの様子を記しているように思える。)真夜中の霧深い墓場で、娘と男は光の饗宴を見、男には見えないが娘には一度も見たことがない母親の姿をみかけたようだ。これでNightmare悪夢を見ることもないだろうと男は思う。

 女のGrandmotherはある種のサイキック(Divinerと孫娘は言う)で、生まれる子供の“性”をあてるのが上手で、一度もミスしたことがない。それで女が妊娠したとき、Grandmotherはすぐに女の子だといい、女も信用し、男もそれにしたがって、名前も用意する。いろいろやりとりがあって、結局、女が小さな子供のころに車の事故で亡くなった母親の名前Claireクレアーをとろうと男がいい、女も賛成して、子供は生まれる前からClaireときまっていた。男はJeremy Marshといい、女はLexie Darnell

 男は当初、New Yorkの刺激のある生活とはまったく異なる、鄙びた、わびしいNorth Carolinaの海際のSmall Villageでの生活が彼のWriter作家としての才能を発揮できなくしていると思っていたが、妻が亡くなり、一人娘Claireと生活するうちに、ここが自然に近く、すばらしい場所であり、もうNew Yorkにはもどらないと決心する。子供を育てるのにこの海際の鄙びた田舎は最高だと思うようになっていた。

 愛する女がいなくなって悲しいが、ふたりの愛の結晶が健やかに育っているというだけで男はHappyであった。

 というのがこのLove Storyのあらすじである。最初は男の友人が感じたように、へんな男女の関係で、いきなり結婚にはいる(知り合って何週間!)というのは、常識的ではないが、それぞれ男女関係を経験したおとなであれば、Soulmateというような発見が行われたと見れば、ありうる話だとも思える。友人が奇怪なE-mailメッセージをのこすというやりかたは、異状だが、第一部の話の展開には刺激的な興味をかきたてる。別に第一部、第二部とセットされているわけでないが、あきらかにBachelor Party前後で話はまったく異なる。

 第一部に関してはたしかに男の不審感ももっともである。すでに婚約して妊娠している女が、ほかの男の手を握り、うそをついて男の家まで夜おそく訪問すれば誰でもへんに思うだろう。その点、女はその男が昔なじみで、今までそうだった、そして今、悩んでいるということで自分が慰めるのは当然ととり、かえって男が自分を信用しないで、あとをつけていると非難する。和解に至る前に、女のGrandmother Dorisも、やはり男が変に思うのはあたりまえで、孫の反応が間違っていると指摘する。そういうこともあって、お互いの理解も深まり、ふたりはまさしくSoulmateのように不信感を取り去った相愛の関係に至る。

 大都会の生活から、辺鄙な田舎の世界にはいり、刺激がないと感じながら生活しはじめた男が最終的に海際の田舎の町での生活に魅力を発見するまでの叙述は興味深い。Nicholas Sparksの小説はNorth CarolinaSmall Village, Townの生活がよく描き出されているが、私のように大都会Los Angelesなどで生活しているものには、Small Town Lifeは限りなく魅力に満ちている。しかし、訪問客ならともかく、いざ、その中で生活するとなるといろいろな問題が発生するだろう。小さな世界の魅力と限界も感じさせる叙述であった。

 女Lexieが出産で死んでしまうということから、昔、よく女性は出産で死んでしまったことを思い出し、こういうAmniotic Fluid Embolismとかという現象が起きたりしたせいかもしれないとか、衛生状態が悪くて、消毒が充分でなく、悪い菌が体内に入って死んでしまったケースも、そして出血多量で死んだりしたケースも多かったのだろうと、いろいろ考え、女性の出産は大変な事件なのだとわかった。若い女がひとりでトイレで産むというようなケースもあったようだが、一般的にはやはり大変なLaborであり、Riskもあるということがわかる。ともかく、医学が進歩して、おどろくほど出産に関するもろもろの現象が解明されたのは歓迎すべきことであり、産婦人科というのもまじめにとれば直接生死につながる大変重要な職業なのだなあとわかった。

 私は不幸にして子供をもつという経験がなかった。それで、女性の出産に関してはほとんど何も知らなかったが、心霊現象の科学への興味のおかげで、胎児への影響、Soulのありかた、その他いろいろ興味深い研究がありうるのを知って、人間の科学はすべて興味深いと納得した。

 この本は若い健康な女性がAmniotic Fluid Embolismとかの症状で、出産途中で急死する可能性があることを教えてくれた。Kristin Hannahの「Firefly Lane」という小説では主人公の一人Kateという女性がIBC Inflammatory Breast Cancerで死ぬことになり、著者は特別に、女性の乳がんのなかでも、このIBCの早期発見の重要性を指摘していた。どうやら著者Kristin Hannahの母親もこのIBCで亡くなったとのことである。

 まあ、Masterpieceとはいえないが、読後、それなりに感銘を残すLove Storyであった。

 精子と卵子の結合でひとつの生命が誕生するというのは本当にミラクルである。これは何も人間に限ったことではない。わたしは学生のころ「女体の神秘」という洋画を京都で見て感激したことがあり、このブログにもそれを紹介した短いエッセイを公開した。映画の中に“ひよこ”の発生過程をたどったミニ記録映画が挿入されていて、私はひどく感激したものであった。本当に、愛する男女が愛の結晶を産み育てるというのは奇跡的な素晴らしい仕事であると思う。しかしそれが生かされるには本当にUnconditional LoveKeepすることが大切であるに違いない。犬猫を育てていても、なかなか思い通りにゆかなくて、腹が立つこともでてくる。そのとき、パワーをもっているのは私であり、彼らはまさに私に依存しているとわきまえれば、彼らの自己主張も逆にかわいく感じられる。人間も同じである。ニュースでは、みな気短で、すぐに肉体的な暴力に走るようだ。私は権力Powerをもっているものは、そのパワーはほかの人やほかの動物を助けるために使うべきで、自分を満足させるためにパワーをつかうのは最低だと思う。人間、パワーをもてばもつほど、寛大にならなければならない。実るほど頭を下げる稲穂かな!

 

村田茂太郎 2014年11月8日

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