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3/06/2012

“科学と迷信の間” (序)

 心霊現象の科学をめぐってーその4 で述べたブルー・ハラリーとその愛猫スピリットのはなしがオリジナルの形ででていますが、1984年に書いた旧い文章です。こうした文章を子供たちに紹介したのも、あるいは日本で実験的に自殺した小学生の話が影響しているのかもしれません。結局、世の中には不思議、つまり、今在る科学では説明できない現象が起きる、それを扱う態度が問題で、往々にして、科学者といわれる人が、実は非科学的な態度を取ることが多い、また、一般人、いわゆるインテリも、科学万能の精神が身につきすぎて、科学の限界をわすれ、まだ解明されない現象が起るということを、ありえないと考え、解明できないものについてはインチキだとかトリックだとか、偶然だという形で片付けてしまいがちです。Openな態度をとりたいものです。

なかで取り上げた”デジャー・ビュー”の考えとして、心理的5,6のほかに、最近では7.として Genetic Memory とか、DNAの記憶に影響されるという説明もなされたりします。8.として、予知が関係するケースもあるようです。(ユング、メダルト・ボス「夢の現存財分析」に引用)。わたしが今、再読している、”The Cathars and Reincarnation" by Dr。Arthur Guirdham では、20世紀の人間が13世紀に生きた人間の記憶を保持しているというか、Reincarnation転生からしか説明が付かないというケースもあるようです。

村田茂太郎 2012年3月6日

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 何年か前、母の会文集用に、ユングとシンクロニシティに関する短い文章を書いたことがある。それ以前にも、小学六年生の生徒に、“予知とテレパシー”という文章を書いて、説明したことがある。これらは、私が最も関心を持っている領域の一つである。そして、私は誰もが関心を持っている領域だと思う。
 さて、十九世紀から二十世紀へと、“科学”の時代になるに従って、実験と証明を根本とする科学の精神が広く、深く行き渡ったおかげで、人々は安易に“ありえそうにない”事を信じなくなった。これはすばらしい態度である。それ故、これまで信じられてきた様々な出来事や能力が“迷信”という言葉で軽く扱われるようになっていった。たとえば、幽霊を見たとある人が言っても、“幽霊の正体見たり枯れ尾花”式に、何らかの合理的な説明を行うのが常であった。
 “自然”とは、ふつうの、ありきたりの、わかりきった、これまでの科学で、証明も実験も説明も可能な現象や能力という意味であり、“超自然”とか“超能力”とかは、ありえず、頭のふるい人が信じているだけのもの、というのが常識の通用する、この世界での見方であった。
 ユーリー・ゲラーという男が念力でスプーンを曲げるといっても、そんなことはありえない、トリックに違いないと考えてかかるわけであり、もちろん、それでよいわけである。はじめから、何でも信用するようでは、科学も何も成立しない。
 実際、いつの世にも、インチキを職業とする人が沢山いたし、今も沢山居る。ただ、昔、偉大な科学者ヘルムホルツがこの領域で非科学的であったように、今も、非科学的な人が多いということが問題である。ヘルムホルツは幽霊とか念力とかといった現象や能力を、科学的に、証明し、実験して見せてくれても、自分は信じないといったと伝えられている。これは、実は科学者らしくない態度である。世の中に、インチキが多いのと同様、はじめから、そのようなことはありえないと信じてかかるヘルムホルツのような観念的な人が多かったおかげで、この超自然・超能力の世界の探求は随分、発展が遅れた。ホンモノかインチキかといった次元での証明にとどまっていて、更に深く、追求していけなかったわけである。
 そのような困難な情況を克服しながら、超心理学の研究は発展してきた。アメリカの偉大な心理学者・哲学者ウイリアム・ジェームズはインチキが多い事を嘆きながらも、全部を否定してしまうのではなく、たとえ、何百人、何千人の自称超能力者のほとんどがインチキであっても、もし、その中に一人でもホンモノがいれば、科学者はどうしてそういうことが起こるのかを、まじめに研究しなければならないという態度をとった。そして、事実。ミセス・パイパーという超能力をもった霊媒(Medium)の Séance に何度も出席して、その不思議な能力を解明使用と心がけた。
 幸いにして、約百年間に上る、この領域の研究は、それまで民間では“第六感”といわれてきた超能力が実在する事を実験的に証明できるところまで進んできた。精神分析学の創始者フロイトは、自分が生まれ変わってこれるなら、次回は超心理学の研究をやりたいといったと伝えられている。ユングは博士論文“いわゆる霊媒力の生理学的・心理学的研究”で、まともに、この領域と取り組んだ。UCLAのドクター テルマ・モスは、このようにして、それまで常識的にも科学的にもありえないと思われてきたことが、もしかして、本当にあるのではないかというような、全く否定できない状況が生まれてきている事を伝える本を書いた。
 この領域は、まさに膨大であり、それへの接近は科学的な慎重さを必要とする。しかし、もし、ある現象、ある能力が、どうもホンモノらしいとわかれば、それでは、どうして、それが起こるのかといった研究に進んでいかねばならない。いつまでもトリックだ、インチキだといっていたのでは、科学は進歩しない。
 この領域は科学(物理学・化学・生理学・医学・心理学等)と哲学と宗教がからんでくる最も問題に富んだ領域であり、神話学や民俗学、人類学とも絡んでいる領域である。運命や魂や死と生の問題である。日本語では、テレパシー、透視、念力、予知、霊媒、転生、憑き、離魂、幽霊、易、催眠術、魂、占星術、手相などが、みな、この領域に含まれる。
 研究態度としては、事実は事実として認め、その説明をいろいろな角度から探ることが大切である。たとえば、デジャー・ビュー(Deja Vu)という現象がある。普通の人でも一生に何度か体験するときがある。ある場所を始めて訪れたのに、いつかは思い出せないが、とても親しんだことがあるような気がする、そういう体験のことである。これは、体験だから、人々がそう思うのをウソだか何とかいっても、はじまらないので、それでは、どうしてそのような体験がおこりうるのかということを、あらゆる可能な角度から説明しなければならない。状況や内容にもよるが、たとえば、私が今まで読み調べた限りで考えられる説明としては、次のようなものがある。(一般的にいっての話で、それぞれの場合によって、その妥当性も異なってくるのはいうまでもない。)
 <Deja Vu デジャー・ビュー の説明> (なんだか、かって、見たことのある景色・光景だといったような体験を如何に説明するか)
1 Reincarnation (転生) 百年前、二百年前、ともかく、いつの時代かにその場所に生きていたとする説明、うまれかわり。
2 Possession(憑き) いわゆる死者の霊が乗り移ったとする説。ある場所に眠っていた霊が、そこに来た人に瞬間的に取り付いて、あたかも、自分が過去に体験していたかのごとく感じるというもの。
3 Out Of Body Experience (離魂)眠っている間に、魂が身体を離れて旅行し、既に見知っているため、はじめてきても、記憶があるように思うというもの。
4 Telepathy (テレパシー精神感応等) Psychometry  第六感の鋭い人などが、テレパシーでその情況の中から、過去をキャッチして、まるで、自分の体験の如く感じるというもの。

5 心理学的説明(1) テレビ・映画・本などで、いつか見知っていたのだが、そのうちに、完全に忘れてしまったようになり、何かで見たということも忘れてしまうのだが、記憶の底にのこっていたため、いつかどこかで見たような気がするというもの。

6 心理学的説明 2) 実際、一度も見たことも着たこともないのだけれども、風景とかというものは、よく似た景色がいっぱいあるため、漠然とした印象が、まるで過去に体験したように思う働きをうみだすというもの。
 まあ、主なものを挙げると以上のようになる。最後の 5,6 の説明が、最も自然で納得のいくものである。しかし、世の中には、“転生”や“憑き”や“離魂”でないと説明しにくいようなケースがいくつもある。ドクターイアン・スチーブンソンは“二十の転生らしきケース”という古典的な研究を発表した。インドやイスラエルやレバノンやアメリカ・インディアン等の地域での、生まれ変わりとしかいえないようなケースをいくつも集めたもので、この種の研究では必読文献となっている。

 
また、“離魂”に関する研究の中でも特に有名なものとして、超能力者ブルー・ハラリーとその愛猫スピリット(魂)を使った実験がある。

 ブルーとスピリットをそれぞれ別の部屋に隔離しておき、観察者が自分自身で、そして装置も使って、ネコを監督しておく。夜中、ブルーが睡眠状態に入る。猫の檻には誰も近づけない。そのうちに、ネコがまるで誰か親しい人が来たかのごとく、身を摺り寄せて、ゴロゴロとのどを鳴らし始める。そして、またたくまに、それも終わり、ネコはまた元のおとなしい状態に戻って寝込む。時間やその他、いろいろな情報は、すべて正確に記録されている。そして、ブルーの方が起きだして、何時何分にネコの部屋を訪問してきたと報告する。確かめてみると、まさに、その時に、ネコが誰か訪問者を迎えて、歓迎したかのごとき反応をしていたのであった。
 蛇もつかって行われた。この方も、彼が訪問してきたという時刻に、誰も居ない部屋で、まるで、誰か侵入者を見つけたかのごとく、ガラガラ蛇はガラス窓に向かって猛然と飛びついたのであった。人間でも鋭敏なときには、気配らしきものを感じたりするが、他の動物となると、より野生的で自然状態に近いので、様々な器官がより鋭敏である。明らかに、蛇やネコは、ブルーという人間を構成している何かの一部に触れたのである。それを、昔の人は“魂”と呼び、“ひとだま”とかと呼んで、怪談を構成する中心的な要素としてきた。
 このようにして、現在、それまで、迷信として扱われてきたものが、単なる迷信で済ませなくて、その中に、何かがあるかもしれない、今の科学装置では捉えがたいある種のエネルギーがあるのかもしれないと、思われだしている。そして、フロイトやユングが人間の内部の無意識の世界を解明する道を開いて以来、ますます、人間の持つ驚嘆すべき能力が明らかになってきている。
(完)1984年3月18日 執筆

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