Translate 翻訳

5/12/2016

「心霊現象の科学」をめぐってー総まとめ その3/7


「心霊現象の科学」をめぐってー総まとめ その3/7

「心霊現象の科学」をめぐってーその39 Mediumship をめぐって--- Maurice Barbanell “This is Spiritualism”を読む 第3章 Voices from Beyond あの世からの声”

 Allen SpraggettDr. Nandor Fodorに最後のInterviewを行ったとき(Interviewがおわってしばらくして、Dr. Fodorは亡くなった)、サイキックな現象の研究でDead still live死者が生きているということをStrong evidenceまちがいないといえるほどに証明することが可能と思いますかという質問に対して、Fodorは、Strong evidenceというのがどういう程度なものか特定しなければならないし、Human survival の証拠は、非常に得るのが難しいし、Evidenceと思っても、沢山の解釈が可能かもしれない。実際、本当に確信できる証拠というのは、Very rareめったにない、しかし、時たま、そういう確信を抱けるようなケースに出会うこともある。と応えたアトで、Dr. Fodorは自分の出遭ったケースについて語っている。

 I cannot look back on more than three occasions when I was convinced at the time, and have been ever since, that there was evidence of human survival. One instance was a contact with my father in a trumpet séance in which I heard his voice. The second …   (The unexplained, Allen Spraggett Page 204).

 私が当時それを確信したケースというのは3回だけである。そして、それ以来、それを信じている、死んでからも違った次元で人間は生きているという証拠を掴んだということを。ひとつは亡くなった私の父の声をトランペットSéanceで聞いたときだ。ほかに・・・。

 ここで、Dr. FodorSéanceで父親の声を聞いて、Human Survivalを確信したという。Maurice Barbanellの「This is Spiritualism」の第3章は“あの世からの声”と題されている。彼、Barbanellも、Dr. Fodorと同じような意見を言っている。

The most convincing and sustained evidence of the after-life that I have received has come to me at direct-voice séances. Though I have read all the worth-while literature in Spiritualism produced in the last hundred years, I have not come across any accounts to excel the proofs received in the séance-room of Estelle Roberts, one of the world’s greatest mediums and the possessor of nearly every psychic faculty. 

あの世があるということの最も納得のいく持続的な証明は“声を直接に聞く”というDirect-voice Séanceに参加したときに体験した。この百年の間にSpiritualismが生み出した、読むに値する文献をみんな読んだわたしだが、わたしが参加したEstelle RobertsSéanceほどその証明に関して秀でたものに出遭ったためしは無い。彼女は世界中でも最も偉大なMediumの一人であり、あらゆるサイキック現象を引き起こせる能力を持った人である。

There, once a fortnight, it was my privilege to be present when dramatic reunion between the living and the so-called dead were enacted. At their best, and this was a frequent occurrence, there conversation was so natural that it was heard to believe that one of the two participating voices I heard emanated from a speaker across the gulf of death. 

二週間に一度、死者と生者とが演じる劇的な再会の場に居ることができるという特権を私はもっていた。うまくいったとき、そしてそれは大概ソウなのだが、会話はとても自然で二人の会話者の一人の声が死という深い淵を超えた死者の声だとは信じられないほどであった。

The spirit voice came through what was called a trumpet, though it was really a megaphone in the shape of a cone, and made out of tin. These were always held in pitch darkness at the request of medium’s spirit guide. 

Spiritの声は、いわゆるトランペットからやってくるようであった。それはトランペットというよりも、普通のメガホンで、とんがったConeのかたちをしていて、ブリキTinでできていた。そして、いつもMediumのガイドの要請で、真っ暗闇の中で行われるのが常であった。

When I asked whether he could obtain the result if the room had a faint illumination, his answer was: “You give me my conditions and I will produce the evidence.” He certainly fulfilled his promise, as I shall describe. 

私が、少しぐらい明かりがあっても可能じゃないのかと訪ねたところ、ガイドのこたえは、“私の要求することを満たしてくれたら、私は証拠を提供する”ということで、確かに、彼は約束を果たしてくれた、いずれ記述するつもりだが。

I should explain that darkness, or a ruby light, is usual for this form of psychic phenomena and for materialization. The guides responsible for these results say that the process involved is akin to the germination of life, which always requires darkness. 

私は、この種の現象(DirectVoice と物が現れる場合)が起きるには、ふつう、暗黒か赤いライトのなかでだ、ということを説明しておこう。ガイドの説明では、それは生命が発芽するのに暗黒が必要とされるのと似たようなものだとのことである。

Spirit voices can sometimes be produced in ordinary light. I heard this phenomenon at a spontaneous and unexpected demonstration when I was in America. As part of my lecture tour, I had reached Lily Dale, New York, which is America’s largest Spiritualist camp. It is not, as you might infer from this description, a collection of tents. It is a small town with two hotels which, in the summer months, becomes the Mecca of thousands interested in Spiritualism. Nearly all phases of psychic phenomena are demonstrated by as many as sixty or seventy mediums. There is an auditorium which holds two thousand people. 

しかし、時には、Spiritの声は普通の明かりのもとでも生み出されることがある。私はアメリカに居たとき、この現象を、予期しない、思いがけないDemonstrationで体験した。私の講演旅行の一部として、私はたまたまニューヨーク州のLily Daleという町に着いた。そこはアメリカ最大のSpiritualistCamp場で、Campとはいいながら、テントをいっぱいはったということではなく、小さな街でホテルは二つだけ、しかし、夏になると、Spiritualismのメッカとして、何千という人があつまる。(ムラタ注:今は人口300人足らずの町だが、夏の間は2万人を超える人があつまるといわれている。)60人か70人に及ぶMediumがあらゆる種類のサイキック現象を演じるようである。二千人を収容する講堂もあるほどだ。

On the day of our arrival, a tea party was given in honor of my wife and myself. To it were invited all the mediums then staying in Lily Dale, It was a brilliant summer afternoon, with sunlight streaming through the windows. There was a hubbub of conversation, as is usual when seventy or eighty people are having tea. Many of them were smoking. 

私たちがついた日、私と妻を歓迎して茶話会がひらかれ、Lily Daleに滞在しているすべてのMediumが招待されていた。明るい夏の午後で、陽光は窓から差し込んでいた。70人か80人の集まっているときにいつも起きる会話でやかましく、沢山のひとがタバコをすっていた。

Yet in these surroundings, which I would have regarded as being unfavorable to psychic phenomena, I had an outstanding experience. My wife was introduced to a stranger, a medium named Mrs. Ann Keiser, who had come from Buffalo. I must stress that this was their first meeting.

しかも、そうした環境で、私だったらサイキックな現象が起きるには不適切なといえるほどえあったが、飛びぬけた体験をすることになった。妻はひとりの見知らぬ人に紹介された。Mediumの名前はミセス・アン・カイザーといい、バッファローから来た人だった。私は、これは、この人とは、はじめての会合であったということを強調しておく。

Unexpectedly, a third voice broke into the conversation and announced itself as belonging to my wife’s dead grandmother. She gave her name and mentioned that my wife had been named after her. This statement was correct and was one which the medium could not have known, seeing that the grandmother had died in Britain. I say this confidently because even I did not know my wife had been named after her maternal grandmother. She had died when my wife was three years old. 

思いがけず、三人目の声が会話に飛び込んできた。そして、妻の亡くなったおばあさんだと自己紹介をした。彼女は自分の名前を告げ、私の妻の名前は自分にちなんだものだと伝えた。これは、正しい情報であった。そして、Mediumが知っているはずが無いものであった。おばあさんはイギリスで亡くなったのだから。私はこの件については自信を持っている。というのは、私でさえ、妻の名前が母方のおばあさんからきたということを知らなかったくらいなのだ。彼女は妻が三歳の時に亡くなった。

Next came the equally audible spirit voice of my wife’s dead brother, a victim of the First World War, who also gave his name and said: “I have been waiting for this opportunity to talk to you.” My wife came to me to describe this unexpected happening 

次に、よく聞き取れる声で、妻の亡くなった兄弟、(彼は第一次大戦の犠牲者であったが、)が自分の名前を言い、“わたしはお前に話しかけるこの機会を長い間待っていたのだよ”といった。妻はこの予期せぬ出来事を私に伝えた。

I took Mrs. Keiser into the adjoining room, where there was less noise, wondering whether the demonstration would be repeated. At first there was a sibilant whisper, which gradually became louder, until my dead brother-in-law was speaking quite distinctly and in a masculine voice. All that he said was of a highly evidential nature, referred to matters which had arisen since I left England and answered some questions which were in my mind, though the medium knew nothing about them. 

私はミセス・カイザーを隣の部屋につれてゆき、そこはもう少し静かだったので、彼女のサイキックな現象がまたあらわれるかと期待した。最初、シューシューという音がしていたが、だんだん音は大きくなり、聞こえ出したのは、わたしの亡くなった義理の兄弟が、はっきりと、男の声で話していたのだった。彼が語ったことはすべて、たしかな証拠といえるものであったし、私がイギリスを発ってからおきた事柄についても言及していた。そして、わたしの頭の中にあった疑問に対して、返答してくれた、それは当然のことながら、Mediumが知っているはずがなかったことである。

The spirit voice, so far as I could tell, came from the region of the medium’s solar plexus. All the time that the voice was speaking, Mrs. Keiser’s lips were tightly closed. This was a phenomenon that could not be explained away by ventriloquism. And it was certainly not the medium’s voice. 

Spiritの声は、私が判断できた限りでは、ミセス・カイザーのSolar Plexus太陽神経叢、みぞおち からやってくるようであった。声が出ている間中、ミセス・カイザーの唇はかたく閉じられていた。これは、腹話術では説明できない現象であった。そして、超えはあきらかにMediumのものではなかった。

Every medium has a spirit guide. … Frequently they are Red Indians, a fact which puzzles newcomers. The answer is not far to seek. In the days of their prime, the North America Indians were masters of psychic laws, with a profound knowledge of supernormal forces and how they operated. This qualifies them, after their passing, to act as tutors and guides to their mediums. 

どのMediumSpiritガイドをもっている。しばしば、それはRed Indianアメリカ・インディアンである。なぜ、そうなのか新米は不思議がる。答えは極めて簡単である。かれらが栄えていたとき、北アメリカではインディアンがサイキックの主人であった。普通と違う能力に関してきわめてよく知っていて、うまく扱いこなしていた。このことが、彼らが死んでから、Mediumたちの指導者、Spiritガイドとして行動するようになっているわけである。

――― ――― ―――-

 Estelle RobertsSpiritガイドはRed Cloudといい、ものすごく有名になった。Maurice Barbanellは一度、肉体を持ってあらわれたのを目撃したが、あとは声を聞くだけであったが、まるで実在の親友のように、友達づきあいをする関係となったそうである。

 ということで、Dr. Nandor Fodorだけでなく、Maurice Barbanellも、Direct-voiceに接することによって、After-lifeあの世でSpiritが生きていることに確信を持った、つまり、Life After LifeまたはLife After Deathを確信したということである。

村田茂太郎 2012年12月10日




「心霊現象の科学」をめぐってーその40 Mediumship をめぐって--- Maurice Barbanell “This is Spiritualism”を読む 第13章 Dead Doctor Diagnoses 霊界からの医療診断 Page 103-109

 Barbanellの本の第13章は、よくある、Spiritが診断するという話ですが、この場合、特別に興味が湧くのは、イギリスのMediumにコンタクトしてきたSpiritが日本の女性であったということ。Mediumの名前はMargaret Lyon. 彼女はGlasgowに住む家庭の主婦で、30年以上もスコットランドのSpecialistsMedical Doctorが彼女の診断を求めてきて、一度も間違ったことはなかったという。

 ”The woman who can X-ray with her eyes closed”(目を閉じてX線のように透視できる女性)とMargaret Lyonは呼ばれてきたが、実はDiagnoseするのは彼女MediumについたSpiritガイドである the dead Japanese woman doctor(霊界にいる日本人女性ドクター)がTrance状態のLyonにかわって診断するのであった。

Thus it is not surprising to learn that sufferers who become her patients---there is a very long waiting list---are never asked for a recital of their troubles. They are told in detail what is wrong with them. The cause of the malady is often traced to an incident in the past which has sometimes been forgotten. 

彼女の患者となったひとたちは、(沢山の人が患者になろうと待っているのだが)、自分のトラブルを説明する必要はなかった。何が悪いかを細部にわたって彼女が説明してくれた。そして、病原はしばしば患者でさえわすれていた過去の出来事が原因だったりした。

 Margaret Lyonは2歳になる男の子を病気で亡くした。原因についてはどのドクターもSpecialistDiagnoseすることができなかった。最後にSpirit HealerTryしなさいといわれて、Healing PowerのあるMediumを訪ねたら、Milk Wormが脳を冒している、しかし、残念ながら手遅れで助からないということであった。次の日にComaになり,3週間後に病院で亡くなった。解剖の結果、脳がBovine Meningitisに侵されていたとわかった。Mediumの診断が正しかったのだ。そこで、この経験からSpirit Healingに興味を持ち、あるMediumから、あなたはHealing gift治癒の能力をもっているが、まだEmbryonic胎児の状態で、育てなければならないといわれ、二年ほど週一回のSpirit Healingのメンバーになって、頑張ったが何もおきず、これが最後でやめようとLast Séanceに参加したところ、彼女は眠ってしまい、目が覚めて、悪い態度であったと恥じ入ったところ、あなたは眠ってなんかいませんでしたよ、日本人のWoman DoctorというSpiritがあなたを通して話していましたよ、といわれて驚いた。

The visitor from another world had given the name of Kahesdee, which, translated, meant, “I serve”. Kahesdee had announced that, with the co-operation of her medium, a great service could be rendered to the suffering, and that she would specialize in the treatment of tuberculosis, a significant statement in view of the fact that this disease had been responsible for the death of Mrs. Lyon’s child. 

霊界からの訪問者は名前をカエデといった、それは“わたしはつかえる〔奉仕する〕”という意味である。カエデは次のように告げた、Mediumと共同作業をすることによって、苦しんでいる人たちを助けることが出来るだろうと。彼女の専門は結核だとのことであった。

Throughout the years, Kahesdee has shown that she possess a wide range of medical knowledge, is familiar with the technical phraseology employed by doctors, and conversant with the latest researches in therapeutics. She speaks softly and works with a competence that is highly impressive to watch. Her sense of humor is of the quiet variety, and she chats merrily all the time she gives treatment. Typical of her humor is the aside she once made to me: “I expect I’m the chattiest ghost you have ever met.” 

とはいいながら、カエデは医学の多方面について詳しく知っており、医者が使う用語にも通じていたし、最近の療法研究についても話すことが出来た。彼女の話し方はソフトで自信をもって対応しており、それは見ていても鮮やかに感じるほどであった。彼女はユーモアのセンスもあり、治療をしながら楽しそうにおしゃべりをした。私(Barbanell)にこういうユーモアをいったことがある、わたしはあなたが出会ったGhostのなかでは、一番のおしゃべりね、と。

Many observers have commented on the fact that when Mrs. Lyon is entranced her face, eyes and bodily posture all suggest the Oriental. Kahesdee has given me some details about her earthly life. 

多くの人がMrs. LyonTranceの状態にあるとき、顔の感じも、目も、身体の感じもみなオリエンタルなひとのようになるとコメントしていた。カエデは私に地上での生前の人生について、すこし話してくれた。

“I was taught by a Japanese priest who had been to Stoneyhurst College,” she said. She was a doctor attached to the royal household at Korea in 1895, at the time when it was attacked by the Japanese. The invaders burned and buried alive the Queen and all members of the royal household. Kahesdee says that she died as a result of exposure at the early age of twenty-three. 

“私はStoneyhurst大学で学んだという日本人のPriestから教わった。”と彼女は言った。彼女は1895年には朝鮮の王室に所属した医者であった。そのとき、日本人に攻撃された。侵入者は火をつけ、女王と王室の全員を生き埋めにした。カエデは23歳で、寒さで凍死した。

The Queen had been anxious to introduce new ideas on hygiene to her country. The spread of medicine was to be her antidote to naïve superstitions. Kahesdee was anxious to continue her medical career that had ended all too briefly. She attached herself to Mrs. Lyon for the best part of the medium’s life. The spirit doctor knew it would require some soul-stirring experience, like the sorrow caused by her two-year-old son’s death, to pave the way for this co-operative mission to begin. 

朝鮮の女王はその国に衛生観念を植え付けようと熱心であった。一般大衆が迷信に惑わされていることに対して、医学を広めることで対応しようとしたのであった。カエデは医学のCareerを続けたかったが、あまりにも早く自分の地上での命が終わってしまったため、彼女はMrs. Lyonと一緒になって、活躍することにしたのであった。そのきずなを強いものにするためには、魂を揺さぶるような体験が必要であったのであり、Mrs. Lyonは2歳になる子どもを亡くして、悲しみに沈んでいて、それが丁度、二人で共同作業をするMissionに幸いしたということであった。

You might ask what evidence there is for the existence of this spirit doctor. Margaret Lyon would reply that, using her faculty of clairvoyance, she has seen Kahesdee on many occasions, and gives a precise description of her. The unbeliever could still maintain that this is nothing but imagination. Nevertheless, there is confirmation of the medium’s clairvoyance. 

読者はこのSpirit Doctorがホンモノだというどういう証拠があるのか訊ねるかもしれない。Margaret Lyonはこういうだろう、彼女の持つ透視の力で、カエデを何度も何度も見てきたし、彼女について正確に描くことも出来ると。しかし、まだ、まだ信じないひとは、それは単なる想像に過ぎないというに違いない。しかしながら、このMediumの透視力を確認するものがあるのだ。

Once, when in London, Margaret Lyon telephoned Frank Leah, the psychic artist to whom I have already referred. They had never met, or even corresponded. Mrs. Lyon did not give her name. Yet immediately Leah told her of the spirit presence of a Japanese doctor, stated specifically that it was a woman, and described her exactly as Margaret Lyon always saw her. A visit to the artist’s studio showed that Leah had faithfully captured the likeness of the woman he had described on the telephone. This psychic drawing has pride of place in the room where all Mrs. Lyon’s healing is done. 

一度、ロンドンにいたとき、Margaret Lyonはサイキックな芸術家であるFrank Leahに電話したことがあった。この二人は一度も会ったことがなく、交信をかわしたこともなかった。Mrs. Lyonは自分の名前すら言わなかった。しかも、直ちに、Leahは日本人の医者のSpiritがついていると言い、特に、それは女性だとまで言った。そして、Margaret Lyonがいつも見てきた姿そのものを彼は言葉で描いて見せた。芸術家Leahのスタジオを訪れると、Leahが忠実に電話で彼が伝えた女の姿をとらえている絵を見せた。このサイキックの芸術家が描いた絵はMrs. LyonHealingを行う部屋に誇らしく飾られている。

….

This particular doctor, after seeing a specialist, was told that he was suffering from tuberculosis. Because he was getting worse, he finally yielded to his mother’s entreaties to consult Margaret Lyon. The worried mother, a Spiritualist, had badgered him owing to his deteriorating condition. The medium was even persuaded to visit doctor at his home. 

話し代わって、ある医者がサイキックMediumに治療してもらう話で、この医者はSpecialist専門医に相談して、結核だといわれ、だんだんひどくなるので、母親がMedium Margaret Lyonに相談しろというのを断りきれなくなった。Spiritualistでもある母親が、しつっこく、悪くなる一方なのはお前のせいだよというので、ドクターの家にMediumを呼ぶことになった。

Through the entranced medium, Kahesdee disagreed with the specialist’s diagnosis and stated that all she saw was a septic abscess on the left lung. She announced that she would not permit the lung to be drained, as had been suggested, maintaining that spirit healing could perform a cure. The doctor refuted all that Kahesdee said because of the specialist’s diagnosis. 

Trance催眠状態に入って、カエデはSpecialistの診断を否定し、左の肺に敗血症で膿がたまっているといい、肺をDrainするのには反対だ、Spirit Healingで治せると言ったが、ドクターはカエデの意見をとりあげず、Specialistの診断をまだ信じていた。

“We will argue about that after a pathological examination of the sputum has been made,” was the spirit answer. A sputum test was made twenty-four hours later. The verdict was, “Non-tubercular”. The first round had gone to Kahesdee. Even then the medical patient has his fears. He believed that he might have latent tuberculosis. Kahesdee was equal to the situation. She advised a guinea-pig test, which is considered to be final in these matters. After six weeks, the animals were alive and well. Kahesdee had won the second and final round. 

それでは、痰の病理検査が済んでから議論しましょうとSpiritはこたえた。24時間後に結果が出た。結核ではないということであった。第一回戦はカエデの勝ちであった。それでも医者である患者は恐れていた。彼は陰性の結核菌を持っているのかもしれないと信じた。カエデはこれに対しても平等に構え、それではモルモットでテストしましょうということになった。これで、勝負はつくだろうというわけで、6週間後、モルモットは死なずに健康であった。カエデは第二回戦も勝ったのだった。

Another doctor, in confirming several cures by Kahesdee, stated: “I have seen the X-ray photographs of men and women with gallstones. And I have seen the X-ray photographs taken after the patients were treated by Mrs. Lyon. The stones had gone.” 

別の医者はカエデによる病気回復の例をいくつか確認した。“男と女の患者の膀胱結石のX線写真をいくつも見たことがある、Mrs. Lyonが同じ患者たちにHealingを施してとった写真では、結石はどこにも見当たらなかった。”と。


The minister who has pioneered spiritual healing among his colleagues in Scotland is the Rev. J. Cameron Peddie. … When he heard of Margaret Lyon’s healing successes, this minister brought his wife, who was troubled by fibrositis. Relief was instantaneous, and a cure speedily followed. The Peddie next brought their son, who was suffering from Asthma and skin trouble. The complete cure was proved by his being passed A.I. for national service in the Royal Naval Volunteer Reserve. 

スコットランドのCameronPeddie師(牧師)は同僚達にもSpirit Healingを紹介した人だが、最初、Mrs. LyonSpiritual Healingのうわさをきいて、妻がFibrositis(?)で悩んでいたので、つれてきたところ、瞬間的に痛みはとれ、完全に直るのにそれ程時間はかからなかった。つぎに喘息もちで皮膚病の息子をつれてきたところ、これも治った、それは息子が海軍の補欠の試験に合格したことからもわかる。

“Do you think I could heal?” the minister once asked Kahesdee. She told him to go into the silence and meditate, and try to attune himself to the power that comes for healing. 

そこで、彼は、自分にも治せる力があるだろうかと、カエデに訊ねたところ、静かにして瞑想しなさい、そしてHealingがやってくるPowerTune-inするように心がけなさいとアドバイスをくれた。

The minister followed the spirit advice, and his healing faculty began to develop. The Peddie came many times to watch Margaret Lyon give healing. 

彼は、Spiritのアドバイスに忠実に従って、自分の持つHealing Powerを発展させることが出来た。彼はMargaret LyonHealingをやる現場を何度も見にやってきた。


There is apparently an apostolic quality in any gift of the spirit, in the sense that one possesses it can stimulate in another where it is latent. Just as Margaret Lyon was able to kindle the spark of Mr. Peddie’s healing, so he in turn was able to perform a similar function for other ministers. In this manner the healing has spread until there are now nearly a hundred ministers practicing healing in Scotland. … 

Spiritのギフトにはあきらかに従おうとする使徒を生み出すような特性があるようだ。持っているものが潜在しているところを刺激して表面にださせるような力が備わっているようだ。Margaret LyonMr. PeddieHealing Powerを育成したように、彼は今度はほかの同僚の牧師達をHealingにむけさせるようになった。こうして、またたくまに、スコットランドで100人近くの牧師がHealingを行うようになった。

Margaret Lyon—or should I say Kahesdee?---had a great triumph when she was invited by the Rev. R. Smith to address Church of Scotland ministers on healing and to give them a demonstration. This took place in 1951 at Iona Community House, which is associated with the Church of Scotland. … 

Margaret Lyonまたはカエデというべきか、はスコットランドの教会で、Healingについて話し、DemonstrationをするようにR. Smith牧師から招待されたが、それは大きな勝利といえるものであった。これは1951年の出来事であった。

After a preliminary talk by Mrs. Lyon, she was entranced and Kahesdee communicated. First, with great reverence, she asked for a blessing on the work that was to be done. “I have sought God’s help,” she said, ”to guide me to a spectacular case, one of your own congregation that I do not know, for we still have some doubting Thomas among us.” Kaehsdee added that she wanted someone present who had become deaf through a blast or an explosion 

Mrs. Lyonが前段階として話をすませてから、Trance状態に入り、カエデが登場した。これからなされる作業にたいして、敬虔にも、祝福をもとめた。「私はGodの援助を求めた、この特別なケースをうまく導いてもらうために、それはこの私が知らない会衆の中のひとりに対して行うものだが、私たちの中には、まだ疑い深い人(Doubting Thomas)が何人も居るようだから。」そして、カエデは誰かここに居る人で、爆発かなにかで耳が聞こえなくなったひとが居るかとたずねた。

Finally a young woman in her thirties---she was accompanied by a friend who had made her understand he spirit request—put up her hand and said she might be the person to whom reference was made. “But you can’t heal me,” she added, “I have deaf since 1943 when a land-mine exploded near the hospital in London where I was a nurse. I am stone-deaf. I cannot even hear the telephone bell ring.” 

若い三十代の女性が、Spiritのリクエストを説明してくれた友達に伴われてあらわれた。わたしが、あなたのいう人に該当するかもしれない、しかし、あなたは私を治せない、わたしは1943年にロンドンの病院の近くで鉱山が爆発したときに看護婦をつとめていて、その災難に遭い、それ以来、石のようにつんぼで、電話のベルが、鳴っても聞こえないほどなのだ。といった。

Kahesdee replied: “I am not here to ridicule medical science, or to say what it can or cannot do. I am here to prove the gift of healing. Bring her to the chair.” The ex-nurse came forward and was seated facing the audience. The entranced medium, who stood behind her, gave treatment while Mr. Peddie, watch in hand, timed the performance. 

カエデは応えた、「わたしはここで医学を嘲笑するために、あるいは何ができるかできないかを示すためにきているわけではない、わたしはHealingのギフトを証明するためにここに居るのだ、この椅子につれてきてください。」。元看護婦は前にやってきて、聴衆に向かう形で座った。Trance状態にはいっているMediumは彼女の後ろに立ち、彼女をTreatした。一方、Mr. Peddieは時計を片手に、時間を計り始めた。

Presently Kahesdee said to the ex-nurse: “Speak to your friend.” The patient answered: “Are you shouting?”

やがて、カエデは元看護婦に、「友達に話しかけなさい」というと、患者は「あなたは大声で叫んでいるのですか」と聞いた。

“No,” said Kahesdee, “You are hearing!” The audience knew that lip-reading was not the explanation of this instantaneous healing because the medium was behind the patient. “That took only five minutes,” said Mr. Peddie. “It could happen in the twinkling of an eye,” replied Kahesdee. 

「いいえ、あなたは聞こえているのですよ」とカエデは言った。聴衆はこの瞬間的とも言える治癒が唇の動きで言葉を読み取った結果ではないことを知っていた、なぜなら、Mediumは患者の後ろに居たのだから。Mr. Peddieはたったの5分間だと言ったが、カエデは、瞬く間にでも可能なのですよ、と応えた。

Silence reigned, due to the profound impression created by this spectacular healing. “Are there any questions?” asked Kahesdee. The patient’s friend broke in with: “No questions are necessary in the presence of a power like that.” Then the ex-nurse spoke, “Why are you all silent?” she asked. ”The days of miracles are not past.” As a result of the healing she returned to nursing. 

沈黙が支配した。この特別なHealing PowerDemonstrationが、深い印象を与えたためだ。カエデが質問はありませんか、と訊ねた。患者の友人が“こんなPowerの現出を目の前にして、質問など必要でないわ”とこたえた。それから、元看護婦が“どうして、みんな黙っているの”と訊き、“奇跡が起きる日々というのは、過去のことではないのだわ”と続けた。このHealingの結果、この女性はまた看護婦に戻った。

――― ――― ――― ――― ―――

 まだ、あと別のSpiritの話がつづいていますが、ここでは省略しました。まず、ここで驚いたことは、カエデKahesdee(?)と自称する日本人女ドクターのことです。1895年といえば、日本が中国=清国と日清戦争を行った頃の話です。日清戦争というので、日本と中国との戦いと思っていましたが、やはり朝鮮がからまり、朝鮮の王宮を日本軍が占領したりしたのは事実のようです。この霊界からの女性ドクターはそのときに23歳で殺されたといい、朝鮮の女王たち王族はみな生き埋めにされて日本軍に殺されたというイヤな話です。Wikipediaで調べると、やはり王宮占領などは事実なので、虐殺も事実でしょう。23歳というのが、すこし、ひっかかります。医者になるのには、私の頃はスムースにいっても、22歳ではまだ勉強中で、23歳以上で医者になる筈なので、明治28年という時代に女性で、23歳で亡くなった時に、すでに医者であったというのは、どうかな と思ったりしますが、漱石の三四郎では22歳の三四郎が東京の大学に入りに行くということで、あまり年齢は関係なかったのかもしれません。カエデの場合、アメリカの大学で勉強したPriestにおそわったとか言っていますから、彼女もアメリカで勉強していたのかもしれません。いずれにしろ、まだ若い女性が殺されて、医学をつづけようと、霊界で機会を探していて、たまたま、よいMediumをみつけて、共同で、人を助ける作業に入ったという話でした。

カエデの診断が、みごとにあたったというのは、Edgar CayceSandra Gibsonその他のサイキックの活躍から見て、やはり、まるで、どこかにAkashic Recordという個人の履歴書があって、それにアクセスしてすべてがわかるというような感じを受けます。

今回も、ところどころ省略しながらも、ほとんど全体を引用・意訳で紹介しました。こんなに引用ばかりしていると、版権が心配になります。ここで、出版社に無断で使わせていただいていることに対して「ごめんなさい」と言っておきます。この本は、ともかく、小冊子であるにもかかわらず、内容豊かで、よくSpiritualismの実態を紹介できていると思います。

カエデの最後のHealing Demonstrationのところで、Doubting Thomases(複数=疑り深い人たち)という言葉を見つけて、私はすぐに理解できました。イエスと12使徒のサイキックの話の中で、復活したイエスが、疑り深いThomasに対して、自分の身体にTouchしてたしかめよというところがあり、ここから、疑り深い人のことをDoubting Thomasと呼ぶようになったのだとわかりました。このBarbanellの本を読んでいなければ、何を言っているのかと戸惑うところでした。新約聖書を読んだのは、もう50年も前の話ですから。

すでに紹介したIrene HughesSpiritガイドも日本人でした。こちらは男性で、娘がCornell Universityの学生で、父親は有名なキリスト教の学者か伝道師で云々ということから、実在の人物を探すことは可能と思います。カエデの場合も、特殊な場合で、明治の女性ドクターは限られていたはずで、まして、朝鮮の王宮つきのドクターとかであれば、調べることは可能かもしれませんが、わたしはそのまま信じるだけにしておきます。



村田茂太郎 2012年12月11日




「心霊現象の科学」をめぐってーその41 Mediumship をめぐって--- Maurice Barbanell “This is Spiritualism”を読む 第11章 Gifts from Beyond 霊界からの贈り物 (その1)Page 86-93

 これはApportsに関する話です。[Encyclopedia of Occultism & Parapsychology] の Apportの項には次のように説明されています。(英語のスペルはイギリス風につづられています。ときには文法的まちがいも見つかりますが、あるがママで引用しています。)

 筆者SpenceThe name given to various objects, such as flowers, jewelry, and even live animals, materialized in the presence of a medium. The production of these Apports have always been, and still are, one of the most prominent and effective features of spiritualistic séances. 

 ApportとはMediumが居る場面で、様々な物体、花とか宝石とか時には生きた生物などが物として出現することを指す。こういうApport現象がおきることが、SpiritualistSéanceでのいわば目玉商品といえるものであったし、今もソウである。

 筆者 Fodor : This is one of the most baffling phenomena of spiritualism.  The objects differ in size, may be both inanimate and living and appear none the worse for their strange journey.

 これは、Spiritualismの中でも最もBaffling手に負えない、扱いが難しい、驚くべき現象である。物はサイズもさまざま、生物のこともあれば無生物のこともある。そして、生物はその不思議な登場の仕方にもかかわらず、Damageを受けた様子は無い。

 There are two theories on which phenomena of apport may be brought within understanding. One is the fourth dimension and the other, now generally favored by spiritualists, the disintegration and reintegration of the apported objects. 

 現在、二つの説明理論が出ている。ひとつは第四次元説、ひとつはSpiritualistの好むもので、持ち込まれる物体が原子の次元に解体され、それが再構築されるという説。

 このApport現象はTeleportationもからみ、今の科学では解明されていない領域です。映画“Star Trek IV Voyage Home” では、Teleportationが大活躍(絶滅寸前の鯨まで水を入れたケースごと宇宙船に運びこむ)といったところですが、このMediumのもとで、Apportが可能、しかも生きている生物まで運んでくる(死なずに、かわりなく)となると、科学的にはまだ作られていないが、現象としてはMediumのもとで、実際に起きているといえるわけで、科学の今以上の進歩が大いに期待されるところです。4次元空間説かSpiritsがいうように原子レベルまで解体して、また組み立てるという作業が霊界のエネルギー操作でおこなわれているのか、むつかしいところです。

 今回は、このApport霊界からの贈り物についての、Séanceの達人Maurice Barbanellの体験談を紹介します。ここには、Sir Arthur Conan Doyleも登場します。しかも、霊界からのコンタクトというかたちで。前回の日本人の女性ドクターがMediumのひとりにコンタクトしてきて、30年以上も医学的に地上の人間を救済してきたのは、若くして死んでしまったこの女性が、もう少し医学の領域で活躍したいという強い願望・執着があったからでした。このコナン・ドイルは“名探偵ホームズ”のほかに、サイキックな領域に関心が深く、すでに紹介しましたFairyが写真にうつったというケースでは、一冊本「Coming of Fairies」を著したほどでした。そして当然、死Deathとそのアト、すなわち、あの世がある、死者は別の次元で生きているというアイデアに興味があったわけで、死んでから、地上の人間に ハイ、さようなら と霊界の高次元に簡単に移っていくわけには行かなかったのでしょう。そして、自分が生きているということを家族のものに伝えようとしたわけで、彼の場合は、よく知っている、イギリスに沢山いる、ホンモノのMediumにコンタクトすればよかったわけで、比較的簡単でした。つまり、うまく、彼なりに死後の世界の存在を霊界から証明したわけでした。(?)。このあと、自分で満足して、多分、光のあるほうへ移動したのではないかと思われます。あるいは、Parapsychologistとして生まれ変わったとか。

 日本では、Spiritualismというものは、あまりなかったというか、一般にはあまり知られていず、東北の恐山の霊媒イタコが有名な程度で、ふつう、誰かが亡くなっても、一般庶民の場合、信頼できるMedium霊媒をさがして、地上の人間から故人にコンタクトしたいという姿勢を示すことなどは、私に限って言えば、全然思い浮かばず、今になって、すこし残念な気もします。誰かが亡くなったとき、今であれば、ホンモノのMediumを探して、こちらからコンタクトしたいという姿勢をしめすことも出来るとわかり、すこし、安心しました。なにも日本に居るMediumにかぎらないわけで、今なら、可能なら、すこし無理をしてでもニューヨーク州のLily Dale市に一週間ほど滞在して、ホンモノのMediumを探して、沢山の故人のその後を知りたいと思います。別に探さなくても、Séanceか講堂に参加するだけで、ホンモノのMediumには日本人の故人の見分けがつくはずです。そして、その場で指名してくれるでしょう。

 コナン・ドイルの話から、すこし別な方向に話がそれました。それでは、Barbanellの語る“Gifts from Beyond”を紹介します。英文と意訳はいつものとおりです。

 I have been the recipient of many gifts from the spirit world. They are known as apports (from the French, apporter, to bring). When I show my collection of Apports to friends who have had no séance experience, I can sense their skepticism even when they are too polite to voice it. When courtesy is thrown to the winds and incredulity is expressed, I am not surprised.

 私は霊界から沢山の贈り物を受け取るのが常であった。それらはApportとして知られ、これはフランス語のApporterアポルテ=運ぶ からきたものといわれている。私がこのApports霊界からの贈り物を、Séanceに出た経験の無い友人に見せたところ、洗練された人は声にはださないが、眉唾物だという感じを抱いたのがわかったし、そうでない人には自分の感情をむき出しにして、そんなことはありえないといった態度を示したが、そういう反応があっても私は驚かなかった。

 I would find it hard to believe, had I not experienced it myself, that objects can be transported long distances, thus defying normal conceptions of time and space. But I am recording facts, and as a recorder I must be indifferent to the opinions of those who have not shared my experience. The startling fact is that some of the spirit gifts actually “grew” between my hands.

 私自身、物体が長距離から運び込まれ、普通の感覚で言う時空の次元を超越したような現象が実際に起きているのを目撃しなかったら、そんなことが可能だなどと思いもしなかっただろう。しかし、私は事実を述べているわけであり、レポーターとして、私の経験を共にしなかった人たちの意見を無視しなければならない。驚くべき事実は、霊界からの贈り物のなかのある物は私の手の中で成長したというようなことがあるのである。(この項―つづく)村田茂太郎 2012年12月12日、13日

「心霊現象の科学」をめぐってーその42 Mediumship をめぐって--- Maurice Barbanell “This is Spiritualism”を読む 第11章 Gifts from Beyond 霊界からの贈り物 (その2)Page 86-93  つづき

 Gifts from Beyond つづきです。これはめずらしい、何度も体験した者の報告なので、大事なところは省略しないで、そのまま引用・意訳します。ふたりのMediumのそれぞれのIndian Spirit Guideの、違ったApportのやりかたが示されていますが、実態としては、同じように何かが生み出される、運び込まれるということになります。

 ここで、気がついたのは、このApportの際のSéanceのムードが、深刻なお通夜のようなものではなく、パーティのような、にぎやかで、楽しいものだということで、みんなどんなGiftをもらえるかと、クリスマスで子ども達が楽しんでいるようなムードです。

これは、非常に大事なことで、そういう明るいPositiveなムードがApportsに必要なEnergyを補給するように思えます。有名なカナダの“Philip Experience”では、1年間、まじめに何かを起こそうとしていたときは、何もおきなかったが、Partyのようにして、にぎやかに雑談していたら、はじめて反応がおき、それからは、ずっと反応し続けたという大事な記録があります。どうも、このApportも同じように思われます。

――― ――― ―――

The guides of the two mediums who were responsible for bringing these Apports would never take these séances seriously. It was the party spirit that animated the proceedings.  Indeed, White Hawk, the guide of Mrs. Kathleen Barkel, always described it as a party. …

このApportsを運ぶのに責任のあるMediumsのふたりのガイドたちは、この種のSéanceは特にまじめにとっていないようだ。これらの現象が起きるのはパーティの熱気が活性化する働きをするからだ。実際、Mrs. Kathleen BarkelのガイドであるWhite Hawkは、いつもこの種のApportsを見せる機会をPartyだと呼んでいた。

 The only physical indication that Mrs. Barkel had that an apport séance would shortly take place was the curious fact that for days before hand her figure began to swell. AT the end of the séance her body resumed its normal size. I do not know the explanation. My theory is that in some way or other her body was used to store the ectoplasm required to re-materialize the objects after they had been brought through the atmosphere, doubtless in their atomic form. Obviously, with objects brought from miles away, they would first have to be dematerialized in order that the walls, bricks and mortar should prove no obstacles. The guide responsible for this phenomenon insisted the articles were not stolen. Sometimes they were lost and could not be reclaimed because their owners had died. They might be objects that were buried beneath the earth or below the water for years, or even centuries.

ApportsSéanceが予定される何日か前から、Mrs. Barkelの体形が膨らんだようになるのが、唯一の目立った肉体的な変化であった。Séanceが終わると彼女の身体は元のサイズにもどった。わたしにはどうしてだか理由がわからない。私自身の考えでは、何らかの形で彼女の身体に、遠方の空間から物体がまちがいなくAtomicな状態で運び込まれたアト、物体が形をなす際に必要になるEctoplasmが貯えられるからであろう、明らかなことだが、何マイルも離れた地点から運び込まれる物体は、まず壁やレンガや土塀を通過するために物としてのかたちを壊してしまう必要があるのだ。このApportsを起こした責任者であるSpirit Guideは、物体は盗まれたものでないと主張する。ときには、それらは紛失して、そのあと所有者が死んでしまってクレームが発生しない場合である。あるいは地中にうずもれていた場合とか何年も何世紀も水中に沈んでいた場合とか。

Often the apport reveals careful and intelligent planning on the part of its spirit donor. The Apports I have received, and that I have seen produced for others, vary in nature. Some are semi-precious stones. I have also seen a sapphire set in silver, a jade ear-piece set in nine-carat gold, a gold locket and a gold ring with three opals and four diamonds.

しばしば、このApportが起きるに際して、Spiritである供与者のほうで、慎重な、知的な計画があることを示す場合がある。私が受け取ったApportsや、ほかの人が受け取るのを見たApportsは、それぞれ自然と違っているようだ。ある場合は宝石並みの石であった。私が見たのは銀に埋められたサファイア、9カラットの金にうめられたヒスイの耳かざり、金のロケット、3つのオパールと4つのダイアモンドがついた金の指輪などである。

The number of people at the séance party does not seem to affect the results. I have been present with a dozen others and as many as fifty. The number of Apports received in one night have varied from twelve to twenty.

Séanceに参加する人々の人数自体はあまり影響しないようだ。私は12人ほどの参加者のSéanceにでたこともあれば、50人ほどの場合もあった。一晩に受け取ったApport贈り物の数は12個から20個ほどであった。

He (Guide White Hawk) always calls his medium “my coat”, and the Apports, no matter what their nature, were “stones”. These were brought, he said, not as a scientific test, or to confound sceptics, but just to amuse his friends. 

ガイドWhite Hawkは、いつも彼の主人であるMediumを“わたしの上着”とよび、出てくる物体が何であれ、Apportsされるものを”石“と呼んだ。彼は、これらのApportsは科学者達のテスト用に運んだのでもなければ、疑り深い人たちを困惑させるためでもなく、ただ彼の友達仲間を楽しませるためのものだといっていた。

The production of the Apports was a fascinating experience. The entranced Kathleen Barkel was made to stand up by White Hawk, and walk around the room with her right hand out-stretched. Then he usually called one or two people to “help” him. I did so several times. I was asked to place one hand on the medium’s wrist and another on her arm. In this fashion we walked round the room while White Hawk made quick grabs on space with the hand that was free. Suddenly, he would exclaim delightedly, “Got! Got! ”

贈り物・物体が生まれる過程はとても魅惑的といえるものである。Trance状態にあるMrs. BarkelはガイドであるWhite Hawkに立つように指示され、そして、右手を押し出して部屋の中をまわるようにいわれる。それから、彼はいつも一人か二人のヘルパーを求める。私はそのヘルパーの役割を数回行った。私は一方の手をMediumの手首に、そしてもう一方の手を腕にまわすように言われる。こういうスタイルでわれわれが部屋の中を歩いている間に、White Hawkは自由な手ですばやく空間をつかみ取るようなしぐさをする。突然、彼は、うれしそうに“掴んだ!、つかんだ!”と叫ぶ。

 Then he put the medium’s hands between my two hands, asking three or four people to come forward. Each had to put one hand above mine, and the other below it. This, said White Hawk, enabled the object to be restored to its original form. I was then asked to remove my hands but to keep them clasped. Presently, he asked me whether I had received my gift. “I cannot feel anything,” I replied.

それから、彼はMediumの両手をわたしの両手の間に置き、3人か4人前に来るようにいう。それぞれ、一方の手を私の手の上に、もう一方を下におくようにいわれる。これは、White Hawkに言わせると、物体が元の形になるようにするためである、と。そして、私は手を離してよい、ただし、握ったままでといわれる。やがて、彼はわたしにギフトを受け取ったかとたずねる。わたしは、なんとも感じないよと応える。

A few seconds later, there was a sensation of heat between the palms of my hands. Then slowly, I felt and object becoming solid. “Hold on to it,” he said. “Don’t unclasp your hands.” I resumed my seat, maintaining my clasped hands, noticing the object gradually became cooler. Every few minutes, as they received their gifts, other members of the séance resumed their seats, clasping their hands. When the séance was over we were free to examine the Apports. Mine, on this occasion, was an amethyst.

ほんのすこしアト、私の両手の手のひらに熱を感じ始めた。それから、ゆっくりと、物が固まっていくのを感じた。しっかりもって、両手をほどかないで、 とかれは言った。私は席に戻り、両手を握ったまま、物体が冷えていくのを感じていた。ほどよい間隔を置いて、順番にSéanceメンバーがギフトを受けとて席に戻っていった。両手を握り締めながら。Séanceが終わってから、それぞれ自分がもらったギフトを点検した。私のものは、この時は、アメジストであった。

 “How do you bring these objects here?” I asked White Hawk. He replied: “I can only explain it by telling you that I speed up the atomic vibrations until the stones are disintegrated. Then they are brought here and I slow down the vibrations until they become solid again. 一体、どのようにしてこれらの物体をはこんでくるの?と私がWhite Hawkに訊ねたら、彼の応えはこうであった。わたしは、石がもとのかたちを失くすまでAtomの振動をSpeed Upさせ、ここへ届いたら、今度は固形にするために振動をSlow downさせるのだとしか言えない。

On the other occasions I have pressed for details of how vibrations are speed up and lowered. None was forthcoming. Perhaps four-dimensional happenings are beyond our three dimensional understanding. …

別の機会に、振動をUpとかLowerとかいうけれど、実際的にはどうするのかと更に追求を重ねたが、なにも返答はなかった。多分、四次元世界で起きることを三次元世界の人間には理解できないことなのであろう。

‘’’’

Red Cloud, through Estelle Roberts, similarly treated his apport séance as parties. The last I attended was a memorable evening, for it was the successful reply to a “challenge” made by the medium’s son-in-law, Kenneth Evett. A few days before, Kenneth had jokingly complained that he had never received an apport. This seemed to amuse Red Cloud, for Mrs. Roberts announced that she could see her guide smiling. Red Cloud said that he would bring as a gift “anything within reason”. “Could I have an apport from Egypt?” asked Evett, with a note of challenge in his voice. The medium said the guide’s reply was: “Better be careful, you may get a beetle.” To this Kenneth answered: “That would be fine, provided the beetle was not alive.”

Red CloudMediumであるEstelle Robertsを通して、彼のApport SéanceWhite Hawk同様、パーティとみなしていた。最後に私が参加したSéanceは記憶に残るものであった、というのは、Kenneth EvettというMediumの義理の息子の挑戦を受けて立ち、みごとに成功したものであった。二三日前、Kennethは冗談のように、自分は一度もApportギフトを受け取ったことが無いと不満を洩らした。このことは、Red Cloudを喜ばせたようで、Mrs. RobertsがガイドのRed Cloudが笑っているのが見えると伝えた。 Red Cloudは理屈に合うものならなんでもギフトとして運んでくるよと言った。“エジプトからの贈り物が欲しい”とEvettは、挑戦するような調子で求めた、それに対するMediumの返答は、ガイドが“注意した方がよいよ、もしかして、Beetleがくるかもしれないよ”といったとか。これに対して、Kennethは“生きてはいないBeetleであれば、OKだよ“と応えたのであった。

I was one of fifty people who assembled at this apport party, which lasted for two hours. Everyone received a gift, and some came for absent individuals. I counted them at the end of the session- there were sixty-two spirit gifts. Red Cloud’s manner of production differed from that of White Hawk. The room was darkened, but a faint light came through one window. A luminous trumpet was placed in the middle of the room. Red Cloud spoke through it after his medium was entranced. Like White Hawk, he was in jocular and witty mood.

私は、このApport Partyに参加した50人にのぼるメンバーのひとりであった。それは2時間続いた。誰もがギフトをもらい、いくつかは欠席者のためにも出てきた。すべてが終わってから、私は数えてみたが、62個の霊界からの贈り物があった。 Red Cloudのやりかたは、White Hawkとは違っていた。部屋は暗かったが、かすかな明かりが一つの窓からとどいていた。光輝くトランペットが部屋の中央におかれていた。Red CloudMediumTrance状態に入ったあと、それを通して話した。White Cloud同様、彼もこっけいな、機知に富んだムードにいるようだった。

All the Apports came through the trumpet, which was, as usual, a megaphone made of tin. Some were received through the narrow mouthpiece. Others came through the broad end. As the trumpet gyrated and whirled above our heads, we could often hear the objects rattling inside as they presumably became solidified. One extraordinary fact was that some of the gifts which came through the mouthpiece were larger than its diameter, as I proved by measuring them. Like White Hawk, Red Cloud would be delightedly say, “Got!” This indicated that a gift was ready for presentation. The guide named the individual who was to come forward and receive it. You placed your hands beneath the trumpet and heard it rattle through until it dropped into your palms.

すべてのApportsギフトはトランペットから出てきた。そのトランペットはいつもとおり、ブリキで作られたメガホンであった。あるものは、ギフトを狭い口にあたるほうから受け取り、ある者は広い出口の方から受け取った。トランペットがわれわれの頭上を旋回したり、回転したりするにつれ、多分、物体がだんだん固まってきてからからと音を立て始めるのをしばしば聞いた。目だったケースとして、ギフトのいくつかがトランペットの口の方から出てきたが、直径は出口よりも大きいものであった。わたしは自分で計ってみたので確かだ。White Hawkがやったように、Red Cloudもうれしそうに“できあがった”と叫んだ、それはギフトがあげられる状態になったということだ。ガイドはそれぞれの名前を呼んで前に来て受け取るようにといった。両手をトランペットのしたにおき、がらがらと音がしながら手のひらに落ちてくるのを掴むのであった。

The party spirit was in evidence from the start. Charles, the medium’s husband, was proud of his collection of Apports. …

Partyの気分は最初からあきらかであった。Mediumの夫であるCharlesApportsギフトの収集を誇りにしていた。

“Have you got all your Apports?” Red Cloud asked him. “Yes,” he replied, tapping the slight bulge he could feel when he touched his jacket. “Here are two that you haven’t got,” said the guide. “Come forward.” Charles moved to the trumpet, heard the familiar rattling sound and received once again the two Apports that were deposited on his person when the séance began.

Red Cloudは彼に、ギフトをみんなもらったかいとたずね、彼はジャケットにさわると感じられる膨れたところをたたきながら、イエスと応えた。ここにまだ二つ残っているといい、前に来るようにと言った。Charlesがトランペットに近づくと、いつものがらがらの音が聞こえ、もう一度、ふたつのApportsを受け取った、それはSéanceが始まるときに自分であずけておいたものであった。

Meanwhile, as apport after apport was received, Kenneth Evett waited impatiently. After about an hour, a curious splashing sound, reminiscent of waves breaking, could be heard within the trumpet. Then Red Cloud asked Iris Evett, Kenneth’s wife, to approach the trumpet and receive for her husband “one of the most sacred beetles, a most beautiful specimen”. The guide asked that it be handled carefully and not pressed too hard, as it was not yet sufficiently solidified.

こうして、次から次へとギフトは受け取られた。例のKenneth Evettは、うずうずしながら待っていた。しかし、約1時間後、奇妙な波のこわれる音がトランペットの奥から聞こえてくるようになった。そこで、Red CloudKennethの妻のIrisにでてきて、トランペットの口から最も聖なるBeetle,もっとも美しい標本を夫のために受け取るようにと言った。ガイドは、手厚く扱うように、堅く握らないで、まだ充分固まっていないからといった。

My curiosity aroused, I asked Red Cloud where the apport had come from. “Abydos,” he replied. As I had never heard this name before, I inquired if Red Cloud would kindly spell it. He did so, letter by letter, while I recorded the name.

わたしの好奇心は呼び起こされた、私はRed Cloudにギフトはどこから来たのかと訊ねた。“Abydos”アビドスと彼は応えた。私はコンナ名前を聞いたこともなかったので、Red Cloudにどうスペルのかとたずねた。彼は、わたしが記録している間、文字ごとに教えてくれた。

 The climax to the séance was the production of about a dozen Apports, pouring through the trumpet at the same moment. Later, I examined the scarab with interest. It was a beautiful specimen, and edged with gold. Other gifts received that night included two figures of Buddha, some praying beads, and a collection of precious and semi-precious stones, sapphires, emeralds, rubies, amethysts, turquoise, onyx, topaz and opals. このSéanceのクライマックスは1ダースものギフトが同時にトランペットから流れ出たことであった。後ほど、私はスカラベを、興味を持って調べた。それは美しい標本であった。縁は金で出来ていた。ほかにどんなギフトがでてきたかというと、仏像が二体、お祈りの数珠、たくさんの宝石、石などーサファイア、エメラルド、ルビー、アメジスト、トルコ石、オニックス、トパーズ、オパールなどであった。

Kenneth Evett provided a fitting sequel when I next met him. His curiosity aroused, he had gone to the British Museum, to the Department of Egyptian Antiquities. There he had produced his apport, and asked for an expert opinion. He was told that it was genuine, a fine specimen, of the type usually found in … Abydos!

Kenneth Evettはつぎに出会ったとき、その続きのような話をしてくれた。彼は好奇心がわきでて、British Museumを訪問し、エジプト製品のデパートをたずねた。そこで彼はあのとき受け取ったギフトをだし、専門家の意見を求めた。彼は、これはホンモノで、素晴らしい標本だ、そしてAbydosで見つかるものだといわれた。 Abydos!

――― ――― ―――

ここに紹介したのはBarbanellが参加したGenuine Psychicの示したApport現象でしたが、有名なDr. Nandor Fodorはめずらしい蛇を運び出したSéanceに参加したことがあり、それはMediumが持ちこんだものであったとか。インチキを暴露したケースを報告していました。インチキはいつも、どこにでもおり、ホンモノもいつも居て、見分けるのが大事なようです。サイキックな現象では参加者の姿勢も演出に影響するので、いちがいに、すべてインチキだと否定するわけに行かないのが、むつかしいところです。科学者の姿勢が問題だということです。

コナン・ドイルのケースは次回にします。   村田茂太郎 2012年12月13日




「心霊現象の科学」をめぐってーその43 Mediumship をめぐって--- Maurice Barbanell “This is Spiritualism”を読む 第11章 Gifts from Beyond 霊界からの贈り物 (その3Page 86-93  つづき  コナン・ドイルからの家族へのメッセージ

 第11章 Gifts from Beyond 霊界からの贈り物 (その3)最終回です。名探偵ホームズ(三毛猫でなくホンモノ、シャーロックのほう)の創作で探偵小説隆盛のきっかけを作ったSir Arthur Conan Doyle は、熱心なPsychic現象の探究者でもありました。その彼が亡くなって、何かあったのか、というのがこのBarbanellのお話です。

 Conan Doyle (1859-1930) 医者であったドイルが、エキストラの収入の手段として名探偵ホームズを書き始めたのが1887年、最後のホームズは1905年。ドイルはサイキック方面の研究、Spiritualism、歴史書などのほうが自分の大事な仕事だと思っていたが、名探偵が有名になりすぎて、ほかの仕事の方は忘れ去られたわけでした。

 1930年、亡くなった年に、“The Edge of the Unknown”というオカルト・サイエンスの本を出版しています。

―――  ―――  ―――

Sir Arthur Conan Doyle was responsible for an apport which made a tremendous impression on his family. The medium, Mrs. Caird Miller, discovered her psychic power in extraordinary circumstances. … 

サー・アーサー・コナン・ドイルは彼の家族にものすごい印象を与えたApport(この場合はKey)の出現に直接関係している。

Mrs. Caird Miller knew practically nothing of Spiritualism until a series of strange events happened shortly after Sir Arthur’s passing. … 

Mrs. Caird Millerはサー・アーサーが亡くなってから、一連の不思議な出来事が起きるまではSpiritualismとは全く関係がなかった。

Although a widow twice bereaved, Mrs. Caird Miller had no interest in psychic matters until she had a curious conversation with a stranger. Seated in the tea-room of a large West End store, she noticed that a woman at her table seemed anxious to get into conversation with her. Her natural reserve made her resent this approach from a stranger, but the woman was insistent. “I am a Spiritualist,” she said, “and I saw you in a vision this morning.” 

ミセス・ミラーは二度も夫に先に死なれた未亡人であるが、未知の人と奇妙な会話を持つまではサイキックなことにも興味を持ったことはなかった。大きなWest Endの店の喫茶室で座っていると、別のテーブルについているある女性が彼女に話しかけたそうな様子をしているのに気がついた。彼女は自然な防御本能で、この知らない人が話しかはるのを拒絶する姿勢を示した。しかし、その女性はしつっこかった。「私はSpiritualistで、今朝、あなたのVisionを見た」、と彼女は言った。

This comment annoyed Mrs. Caird Miller, who regarded the stranger as a crank. Nothing, however, would daunt the woman, who proceeded to describe a spirit form that she said was visible to her in the tea-room. This made Mrs. Caird Miller take notice, for it was a perfect description of her husband, who died not long before. 

このコメントがミセス・ミラーを当惑させた。そして、その女性は変わり者に違いないと思った。それでも、なにものにもその女性はひるまないようであった。そして、この喫茶室でも彼女に見えるSpiritのかたちを述べ始めた。これが、ミセス・ミラーの注意を引いた。というのは、その人物を描写しているSpiritの姿というのは彼女の夫の姿であった、そして彼はすこし前に亡くなったばかりなのだ。

Her curiosity aroused, she made an extensive inquiry into Spiritualism, finally discovering that she herself possessed a psychic gift. Unmistakable voice would speak to her and give definite messages. Often these voices gave information on matters unknown to her, but which, on inquiry, she always found were correct. 

彼女の好奇心は沸き起こり、それ以来、Spiritualismをいっぱい勉強した。そして、とうとう、自分がサイキック・ギフトをもっているということを発見したのであった。誰だかわからない声が彼女に話しかけ、確かなメッセージをのこした。しばしば、この声は彼女の知らない情報を伝え、あとで調べてみると、いつも正しいのを発見するのであった。

About a month after Conan Doyle’s death, she heard a voice declare in clear tones: “I am Arthur Conan Doyle. I want you to get into touch with my wife and send her a message.” 

コナン・ドイルの死から約1ヶ月経って、彼女ははっきりとした声で、「自分はアーサー・コナン・ドイルだ、私はあなたが私の家内にコンタクトして、メッセージを伝えて欲しい」、と言うのを聞いた。

This surprised Mrs. Caird Miller, who had never met the great writer. She did not know his wife or any member of the family. Her reserve was a barrier to approaching Lady Doyle unless she were absolutely sure of her ground. “Give me some proof of your identity”, she demanded. The voice replied by giving the initials of every member of his family. When she made inquiries she found that they were all accurate.

このことはミセス・ミラーをびっくりさせた。彼女は一度もこの偉大な作家に会ったことも無かった。彼女は彼の妻も家族のメンバーも、誰も知らなかった。彼女の保身策としては、自分がどこに立っているのかをはっきり知らねば、Lady Doyleに近づくことも不可能だということであった。“あなたが、本当にそうだという何らかの証拠を示して頂戴”と彼女は要求し、声は家族のメンバー全員のイニシアルを言ってきた。彼女があとでそのことで調べた結果、すべて正しかった。

Still hesitant, she said to the Doyle voice when it next repeated the request: “Where shall I find your wife?” The reply came quite clearly. The voice gave her a telephone number, told her she would not find it in the telephone book, but said it was the unlisted number of the Doyle cottage in the New Forest.

それでも、ためらって、彼女は次にドイルが同じ要求を伝えたとき、どこにあなたの奥さんがいるのと訊ねた。返事はきわめてはっきりと返ってきた。彼女に電話番号を伝え、電話簿にはみつからないだろう、無記名にしてあるから、そしてドイルのNew ForestCottageの電話番号だと伝えた。

This was a test. Still cautious, Mrs. Caird Miller decided that before approaching Lady Doyle she would try to ascertain whether the number was correct. She inquired of the telephone exchange, but was met with the reply that they were not allowed to divulge such information. 

これはテストであった。まだ用心深く、ミセス・ミラーはLady Doyleに接触する前にナンバーが正しいか確かめようと決心し、電話交換台に訊いて見た。しかし、情報は公開できないと断られてしまった。

Here was a deadlock. Mrs. Caird Miller hesitated for a few moments and then asked the operator to call the number the voice had given her. The number was accurate, for soon she was talking to Lady Doyle. At that time the Doyle family were being flooded with alleged spirit messages from all over the world, Lady Doyle and her two sons rightly insisted that they would not accept spirit communications claiming to emanate from Sir Arthur unless they were accompanied by irrefutable evidence to prove their authenticity. 

ここで、行き詰まってしまって、ミセス・ミラーはチョットためらってから、思いきって、あの声からもらったナンバーにつないでくれとオペレーターに頼んだ。ナンバーはまちがいなかった。彼女はLady Doyleに直接話していたのだった。そのころ、ドイル家では、スピリットからのメッセージだという世界中から入ってくる洪水のような情報過多に悩まされていたので、Lady Doyleとふたりの息子達は、まともな要求をした。つまり、それがまさにサー・アーサー本人からのものだというまちがいのない証拠がないことには、たとえスピリット・メッセージだといっても受け付けられないと応えたのであった。

This was indeed a rebuff. Mrs. Caird Miller had carried out the instructions of the voice, and had met with failure. She determined to have nothing more to do with it. But Sir Arthur was undismayed. A few days later she heard his voice again. He knew about the rebuff, he said, but he was determined to prove himself through this new medium. “Will you go and have a séance with Mrs. Deane,” he asked, “and I will appear on a photograph?” 

これは、実際、ひじ鉄砲を食らわせられた様なものであった。ミセス・ミラーは声が指示するとおりに動いて、この失敗となったのである。もう、コンナ面倒なことはしてやるものかと決心した。しかし、サー・アーサーはべつに驚きはしなかった、二三日後、また、あの声を聞いた。彼は拒絶されたことを知っていた。しかし、彼としては、このあたらしいMediumを通して、自分自身を証明したいと決心したのだった。そこで、Mrs. DeaneSéanceに参加してくれ、わたしが写真にうつるようにするから、と言った。

This sitting with Mrs. Deane, a medium for spirit photography, was arranged anonymously, and no hint was given of its purpose. When the plate was developed and a print made, in addition to Mrs. Caird Miller’s photograph there was a striking “extra” of Conan Doyle above her head. This spirit “extra” was shown to Lady Doyle, who admitted that it was a remarkable one which bore an unquestionable resemblance to her husband. Even then, however, she demanded still more proof. 

このミセス・ディーンはSpirit Photographyを得意とすることで有名だった人で、ミセス・ミラーは匿名で、目的も告げないで、Séanceを手配し、プレートがひきのばされ、プリントができてみると、ミセス・ミラーの写真のほかに、彼女の頭の上にコナン・ドイルの顔がまさにぴったりという感じでエキストラにうつっていた。このSpirit Extra写真をLady Doyleに見せたところ、本当に間違いなく彼女の夫によく似ているといったが、しかし、それでも、彼女は納得せず、もっと証拠を欲しがった。

That, thought Mrs. Caird Miller, was the last straw. But the persistent Conan Doyle provided the required proof. It came a few days later, when Mrs. Caird Miller was in her London flat. She had not long awakened and gone into another room. When she returned to her bedroom, she found a key lying on her pillow. She looked at the key in amazement. It did not belong to any door in her flat. How it got there was a mystery.

もう、これで、おわりだとミセス・ミラーは思った。しかしながら、コナン・ドイルはまだあきらめずに、次の証拠を用意した。それは、二三日たってやってきた。ミセス・ミラーはロンドンのアパートの部屋に居た。彼女は目が覚めてまだまもなく、隣の部屋に行っていた。寝室に戻ってくると、枕の上にKeyがおいてあるのを見つけた。驚いてKeyをみつめた。それは、彼女のアパートのどのドアーの鍵とも違った。どうして、そんなものがここへやってきたのかもミステリーであった。

As she stood there, wondering, she heard the now familiar Conan Doyle voice say: “That is my key. It comes from the door of my study, which is always kept closed, at Crowborough. Send for my son, Denis.” Here was a test – if the statement were true.

 彼女はソコに立ち止まって、どうなっているのかと思っていると、今ではよく聞きなれた声で、コナン・ドイルが、「それは私のKeyなのだ。Crowboroughにある、私の書斎のドアーのKeyで、そこはいつもロックされているのだ。息子のDenisを呼んでおくれ」、と言った。ここにテストがある。彼の言っていることが本当かどうか。

Mrs. Caird Miller telephoned Denis Conan Doyle at Crowborough Sussex, and told him what had happened. In a few minutes he had jumped into a motor car and was on his way to London. He arrived at Mrs. Caird Miller’s flat, and took the key back to Crowborough. Later he telephoned to say that it was certainly the key of his father’s study. Sir Arthur had transported it a distance of forty miles. That convinced Lady Doyle. 

ミセス・ミラーはCrowborough Sussex の Denis Conan Doyleに電話して、何が起きたかを説明した。すこしたって、彼はモーター・カーに飛び乗り、ロンドンに向かった。ミセス・ミラーのアパートに着き、Keyをもらって、Crowboroughに戻った。そのあと、彼は電話をしてきて、確かに彼の父親の書斎のKeyであったと伝えた。サー・アーサーはKeyを運んだのだが、それは40マイルの距離であった。これで、やっとLady Doyleもミセス・ミラーがホンモノであり、夫のSpiritにコンタクトしているのだと了解した。

Thereafter, Mrs. Caird Miller became the medium through whom spirit messages were regularly transmitted from Sir Arthur to his wife and family. 

それからは、ミセス・ミラーはサー・アーサーから規則的に発する、妻や家族の者達へのメッセージの伝達者となった。

――― ――― ――― ―――

 ということで、地上で亡くなったコナン・ドイルは自分のSpiritとしての存在を新しいMedium経由家族のものに、伝えたのであった。

 この件について、気がついたことは、ふつうMediumにはSpirit Guideがついて、仲を取り持つ形になるのだが、驚いたことに、ここではConan Doyle自らが、声を響かせる形でMediumに直接関係し、最後の証明といえるTeleportationもどうしたのかは不明だが、まるでコナン・ドイル自身がApportをやりとげたようである。もしかして、Spiritガイドを動かして、やらせたのかもしれない。

 これで、どうであろうか。Life after Death またはLife after Lifeが証明されたであろうか。

 Mediumに接しての、本物の声での伝言、本人ぐらいしか知らない情報、そして、ある種のMediumのそばにいると写真にもうつるということ、そして、なによりも科学を当惑させるTeleportation, Apportの発現。 これをインチキだとかといっても、何を説明したことにもならない。こういう事実が起るということ。現代の科学ではまだまだ説明不可能で、信じられないような話だが、いずれ、科学がもっと進歩し、今まで不思議ということですませていた現象を説明できるようになり、Teleportationなどが可能になる時がくるということを信じて、解明への努力を続けるしかないであろう。現象は想像でなく、実際に起きているのだから、今わからないだけで、可能なことは事実なのだ。

村田茂太郎 2012年12月14日




「心霊現象の科学」をめぐってーその44 Mediumship 死後の世界の存在証明(?!!!)私のMedium体験から

 私は自分の著書「寺子屋的教育志向の中から」の中に収めたエッセイ“「心霊現象の科学」への私の歩み”のなかで、次のように書いた。

 「たとえ科学的証明は不可能でも、もし私自身があるすぐれたミディアム(霊媒)と接触して、その人から彼(彼女)が当然知るはずもない情報や感情を伝達されれば、きっと私は真実を感知できるに違いないと思う。」(P.144-145)。1985年10月執筆。

 1975年から始まった私の「心霊現象の科学」探究の10年後の時点〔1985年〕での、今から27年前の私の総括である。本当なのかどうなのか、もう、自分で信頼できるMediumを探して、コンタクトし、Spiritの世界があるのかどうか、自分で体感するほか無いというところまでいっていた。

 その後、そういう機会も無いまま、今まで過ごしてきたが、私の本を出版するに際して、サイキック・サイエンスの世界をもう一度、確認しておかねばと、ある種の本を再読したり、初めての本を読んだりした。そして、今年、2012年2月22日に、この私自身のブログを開設するにあたり、本から洩れた「心霊現象の科学」関係の他のエッセイを載せると同時に、あらたに考察を進めながら、「心霊現象の科学をめぐって」という題で、その種のエッセイを書き始めた。

 そして、最近になって、立花隆の「臨死体験」という本を読んで、まだ科学的にAfter-Lifeの証明はむつかしいとわかり、この方面ではなく、Mediumの方面から可能なのではないかと、幾つかの本を再読したりして、読み進める中で、わたしがホンモノのサイキックを探していると知った友人は、友達経由で心当たりを探してくれた。

 Webサイトをみると、今では、膨大な人数のMediumRegisterしており、そのサービスに要する費用もさまざまである。そのなかから、信頼できるMedium・サイキックとなると、やはり、素人には見つけるのはむつかしい。私はTrial & Errorで、少しは無駄金がかかるかも知れないが、まず第一歩を踏み出すしかないと思い始めていた。

そのとき、友人のおかげで、一人のMediumが紹介され、調べてみて、まあ、よさそうなので、トライすることに決めた。

その前に、わたしの読書で、Maurice Barbanellの「This is Spiritualism」という本を読んだことで、わたしは決定的な印象を受けていた。この本は小冊子なのに、膨大な内容を含んでいて、面白く、私はこのブログで、できるだけ原文を引用しながら、そして翻訳をつけながら、その本に展開された、さまざまなMediumshipを紹介することに決め、実行してきた。

 ここで学んだことが、直接役に立った。そして、私はもう、そろそろ、ホンモノのMediumにコンタクトする時期だとさとった。この本の中のある箇所では、イギリスの女性がアメリカのLily DaleというSpiritualistたちの集まりで有名な町で、見知らぬMediumから、自分の亡きBrotherが「会いたかった、この機会を待っていた」という声のメッセージを発するのを聞いたのである。また、別のMediumSpirit ガイドとなった日本人女ドクターKaesdeeに関して、ロンドンのPsychic Artistが未知のMediumからの電話で話しているだけで、KaesdeeがそのMediumについていて、その人物はどうで、どういう姿かたちをしているとはっきり描き分けることが出来たし、その電話の話中だけで、立派な肖像画を完成し、それは、まさにそのKaesdeeがガイドをつとめているMediumがいつも見ていたKaesdeeの姿と同じであった。

 そこで、すぐれたサイキックは、電話で話しているだけで、電話の相手のまわりに居るSpiritたちの姿を感じ取ることが出来るのだとわかり、わたしが直接MediumSéanceに出なくても、電話だけでなんとかやれそうだというところまできた。そして、Spiritたちがコンタクトの機会を待っているということもわかった。こちらから動かねばならないのである。

 そして、友人が電話でもサービスをしているMediumを見つけてくれて、トライすることになった。予約、その他、すべてWeb Siteで済ませることが出来、ほかの情報はE-mailの交信でスムースに運んだ。

 その予約の日、ある時間にMediumから電話してくるというので、私は緊張して待っていた。わたしは亡くなった友人、知人、先輩、同僚、親などの名前をリストしてMediumが感じ取ってくれるSpiritが誰かすぐわかるように整理して机に置いた。

 3時間・時差のあるニューヨーク州のある町からの電話で、相手は英語、私は耳が悪い上に、片方しか聞こえないから、よく聞き取れない。何度かRepeatしたりしなければならず、1時間のサービスの四分の一は、そんな無駄なことに費やしたように思う。わたしは日本語の映画を見ていても、半分は何を言っているのかよくわからない。英語の映画でも同様である。英語がわからないのでなく、話していることばが、日本語でも英語でもききとれなくなっているのである。従って、わたしはまじめな難しい映画はあきらめて、言葉がわからなくても楽しめるActionもの、007James Bondなどが大好きである。

 これが、まじめにMediumと向かい合ってすわっているのなら、すべてわかったと思う。わたしはTV番組でもKCET Public放送の、特にイギリスもの、Nature シリーズとか、Living PlanetMaking of the Continent その他、すばらしい記録映画物がいっぱいあったが、それらは、解説者がClearな英語で話すので100%理解できたが、それ以外、特に日本人の俳優は発声がフランス人のように正確で無いので、何を言っているのかわからないことが多い。

今回も、残念ながら、相手の言うことが良く聞き取れないことが多かった。しかし、大体は伝わった。そして、それは、まさに、27年前に書いたこと、本物のMediumの口から、彼女の知らない情報を私に伝えてくれることで、私が納得できるということが、実現したのであった。この第一回Medium体験は成功であった。これが科学的証明といえるのかどうかは問題で無い。私自身がSpiritの世界があるということが確認できたということが大事なのである。

そして、これは、まさに第一回であり、亡くなった友人・知人たちはコンタクトの機会を待っているのであり、わたしは出来るだけさまざまなホンモノのMediumに会って、または電話で、相談して、Spiritたちに、何か伝えたいことがあるか確かめねばならないと思った。今回は、いわゆる小手調べのようなもので、私に霊界の存在を、まず確認させてくれたということが大事なのである。従って、Spiritsたちも存在証明を私に伝えただけで、家族へのメッセージというところまではゆかなかった。Maurice Barbanellの本の場合は、コナン・ドイルが家族に何を伝えたかったのかは、家族とMediumだけが知っていることであるが、わたしは出来ればこういうことに興味を持った私の存在価値の一部を示すものとして、できる事はしたいと思う。

 Mediumとの話し合い、その経過の一部をここで記録しておきたい。

 私が知っている人で亡くなった人の数は二十人を超える。それは、父親も含めてである。もし、そんな二十人を越えるSpiritの中で、Mediumに認めてもらおうとすれば、Spiritも頭を働かせて工夫しなければならないに違いない。時間が無限にあるわけではない。わたしはとりあえず、1時間のサービスをトライしただけである。そして、そのうちの四分の一ほどは英語の確認で失った。だから、わずかな時間しか残っていなかった。

 Mediumは電話の向こうに居ながら、私のまわりに沢山のSpiritsがいるのに気がついたらしい。そのうち、本を持って合図しているGentlemanが居る、自分の名前がその本の中にあって、自分に捧げられているのだと言っているようである、とMediumは言った。私は直ちに了解した。亡くなった人で、私の本の前書きで献呈の辞を書いたのはただひとりである。そして、Mediumによると、彼はその本を読んで、よく理解したといっている、そして、私に次の本を書くように提案しているという。

 わたしは、ブログを始めて以来、もう満足したので、本はあの一冊だけで充分と思っていたが、最近、パソコンやInternetは全然やらない、つまり私のブログを覗けないひとが沢山居るのに気が着き、私のブログのなかでも、特に「心霊現象の科学」関係のエッセイは、内容的に、すべてのひとに読んでもらいたいと思っているので、このブログの”心霊現象の科学“関係のエッセイをあつめて、二冊目の本に仕上げるのも悪くないと思い始めていたので、それを確認してくれるようなSpiritの意見であった。

 Mediumはそのほか、私のPrevious LivesOcean海やボートと関係があるとか、Native AmericanMysticでサイキックで、その方面も私と関係しているようだという。

 そのうちに、SpiritWorld TravelStampを示しているものがいるとMediumが言った。私の友人で、世界旅行というかヨーロッパ旅行を二度実行して、各地から、時にはStamp入りの絵ハガキを送ってくれた友人はただひとりである。私はすぐに彼だと気がついた。そのとき、Mediumは、その男性がわたしにもっとTravelをしろ、そうすれば自分も一緒に行くといっているということを告げた。そうか、私はイタリアやドイツ、スイスその他、ヨーロッパ諸国を訪れたいと思い、旅行用の地図と資料まで買い集めていたが、どうやら、今の生活(女房のChauffeurなど)で、とてもそんなことは出来ないと思い始めていたので、あるいはこれは、まだあきらめずに、いつかヨーロッパ旅行するつもりでがんばれといってくれているのかもしれないと思った。それが実現すれば、わたしは彼のSpiritの守護霊をつれて旅をすることになるのかもしれない。

 もう一件、目立つ工夫がなされているのが見つかった。MediumMartial Artsといいだしたのである。わたしは、Martial Artsなどに無縁な(高校の義務・授業での柔道以外は)人間であったので、あれっと思ったが、そうか、あの同僚は去年突然亡くなったという情報をもらったが、確か柔道・黒帯二段だった、彼がそのSpirit Worldでの存在を示しているのに違いない。MediumSay Helloといっているとかと伝えた。

 そのほかに、もっとも重要な情報がMediumから伝わった。私の亡くなった父が居て、さらに母の母親がそばにきて、わたしの母が亡くなる準備をして待っている、心配しなくても良い、Welcomeだといっているということであった。わたしはつい最近、姉から、日本に居る母が、もう本当に身体が弱って、いつ死ぬかわからないという知らせを受け取ったばかりであった。Mediumは、昔になくなった母の母というひとが迎えに出てくるということは、もう死も間近ということだと告げた。それで、Mediumが、姉に、病院を訪問し、母のからだにさわって、夫やお母さんが迎えに来ているから、安心して移るようにと言ってあげ、その時、お母さんは花がすきだったらしいから、花を持って訪れると、移行がスムースにゆくと、告げたので、私は姉にその旨、E-mailで連絡した。

 母が結婚するはるか以前になくなったお母さんの存在など私は名前も何も知らなかったが、Mediumが感じ取ったということは、私のまわりにSpiritとして訪問してきたということであろう。そして、その、Spiritsたちが私の周りに集まったということは、いつも集まっているわけではなくて、私がこの日、ホンモノらしいMediumと電話でやりとりするということをMedium経由で感じ取ったから、こういういろいろな現象が起ったのに違いない。

 本を持った男性、World Travelのスタンプ、Martial Arts どれも、当然、Medium自身には意味をなさないイメージである。わたしが電話でMediumと話しているというだけで、これらのSpiritsは自分を目立たせようと工夫したに違いない。そして、それは成功した。すぐに誰かがわかったのだから。ということは、Spiritたちは、意味の無い映像的なGhostとして存在しているのではなく、独自に頭をはたらかせながら、普段はなにかもっと重要な仕事をしている(つまり、この地上の存在はまだ幼児的な段階だとリストのスピリットやほかのSpiritsが言っている)ということに違いない。まさに、霊界Spirit World、またはあの世、別の次元、After Lifeが存在するのである。

 わたしは、これは、まず第一回のこころみで、これがうまくいったので、次は、実際にMediumと会ってみるか、Séanceに参加したいものだと思う。Mediumはわたし自身がサイキックな能力を保持しているが、Meditationをして、その能力を育成しなければならない。あなたは、あらゆることに興味を持って、ものすごくリサーチしているので、頭がいつもいっぱいである。したがって、あなたのまわりに居るSpiritsがコンタクトしたいと思っても、今の状態では近寄れないようなものだ。そういうわけで、Meditationをまじめに行うようにすすめ、Mount ShastaSan Jose,そしてSedonaを訪れることをすすめた。また、Mediumは、わたしは、もう、Travelは終わったと思っていたが、これから、もっとTravelすることになるだろうといい、私は長生きするはずなので、もっとSoulの問題などにFocusしたほうがよい、と述べた。

 このMediumとのはじめての電話でのやりとりは、本当にSpiritsの世界があるということを私に確認してくれた。Mediumは電話で話しているだけで、上記さまざまなことに気がつき、伝えてくれたわけである。

 一度、Mediumは息苦しいしぐさをした。私はもしかして、あの友達のことかもしれないと思った。

 わたしは重病ともいえる友人などを日本にもっていて、最近は、この心霊現象の科学の勉強のせいで、Spirit Healingがもし可能ならば、それしか回復のチャンスはないのではないか、そして、手遅れになってからでは何もならないので、今からSpirit Healerを探さねばならないと思っていた。このMediumHealingも関係しているとのことであるが、なにぶんにも1時間以内というのでは、時間が余りにも足りない。多分、私のまわりに集まったというSpiritsのなかには、時間があれば、ゆっくりとその存在を示すものがいたであろう。残念であるが、これは次回かならず、またMediumを探して、Spiritsとのコンタクトを私のほうからTryしなければならないということである。

友人は、また別のサイキック・Mediumを探してくれた。これはサンタモニカだというから、直接会って、納得行くまで、相談するのも可能なはずである。サイキックの相談費用というのも、安くはないが、特殊技能を発揮してくれるわけなので、ホンモノであれば、Tryする価値はある。わたしがこんなにサイキック・サイエンス 心霊現象の科学に興味を持つということは、ある意味ではSpiritsたちが何らかの形で働いているせいかもしれない。Mediumはそういうことを告げた。そして、それは私自身が自覚しないでサイキックということなのだとMediumは言う。そうかもしれない、そうでないかもしれない。いずれにしろ、私としては、Meditationを本格的にやらなければならないと思う。Mediumは犬との散歩中でもMeditateは出来るという。私はいつも何かを考えながら歩いているので、それでは、Meditateではないらしい。心を無にし、頭の中を空っぽにしていると、Spiritたちが安心して近寄ってくるらしい。

ともかく、次回にMediumと予約を取る前に、まず、わたしのMeditationを実行し、もう少し、心が熟した状態にしてからでないと、あまり意味が無いように思う。しかし、のんびりしているわけにはゆかない。Spiritたちは、何十年も待ったメッセージ伝達のチャンスが、私が動き出したことによって、来ようとしていると、期待しているのかもしれない。そうなると、責任重大である。

村田茂太郎 2012年12月16日、17日




「心霊現象の科学」をめぐってーその45 Mediumship をめぐって--- Maurice Barbanell “This is Spiritualism”を読む 第十章Permanent Proof of Survival死後の世界の存在の確証 (Page 82-85

 まだ、Maurice Barbanellの紹介の続きです。ここで扱うのはイギリスのFrank Leahというサイキックの話で、彼の名前はすでに第十三章のDead Doctor Diagnoseで紹介しました。順番から言えば、後で出てくるのを先に紹介したことになります。そこでは、Margaret LyonというサイキックにKahesdeeという自称日本人女ドクターのSpiritがガイドとしてつき、MDのドクターでもお手上げの病気を簡単になおしたというお話でしたが、そのとき、Margaretが電話でFrank Leahと話しただけで、Frankは女ドクターKahesdeeSpiritの姿を絵に描きあげることができたということでした。そして、それはMedium Margaretがいつも見て感じていた姿と同じでした。

 それで、このFrank Leahというひとを、例の私の持っているOccultParapsychologyEncyclopediaで調べると載っていませんでした。今度はWebサイトのWikipediaで調べると、出てきました。亡くなったのは比較的最近というか、今からでは40年前ですが、このBarbanellの本が出版されたときは〔1959年〕、まだ健在でした。

Frank Leah (1886-1972) Psychic Artist

 この章の表題はPermanent Proofとなっています。どういうことかというと、彼には子供の頃から、死んだ人が、いわゆる幽霊の様な形ではなく、姿形をもった普通の人間と同じように見えていたのです。これを聞くと、わたしは同じく、自称リストのSpiritとの霊界交渉で有名なRosemary Brownの話を思い出します。彼女の場合も、ほかのMusicianはともかく、リストにかぎっては、常に、普通の人間のような形で登場していたのです。

このFrank Leahの場合は、死んだ人が彼のアトリエを訪れて、ポーズをし、それを描くという形で、何千人の死者の絵を描きあげたといいます。そして、彼の描いた絵をみて、それぞれ関係者はまちがいないと喜んだそうです。つまり、死者が別な次元で存在しているということを確認できたわけなので。

――― ――― ――― ―――

Frank Leah is an artist for whom the dead pose in his studio. For thirty years he has used his combined talents of clairvoyance and artistry to draw thousands of dead men, women and children. In nearly every case, because these drawings have been identified by relatives or friends of the subjects, they provide permanent proof of survival. He has died thousands of deaths, for inevitably he has to reproduce on himself the final earthly conditions of the people who come to life on his easel. 

Frank Leahフランク・リーは彼のスタジオで死者がポーズをするとういう芸術家である。30年間も彼は自分の才能である透視力と芸術へのセンスとをうまくつかって、何千人という男・女・子どもの死者たちを描いてきた。ほとんど、どのケースも、死者の親戚関係者や友人によって、間違いないと証明されたので、それらは死者が死後の世界で生きていることの究極の証明であるといえる。彼は何千回も死んだようなものである。というのは、彼のEaselでよみがえってくる人々の地上での最後の生を再体験することになるからである。

Leah was born with the gift of clairvoyance. As a child his psychic story follows the usual patter---he was at first scared by the forms that he could see but which were invisible to others. He was mystified as to who these figures were, until gradually it dawned on him that they belonged to those who are dead.

Leahは透視の能力を持って生まれた。子供の頃の彼のサイキックな話はMediumにつきもののパターンをしめしている。彼は、最初は、自分には見えるが、ほかの人には見えない形象におびやかされた。これらの姿形をしたものは、いったい誰なのかと不思議に思った。そして、だんだん、それらは死んだ人なのだということがわかったのであった。

For many years he was a journalist and a cartoonist, until one day, he decided to combine his gifts. In the early days of his mediumship he received sitters, who always came anonymously, after they had made appointments through Spiritualist societies. 

彼はそれまでは、ずっと記者であり、カーツーン漫画家であった。そして、ある日、彼は自分の才能をあわせて使おうと決めた。最初の頃は、彼のMediumshipも初歩的段階で、Spiritualistsの協会から紹介されて、アポを取り、匿名でやってくるSitter会いに来る人を受け付けていた。

Now the usual method is for a prospective sitter to telephone him, and for Leah, if he is successful, to begin sketching a dead relative or friend of the caller, who is usually a complete stranger. While Leah sketches an outline of the spirit communicator, whom he can clairvoyantly see in Kensington studio, he gives a running commentary of the evidence he is obtaining. Recognition is frequently complete even before the caller has seen any portrait. 

今では、ふつう、絵をえがいてもらいたいと思うゲストが、まず、彼に電話し、Leahとしては、うまくゆけば、電話してきた人の肉親や友人の死者のスケッチをやりはじめる、それは通常、全く見知らぬ人である。Leahはケンシントンのスタジオで透視の力でわかるSpiritの輪郭をスケッチしながら、彼がつかんだデーターをおおざっぱにコメントする。電話をした人が出来上がったポートレットを見る前に、それだけで、まちがいないとわかる。

The sitter is then asked to visit the artist in his studio. When he arrives he finds, in many cases, that the drawing has been completed. If it is not, the artist transforms his sketch into a portrait, making lightning alterations as he gazes at the spirit figure posing for him. Usually he asks the sitter to bring a photograph so that a comparison can be made when the drawing is finished. Sometimes Leah has foreknowledge of a telephone call. He awakens to see a spirit face in front of him. By clairvoyance he is able to maintain a conversation with his visitor, glean information as to who he is and why he has returned.

予約していたゲストはやがて彼のスタジオへくるように誘われる。ほとんどの場合、ゲストはスタジオに到着するや、絵は完成しているのをみつける。たとえ、そうでなくても、彼の前にポーズしているSpiritをみながら、電撃的なすばやさで、スケッチからポートレットへと完成させる。ふつう、彼はゲストに写真を持ってくるように求める。そうすれば、絵が完了したときに、比較できるからである。時には、Leahは電話がかかってくる前に、その依頼を前もって知ることがある。彼の目の前にSpiritの顔があらわれて、目が覚める。透視の力で、彼が誰で、なぜ帰ってきたのかなど、情報をすこしずつ集めながら、彼はその訪問者と会話をする事が出来る。

…..

Like all other mediums, he maintains that there is nothing ghostly or eerie about these spirit visitors. He does not see them as transparent phantoms. Neither do they bear any resemblance and often conventional idea of an apparition. They look solid, alive and often more vital than the people he meets in this world. He can walk round them just as if they were models posing for an artist. They will stand still while he makes a note of their shape, proportions and any other identifying characteristics.

すべてのほかのMediumと同様、彼はこれらのSpiritの訪問者は、幽霊のようだとか怖い感じがするとかといったことは全然ないと主張する。彼は彼らを透明な幻影としてみるわけではない。また、いわゆるApparition亡霊として、しばしば人が抱くイメージとも全然違っている。彼らは固い立体であり、生き生きしており、彼がこの地上世界で出会う人々よりもしばしば活力にあふれている。彼らは芸術家の前でポーズをしているモデルのようで、かれは彼らの周りを歩くことも出来る。そして、その形やProportion、そのほか、特徴的な性格などをノートしているときは、じっとしている。

When they are strong personalities, they clearly show these characteristics, which they have temporarily reproduced, so that relatives recognize them in the medium’s portraits. Leah is able to see every line and wrinkle, the color of eyes and hair, and to note such distinguishing features as a mole or broken tooth. They give the kind of information about themselves, unusual names, the town or countries in which they have lived, and their professions, that produces speedy identification.

彼らが強い個性を持っていた時は、その性格をあらわにみせる。それはMediumの描いたポートレットを見た関係者がただちに認めることが出来るように、一時的に彼らが生み出すのである。 Leahはこまごまとした線や皺、目の色や髪の毛を見分けることが出来、ほくろや欠けた歯などの特徴をひかえる事が出来る。彼らは自分達に関する情報を彼に与えるー変わった名前や町、国、職業についてなど。それらは、IDとしてすばやく役に立つ。

Leah is not entranced when he executes these drawings. He is quite normal. The outstanding feature is the speed with which they are done. Once he finished a complete portrait in nine seconds. Thirty seconds is fairly common when dealing with good communicators, but generally the time taken is from three to five minutes. The drawings are always life-style. They are done in daylight in his studio.

Leahはこの絵を描くときに、別にTrance状態になるわけではない。普通と同じ状態である。とくに目立った点は、彼が絵を描き上げるスピードである。一度、彼は9秒間で完全なポートレットを仕上げたことがある。情報伝達がよければ、ふつうは30秒で仕上げる。しかし、まあ、一般的には3分から5分かかるとみていい。出来上がった絵はいつもLife-style つまり、顔だけでなく人物の肖像画である。それを彼はスタジオで昼間に仕上げる。

Leah is at pains to make it clear that he depends on the co-operation of the communicators. He cannot command them to appear. A wealthy widow, who was very serious to have oil painting of her deceased husband, offered him a commission of six hundred guineas. Nothing would have pleased Leah more than to accept it, but the husband refused to show himself, although he did not mind talking to the artist. Because he detested it, he had always refused to be photographed.

Leahは彼が死者の肖像画を仕上げることができるのは、そのSpiritの協力があって初めてできることであるということを、頼まれたときにはっきりと告げる。彼は彼らSpiritに彼の前に出てくるように命令することは出来ないのである。あるとき、金持ちの未亡人が600ギニー出すから、亡くなった夫の油絵を描いてくれと頼んだ。できれば、彼はそれを引き受けたかったであろう、らくらくと金を稼げるのだから。しかし、夫は自分の姿を見せることを拒絶した。もちろん、芸術家Leahに話しかけることは問題なかったが。夫は写真に写ることをつねに嫌っていたのだった。

The artist’s communicators have included people of many nationalities. … 

彼のところへ来るSpiritsは様々な国のひとびとであった。

Despite his constant preoccupation with the dead, the artist’s deep-throated laugh reveals his sense of humor. He says he would have preferred a monastic life. The nearest to it is the voluntary isolation that his mediumship entails. The urgings of his psychic gift, and his ability to comfort the bereaved, make the contemplative life impossible. 

死者と日常的にかかわっているにもかかわらず、彼はのどの奥から笑ってユーモアをみせることがある。自分は修道院の生活を択んだであろうと。それに近いことは、時折、霊媒としての生活が課する孤独な生活に入ることである。しかしながら、彼のサイキックなギフトと亡くなってアトに残された人を慰めることができるということで、そうした彼が考える生活を送ることは不可能になっている。

To replace the psychic energy utilized by his mediumship, he goes “in retreat” to lonely estuary, where he can paint away to his heart’s content. Then, refreshed, he returns to London. There he waits for the telephone bell which means that once again love is striving to bridge the chasm of death.

Mediumとしてつかったサイキックなエネルギーを充電するために、彼は孤独な河口に退却する、そこでは、心のゆくまで、好きに描ける。そして、よみがえったあと、ロンドンにもどる。そこで、彼は電話が鳴るのを待つことになる。それは、また愛が死者との境界に橋を架けるために苦労しているということなのだ。

――― ――― ――― ―――

まあ、なんというか、特殊な能力をもって生まれた人が居るものです。しかし、William Jamesがかつて言ったように、ひとりでもホンモノがいれば、それを真剣に受け止めねばならないわけで、サイキックの誰もが、このFrank Leahのような才能を持っているわけでは無いと思いますが、彼が、ふつうに生きている人よりも活気のある形でSpiritがいるのがわかるということは、あきらかに、この地上世界とは別な次元があって、死者はそこに移ると見たほうがよいかもしれません。

彼が持っている能力を、何時の日か、はるかに進歩した科学が解明してくれる日がくるでしょう。そのうちに、携帯で、そういう第六感・サイキックな領域をCatchできる装置がつくられる世の中がくるかもしれません。何百年かアト。今はまだPrimitive(サイキック現象をCatchできない現在)な状態にあるわけで、不思議というのは、今の科学の段階では解明できないということであって、何百年か後には、Star Trekの世界以上になっているかもしれません。Mediumはそういう世界があるということを瞥見させてくれる貴重な存在といえます。

村田茂太郎 2012年12月19日




「心霊現象の科学」をめぐってーその46 Mediumship をめぐって--- Maurice Barbanell “This is Spiritualism”を読む 第19The Implications 意味合い (p145-155)。そして結論。第20章。

Barbanellはこの本「This is Spiritualism」で様々なMediumの才能というか、特殊技能というか、Spiritsとの交流ぶりを紹介してきました。わたしの紹介では、ほかにある面白い話も省略しましたが、この第19章に至って、彼は今までの総括というか、このMediumshipの持つ意味、含む意味合いを考察しています。

 私が、最近、一度、Medium体験をするだけで、Spiritの世界の存在を信じるようになったほどですから、3000回以上、有名無名のホンモノのMediumSéanceに接し、サイキックの働く現場を見てきた彼の結論は傾聴に値するでしょう。

――― ――― ―――

I have presented some of the evidences for the after-life, which I regard as proven beyond all doubt. The evidence reveals that man, after death, is a conscious, intelligent, reasoning, possessing memory, friendship, affection and love, and with the ability, given the right conditions, to guide loved ones left behind. So far as I can see, every type of evidence that would establish human identity has been demonstrated. It shows that man persists as an individual, with the traits, characteristics and idiosyncrasies that make one person different from everybody else. 

私はAfter-Lifeというものに関する幾つかの証拠を提示した、それらは疑問の余地なくそのことを証明してくれたと信じる。その証拠があきらかにしたものは、人は、死んでからも意識があり、知的であり、理性が働き、記憶を所持しており、友情も親愛感も愛情も所持しており、事情さえ許せば、生前にわかれた愛する人々をガイドする資格も有するということである。私の見る限り、その人間の固有の本性を確立するすべてのものの証拠は示されたと思う。それは、あるひとが、ほかの人と異なるという特色、特性、性癖を持った個人として存続することを示す。

All that can be demonstrated is conscious survival after death. Immortality, in the nature of the case, cannot be proven. There are no means by which it can be demonstrated that man will continue to live forever. The logical implication of proved survival is that human existence will continue and not come to a sudden end. As we have had proof of the activities of being of higher spiritual status than those possessed by man soon after his passing, it is reasonable to suppose that there is a law of evolutionary progress in the Beyond. 

示されうるのは死後も意識があるということである。魂の不滅ということが証明されたわけではない。人が永遠に生き続けるだろうということが証明されうるということは意味が無い。死後も生きているということの論理的な意味合いは、その人間の存在は続くだろう、そして急に終わるわけではないということが証明されたということである。その人の死後、彼が保持していたよりも高度なSpiritをもった存在の活躍が証明されていたので、あの世でも進化の法則が適応されると想定するのは許されることである。

How do animals fare in this spiritual universe? There is much evidence for the survival of domesticated animals as there is for humans. Dogs and cats have provided the greatest, amount of proof of continued existence. … I am sure, from the evidence I have received, that I will meet the domestic animals who were members of my family and who have died. They proved their presence on numerous occasions.  I am satisfied that all domesticated animals who have had an intimate association with man continue that bond in the hereafter. Indeed, for thousands of animal-lovers, heaven would not be heaven if the pets who shared their lives on earth were no longer with them in the Beyond. 

動物達はこのSpiritの世界でどのように存在するのであろうか。人間達が死後Surviveするように、家族の一員であった犬猫などがあの世で生きているという充分な証明がある。特に犬と猫は死後も存在し続けるという証拠を沢山提供してきた。私は今までに受け取った証拠から、確信をもっている、私の家族の一員であった動物達で死んだものたちに、また会えるだろうということを。彼らはいろいろな機会に、その存在を主張してきた。親しく付き合った家族の一員であった、動物達は、死後もその絆を保ち続けるということを知って私は満足だ。実際、無数の動物愛護家にとって、地上での生活を分かち持った動物達があの世にいなかったら、それは天国といえないであろう。

It is individual consciousness that survives the grave. All animal-lovers know that their pets develop distinct individualities as a result of their close contact with man. 

死後も生きるのは個々の意識である。すべての動物愛護家は彼らのペットが人間と親しく付き合ったおかげで、特有の個性を発展させていることを知っている。


It is no part of my contention that Spiritualism will supply the answer to all man’s problems. Certainly it furnished some of them. By proving survival after death, it also proves that man is a spiritual being with a spiritual birthright and spiritual destiny. Man is seen to be a spirit with a body, and not a body with a spirit—a distinction with a very great difference. 

Spiritualismがすべての人間の問題に対する解答を提供すると主張するつもりはない。ただ、いくつかは提供したと思う。死後の世界の存在を証明することによって、人間はSpiritをもった存在であり、Spiritとしての生存権と運命を保持した存在であることを証明する。人間は肉体を持ったSpiritであり、Spiritをもった肉体ではないということがわかる。この違いは大きな意味を持つ。


Psychic evidence reveals that man survives the grave as an individuated spirit. It is not death which confers a spiritual nature upon him. The body crumbles into dust, or is resolved into elements which no longer maintain a recognizable form, because the animating spirit has withdrawn to continue its purpose elsewhere.

サイキックがもたらす証明は、人間は個々人のSpiritをもった存在として死後も存在し続けるということである。彼にSpiritの特性を死が付与するわけでは無い。肉体は埃となってぼろぼろになるか、または形がわからないような要素に分解してしまう。なぜなら、生き生きとしたSpiritはその肉体から引き上げて、別のところでその目的を達成しようとするからである。


We are familiar with many of the physical laws which control earthly happenings. The séance room introduces us to a range of psychic laws which regulate the phenomena produced through mediumship. It is reasonable, therefore, to assume that there is a realm of spiritual law to control the spiritual aspects of being. All this indicates an infinite intelligence which is responsible for a law-governed universe in all its ramifications. 

われわれはこの地上世界を支配する物理的な法則があることを知っている。Séance Roomでは、Mediumを通じて現象したものをとりしきるサイキックな法則があることを証明した。従って、Spiritの世界をコントロールするSpiritの法則があると想定するのも理由のあることである。そして、これらすべてが、あらゆる領域を取り仕切る法則が支配する宇宙に対して責任を持つ無限の知性の存在を示している。


Man makes or mars his own destiny and creates his own heaven or hell. He determines his own spiritual evolution, which has nothing whatever to do with nationality, birth, station, wealth or profession. The natural law of cause and effect operates. Man is what he makes himself, by his conduct. Opportunities for the growth of character, which is really spiritual development, come to every individual. No one is in a more privileged position to render service than anybody else. To be unselfish, thoughtful, kind and compassionate do not depend on whether you are rich or poor. So far as character and spiritual attainment are concerned, we reap only what we have sown. The avaricious man cannot be a saint, for avarice cannot produce saintliness. 

人間は自分の運命をつくりあげ、自分で天国でも地獄でもこしらえる。彼は自分のSpiritの進化を自分で決定する。それは、国籍とか生まれ、富、職業などとは何の関係も無いことである。自然の法則である原因が結果を生むというのはここでも支配している。人間とは自分の行為で、自分で作り上げたものである。性格の発展の機会、それは、実際はSpiritの発展のことだが、すべての個人にある。誰も自分が保持している特権的な位置を占めることはできない。自己中心でなく、考え深く、親切で、哀れみ深いということは、金持ちであるか無いかということとは関係が無い。性格とかSpiritualな達成という点に関しては、われわれは自分で蒔いた種を刈り取るということである。貪欲な人間が聖人でありえないし、貪欲さは聖なるものを生み出せないのだ。

After death man continues his life at precisely the spiritual status which he had reached before leaving earth. It cannot be otherwise. It is impossible to have pretense, cheating or deception. Death strips away all masks, and reveals the soul in all its nakedness. 

死後、人間は自分が死ぬ前に達していたSpiritualな段階から死後の生活を始める。それ以外ではありえない。虚偽、ごまかし、あざむきは意味をなさない。死はすべての仮面をはいでしまい、全く裸の魂を露出することになるからである。


We are all individually responsible for what we do. Death will not transform sinners into saints, dullards into sages, fools into philosophers. 

われわれはみな、自分が行うことに責任がある。死によって罪を犯した人が聖人になるわけではない。うすのろを賢者に、おろかものを哲人にするわけではない。

The realization that man is a spiritual being, which emerges from the evidence of the séance room, is a tremendous fact that ultimately will transform the whole earthly scene. It will give mankind a new sense of values based on an understanding of his place and purpose in the divine plan. Millions live lives of futility, chasing after shadow and illusion because they are ignorant of the purpose of their existence. Practically the whole of their attention is focused on bodies, with an almost complete neglect of their spiritual selves, which will be the enduring reality. If a fraction of the time, efforts and energy devoted to our material natures were spent on unfolding our latent divinity, the world would soon be a better place. And millions would be living in spiritual light instead of darkness. 

人間はSpiritualな存在であるということをSéanceでの操作が証明したことの意味がわかると、この地上の場面を究極的に変換してしまうようなものすごく大きな意味を持っていることがわかる。そうすると、それは自分の位置を理解し、至高の存在の目的を理解するということで、人類に新しい価値観を生み育てる。沢山の人が陰や妄想を追うという、無駄に人生を送っている、それは、彼らは彼らが生きている目的を知らないからである。実際的に考えると、彼らは肉体が中心で、Spiritの面をすっかり忘れ果てている。Spiritこそ、本当の実態であるのを。物質的な欲望の追求に費やされた時間や努力やエネルギーの一部でも潜在する聖なるものを解きほぐすことにつかわれたなら、世界はすぐにでも、もっとマシなものになったであろう。そして、無数の人が暗黒でなく、Spiritualな明かりの中に居たことであろう。

As it is, the majority of human beings die ill-equipped, unprepared and unready for the next stage of their lives beyond the grave. It is appalling to contemplate the thousands of uneducated misfits who die ignorant of what lies in store for them. They have failed to learn the lessons in the schoolhouse of earth.  

そういう次第で、人類の大多数は、死ぬときは、つぎの段階への準備もなにもなく、うつる資格も無いまま、移行することになる。無数の、こうしたことへの指導もされないまま死んで行く人が多いことを考えると恐ろしいくらいである。彼らは言ってみれば、この地上での教育課程の学習に失敗してしまったのだ。

Once you realize that you are a spiritual being you have a new scale of values and a totally different perspective. Fear and worry are banished when you are aware that no enduring harm can come to your real self.  

もし、あなたが、Spiritualな存在であるということを理解したなら、全く違った価値観を持ち、見方も違ったものになるだろう。あなたの本体には永続的な害はくわえられないと知ったなら、恐怖とか心配はなくなってしまう。

――― ――― ――― 

最後の章は第20章で、そこからすこし引用しておきます。結論といえる彼の考察です。(P.156-160). 彼はどうやら、すべての宗教の起源は、このSpiritの現象がSuper Mediumsたちによって、目だって、演じられ、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教、ヒンズー教、その他すべての宗教が、それぞれの場所に応じて変貌しながら、あらわれたわけで、根はひとつ、根源的なDeityがあって、結局、人間は死ねば、宗教の区別の無い統一者のもとにあつまり、Spiritとして向上発展すると考えているか、そういう結論に達したようです。いわば、宗教の各党派を超越した宗教観といえます。

-ーー 

The story of revealed religion is one that shows the interaction of spirit and matter. The power of the spirit has always been at work, adapting itself, through the centuries, to the needs, understanding and capacity of its recipients. The Bible, like many other sacred books, is a testament to spirit activity. Whether many of its characters are called prophets, seers, or mediums makes no difference. They were all the instruments of a higher power which, as it flowed through human channels, produced sign and wonders which were wrongly regarded as miracles.

啓示を受けた宗教の話はSpiritMatter 魂と物質の相互作用を示すものである。Spiritのパワーはいつも働いていた、柔軟に対応しながら、何世紀も、受容者の必要と理解と能力に応じて。バイブルは他の聖なる書物と同様、Spiritの活躍ぶりを示す証明である。その登場人物が預言者とよばれたり、占い師、霊媒Mediumと呼ばれたりしたが、みな同じである。彼らはより高度なパワーが人間を通じて、印や不思議を演じる道具のようなものであり、それが、まちがってミラクルとよばれたわけである。

Each revelation was tempered to the age and country in which it appeared. Always there was opposition from the upholders of the orthodoxy of the day, those who defended the letter, doctrine, dogma, creed, ritual and ceremony which were the obstacles to the acceptance of inspiration from a larger life. The new revelation usually came through a great medium, who first attracted public attention by the psychic phenomena that occurred in his presence. Then he would drive home the implications, ethical principles which are the foundation of all world religions. 

それぞれの啓示はそれが出現する時代と国によって程よい具合に仕立て上げられたわけである。そして、常にその時代の正統派を自称する権力者から妨害を受けた。より大きな生命からのInspirationを受容することは、彼らの学問、主張、教条、教義、儀式、礼儀への障害となるということで。新しい啓示はつねに偉大なるMediumからやってきた。かれは、まず彼の前で起きるサイキックな現象を示すことによって公衆の注目をあつめた。それから、すべての世界中の宗教の基盤に当たる、その意味するところ、倫理的な原理、を持ち込んだ。

In course of time the leader died, and ossification set in. The original inspiration was forgotten, or buried, or overlaid by a new theological edifice. “The letter which killeth” had temporarily supplanted “the spirit which giveth life”. So it became necessary for the cycle to be repeated again and again, as the higher minds found opportunities to present the eternal spirit truths which alone provide an understanding of life. 

やがて、指導者が亡くなり、硬化が始まった。もともとの起こりにあたるInspirationは忘れ去られ、埋められ、あたらしい神学的な建築がそのうえに出来あがっていった。”命を与えるSpiritが” にかわって、”文字が殺す…”に置き換えられた。そこで、同じようなサイクルが何度も何度も起きる必要がでてきた、より高度な精神が生命を理解する唯一のSpiritの永遠の真実を表明するために出現するということが。


The laws of God are the same yesterday, today and forever. 

Godの法律は昔も今も将来も同じである。


I see in the introduction of modern Spiritualism part of a great plan to unify all religions and all people. Its evidence is that there are no Jewish, protestant, Roman Catholic, Baptist or Hindu souls. When, at death, man discards his body, he also drops the scale from his eyes and begins to realize that spiritually he belongs to no nation, race or religion. When the implications of his survival drawn on hi,, and he appreciates how they differ from all his preconceived notions, his natural instinct is to share this tremendous news with those he loves, whom he has left behind, and who are as ignorant about it as he was. 

わたしは近代のSpiritualismの出現は、すべての宗教とすべての民衆を統一する大いなる企画のあらわれであると見る。ユダヤ教も、カトリックもプロテスタントも、バプチストもヒンズーも関係ないということは明らかである。死において、人は肉体を捨て去り、同時に目からうろこをとりのぞく、そしてSpiritからみると、国も人種も宗教も関係ないということを理解する。死後生きているということの意味がわかると、以前抱いていたアイデアといかに違うかを理解すると、この大変なニュースを愛する人たちー彼が死別してきた人たち、そして以前の彼と同様、Spiritの世界について何も知らない人たちに知らせたいと願う。

Through all forms of mediumship which have developed in just over a century the means of communicating this knowledge are available. He does it first by proving his identity, so that the recipients are certain about who is communicating. When identity has been established, then he can describe the conditions of his new life and its relationship to the ones he has left, to those who know they can trust what he says. In this fashion the revelation of modern Spiritualism is made known to increasing numbers as love speaks to love across the veil of death. 

この新しい知識を伝えるという作業は、この100年以上の間発展してきたMediumshipのあらゆる形態を通じて、可能であるそこで、まず自分の何ものかという証明をおこなう、それはたしかに本人と交信しているとわかってもらうためである。そして、IDがわかると、次に、あたらしいLifeがどのようなものかを説明し、残してきた人たちとの関係を示し、自分の言っていることが信じるに足るものであることを述べる。こういう方法によって、近代のSpiritualismによる啓示は、愛が死の壁を越えて愛するものに伝えられるように、ますます栄えるようになった。


As I see it, the plan is, and has been for over a century, to provide the ordinary man and woman with evidence of spiritual realities. 

大いなるもののPlanは、私の見るところ、普通の人間、男と女に、Spirit世界の現実というものがあることを証明することであった。


What has all this to do with Spiritualism? I believe it is the bridge on which science and religion will meet and co-operate in the future. … 

Spiritualismは一体どういう位置にたっているのか。私は、将来、科学と宗教が出会い、協力し合う橋の役目をするものと信じている。

-ーー

以上で、Maurice Barbanellの「This is Spiritualism」の紹介は終わります。1959年、1967年にイギリスとアメリカで出版された、160ページの薄い本ですが、もられた内容は豊富であり、とても面白く、Barbanellの記述も考察もなかなかのものでした。単純に、ある宗派が正しいとかということではなく、Mediumshipの研究から、宗派が発生するOriginにまで考察が及ぶというところが、すばらしい。一神教は排他的で、同じ宗教内部でも、すこしの教義の違いにも敏感で、すでにあげたCathars派を抹殺するようなことを平気でやれた哀しい史実がありますが、Maurice Barbanellのような立場、理解度に達すると、どの宗教もおなじで、目指すところはひとつということがわかり、宗教争いなど無意味なものであるということになるはずです。これは、現代の世界中の、多くの戦争が宗教戦争であることを考えると、非常に重要な考え方、理解の仕方を示しているといえるかもしれません。みなさんに読んでもらいたい本だといえます。

この19章20章の私の訳文はいつもの通り、意訳ですが、すこしこなれた文章になっていません。いそいで訳しながらWordに入れたので、推敲の余地も無いということで、ご容赦ねがいます。

村田茂太郎 2012年12月23日




「心霊現象の科学」をめぐってーその47 Power of Prayer 祈りの効力 ?

 わたしの手元に雑誌“Fate”がある。1986年9月号。Storageへ行き、本のBoxを調べていて、この Fate Magazine に気が付き、家にもちかえって、調べてみたら、1983年中ごろから1986年9月まで、約3年間 Subscribeしていたようである。そのころ、といえば、ちょうど、ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園で土曜日の授業に向けて、毎週10時間ほど授業準備と国語文集添削作業、エッセイ執筆等で忙しく働いていたため、多分、サイキックな領域への関心から、有名なFate誌を購入することにしたが、まじめに取り組む時間的余裕はなかったように思う。

 1986年9月号をのぞいてみて、驚いたことに、私の尊敬するサイキック現象の研究家 D. Scott Rogo が時々、執筆し、また本の紹介などもしていたのである。彼が1990年ごろ、Los Angeles近郊Northridgeのアパートに侵入した暴漢におそわれ、殺されたと知ってびっくりした話は、私はすでにこの「心霊現象の科学」のブログの最初のほうで記述した。そのRogoがこのFate誌に、いっぱい書いていたことを知り、当時は、私は無知であったが、今は、まったくありがたいと思う。

 この9月号に、Rogoが 「The Power of Prayer」という文章を書いている。ふつう、何かあると、すぐに“祈りをささげる”とかというが、私は無神論者として、そういうものはただの儀式であって、効果などなにもないと長い間、私は思っていた。

 そして、日本の誰かが、水を凍らせて、その結晶を顕微鏡でみると、自然のきれいな水は、きれいな結晶構造をしているが、きたない、汚染された水は、結晶させても、いわゆるきれいな結晶構造を示さないということを発表した本を読み、その同じ著者の二冊のうすい本の中に、あるダムの水が藻で汚れているので、だれかお寺の僧侶がお祈りをささげたら、その水はきれいになったとか、そのほか、いろいろ書かれていて、もしかして、昔から真言密教の祈りなどというものがあり、紫式部日記も藤原道長の娘彰子中宮の懐胎・安産祈願の念仏の描写からはじまっていたが、彼ら僧侶の祈りというのも、それほど馬鹿にしたものでなかったかもしれないと思い始めていた。このことも、すでにこのブログのどこかで記述した。

 そのあと、密教者の本を読んだりして、ちょうど、チベットの超能力者のように、いわゆるサイキックな能力を僧侶が発揮しているということを知った。

 そして Rogo である。彼は8ページを使って、上手にこの「Power of Prayer祈りの力」について展開している。まず、カナダのAllen Spraggettの話が紹介されている。このSpraggettについては、すでに 精神分析学者でPsychic Investigatorであったハンガリー人Nandor FodorとのInterviewの話をこのブログで紹介した。

 Rogoは、話を進めるにあたって、このAllen Spraggettの単行本「The Unexplained」の中の第1話 The Unexplained のなかのSpraggettが語る、自身の体験談をとりあげている。わたしも、それを紹介しながら話をすすめよう。

 Allen SpraggettはカナダのToronto Starという新聞の宗教担当の編集者になるまえは、Christian Ministerであった。1955年、まだ23歳の若者であったとき、ゲストとしてSermonお説教をするように頼まれ、引き受けた。ところが、当日、ものすごく体の調子が悪くなって、お説教どころではない、手伝いの人に無理だからできないと連絡してもらおうと思った。まだ、連絡がつかないままでいると、急に身体に熱の振動が伝わったようで、これはもっと悪くなるのだと心配しかけたが、そのうち、みるみるうちに身体の調子が良くなるのを実感し、結局、代理を頼まないで、自分でSermonを担当することができた。ChurchParsonageResident MinisterWifeが、あなたは病気だったでしょう、だから、夫とふたりで熱心にお祈りをしたのよ、と言った。”both she and husband were suddenly impressed that I was sick and would not be able to preach unless they prayed for my healing.” 「二人は、急に、Spraggettが病気で、その日のお説教はできなくなる、もし、二人で回復を祈らなければ と第六感で感じ取ってお祈りをささげたということであった。」

 この種の話は昔からいっぱいある。Sir Francis Galton(1822-1911)は1883年にこのPrayerの効果に興味を示して、本を書いたが、この領域は、特に科学的証明がむつかしくて、結局、1950年代まで、まじめに科学的に扱われなかったそうである。

 1959年、Reverend Franklin Loehrは歴史的な研究書を発表した。「The Power of Prayer on Plants」である。もともとChemical Engineeringを専攻したFranklin LoehrPrayer祈り が、効果があるかどうかを実験的に研究するには、Plantを相手にすればよいだろうと気が付き、156人が参加し、27000個の種を発芽させ、さまざまなコントロールのもとで、成長を記録し、何年もかけて調査を続けた。その結果がこの本となった。しかし、すぐに、だれもが認めたわけではない。だれもがPower of Prayerを認めるのに10年かかった。わたしが持っている本は、その10年後の1969年に新しい序文をつけて出版されたものである。

 このあと、PlantのもつPsychic Powerに関する本があらわれた。「The Psychic Power of Plants」(By John Whitman)など。あるいは, The Secret Life of Plants」(by Peter Tompkins & Christopher Bird)など。今では、植物が祈りや音楽にどう反応するかは、有名になりすぎたほどであるが、1950年代では誰もそういう研究が必要だということに気が付かなかった。うそ発見器Polygraphで有名なCleve Backsterが植物にPolygraphをつけて、音やまわりの雰囲気に対して植物が反応しているのを発見したのは, 1960年代に入ってからである。Plantが感情を持つかどうかは科学者は疑問視しているようであるが、感情というよりも、様々な音楽のVibration (ClassicRock Musicとの違いなど)の違いが、あるいは部屋にみちている平和なムードとか、いらだしいムードなどを細胞的にキャッチして反応しているのであろう。

 ともかく、Franklin Loehrが実験的に発見・証明したのは、Prayer祈り をささげたPlantsあるいは水は、そうでないものと明らかな違いを持ち、成長に効果がある、つまりPrayer祈り は実際的な効果をもたらすということであった。

 このあと、CaliforniaDr. Randy Byrdの心臓病関係の患者を対象にした研究などが発表された。この1986年9月の時点では、Byrd夫妻はChristian関係のInterviewにしか応じないというコメントが誰かによって書かれているので、今、2012年時点でどうなのかわからない。

 Rogoの結論をあげておこう。” But in the long run, does it really matter what force was at work in these studies? The fact is, evidence is slowly accumulating to show that prayers for the sick can work. This is an epoch-making discovery. It is a discovery that religion, medicine and parapsychology should be pursuing… especially as contemporary science works to raise the quality of our daily lives.” 「しかし、結局、これらの研究で、どんな力が働いているのかということが実際に問題であろうか。事実は、病人に対して、Prayer祈り が、効果があるということがゆっくりと証明されてきているということである。これは、まさに歴史的な発見である。これは宗教と医学とパラサイコロジーが追及している発見であるー 特に、現代科学は我々の日常生活の質を高めようと働いているのであるから。」

 イギリスのDr. John Taylorの「Science and the Supernatural」のなかの Psychic Healingと題する章で、大学の研究室で、Healerと患者に様々な測定器具をつけて調べた結果が報告されている。Healerから患者になんらかのサイキック・エネルギーが流れていって、病気が治療されるのかどうか。ところが、患者が熱を感じるとか、いろいろいっても、測定結果は全然、計器には反応がなかったとのことである。熱を感じたのは患者の頭の中での話で、Healerから熱が移動したわけではなかったとか。しかし、そうだからといって、Healing Powerが発効しないとかインチキだとかということではない。今の、あるいはその時点での計器では測れない何ものかが、Healerから患者に伝わっていたのかもしれないし、ただのPlacebo効果かもしれない。(Placeboただの無害な代用物 で患者が本物を摂取したのと同様に回復するのはわかっている)。しかし、効果があるのは確かなのである。ただ、生きる意志がつよいかどうかなど心理的な要素が強く作用するのも確かで、患者のHealerに対する信頼がすでにPositiveに働く原因となっているのかもしれない。ある女性は、ほんとうは死んでしまっているはずなのに、息子がおとなになるまでは死ねないという強烈な意志をもっていたおかげで、医者の判断をこえて、13年間長生きし、息子が結婚する意志を表示するのを見届けて、安心して死んだという。

 そこで、PrayerとかHealing  Powerとか、MeditationBiofeedback その他の話に入らねばならないのであるが、ここで、一冊の本を紹介しておきたい。

 Dr. Irving Oyle 「The Healing Mind」という本で、1975年出版された。ISBN0-671-80535-5 Simon & SchusterPocket Book Editions

 この本にはStanley Krippner Ph.D.が序文を書いている。Dr. KrippnerDream Telepathyの研究などで有名なPsychologist, Parapsychologistである。



(この本の紹介は次回に続く。)



村田茂太郎 2012年12月30日




「心霊現象の科学」をめぐってーその48「The Healing Mind」 Dr. Irving Oyle イメージ化の効果

 この本の中に、私にとって驚くべき症例が報告されている。

 基本的には、人は自分の身体を完全に健康な状態で維持することができ、必要があれば自分で治せる、という考えである。

 この本の中に例証されている Carl Simonton M.D.Cancer PatientsのひとりはB-52 Navigatorで喉が悪性腫瘍できわめて悪化している状態であった。それは桃のサイズになって、肺と胃への入り口を閉じていた。そして、拡散していた。もう、死ぬことは間違いないということで、患者はあたらしいテクニックを採用することに同意した。

 He was taught to enter the alpha state by means of complete body relaxation. In this state, he visualized his white blood cells in the form of cowboys on horseback. The defenders were then seen attacking and destroying the cancer cells. The procedure was repeated three times daily for 15 minutes. Over a period of seven weeks the tumor receded in size and finally disappeared, leaving a normal throat mucosa. At the end of this time, he was taken back to the operating room, where biopsy specimens revealed only normal tissue. 

 彼は完全にリラックスして身体がアルファ・ウエーブの状態に入るように教えられた。その状態で、彼は、白血球を、馬に乗ったカウボーイの形でイメージ化した。そして、癌細胞を攻撃し、破壊しているさまを見るように指示された。このプロセスは15分間、一日3回繰り返された。7週間にわたったあいだに、腫瘍はみるみる縮小してゆき、とうとう見えなくなってしまった。通常の喉の粘液質だけがのこって。この最後のころ、手術台に運ばれて、細胞を摘出して検査されたが、もうNormalな状態であった。

 In September of 1973, Dr. Simonton reported success in 128 cases using the combination of X-ray and visual imagery. The degree of success was proportional to the cooperative effort of the patient. Dr. Simonton’s position as a director of the prestigious American Cancer Society gives additional credence to his claims. 

 1973年9月、Dr. SimontonX線と“イメージを描く”という両方をつかって成功した128の実例を紹介した。成功するかどうかは患者の協力の姿勢に比例していた。Dr. Simontonは高名なAmerican Cancer SocietyDirectorであったので、彼のこのクレームにも重みがあった。

―――――――――――――

 Dr. Simontonが回復したケースから見つけたのは、患者の態度の違いであった、…病気と生命に対する基本的な態度―生きようとする意欲が決定的な要因であることを。

 The following Monday I started the process with my first patient. In addition to the medical treatment, I explained what my thinking was, I told him, through mutual imagery, we were going to attempt to affect his disease. He was a 61-year-old gentleman with very extensive throat cancer. He had lost a great deal of weight, could barely swallow his own saliva, and could eat no food. After explaining his disease, his treatment, and the way his body was interacting with the treatment and the disease, so that he could better understand his disease and cooperate with what was going on. The results were truly amazing… That patient is now a year and half post-treatment, with no evidence of cancer in his throat. He also had arthritis, and he used the same basic mental process and eliminated that.

 次の月曜日、私は私の考えるプロセスを最初の患者に適応した。普通の医療のほかに、私が何を考えているかを説明した。つまり、お互いにイメージを描くことで、病気そのものに影響を与えようという考えを彼に語った。彼は61歳で喉頭癌がかなり進んだ状態であった。体重も減り、自分の唾さえほとんど呑み込めない状態で、もちろん食べることもできなかった。この病気と治療法と彼の身体がそれらに対してどう対応していくかを自分でよく理解し、進み具合に協調するようにと説明した。結果は実に驚くべきものであった。・・・患者は今、1年半後の治療段階にあるが、喉頭がんの兆候はなくなった。彼は関節炎も患っていたが、同じ用法を適応して、それもなくしてしまった。

 もうひとつ。

 Her name is Sarah and she is interested in working in the field of parapsychology. For the past nine months she has been living on money she accumulated working as a cocktail waitress at Tahoe.

 “I own a house, and this guy I’m living with makes the payments; I have no trouble finding work, I get any regular job I ever apply for.” (It is easy to see why.) She is 33, has been to college, and was told nine months ago that she had cancer of the cervix.

 “When I refused to let him cut it out, this surgeon told me that I had an unnatural attachment to my uterus.” She quit her job and gave full time to her meditation in which she pictured a normal healthy, beautiful uterus.” “The cancer disappeared. When I went back to the doctor and told him how I did it, he said I was crazy.”

 彼女の名前はセーラーで、彼女はパラサイコロジーの領域で働くことに興味を示した。過去9ヶ月間、彼女はターホーでカクテル・ウエイトレスをしてためたお金で生活していた。「自分は家を持っている。一緒に住んでいる男が支払いをしている。自分は仕事を見つけるのに何の苦労もしない。自分がJobApplyすると、だれでもすぐに雇ってくれる。」(それは、明らかだ。)彼女は33歳で、大学にも行っていた、そして9か月前に子宮癌を宣告されたのであった。

 「自分が、ドクターが子宮を摘出するというのを拒絶したら、医者は、アンタは子宮に普通以上の愛着があるようだといった。」彼女は仕事を辞め、Meditation瞑想に時間をかけた。その瞑想で、彼女は、自分は健康で美しい子宮を持っているのだというイメージを描いた。そして、「癌は消えてしまった。私がドクターに会いにゆき、どのようにして自分で治したかを話したら、医者は、アンタはCrazyだといった。」

―――――――――――――――

 現代で一番恐れられている病気はAIDSであると思う。しかし、AIDSはセックスと輸血から感染するわけで、だれもがAIDSになるわけではない。AIDSにかからない人で、一番死亡率が高い病気の一つがCancer癌であることは、今もかわりはない。ほかに心臓病とか脳梗塞とかがあるが。

 私の友人・知人の多くは、みな癌で亡くなった。大概は、アメリカにいるため、何も知らず、大分たってから情報が届くということで、癌であることをすぐに知っても、私自身は何もできなかったに違いないが、この本に書かれたことを知っていたら、確実に癌と闘う一つの有効な方法として、友人たちに伝えたであろうと、残念に思う次第である。

 私は拙著「寺子屋的教育志向の中から」の中の“癌と人生”というエッセイで、Lawrence LeShan Ph.D.の「You can fight for your life」という本の内容を紹介しながら、いかに癌と闘うかを、そして若いころからの生き方の選択の重要性を、自分の教えていた生徒たちには紹介したが(1984年ごろ)、本の出版は2011年9月で、そのときでは、すでにたくさんの友人・知人が癌で亡くなっていた。

今、この「The Healing Mind」に書かれた方法を読みながら、もしかして、致命的であった彼らの癌も、こういうPositiveな、宇宙のハーモニーに同化する形で、癌細胞を退治する療法を適応していれば、助かったのではなかったかという残念な気持ちが湧いてくるのをどうすることもできない。今からでも、癌で悩んでいる人たちの参考になれば、それでいいとしなければならない。 

村田茂太郎 2013年1月1日




「心霊現象の科学」をめぐってーその49  Psychic Defenseについてー  Susy Smithをめぐって

 The Power of Prayerをしらべていて、雑誌 Psychic World 1976年9月号に Martin Ebon が“How I received healing prayer”というエッセイを書いているのを見つけ、読んでみて、彼が大変な病人であった時があったということを知った。私は彼がEditorとしてすぐれていて、Martin Ebon Editということで、Psychic Fieldのいろいろな分野で本を出しているのを知っていたし、わたしも10冊ほど彼の編集した、または彼自身が書いた本を持っていて、断片的に読んでいたので、彼がサイキックInvestigatorとしてはまともであることを知っていた。Ebonがその後どうなったのか、興味が湧いたので、Wikipediaでのぞいてみた。この病気の話をしていたのは1976年ごろであったが、亡くなったのは2006年、89歳であったということで、彼なりに長生きし、このPower of Prayerは本当に意味があったことを知った。(彼は三度ほど死にかかったと自分で書いている)。

 そこで、Ebon編集の本の中から“Exorcism”(魔除け?)と題する本を取り出し、目次をみると、Susy Smith 「Confession of a psychic」というエッセイの一部が含まれているのを見つけ、すぐに読んで、これは大事だと思った。

 この「Confession・・・」という短いエッセイの名前を知ったのは、同じMartin Ebon編集の「The Evidence for Life After Life」という本の中で、EbonSusy SmithInterviewをした記事(約8ページ)がでていて、“From Agnostic to Believer”という題であり、これもよくできていて、私はSusy Smithの判断はまともだと思った。

 実は私は、このSusy Smithの本は、昔から大分読んでいて、非常に読みやすいので、おおいに私自身のサイキック分野の教育に役立てた。私はSusy自身がサイキックだったとは知らず、サイキック現象に興味をもって、勉強し、本を書けるまでに達した人だと思っていた。

 このSusy SmithMartin EbonInterviewの記事の題名が示しているように、大学で勉強をしていた頃は、まだ、死んだら別の世界があるとか、Godがいるとか、そういうことを信じないAgnostic 不可知論者であった。

 その彼女がSurvival of Death がRealityだと信じるようになるには、彼女自身のサイキック体験が必要であった。彼女の場合は、それはAutomatic Writingであった。亡くなった母親がAutomatic Writingでコンタクトしてきたという。のちに、彼女は「Book of James」という本を出版し、それは、本当かどうかはともかく、あのアメリカの偉大な哲学者・心理学者William JamesAutomatic Writingでコンタクトしてきて、出来上がったものだという。

 ともかく、いくつかのサイキックな体験から Survival of Deathを信じるようになったというわけである。

 さて、このAutomatic Writingを始めたころに、彼女は大変怖い目に遭うことになった。お母さんの霊Spiritらしきものがコンタクトしていた間はいいけれど、そういう、自分の意識は無にして、Spiritがコンタクトできる状態にあるということで、Earth Bound地上に密着して昇天できていない悪いSpiritsが、彼女が何も集中していない時に、一日中、頭の中で恐ろしい言葉を喚き散らすようになり、夜も昼も妨害されて、神経がめちゃめちゃになり、気が狂ってしまうのではないかとまで思われた。そして、最後には、ただ頭の中で脅迫的なことばを伝えるだけでなく、それまでそんなことはなかったのに、急にAccident proneすぐになんでもないところで事故に遭って怪我をするということが、頻繁に起こるようになった。そして、あるときはProtective Guideのようなかたちで優しく接してきて、はやくその体から抜け出してOut-of-Bodyで、あちらのいいところに行こうとまで誘いかけ、もう少しで、同意するところで、Susyは、おかしい、Protective なGuardianがそんな、死んであの世に移るようなことをいうはずがないと反抗したところ、もうすこしでうまくいったのに残念とかといって立ち去ったという。まさにFictionのような話であるが、Susyにとっては本当の恐ろしい体験であった。そこで、Spiritualistたちにも相談し、最初はCounter-attackで、最後には、いわゆる“白い光の ヴェール”で自分の身体全体を包むというイメージを描くと、悪いSpiritsは近寄ってこないということがわかり、それを実行することで、彼女のAutomatic Writingはそれなりに成功することになった。

 このEarth bound spiritsの悪い・恐ろしい体験が彼女に貴重な教訓となり、Confessionを書かせることになった。

彼女もMartin EbonAutomatic WritingOuija Boardが危険であることをよく知っており、Susy Smithはこの自分の体験をPublicに知らせることによって、素人で、サイキック現象に興味を持ち、Automatic WritingOuija Boardをやり始める人や、やり始めて、彼女と同じ恐ろしい経験をしている人に、どう対応すればよいかを明らかにし、おかげでたくさんの読者から感謝されたという。

――――――――

 Martin EbonInterview (The Evidence for Life after Life) から、Susy Smithの言葉を引用しよう。(p. 50-51).

“In my days as a gnostic I thought that survival really had to be proven scientifically. It seemed to me that only with such proof of life after death could any kind of religion be of value. And yet, during all my research, I was never able to receive anything that could really be considered such scientific proof. I had many psychic experiences of a personal nature that I found totally convincing (some very beautiful, and many quite frightening); but there was no single incidence that could prove survival of the human soul to anyone who did not want to believe.

不可知論者であったころ、わたしはSurvival(死んでも無ではなく、Spiritの世界で生きている)は科学的に証明されねばならないと思っていた。そのような、科学的に死後の世界があると証明されて、はじめて宗教も意味があるとわたしには思われた。しかも、わたしの探求した限りでは、科学的に証明されたというようなものとは、一度も出遭うことがなかった。わたしは個人的には自分で納得できるサイキックな体験をいっぱいしてきた。(その体験のあるものは、とても美しく、また何度も怖い体験もした)。でも、あの世があると信じたくない人を、納得させられるようなSurvivalの証明に出遭ったことはなかった。

“This is unfortunately true of the vast body of researched and published material. Even the wonderful collections of ghosts who brought evidence, drop-in at séance who gave their identities, out-of-body experiences in Heaven, etcetera, published in my book Life is Forever, does not represent the kind of repeatable evidence required by science. Granted that science is unfair in its demands, the fact remains that no one can say at this point that survival after death has been proved scientifically.

このことは、不幸にも、膨大な量の、研究され発表された資料についてもいえることである。証拠らしいものをもたらしたGhostに関する資料、Séanceで予知なく現れて証拠を示したGhostたち、体外離脱でHeavenを体験した話、など、みな、わたしの書いた“Life is forever”のなかにあるが、それらのすばらしい資料も科学が要求するRepeatableな証拠は示していない。科学はこういうRepeatableなどという理不尽なことを要求するいやらしさをもっていることを認めても、だれも、今の時点で科学的に死後の世界があると証明されたとは言えないという事実はのこる。

“To me, today, proof is unimportant. I convinced myself; and many readers of my books have been helped by my conclusions; and this is enough for me. I rather doubt that actual proof to suit the skeptic will be found for a long, long time. I have come to the conclusion that each person must reach his own decision by his own efforts. This does not mean that I recommend that anyone attempt to communicate with spirits of the dead. Reading about the experiences of others can be just as encouraging, and certainly less dangerous. In my own search for truth I had so many disquieting experiences that I certainly warn others away from making similar attempts. Since publication of my book Confession of a psychic, in which were related many unpleasant and dangerous experiences I had with `bad spirits`, hundreds of letters have been received from readers who were getting into trouble trying something of the same nature. They thanked me for warning them away from it, and perhaps this is the area in which the most good has been done by all my writing and work in the psychic field. If only a few have been saved from possession or even insanity by my words, then my striving all these years has not been in vain.

現在、私にとっては、科学的に証明されたかどうかというようなことは大事なことではない。わたしはこう確信している;私の本のたくさんの読者がわたしの抱いた結論によって助けられたと感じている、それで充分である。懐疑的な人が満足するような形の証明が、今後、どんなに時間がたってもでてくるとは思えない。だれもが自分の努力で自分の納得する結論をだすほかないと思う。このことは、しかし、だれもが自分で死者のSpiritに接するというサイキックな探求をしなければならないということではない。ほかのひとの体験談を読むだけで充分刺激的で、危険もすくない。私個人のこの道の探求上、本当に不快な経験をたくさん持った。だから、ほかの人がそういうことがないように警告をする。わたしの本、“あるサイキックの告白”のなかで、わたしが持った“Bad Spirits”との、不快で危険な体験について語ってから、わたしは何人もの読者から、サンキュー レターをもらった。わたしのアドバイスが役に立ったというわけである。わたしが、このサイキックの分野でたくさん本を書いてきて、本当にほかの人々の役に立ったと自分で思えるのは、この点に関してである。もし、すこしの人でも、Possessionやキチガイになることから救われたなら、今までの私の格闘も無駄でなかったわけだ。

“I am aware that this is a kind of `don’t do as I do, do as I say` proposition. Everyone should not have to go through what I did, however, in order to prove survival to their own satisfaction. I am a great one for believing, now, that if a supernormal experience occurs naturally and spontaneously, enjoy it! But do not try to force it to happen to you. Fortunately, most people are the type who are willing to read about experiences and beliefs of others, and not insist that they become personally involved.”

わたしは、この種のアドバイスが「わたしがやったようにはしないで、わたしが言っているようにしなさい」という形のものだということはよく知っている。自分が満足のいくように、Survivalの探求を私がやったようにだれもがやらないといけないとは思わない。もし、普通でない、異常な超常現象に自然に、突然であったら、それを喜びなさい、しかし、そういうことが起きるように自分のほうから無理をするのはひかえなさい。幸いにも、ほとんどの人は、ほかの人の体験談や信仰を読むことで満足し、個人的にそういう体験をしたいとは思わないようだ。

―――――――

 要するに、サイキック現象に関与するには、それ相応の知識と準備をもってかからないと、恐ろしい、取り返しのつかない目に遭う危険があるということである。

 そういえば、すでに紹介したDr. Sandra Gibsonも、「Beyond the Body」の中で、何度も、悪い霊Spiritにとりつかれることを心配し、MediumTrance状態に入ることも長い間いやがっていた。そして、最初にこのサイキックのProといえるひとに相談に行った時も、相手のひとは、イメージで白い光が自分の身体全体をおおっているようにすることによって、悪いSpiritsからの侵入をふせげるとサンドラに教え、まず、そういう具合に、Protectしてから次の行動に移ったのであった。

Mediumたちがそういう邪悪なSpiritsの攻撃から守られているのは、多分、強烈なPowerをもったSpirit GuidesMediumたちのGuardian AngelとしてMediumたちを邪悪なSpiritsの攻撃・侵入から守っているからであろう。考えてみれば、Mediumshipを発揮するということは、自分の意識はどこかにおいて、頭の中をからにして、Spiritsが自由にふるまえるように、パイプのような役割を果たすということであり、そういうEmptyの意識状態なら、何が入り込んできても不思議ではないのだ。まだ、防御方法も知らない素人が、気楽に踏み込んでいくのはまちがっているといえるだろう。

過去にも、Automatic WritingOuija Boardを単純に信じてしまったため、家庭をめちゃめちゃにして、殺人まで犯した例がいっぱいあるのだ。この地上に邪悪な犯罪者がいっぱい居るように、Spiritになっても、急にかわるわけではないから、特に昇天できないEarth Boundの邪悪なSpiritもいっぱい居るにちがいない。Trance状態に入るということは、そういう邪悪なSpiritに侵入の機会を与えるということで、結果的にPossessedの状態になったり、場合によっては、死んでしまうかもしれない。

Psychic Defenseのやり方をよく心得て、新しい領域の探求に入ってかねばならない。そういう意味では、ひとりで探求するのではなく、Spiritualistたちの仲間と行動するのが比較的安全といえるだろう。



村田茂太郎 2013年1月2日




「心霊現象の科学」をめぐってーその50The How of Healing- by Alan Vaughan について

 Fate誌 1984年8月号にAlan VaughanHealingに関する文章が載っている。これは非常に大事なエッセイなので、前回のDr. Irving Oyleの“自分で治す”という態度の適応例として紹介しておきたい。

 Dr. Oyleの本「The Healing Mind」では、人間は基本的に自分で自分を治療できる能力を備えており、大事なことは、自分を信じて、自分が潜在的に持っている治癒力を活性化することであった。そのひとつの方法として、イメージで悪い患部をやっつけるという作業を毎日15分間、1日3回続けてやると、効果が現れるというようなことであった。彼あるいはDr. Simontonは患者にカウボーイのイメージで癌細胞を自分で退治するとかということを続けて、致命的であったはずの癌患者が完全に回復した話を紹介していた。カウボーイのイメージや、特にアメリカでは、TV西部劇のヒーローLone RangerとかSuperman, Batman, Spidermanなどをつかえば、自分でイメージ化が割とスムースにできるかもしれない。大事なことは自分の能力を信じることである。そして、急激な回復を信じないで、持続的に続けることである。

 このHealing Powerの続きのようなエッセイなので、ここに紹介することにする。

 このエッセイの執筆者Alan Vaughanは「Incredible Coincidence」(信じられない偶然の一致)とか「Patterns of Prophecy」(予知のパターン)とかといった面白いParapsychologyの研究書を書いている人である。つまり、その道では、まじめな、名前の知られた探求者である。このFate誌の記事を読んで、彼がHealingにも実践的に関係していたことを知った。(今、彼はどうなのかしらとWikipediaをのぞいてみたら、2001年4月に病気で亡くなっていた。64歳とか。人にHealingを指導しても、寿命には克てなかったということであろう。つまり、人にはそれぞれ自分の運命が定まっているということかもしれない。)

 ここでもLawrence LeShan Ph.D.が引用されている。有名な「The Medium, the Mystic and the Physicist」である。LeShanの知人で非常に痛みがあって、すぐにでも手術の必要なひとが、彼にDistant Healingを依頼して、LeShanは引き受けた。よし、今晩しようということで。翌日、彼・患者は目が覚めると奇跡が起きていた。医者も驚いて、これはScientific Journalにレポートする価値があると、その前後のX線写真を送るとまで言い出した。これはPsychic Healingの歴史的なケースであったろうといわれた。ただ、少しだけ手違いがあった。Dr. LeShanは忙しくて、Healing Powerを送るのを忘れたのであった。

 ここが、Alan Vaughanから見ればVital ClueHealingがどう働くかがわかる大事な手がかり)to “How” of healing ということであった。

 つまり、Dr. LeShanHealing Powerを送るつもりになった、遠くの患者にエネルギーを送って治してやるつもりになった Intent ということが大事なのである。

 Intent to heal またはIntent to be healed が大切なのである。

Olga Worrallという有名なHealerがショーでTune In したひとすべてに効果があるようにと祈ったところ、たくさんの人からOlgaの祈りのおかげで元気になったという手紙がいっぱい届いた。

She says it is not even important that they remember the right time to tune in….. In these cases the intent to be healed seems to trigger the physical cure.

治りたいという意思が実際的効果を発揮するのであって、何時にOlgaのショーにTune In するということなどは、大事なことではない。

What does modern research show about human healing ability? Can anyone learn to heal? An important factor is belief. 

Healingにおいて大切なのは、そのパワーを信じるということなのである。

 Healing Powerが人間に備わっていると信じるか信じないかで、全然、効果が違ってあらわれたというのが、Dr. Bernard GradMcGill Universityでの研究結果であった。

 Healerに、エゴが強く出ると、せっかくのHealing Powerもしなびてしまうようである。

 Alan Vaughanは自分のWorkshopで、まずHealingに成功した例を話して自信をつけ、そして、Healing EnergyVisualizeするようなかたちでMeditateするように指導した。そして、物理学者に計測器で熱や電気の移動を測ってもらう手配をした。各個人でエネルギーをProjectしてThermistorChangeさせようとしたが、成功しなかった。(すでに、John Taylor Ph.D.の実験例を述べた。)

そこで、Circleをつくって、皆で手をつないでMeditateを行った。みんなの力でエネルギーが統一され、ひとつの強力なボールとなるイメージを描いて、それを試験機のほうに送った。そうすると、計測器を扱っていたドクターが驚くほど、計器に反応があったのである。そして、もっと厳格な実験装置の元、有名なSRIRussell TargHarold Putoffの手によって検査され、確実にエネルギーが移動することが確認されたのであった。

The experiments suggested that mental or healing energy can produce physical effects which violate accepted laws of physics. 

実験結果からわかったことは、MentalHealingのエネルギーが実際にモノに作用するということで、これは、それまでの物理法則からははみだしていると思われるが、実際にMind over MatterHealingにおいても証明されたということである。

別のケースで、Alanは友人の患者にMeditationを指導し、彼に自分のどこが悪いのか自分自身の内部に訊いてみるようにと指示したところ、どこも悪くないといったとたん、彼の身体はそれを信じて、いっきに回復に向かったという。

I cannot take credit for Christopher’s recovery. I did not project healing energy; I merely told him that he had the ability to heal himself if he would get in touch with his inner resources. 

わたしがクリストファーの回復に貢献したとは言えない。わたしはHealingEnergyを彼に投影しなかったのだから。私はただ彼に、自分の内部の源泉に触れることができれば、自分で治す力が備わっていると言っただけである。

 I believe we all have within us a powerful agent for healing ourselves and others. Attempting to identify this as “paranormal” as opposed to “normal” is futile, because the medical profession does not understand how “normal” healing occurs. Healing happens; therefore it must be normal. 

 私は誰もが自分で自分を治せる強力なAgentを自分の中に持っていると信じている。この能力をNormal正常 に対して Paranormalと呼んでも意味のないことである。第一、医者たちはNormalHealingがどうしておきるかもわかっていないのだから。Healingというものはあり、したがって、それはNormal正常だということである。

最後に、Alanは自分が潜在的にもっているHealing Powerを伸ばす方法を述べている。まず、Healingがあり、可能だと信じること、そこからすべてがはじまる。そして、トライすること。

そのとき、Put your hands near the affected area and intend that healing energy will flow. Visualize energy being channeled from God, the cosmos, some greater power, and emerging from your fingers. 

両手を患部にあて、Healingのエネルギーが流れるようにもくろむこと。そのエネルギーはGodや宇宙やより偉大なパワーなどの源泉から来ているのであって、そこから指にエネルギーがながれているようにイメージを描くこと。

Become aware that what you visualize triggers an actual event. If you hear of the illness of a distant friend or relative, visualize that person in radiant health. Visualize a golden-white healing energy around him, bringing well-being. You need not concern yourself with the way the healing is accomplished or concentrate on any specific afflicted area. Just visualize the body coming into perfect harmony and believes that the body’s own healing intelligence will take care of the details. … 

イメージで描いたパワーが実際に効果を発揮するのだということを知っていること。もし、だれか友人・親戚の人が病気だと知ったら、健康ではちきれそうになっているその人のイメージを描き、彼の周りに、金白色のHealingエネルギーが彼の全体をとりまいていて、健康をもたらすことをイメージ化すること。どういうかたちでHealingがもたらされるかとか、どこが特別に悪い個所か知る必要もない。ただただ、肉体が完全に調和のとれた状態にあるようにイメージ化するだけでよい。あとの細部はその肉体の自然治癒力がちゃんと自分で治すように働くであろうことを信じるだけでよい。

Be aware that it is not you doing the healing. All you are doing is projecting a little extra energy. The healee accomplishes the actual healing. Ultimately we all heal ourselves. 

大事なことは、Healingをおこしているのは、あなたではないということだ。あなたがやっていることは、ただ少し余計にエネルギーを注ぎ込んでいるだけである。実際の治癒をおこすのは、治癒される本人なのである。究極的に、われわれは、我々自身を治癒するのである。

ということで、先のDr. Oyle同様、そしてLawrence LeShan Ph.D. 同様、人間はそれぞれ自分の内部に自然治癒力を保持していて、それを目ざめさせるのがHealingなのである。それには、そういうパワーが自分にあることを信じて、強烈にVisualizeさせ、悪い患部があれば、退治するイメージを描くことが健康になる秘訣である。                                                                                      村田茂太郎 2013年1月3日




「心霊現象の科学」をめぐってーその51 「Lifetimes by Frederick Lenz Ph.D. を読む -Reincarnationの研究

 私がReincarnation転生 に関する本をたくさん読んだのは、もう、今から35年ほど前の数年である。

 今はどうだか知らないが、当時、1976年ごろから特に1980年ごろにかけて、盛んにReincarnationに関する本がでまわったように思う。

 ほとんどがHypnosisによるPast Lifeのメモリーということで、Past Life Therapyとかに関する本がたくさん出た。

 このHypnosisによるReincarnationの研究の嚆矢は有名なMorey Bernsteinの「The Search for Bridey Murphy」であったにちがいない。1956年に出版されたこの本は、コロラドの家庭の主婦が催眠術で過去のLifeにもどり、18世紀のアイルランドでのLifeを語って、一躍世界的に有名になり、その信憑性をめぐって、それぞれ専門の学者たちまで論じ合ったものであった。

 1976年以降にこのReincarnationの研究がたくさん出回るようになったのは、きっと、Elizabeth Kubra Ross と Raymond Moodyの「臨死体験」の研究が引き金になったのではないだろうか。臨死体験Near death experienceと転生Reincarnationとは直接には関係がないが、この“Life after Life” があることになれば、“Life before Life” の可能性もあり、それはReincarnationにも関係するからである。

 1978年にはHelen Wambach Ph.D.の 「Reliving Past Lives」、Dr. Edith Fiore の 「You have been here before」、Morris Netherton Ph.D.Nancy Shiffrinの 「Past Lives Therapy」 が出版された。ドクターではないがこのParapsychologyFieldで一般向けの啓蒙書をたくさん書いていたBrad Steigerも 「You will live again」 という本を同じ年に出版した。

 このReincarnationブームが起きるずっと前から、このBrad Steigerは 「The enigma of Reincarnation」 を1967年に出版し、Ghost Hunterで有名なHans Holzerは 「Born Again」 を1970年に出版していた。どれもHypnosisをつかっての話である。

 ほかにJournalistJess Stearnが「The search for the girl with the blue eyes」という本を1968年に、Jeffrey Iversonが「More lives than one?」を1976年に、Reverend Carroll E. Jay が「Gretchen, I am」を1977年に、それぞれHypnosisによる過去のLivesの記憶とその検証のこころみの本を出版している。

 1979年にはDr. H.N. Banerjeeが 「The once and future life」を発表した。

 Morey Bernsteinの前に、Gina Cerminara Ph.D. (1914-1984)はVirginia BeachのサイキックEdgar CayceData Filesの研究から 「Many Mansions」 (1950), 「The World Within」(1957年)、Many lives, many loves (1963年)などを発表した。

 したがって、Reincarnationの研究はもうすでに50年以上にわたる歴史があるわけである。

 Frederick Lenz Ph.D. (1950-1998) の「Lifetimes」(1979年)もReincarnationの研究書であるが、先にあげたHypnosisを中心にしたReincarnationの研究とは少し異なる。

 Reincarnationの研究は大きく分けて三種類あり、ひとつは Dr. Ian Stevenson (1918-2007) の研究で有名な、過去の記憶をもつという小さな子供を直接調べるケースで、これはインドその他のアジアの子供を中心とした研究である。代表作は「20cases suggestive of reincarnation(1966) by Dr. Ian StevensonStevensonは、あくまでもSuggestiveであって、確実にReincarnationが立証できたとは言っていない。

 二つ目は非常にポピュラーになった上記Hypnosisによるもの。三つめは、夢とか、ある場所、ある人など、特別な環境(Altered states of consciousness)でのSpontaneous突発的に思い出して、過去のLivesがよみがえってくるというケース。

 このHypnosisによるReincarnationの研究も、実際自分がやってみて、実感として納得しないと、まるでFictionを読んでいるようなものである。うそだとは言わないが、そんなに、簡単に、自分の何代も前の様々なLifeが鮮やかによみがえってくるものだろうかという疑問はある。これも、Medium体験と同じで、自分がHypnosisを、すぐれた専門家にやってもらって、テープをして自分で確認する以外に納得する道はないようである。

 Frederick Lenz Ph.D.は、専門は哲学で、アメリカの大学の哲学の教授である。東洋の哲学に興味を持ち研究したことがReincarnationの研究に導いたのか、彼がとった方法は子供の記憶を探る方法でもなく、Hypnosisでもなく、アンケートを出して、一般からある種のデータを集めることであった。ある種のデータとは、Reincarnationの記憶の体験を、それ以外の、夢で、或いは、ある人と会って、ある場所に行って、といった突発的、デジャー・ヴュー的な体験でReincarnationを体験したと信じる人のデータをあつめて、127人のデータが真面目なものであると判断し、彼の信じる方法で分類し、整理し、哲学的に考察したものである。それには、彼が勉強したはずの「Tibetan book of the dead」(チベットの死者の書)が大いに役に立ったようである。つまり、Reincarnationの途中で、死んでから生まれ変わるまでに、この「チベットの死者の書」で記述されたとほとんど同じコース(Vital World, Mental World, Psychic World, Soul’s World)をSoulが体験するということがわかったという。そして、この127人は一度も「チベットの死者の書」を読んだことはなく、Reincarnationを体験してから、この本を勉強した人が三人ほどいるだけということで、いっそう、その死後の遍歴の信憑性が高まるというわけである。

 「Lifetimes」は“The accounts of Reincarnation”というサブ・タイトルがついている。この研究はともかく、Hypnosisとちがい、もしかして、一般の人がデジャー・ヴュー経験などから、Reincarnationを思い出すのではないかということで、Hypnosisのドクターを訪れなくてもReincarnationらしきものを体験している人がいる可能性はあるというわけである。

 また、すでにブログ“Mediumの誕生”で述べたSandra Gibson Ph.D.Reincarnation をたくさん体験しているというわけであるが、彼女も、まず、最初は、Vividな夢で過去のLivesを何度も体験し、ヨーロッパ旅行でその前世の体験を事実と確認するというような形でReincarnation探求が進化し、HypnosisによるPast Therapyへとはいって行ったわけである。彼女なら、この夢の段階でDr. Lenzの要求に応じことはできたわけである。

 このLenzの本を読んで感心するのは、みな、まるで創作したようなVividなイメージの前世の体験を記述していることである。普通の夢とは違う、あざやかな体験であったから、いつまでも記憶に残ったということはいえるであろう。

 このLenzの本によると、このReincarnationの記憶が現れる前にいくつかの顕著な現象があらわれる。The Sound, Feeling of Weightlessness, Seeing Colors, Vibrations, Feeling of Well-being, Knowing without thinking, The Movie, Full Participation などは、ほとんどすべてのReincarnation記憶体験者が体験したという。大きな音、重さを感じなくなる、鮮やかな色が目につく、すべてが振動する、Happyな感覚を覚える、考えなくてもわかってしまう、ムービーを見ているように過去が再現する、ただの観客でなく同時に体験している当人でもある などなど。

 この本は、とても面白く、ある意味では、チベットの「死者の書」を自分で読むかわりに、そのエッセンスを要領よく書いたものとして、読んでおくと、もしかして、死後“無”でなくて、“Life after Death” があれば、Soulが迷わなくて済むようなものである。

サイキック研究家であった D. Scott Rogo は「The Search for Yesterday」(C Critical Examination of the Evidence for Reincarnation)という本(1985年出版)の最後の参考文献のところで、Dr. Lenzのこの本について、こう書いている。

 “This book takes a refreshing look at cases of spontaneous past-life recall. The author feels that the case follow a predictable pattern, although research conducted by the present author did not bear it. The case material is provocative, nonetheless.” 

 この本は過去のLifeを突発的に思い出したというケースを新しい角度から考察している。Lenzが書いているケースは典型的なパターンをたどったと書いているが、わたくし(Rogo)が独自に調査したケースではLenzの指摘するようなパターンをたどらなかった。それにもかかわらず、ここにあげられた資料はなかなか刺激的であるとはいえる。

 このLenzの本でも、過去の記憶を検証できたケースが最後のほうにでてきて、これを読むと、やはりReincarnationは本当にあるのかもしれないと思うようになる。そして、この哲学者・大学教授も最後のところで、彼の結論として、こう書いている。

 ”Based on the evidence and in lieu of any other acceptable explanation for the results of this research, I must conclude that reincarnation does exist.” 

 この研究の結果から得られた証拠にもとづき、ほかの納得のいく説明にかわるものとして、わたし(Lenz Ph.D.)は、Reincarnation転生は成り立つものという結論をださねばならない。

 さて、Fate誌 1984年1月号にD. Scott Rogo のエッセイ“Tuning in to Past Lives”が載っている。これは同じ著者の「Reincarnation Report」からの転載であるとメモされている。

 この短いエッセイで、Rogoは自分で、一般読者から、このSpontaneousな形でのReincarnationの記憶のケースを集めて、分析した話を書いている。Lenz Ph.D.は、Reincarnationを体験する前に、先にあげた、大きな音、とか重量感の喪失とか振動とかを体験者の誰もが経験したように書いているが、Rogoにはそういうケースに該当する例はなかったとかで、結局、これはLenz Ph.D.が一般読者から資料を集めたときにすでに、Lenz Ph.D.の意向があらわになっていて、それに沿う形で読者が反応したのではないかというようなことが述べられている。

 いずれにしても、Rogoが集めた夢のケースやデジャー・ヴュー ケース、MeditationのよるAltered States of Consciousnessの状態でのケースなど、いずれも信憑性があり、Veritableな証明可能な証拠があるため、Reincarnationが本当にあるのかもしれないということになる。

 夢の場合は、Sandra Gibson Ph.D.の場合もそうであったが、Violentな、悲劇的な死を迎えた場合(殺されたケース)が多いようで、そういう場合が、あたらしいLifeに特に影響を残すようである。Trauma とかというかたちで。

 ここでは、一応、Reincarnationに関する本はたくさん出ていて、その中でも、特別に論理的に展開している哲学者Lenz Ph.D.の本を紹介した。読んでみると、みんな、なるほどそうかと思うようなものばかりであるが、自分で納得するには、やはり、なにかで体験するほかないように思う。

 わたしは、もし、Life After Life or Deathがあるものなら、つまり、Soul魂がSurviveするものなら、Possessionの可能性は残り、Reincarnationの可能性も残るように思う。私自身は、もう一度生まれ変わりたいとは思わないが、これらの本によると、好き嫌いで生まれ変わるのではなくて、Karmaとかいろいろな理由で、生み出されるそうである。死後、無であれば問題はないが、無でなくてSoulSurviveした場合は大変だと思う。静かに天国で暮らせればよいけれど、宗教戦争のまっただなかに生み出されたら本当に大変だと思う。Karmaで生まれ変わらなくてもよいように、今の人生をしっかり生きることがとりあえず、やるべきことのように思える。臨死体験者のすべてが、今の人生をしっかり生きることの大切さを学んだとのことであったが、Reincarnation体験者も今の人生をしっかり生きることの重要性を学んだようである。それだけでも、そういう体験をした価値はあったわけだ。ようするに、清く正しく行い、自我を捨てて、人間社会をよりよくする方向に働くことが大切だという話である。

Lifetimes」 Frederick Lenz Ph.D. Fawcett Crest Books CBS Publications

ISBN: 0-449-24337-0

村田茂太郎 2012年1月6日


「心霊現象の科学」をめぐって-その52  Reincarnation Lenz Ph. D. Lifetimes」 つづき

 このDr. Lenzの本「Lifetimes」の“Beyond Birth and Death”と名付けられた章にあるひとつの話を紹介したい。勝手に引用していいのか知らないが、悪用するわけでないから、許してもらおう。(Page196-206)。

 これは、まるでFictionを読んでいるようで、Lenz Ph.D.がこのように長い記録を受け取ったのか、Interviewなのかわからないが、驚くほど鮮明な過去のLifeの記憶がよみがえったものだといえる。これが信じられれば、Reincarnationはまちがいなく事実だということになり、Lenz Ph.D.が最後に結論として、自分はReincarnationを信じると確認していたのも納得がいくのである。これには、語り手のRemembranceの話だけでなく、事後談があり、さらにLenz Ph.D.も追跡調査して確認したとのことである。

CaliforniaVeniceに住むPhillip(仮名)と名乗る人から受け取った情報である。引用が長くなるが、大事な部分もあるので、ほとんど全文、訳しながら引用することにする。 

中国との戦争中とはいえ、日本軍が女子供を強姦・虐殺した話が男のReincarnationの記憶の中であざやかにでてくる。残念だが、ありえた話である

―――――――――――――――――

 わたしがはじめてAnneにあったのは、Malibuの郊外でであった。Coast Highwayから少しそれた通りをさがしていて、だれか道を教えてくれる人に出遭わないかと別な道をくだっていた。そのとき、角にパークしたクルマを通り過ごした。その車には女の子が座っていたので、次のコーナーでとめて、歩いて彼女に近寄った。わたしたちはお互いにほほえんだ。私は、とてもきれいな日であったので、魅力的な女性に出遭ってうれしかった。彼女に道を訊ねると、彼女もLocalの人ではなかったので、何も知らなかった。Montereyに住んでいるが、PsychologyのセミナーでMalibuを訪問しているだけだとのこであった。

 そこで彼はその女性と少し話し合った。彼女はアリゾナの大学をもうすぐ卒業するということで、専攻は心理学であった。衝動的に私は彼女に私が探している教会に一緒にゆかないかと誘ったら、OKということで、私の車ででかけた。

 私たちは苦労しないで、その教会をみつけることができた。車を出て、歩いた。きれいなところであった。ふたつの大きな建物と三つのちいさなChapelがあった。私は特に地面にひろがっている小さなLakeが気に入った。そこには黒いSwanが何羽か泳いでいた。それは私にははじめての光景であったので、Anneにそれを指し示した。私たちはちいさなChapelの一つに入り、だまって座った。ずっとその間中、わたしはこの女性を意識していた。わたしたちが一緒にいるのはとても自然なように思われた。私には、今、彼女と会ったばかりだとは信じられないほどであった。

 私たちは教会を去り、浜辺に向かった。私たちはあれやこれやと話しながら、浜辺に沿って歩いた。私たちは靴を脱ぎ、1マイルかそれ以上、その浜辺を駆けた。そして砂のうえにしゃがんで海をみつめた。私たちは午後おそくまで一緒にいて、それから私はLos Angelesに帰らねばならず、彼女はMontereyに帰らねばならなくなった。わたしは来週末には友人をMontereyに訪問することになっていると彼女に伝え、泊まる予定の家の電話番号を与え、もしよかったら電話を呉れと伝えた。彼女も電話番号をくれ、二人は別れた。

 私は彼女のことを忘れてしまっていた。彼女が電話してきたときはびっくりしたほどだ。わたしはMontereyにいて、彼女に会った翌週であった。わたしは彼女にここへ来るようにと伝え、友人から道の案内をしてもらった。半時間後に彼女はやってきた。わたしたちはお互いに何かを伝えたいがどうしていいかわからないという奇妙な意識状態にあった。第一、どうして、私たちがこんなにお互いにひきつけられるのかもわからなかった。わたしたちはお互いに全然違ったタイプであった。わたしたちは座ってしゃべりあった。私は正直に、なぜだかわからないが、私は彼女に惹かれるということを告げたら、彼女は自分もそうだと告げた。1時間後、私たちは別れた。彼女は2-3日したら、アリゾナにかえるとのことで、わたしに手紙を書くといった。

 5か月ほどの間、私はAnneから何も聞かなかった。ある夜、突然、電話の音で目が覚めた。最初、だれからかわからなかったほどである。そして、すべてが思い出され、私たちは30分ほど話し合った。その会話の間中、わたしは心地よかった。わたしの心はすっきりしていて、とても幸せに感じていた。体中が快感でふるえるようであった。わたしたちは、また将来お互いに会わねばならないと同意したが、いつになるかわからなかった。私たちはお互いが避けようとしても避けられないような、運命的なものでまた会うように決められているように感じた。

 電話を切ってから、わたしとAnneが一緒であった過去のLifeが蘇ってきた。最初、それは断片的であった。私は農場や羊、フェンスといったものを見た。それから百姓の着る長いドレスをきた女性を見かけた。彼女は私に向かって野原を横切ってやってきた。彼女は私に向かってやってきて、花束を手渡した。私は彼女の腕をとり、野原を一緒に散歩した。私はそれがAnneの別のLifeでの姿であることを認めた。

 私たちはクルマにもどった。それは古い型のものであった。Museumにかざってあるような。私たちはクルマに乗って道をくだった。

彼女の名前が浮かび上がってきた。それはMartha, Martha Williamsであった。私はMinisterで、彼女はわたしの最も近しい友人であった。私たちは日曜日の午後、コロラドで、一緒にドライブしているのであった。

 今度は場面が変わって、ほかのシーンがでてきた。それは、私がおおきな会衆の前でSermonお説教をしている場面であった。わたしの視点が動いて、私自身を眺めている場面から、私自身の内部、それから群衆を眺めていた。そこには何千人もの聴衆がいた。わたしはこの大群衆を前にお説教をしているのであった。それは夜で、屋外でのことであった。私は自分の声が抑揚を変えるたびに、Up & Downするのが聞こえた。スピーカーをとおして、私の声が遠くにエコーするのがきこえた。Stadiumは松明といくらかの電光で照らされていた。わたしには松明のオイルのにおいが感じられた。それは、Turpentineのにおいを思い出させた。

 群衆に罪と悔悛について話しながら、聖なるSpiritが私の中にいきているのを感じることができた。そして、わたしの言葉に人々は感動しているようであった。それは、まさにElmer Gantryのシーンであった。それから場面が変わって、私は別なところにいた。

 私はまたAnneと一緒だったが、今度は私たちだけではなかった。別の女性がいた。わたしの妻だった。私は妻に、私はAnneを愛していると告げていた。妻は泣いていた。しかし私は妻に別れなければならないと告げていた、私がAnneと一緒になるのはGodの意志だからと感じて。

 そのあと、また別のシーンがあらわれた。私は砂漠でひとりだった。そして祈っていた。わたしはGodのパワーがわたしの体内をとおり、持ち上げてくれるのを感じた。私はいくつもの私のLife、何百もの人生を見た、そして、Godがそれを私に見せることによって、私が彼のために働くことを示していた。私は過去の幾多の人生でSpiritualな人生を送ったようであった。私はGodの仕事を手伝うように運命づけられ、Godを人々の生活に身近に感じさせるようにするのが私の仕事であった。私はただただ質素で、純粋で、心にGodを受け入れることだけを欲していた。その時、私は次のLifeで一層Godに身近になるだろうと感じていた。

 そのあと、また、私はAnneと一緒であった。私たちは国(アメリカ)を去り、ChinaMissionariesの一員であった。私たちはそこで長い間住んでいた。私たちはそこの国の言葉を学び、よく身に着けるまでにいたっていた。そこのあわれで、貧しい人々に対して、できるだけのことをしていた。私たちはこれらの貧しい人たちに、二人とも、先生であり、医者であり、牧師であるという役割を果たしていた。貧しさと困苦は私たちには耐え難いほどのものであった。私たちはおおくの地方を旅してまわり、できるだけのことはしたが、やることが多すぎて圧倒されるほどであった。

 私が目撃した最後のシーンは私の心に永遠に焼き付いて忘れない。私たちはアメリカに向かうボートに乗っていた。日本が中国に侵略し、私たちの友人の多くが殺された。私たちは一緒に彼らの遺児たちをつれていた。それは、アメリカで家庭を見つけられるだろうと思ったからである。

 私たちの小さなボートのCaptainが日本の船を見かけた。私たちはそれから逃げようとした。わたしはそれが空しい試みであることを知っていた。私は救われることを祈っていた。私たちは攻撃され、ボートの上のたくさんの人が傷つき、殺された。そして船はそばまでやってきて、私たちは船にひきあげられた。

 あとのことは、語るのが困難なほどだ。それについて考えるたびに私は逆上してしまう。彼らはすべての生き残りの女性をつかまえ、私たちの目の前で強姦した。Anneもそのひとりであった。それから彼らは女と子供を殺した。わたしはAnneを強姦し、殺した男を見た。そして、彼に対して復讐を誓った。彼らは、わたしとほかの男をつかまえ、船の中に入れて縛った。私は彼らの誰かが私たちを強制労働させるためにどこかへつれていくといっているのを聞いた。私はGodがわたしとともにあり、わたしと一緒に働いているのを感じていた。わたしは船にいた間中Godに祈り、何があってもGodに対する信仰を失うことはないと祈った。

 私たちはその夜、逃れだすことができた。ひとりの男が縄をほどき、私たちすべてを自由にしてくれた。私たちには武器はなかった、そしてきっとみんな死んでしまうだろうと思った。しかし、奴隷の生活を送るよりも、闘いながら死ぬほうがよいと感じた。

 私たちは船の見張り番を攻撃して殺した。わたしは彼らの銃の一つを手に入れ、残りのものを見つけにいった。誰かがこの騒動を知って警報を鳴らした。またたくまに、船全体が、日本人が這い回っているようであった。私はひとつの通路を走った。目の前にはAnneを殺したJapがいた。私は彼にチャンスを与えなかった。彼を捕まえ、喉を締め上げて窒息させた。どうしてだかしらないが、銃はつかわなかった。私の手でやっつけてしまいたかった。ほんの少しの間で、わたしは彼を殺し、ほかを探しに行った。彼らは私たちを船のうしろに攻めてきた。しかし、私たちは闘った。私はデッキのMachine Gunのひとつを捕まえ、彼らに向かって銃撃した。私はたくさんのものを殺したが、そのうち肩に冷ややかな、燃えるような痛みを感じ、撃たれたのを知った。私の青いシャツをとおして、血が流れ出していた。

 船の上で火事が発生し、爆発音がして、私は空中に投げ出され、水の中に居た。泳ぎながら、多分、無理だろうと感じていた。浮かんでいる箱を見つけ、それにしがみついた。私は長い間浮かんでいた。私はもうだめだろうと思っていたが、なんとか、しがみつき、暗い中で、浮かんでいた。ほかにはだれも目に入らなかった。次の日、私はひとりぼっちで、Sharkが心配だったが、なにもやってこなかった。太陽は焼けるようで、のどがかわいた。しかし、水を飲むわけにいかなかった。遠くに一艘のボートが見えた。わたしが見えないのでないかと心配したが、彼らはやってきて、私をボートに引き上げてくれた。彼らはChineseであった。

 私は回復し、オリエントから脱出した。オーストラリアに行き、しばらくそこに滞在した。それから英国に行き、最後にアメリカに帰った。私は再び説教をはじめ、病気になるまで、六、七ヶ月続けた。私の身体はオリエントでの試練で弱っていた。しばらくして、私は死んだ。

 そのあとは、すべてNormalにかえった。わたしは別のLifeAnneと一緒だったと確信を持った。私はそのあと眠ることができず、夜通し起きていた。翌朝、私は自分の考えを整理し、このRemembranceが本当であったのかどうかをどうすれば知ることができるかと考えた。

 私は、私たちの前世での名前を憶えていた。私たちがコロラドにいた間に住んでいた町から調査することにした。すべてをチェックした後、Walter Morrisという若い男が1930年代にMinisterであったということがわかった。私はその男の跡を追った。彼は有名なRevivalistPreacherになり、それからMissionaryで働くために国を出たことが分かった。この点での情報はスケッチふうである、なにしろ中国が、戦争ですべてが破壊されたからである。しかし、私は彼の親戚の幾人かと話すことができた。彼らは私が過去を思い出して知ったいくつかの事実が本当であることを確認してくれた、日本軍の捕虜になったこと、オーストラリアに行ったこと、英国へ、そしてアメリカへかえってきて、死んだこと。しかし、私はだれもMartha Williamsについて知らないのに気が付いた。どの記録にも載っていず、どの親戚も知らなかった。私は、もしかして、このすべてがキチガイじみたことだったのかもしれないと思った。私には理解できなかった。ほとんどあきらめかかっていた頃、Mrs. Crowleyから電話があった。彼女は親戚の一人から、彼女の父親についての情報を求めている人がいると聞いたということであった。そして、もし、彼女でヘルプできることであればと電話してきたのであった。私は、わたしのあの過去の人生で娘を持っていたということなど予想もしていなかったので、その話は青天の霹靂であった。私は彼女に家を訪問して、お父さんについて話してもよいかと訊ね、OKという返事をもらった。私はMrs. Crowleyを訪問するために飛行機に乗って、South Carolinaに向かった。

 彼女は楽しい人物であったが、私が過去に知っていたと思えるようなところは何もなかった。私は彼女に話し始める前に、わたしはまともな、筋道だった人間であることを、そして自分でも理解できない体験をもっているということを告げた。私は自分で納得しようとしているだけで、彼女が私を気の狂った人間と思わないことを願った。

 私は、はじめから終わりまで、すべてを話した。彼女は話の間中、どう感じているかを示さなかった。私が語り終わったとき、私がキチガイだと彼女が確信したにちがいないと思った。私は、おだやかに、彼女が帰ってくれといいだすのを待っていた。そのとき、彼女は手を差し出し、私の手を取った。そして、手をとったまま、何も言わなかった。

 彼女は、私が彼女の父について語ったことはすべて本当のことだと言った。彼は彼女が生まれる前にお母さんと別れて、Marthaと呼ぶ女のほうにいった。Walterが去ったとき、彼はもちろん妻も妊娠していることを知らなかった。きっと、彼が去る前に受胎したにちがいない。

 彼女は一度もお父さんにあったことはなかった。お母さんは父のことについて話してくれたが、彼に対しては苦い感情をもっていて、Walterにコンタクトして、彼が子供をもっているということを伝えようとはしなかった。Walterは明らかに妻に手紙を書き、金も送ったようである。しかし、彼女は決して、一度も、返事をしようとしなかった。ただ、彼女はその手紙を全部保存し、すりきれるほど読み返してはいたのだが。Mrs. Crowleyは彼女とお母さんを捨てたということで、父親を恨みながら育ったということであった。彼女が彼の死を知ってから、はじめて彼に対してなんらかの感情を抱くようになった。彼女は父の葬式には参加した。(母はその5年前に亡くなっていた)。それからは、彼女は自分の夫や子供のいる家に帰り、彼女が会ったこともなかった父親のことは忘れる決心をしたということであった。

 午後も遅くなってきていた。私たちはお互いを見つめあいながら黙ってすわっていた。本当だったのかしらといぶかりながら。それから、彼女は私に父が母親に送った手紙があるが、見るかと訊ねた。彼女はそれらを保存し、母親に属するものをしまった引き出しに一緒にしまっていた。

 彼女は手紙を差し出した。それらは何度もおりたたまれ、もうバラバラになりかけていた。何ダースもの手紙があり、Walterはあきらかに手紙を書くのが好きだったことを示していた。かれの冒険談の詳細を妻に知らせていた。私は彼の生涯の履歴を知ったわけだ。そして完全にまいってしまった。彼の説教師としての履歴、オリエントでの生活、すべてが、私が記憶で見たとおりであった。しかし、わたしが最も興味をひかれたのは彼がMarthaについて書いていることであった。彼は彼女がどんない激しく病人や貧しい人に対して働きかけたかと書いていた。そして私は、彼がいかに彼女を深く愛し、尊敬していたかを理解した。

 わたしたちのInterviewは終わるころになった。わたしは彼女に感謝し、もしかして、その彼の手紙のひとつをKeepできるだろうかと聞いてみた。彼女は、もちろん、OKといってくれた、それはいわば私自身が書いた手紙だったのだから。私はなんといってよいのかわからず、もう一度有難うと言って別れた。

 Phillipと話してから、わたしも単独で Mrs. Crowleyと会うことができた。彼女はPhillipが彼の記憶を話したことを確認してくれた。Mrs. CrowleyWalter Morrisが妻あてに書いた手紙を調べることを許可してくれた。それらには、Phillipが記憶で見たシーンと同じ情報が描かれていた。

 When a person’s remembrance makes clear to him why he has specific attitude, talents, interests of emotional responses that are otherwise inexplicable, this information becomes proof for him that his remembrance was real.

 あるひとの記憶・思い出が、それ以外では説明不可能な、なぜ、かれが感情的な反応を喚起するものに対して特別な態度、才能、関心をもつのかを明らかにするとき、この情報は彼の記憶が確かなものであったという証拠となる。

――― ――― ―――

 ひとつだけ未解決な点がある。この話を信じれば、昔のMarthaが今のAnneということがわかったわけだが、ではこのAnnePhillipは今現在、この時点で、どうなったのかが書かれていない。Anneと会い、話し、電話をきってから、彼の過去のLivesがよみがえってきたとのことであったが、この電話をかけてきたAnneとその後どうなったのか、また一緒になったのか、一緒になるつもりであるということで終わりなのか、なんとなく中途半端な気がする。

ともかく、Fictionとして充分に通用するReincarnationの体験談(?)であった。これが本当のことであれば、まちがいなくReincarnationはあるのだということになる。著者Lenz Ph.D.Wikipediaで見ると、なんと、49歳の若さで亡くなったようである。この本は、本当のことが書かれていれば、確かに興味深い本だと言える。

村田茂太郎 2013年1月7日



No comments:

Post a Comment