Translate 翻訳

5/13/2016

「心霊現象の科学」をめぐってー総まとめ その4/7


「心霊現象の科学」をめぐってー総まとめ その4/7

「心霊現象の科学」をめぐって-その53  S. Ralph Harlow 「A Life after Death」(1961年)を読む その1

 この本の書評をアマゾンで調べて見てみたら、だれも書いていない。どうしたことか。これは名著である。私はShigeの名前で、あとで感想を書き込もうと思っている。

 私がはじめてこの本をUsed Bookで買って読んだのは1976年、今から36年以上前のことである。一日で260ページの本を読み終わっているから、まあ、面白かったに違いないが、私の記憶には残っていなかった。当時は、Life after Death 関係の本がいっぱいでまわり、それは主に臨死体験とReincarnationであったため、特に目立った印象を残さなかったのであろう。

 私が今回この本を楽しめたのは、今は私も年をとり、友人・知人・近親者で亡くなった人も多くなって、明日を知らぬ命、“死”は他人事でないと思い始めたからであろう。そして、最近のわたしの読書内容から、すべてが、より深く理解できるようになり、何度も紹介したMaurice Barbanellの“This is Spiritualism”を読んだおかげで、SpiritualismMediumがよくわかるようになり、アメリカの友人のおかげで、私自身、ひとりのMediumと電話で会話をもてたこともあって、この古い本を非常に興味深く読むことができたということであると思う。素晴らしい本であった。

 Dr. Harlow18851972)はHarvard Universityなどの出身で、哲学と宗教学でPh.D.をとり、主に大学Smith Collegeで哲学と宗教学を講じながら、外国(Turkey, Greece など)でも客員教授をつとめて外国滞在も長かった。キリスト教の専門で、CongregationMinisterでもあった。自分の妹がPsychicの能力を発揮しはじめ、友人知人にParapsychologyの有名な研究家をたくさん持っていて、自分もこの心霊現象の科学の領域の熱心な探求者となった。有名なDuke UniversityDr. J. B. Rhineにこの本は献呈されている。

 この本を読みながら、おどろいた、あるいは感心したのは、Dr. Harlowが世界的に有名で代表的なMediumあるいはPsychicの演出する現場に何度もEye Witness として参加していることで、自分自身のサイキックな体験(サイキックであった妹が死後に示した)と、こうした世界的に有名なMediumParapsychologistとの交流の現場が紹介されているわけで、すでに充分な理解力に達したわたしには本当に素晴らしい本であった。内容が豊富で、さまざまなサイキック現象に関する内容が紹介されている。ほとんどどれもこのドクター夫妻が直接体験しているのだから、今の私から見れば本当にうらやましい限りである。

 Maurice Barbanellの「This is Spiritualism」という本も面白かったので、何度かに分けて紹介したが、この本も一回ですませるにはもったいない内容をもっているので、何度かにわけて紹介したいと思う。

 Dr. HarlowはまだHarvardの学生であったときに、何度も、アメリカを代表する世界的な哲学者・心理学者であったWilliam James教授と会話をもつことができたらしい。

 Jamesは心霊現象の科学に対して、まじめに関心を持ち、有名な、Medium Mrs. PiperSéanceに何度も参加したりして、インチキが多いからといって無視するのではなく、ひとりでも本物のサイキックがいたら、科学者は誠実に探求しなければならないと言って、自分がその道をたどったわけであった。

この本によると、Jamesは本物のサイキックMediumが時にインチキTrickをすることもよく知っていて、それは彼らが期待している参加者を悲観させないためにやることであって、インチキをしたからと言って、すべてがインチキということではない、このサイキックの現象は、予定通りにすすまないことがあるわけだから、そのことをよく知っておいたほうがよいといったことをJames自身の例をあげてHarlowを含む学生たちに教壇で説明したことがあるらしい。

Dr. William JamesがまだHarvardの研究生であったころ、有名な主任教授の助手として、あるカエルの電気反応の実験をエライ医者・科学者たちがあつまった会堂でみせることを頼まれ、いつもはうまくいったのに、この時に限って、カエルの細胞が全然反応を示さない、そこで、Jamesは電気反応を起こさせるTrickをつかって、一応、外から見ると期待される反応を示すことに成功した。しかし、James自身がインチキをしたのは確かであり、それも、Demonstrationにあつまった専門家たちを、そして主任教授を失望させないためにやったということであった。

 この本には、Mediumshipに関する、すばらしい例証がたくさん紹介されている。私はこの本を読んでいて、なるほど、これだけの実証を自分で目撃していれば、Life after Deathは確かな実在性をもって存在するのはまちがいない、わたくしも、科学的証明とかとは関係なく、自分で納得できたに違いないと思った。“科学的証明”にこだわるとおかしくなるわけで、今の科学は、まだ発展途上で、将来、何百年かたてば、簡単に計測・証明できるようになっているだろう。そうならないと、一見、科学は終わりまで来たようにみえているが、まだまだ幼児期であったということになるであろう。

この本でも、ApportMaterializationなどが出てくるが、こういうものを説明できる次元に、まだ現在の科学は到達していないと思う。到達していないから、そんなものはありえないということではなく、そういうものが起こりうるのだから、まだ今の科学は、もし解明できなければ幼児期の段階といわれても仕方がないであろう。それは小林秀雄流に言えば、世の中に不思議があるということを認めることであり、認める心をもつことである。不思議とは、ありえないということではなく、今、現在の科学では説明できないというだけなのだ。科学者であれば、まさにそういう現象に興味を持ち、ではおれが解明してノーベル賞をとってやろうと思う意気込みを持ってほしいものである。わたしはよく引き合いに出されるドイツの有名な科学者ヘルムホルツは、彼の専門(光学関係など)では偉大な科学者であったかもしれないが、それ以外の分野では、素人にも劣る馬鹿な男であったと思う。科学者というのは、現象を認め、なぜ、そういうことが可能かと探求するから科学者といえるのであって、自分の別な分野での業績を傘にきて、科学者本来のあるべき態度をとれない人間は科学教という宗教の信者に過ぎない。有名科学者がそういう態度をとる場合は、一般市民がとる場合に比べて、はるかに弊害が大きいから、科学の発展から見れば、犯罪的な妨害者であったといえる。さいわい、そういうおろかな科学者の存在を無視できる、まともなひとが多くいたおかげで、この心霊現象の科学の探求も向上しつづけてきたのであり、今では、ESPの能力はありえないという考えは少なくなり、Life after Deathに関する情報取得をSuperESPで説明するひとが多くなったほどである。

これは、丁度、地球の回転に関する考え方で、コペルニクス的転回が必要であったように、このLife After Deathの問題も、同じような結論に達すると思う。つまり、Mediumがもたらす情報を、SuperESPの能力で獲得したとこじつけの説明をするよりも、Life after Deathが実在し、地上のLifeはまだ幼児期で、はるかに進歩した異次元空間が存在し、そこでは、そんなありえないと思われる超能力は実はなんでもない、実際可能なことなのだということが簡単に証明されるだろう。

 私が、この本、S. Ralph Harlowの「A Life after Death」を読み直す気になったのは、またしても、Allen Spraggettの本「The Unexplained」のおかげである。このSpraggettの本の第5章“Contacts from the Dead?”というところに、Dr. Harlowの本からの引用があった。

 サイキックであった妹が急に死んでしまった。葬式のあと、大学に戻って自分の研究室で学生に向かって話しかけていて、妹の名前を口にした途端、デスクにおいてあったガラスのインク壺が大きな音を立てて割れた。女学生はこわくなって、アポはまた別にということにして、早々に立ち去った。(Spraggett P.88).そのあと、椅子に座っているとするどく、はっきりとした声がどこからともなく聞こえてきて“Is this clear-cut evidence?” というのを聞いた。Dr. Harlowは妹と、先に死んだほうが、あの世から、誰もが認めるような Clear-cut Evidenceを産もうと約束していたのだった。(Harlow P.46)。

村田茂太郎 2013114




「心霊現象の科学」をめぐって-その54  S. Ralph Harlow 「A Life after Death」(1961年)を読むーその2

 この本には驚くほど多様なサイキック現象が扱われている。Maurice Barbanell のときと同様、章を追ってではなく、At Randomに私が興味深いと思ったものを紹介してゆきたい。

 まず、Dr. Harlow2歳年下の妹Annaの話から始めよう。すでに、Annaに関して、前回、Spraggettが紹介していたガラスのインク壺が割れた件がある。この本では当然もう少し詳しく展開されている。

 Annaがいると不思議なことが起こった。Onにしていない蓄音器が勝手にOnになり、Armが動いてレコードが鳴り出すのである。みんなで隣の部屋でおしゃべりしていて、だれもいない部屋で蓄音器が作動し始めるということは、しょっちゅう起こったらしい。

 Annaは特にApparitions(幽霊、亡霊、生き霊・・・)に親しかった。HusbandSisterが亡くなった時にも、知らせが来る前にSister-in-lawApparitionがあらわれて、その死を知らせた。街をあるいていても、ある女のうしろに男が付き添っているのが見えた。つれのDr.(兄 Harlow)のワイフに、前から来る人が見えるかときくと、女性が歩いてくるのは見える、ただそれだけ。Annaにはその女性に付き添う男性がみえただけでなく、その男性がAnnaには自分の姿が見えているのがわかったのか合図をしたということもあった。

 Dr. Harlow夫妻、妹Anna夫妻、そして妹のHusbandSister Marguerite夫妻の6人である日、Pact約束 をした。みな、Life after Deathあの世での生 に深い関心をもっているので、そしてAnnaが本当にサイキックだとわかっているので、この6人の誰かが死んだら、あの世から別の世界で生きているというメッセージを送ろう、それも、なんとなくというものではなく、“We must have clear-cut evidence.” ”It must be clear-cut.”という約束をしたのであった。「証拠は誰が見ても明らかなものでなければならない。」、「絶対明白な証拠でなければ。」

 そして、Sister-in-lawが亡くなり、その日、庭でAnnaが仕事をしていた。何かを感じて二階をあおぎみると、死んだMargueriteSister-in-law)が白いカーテンをめくってAnnaに合図をし、いったん引き下がり、また同じことをするという動作を3回行うのを見た。AnnaClear-cut Evidenceを示しているのだと理解した。

 そして、1925年、Annaが亡くなった。葬式の日、わたくし、アンナの兄であるDr. Harlowが大学に戻って、女学生と面談して、William James “Varieties of Religious Experiences” 「宗教的体験の諸相」の話をするまえに、今日、妹Annaの葬式から帰ってきたばかりだから、妹Annaのサイキックな経験について語ろうとして、Annaの名前を持ち出したとたんに、彼が、空のインク壺だが、きれいなので”重し”にもつかって、机の上に置いていた、その壺が、銃で撃ったような大きな音を立てて見事に割れたわけである。女学生はこわがって、その日のアポイントはキャンセルにしてしまい、早々に引き揚げた、そのあと、どこからともなく“Is this clear-cut evidence?”「これは、明々白々の証拠と言えるでしょう?」という声を彼は聞いたのであった。

 それから2週間たってDr. Harlowは親の家を訪問した。父親もCongregational ChurchMinisterであった。母親が息子RalphDr. Harlow)に声をかけた。見せたいものがある、と。そして、自分で机まで行き、紙を取り上げて、彼に遠くから示した。“Now tell me whose writing this is” 「だれが書いたものだと思う?」 まだ距離があったので、はっきりとはわからなかったが、筆跡はあきらかであった。”It’s Anna’s.” “So it seems to be,” Mother said. ”It certainly looks like it.” Then she handed me the sheet. アンナのだ。 そう、そう見えるでしょう、と母は言った。確かにそう見える。それから、母は私にシートを手渡した。

 そこには、最後だけピリオドでおわっていない、完全な文章が書かれていた。

I cannot find words to express the joy and satisfaction of this work. We are busy every minute of the day and sometimes of the night too, but happy-oh, so happy! You must come and see for yourselves if you would be convinced. Do come, all of you 

ここの仕事での喜びと満足をとても言葉では表せない。私たちは、昼はもちろんのこと、時には夜もとても忙しい。しかし、わたしは幸せだ、とてもハッピーだ。あなたたちも納得がいったら、ぜひとも、自分でやってきて見なければならない。あなたたちみんなよ、来てよ!

“It’s Anna’s writing,” I said. “And it has her words, her phrases, and even her habit of underlining.” I looked up at Mother. “Where did you get it?” “It happened three days ago,” Mother said, “…… I woke for some strange reason. And there it was on my bedside table. ….I’m positive that it was not there when we turned out the lights….” 

アンナの書いたものだ。言葉使いも、文言も、下線を引く彼女の習慣も。どこで手に入れたの。三日前だったわ、なんとなくおかしな感じがして、夜中に目が覚めたら、それが私のベッド横のサイド・テーブルに乗っていたの。・・・私たちがライトを消したときには、そんなものはなかったのは確かよ。

“There is no doubt about what it is,” Father said to me. “But I’m sure you will disagree. We have different views on these things. It’s supernatural, indeed it is, but it’s not from Anna.” And in Father’s fundamentalism he found the answer. “This is an effort of evil spirits to mislead us. And don’t be misled by them, Ralph.” 

父はこういった。それがなんであるかについては、疑問もない、しかし、お前はわたしに同意しないだろう、わたしたちはこうしたものに対しては考え方が違っているから。超自然現象であるのは事実だ、まちがいない、ただ、それはAnnaからではない、Evil Spirits悪い魂 が私たちをだまそうとしているのだ、だから、ラルフ、だまされないように。

…….

“And Ralph,” …”I’ve searched the house from attic to cellar to find other paper just like that sheet. There is none. No single sheets; no notebooks. And I cannot remember ever seeing any like it here.” 

そして、ラルフ、私はこの家の屋根裏部屋から地下室まで、同じような紙が見つかるかと探したのよ、一枚も、ノート・ブックも見つからなかったわ。そして、わたしは一度もこのような紙を見た覚えがないわ。

 彼はNoteをあずかって自分の家に持ち帰り、妻のMarionに見せた。

“Why, it’s Anna’s, of course,” she said, quite matter-of-factly, not then knowing that the evidence gave strong indication that the note had been written by Anna after her death and had been mysteriously transported from some mysterious someplace to Mother’s bedside table in a fashion unfathomable by modern man. 

どうって、もちろん、アンナのよ、妻が言った、当然のように。この証拠が、アンナが死んだ後で書かれ、どこかわからない場所から、不思議な手段で母のベッド横のテーブルに、現代人では計り知れないような方法で、持ち運ばれたということは、その時、知らないで。

In the field of psychic research such an occurrence is called an apport, which means that a material object is moved from one place to another in a way that cannot be explained by physical force. 

サイキックの研究分野では、この種の出来事はApport(テレポーテーション)と呼ばれ、物体が物理的な力では説明できかねる方法で、ある場所から別の場所へ運ばれることを意味する。

Anna’s apport is not a singular experience; researchers have investigated and recorded thousands of such phenomena. But they have yet to produce a rational, acceptable explanation based on the laws of science as we know them. 

アンナのApport(物体の出現ーこの場合はメモ・シート)は一回限りの出来事ではない、研究者は何千というこの種の現象を記録し、研究してきた。しかし、われわれが知っている物理法則で説明できる合理的で妥当な解釈は、まだ今のところ誰も生み出していない。

In both of these phenomena- the incident of the inkwell and Anna’s spoken words, and Anna’s message- there are significant factors that indicate evidence of life after death. In the first place we know of Anna’s psychic sensitivity during her life, and we know she had expressed a desire to give us proof of her survival after death. And we must remember the timing of the split inkwell: the fracture occurred at the precise moment I mentioned Anna’s name. … For me there was only one Anna, and only Anna had asked for “clear-cut evidence.” 

この二つのアンナに関係のある現象―”インク壺とClear-cut evidenceという声”、そして”アンナからのメッセージ”-をかえりみると、Life after Death死後の世界 があるという、意味のある証拠を指し示すものであることがわかる。まず、第一に、われわれはアンナが生きていた間、彼女がサイキックであったことを知っている。そしてまた、彼女がわれわれに、死後もまた別の次元で生きているということを証明したいと願っていたことも知っている。そして、われわれはインク壺が割れたタイミングに注意しないといけない。私がアンナの名前を言ったまさにその瞬間に割れたということを。わたしにとっては、アンナはただひとりであり、そしてアンナだけが「明々白々な証明」ということを求めていたのだった。


For me the most reasonable explanation is that, by means which I do not understand, my sister Anna was able to create a vibration that split the inkwell and that she did this for the explicit purpose of letting me know that death had not blotted out her conscious personality. 

私が考えるもっともまともな説明の仕方は、私にはわからない方法で、アンナはインク壺を割るほどのVibration振動を生み出すことができ、彼女は、私に、死は、彼女らしい意識を持った個性を排除してしまったのではないということを鮮やかに示す方法で実行したのだ。

Regarding the apported note left on Mother’s bedside table, I feel that the most reasonable explanation is that it is simply what it appeared to be ---message from Anna to her parents, left where they might find it. 

母のベッドわきのテーブルにどこかから持ちこまれたノートについては、私はもっともまともな説明としては、それは単純にそれがそうであるように思われること、つまり、アンナから両親へのメッセージで、彼らが見つけられるところに残しておいたと思っている。


According to Flammarion, the breaking of glass in connection with recent death is a fairly frequent psychic phenomenon. And my friend Wainwright Evans writes me of two other such experiences, one of them very similar to that of Anna and the inkwell. 

フラマリオンによると、死という事実があった直ぐあとに、それと関係してガラスがわれるという現象はよくあるサイキック現象らしい。私の友人Wainwright Evansがそんなケースについて、ふたつほど知らせてきたことがある。ひとつは、”アンナとインク壺”とまったく同じようなケースであった。

He tells me that shortly after a friend had been killed in an automobile accident his family was gathered around a large table on which stood a heavy glass paperweight that had been around the house for more than twenty years. As the dead man’s sister mentioned his name the glass paperweight split down its center. 

彼が語ったところによると、クルマの事故で友人が死んだあと、家族が大きなテーブルを囲んですわっていた。そのテーブルの上には重いガラスの文鎮がのっていた、それはもう二十年以上その家にあったものである。事故死した男の妹がその彼の名前を言ったとたん、そのガラスの文鎮は真中から割れたのであった。


I cannot explain why so many of the recorded cases of paranormal experience involve the breaking of glass, unless there is indeed merit to the vibration explanation which my Smith colleague offered at the time of Anna and the inkwell. Perhaps persons who have passed over, or some of them, have access to an energy source that we have not yet discovered; perhaps this energy can be transformed into vibrations of a certain pitch that makes glass vulnerable to it. 

私にはこの超常現象に関する記録で、ガラスが割れるケースがなぜそんなに多いのか説明できない。”アンナとインク壺”の件で、スミス大学の同僚の物理学者が説明したようなVibrationによる破砕ということで説明がつくというのでなければ。きっと、向こう側に行ってしまった人たち、あるいは彼らのあるものは、われわれがまだ見つけていないエネルギーの源ともいうべきものにアクセスできるのかもしれない、そして、このエネルギーが、その振動でガラスが壊れやすくなるような程度の振動に変換できるのかもしれない。

 Allen Spraggettの”The Unexplained"のなかに、このDr. Harlowの話のつづきのようなものが載っている。(P.88-89). それは、Dr. Harlowの妻Marionが亡くなってからの話である。このHarlowの「A Life after Death]には載っていなかったので、ほかから得た情報であろう。

”・・・We had agreed that whichever one died first would try to get a key word back to the other. Two days after her death I received a letter from a woman who did not know me, but who wrote that she had received automatic writing which purported to come from Mrs. Harlow with instructions send it to me. 

私たちはどちらか先に死んだほうがKey Wordを相手に送るようにしようと約束していた。彼女が亡くなって二日後、私は知らない女性から手紙を受け取った、彼女はAutomatic writing自動筆記 でこのメッセージを受け取り、ミセス・ハーロウからのようで、私宛に送るようにという指示がついていたとのこと。

“In the first part of that message the secret key word we had agreed to use was used four times; it was light. But that was not all. 

メッセージの最初の部分に私たちが約束した秘密のキーワードが四回書かれていた。それはLightであったが、メッセージはそれだけではなかった。

“Farther on in that same message I was told to go at ten o’clock in the evening to the cupboard where the china was kept and my wife would try to give me sign of her presence. I invited a friend to come with me as a witness. 

同じメッセージに続いて、夜の10時に食器がしまってある棚にゆくようにということであった。妻がそのとき、そこにいるサインを示すということであった。私は目撃者が必要と感じて友人を招待した。

“That evening we went to the china cupboard and turned on a light. Immediately it went off and on twelve times. We tested other lights and they all stayed on when turned on. There was no loose fuse. That light in the cupboard had not acted that way before…” 

その晩、キチンの食器棚にゆき、ライトをOnにした。すぐにそれは消え、ついたり消えたり、12回、それがつづいた。我々はほかのライトをテストした。Onにすれば、そのままOnでついたなりであった。フューズがゆるんでいるということはなかった。そして、食器棚のところのライトが、そんなふうにふるまったことは一度もなかった。

Contacts from the dead?By Allen Spraggett 「UnexplainedChapter5 Page 88-89.






「心霊現象の科学」をめぐって-その55  S. Ralph Harlow 「A Life after Death」(1961年)を読むー その3   Margery Crandon その1

 Maurice Barbanell の「This is Spiritualism」を読んでいた時、このMargery Crandonのケースに出遭い、とても興味深い話なので、紹介したいと思ったが、もう少し勉強してからと思い直した。いま、このDr. Harlowの本の中で、わざわざ1章を設けてMargery Crandonについて書いてるのに接し、丁度、よい時だ、一緒に紹介しようと決めた。

 Barbanell の本では、興味深い実験が述べられているが(あとで紹介予定)、この Dr. Harlowの本では、Margeryがハーバード大学医学部教授のWifeから、世界的に有名なMediumに成長するところがとらえられており、特に亡くなった兄Walterがコントロールとして大活躍するさまが面白い。

 いわばSandra Gibsonのケースと同様、どのようにしてMediumは誕生するかというところがわかる形でかかれている。しかし、もちろん、面白いのは、死んだ兄がいわばコントロールとして活躍する様である。

 しかし、その前に、ハーバード大学の外科の教授であったDr. L.R.G. CrandonMargeryHusbandがどのように変わっていったかも面白い。

 Dr. CrandonAtheist無神論者であった。Dr. HarlowMargeryMediumshipを介してDr. Crandonと親しくなってから、あるとき Dr. Crandonと話していた。Dr. Crandonはこういった、“I couldn’t believe. I had cut up so many dead bodies and had never found a place where a soul might have been.” I replied, “We don’t have souls; we are souls, living for a time in a physical body.” And he then agreed with me. 信じられなかった、私はたくさんの遺体を解剖してきた、そして、一度もSoul魂らしきものがあるところをみつけられなかった。わたしは応えた。われわれはSoulsをもっているわけではない、われわれがSousなのだ、しばらくの間、物理的な肉体に住んでいるだけなのだ。それで、彼も私に同意した。

 Dr. CrandonがまだAtheistであったとき、英国の偉大な物理学者であるSir Oliver Lodgeがアメリカを訪問して、”Life after Death” について講演した。Dr. Crandonはその講演を聞きに行った。LodgeMan is immortal 人間は不滅だ というのを聞いて、Crandonは、はてなと疑問に思った。Lodgeは科学者として立派な人である、彼の電気の分野での発見は文明を何十年と進歩させたので、Lodgeが科学的研究でナイーヴとは思えない、しかも、そういう偉大な科学的業績を上げた人が、まだあいまいとも、信じられないともいえるSpiritの世界について自信をもって語っている、これは信じられないことである。ということで、講演のあと、個人的に会って話したいとCrandonLodgeに伝えた。それ以来、二人はなんども会って話し合い、友達になった。Sir Oliverは、いくつかの本をよむことを提案し、Crandonは馬鹿げていると思ったが、興味もわいて読み始めた。そして、Sir Oliverが薦めた本の多くが、有名な科学者によって書かれたものであることを知った。そして、読めば読むほど、Immortalityを否定する気持ちがなくなり、無神論者であることをやめ、魂Soulの不滅を信じるようになった。そして、興味の焦点を今までのLincoln研究から、Psychic Researchに替えたのであった。(それまでは、Dr. CrandonAbraham LincolnFanで膨大な図書を所有して、Lincoln研究の学者としても有名であった。)

 最初、MargeryHusbandHobbyを面白がっていた。彼女自身はそのようなことに全然興味がなかった。彼女自身サイキックな体験をしたことなどなかった。彼女も、富裕な彼女の家庭も、超自然現象など意に介さなかった。

 一方、Dr. Crandonはサイキックのほうに深入りするばかりで、彼女や彼女の友人にそんな話ばかりするので、彼女はいらだって、よし、それでは、それがいかに馬鹿げたものであるかを見せてあげようと決心し、ボストンにある教会のMinisterとアポをとり、Minister自身がMediumということで、Sittingを約束した。それがどんなに馬鹿げたことかわかりきっていたので、自分は朝の乗馬の服装から着替えもしないで、そのまま友人とアポに出かけた。それが、Margeryの人生の一大転換点となった。

 MinisterTrance状態にはいり、二人のStrange voicesが話しかけてきた。それぞれ名前はWalterだと名乗った。ひとりはDead Uncle死んだおじ だといい、ひとりは彼女の亡くなった兄 Walter Stinson と名乗った。そこで、彼女は、これは面白い、このMediumがどうして二人のWalterの名前を知ったのか。そこで、彼女は、ひとりが自分の兄のWalterだというが、それではその証拠を示してくれと言った。そして、彼女は床の上の乗馬靴をもちあげた。

 Walterが言った。私たち二人がカナダで乗馬した時、あなたがつかっていた乗馬靴がトラブルをおこさないよう希望する、と。そして、彼は、そのときに乗っていたPoniesの名前を正しく伝えた。その答えを聞いて、Margeryはびっくりした。それらは、このMinisterが絶対に知っているはずがないことだったからである。

 そのあと、Walterは、自分はこの地上の人間たちにSurvivalの証拠を示すことに興味を持っている別な世界のSpiritたちのグループに属している。しかし、われわれは、科学的な線でやりたいのであって、亡くなった人のメッセージをもってくるというようなことはやりたくない。われわれはその能力を物理的な物体で示すことに熱心である。つまり、この地上に生きている人間には実行できなくて、説明もできないが、われわれには簡単にできることでこのSurvivalを証明したいといった。(Walter,生前はCivil Engineerであった。技術者であった。)

 そこで、彼は妹に友達仲間をあつめること、その友達は忍耐強いこと、実験の目的に対して同情的であること、そして丸いテーブルにすわって、部屋を小暗くし、手はテーブルの上において、指が軽く隣と接する形でClosed Circle閉じた円 をつくることを求めた。

 Margery はどうしてよいかわからないような状態で家に帰ったが、Husband Dr. CrandonWalterの提案通りにやるようにすすめて、彼女も同意した。一週間ほど、Crandon夫婦と何人かの友人たちは暗い部屋でサークルになって、指をふれあわせて何かが起きるのを待っていたが、何も起きなかった。いつも失敗であった。一週間たった時、テーブルにTapする音がしはじめた。それからは、毎回、音は強くなり、頼りにすることができるほどになった。そして、その状態が一か月ほどつづいてから、いきなりMargeryTrance催眠状態に入り、彼女とは全く違う声が語り始めた。それは彼女の死んだ兄Walterだといった。

 その夜から、Margeryと彼女のコントロールWalterMediumshipは急速に上達し、世界中に知れ渡るようになった。何百人もの心理学者や科学者、ほかの学者たちがDr. Crandonの家を訪れ、何十ケ国もの心霊現象研究学会が彼女のMediumshipを研究することになった。

 Dr. Harlow Dr. Crandonよりは14年ほどHarvardの後輩であった。ある日、Dr. Harlowは自己紹介して Dr. Crandonに接近した。彼は自分がこのサイキック・サイエンスに興味を持つようになったのは、HarvardProfessor William Jamesに接したからだと言った。それが、効果があったのかどうだか、ともかく、HarlowCrandon家に招待されるようになった。これが、その後、12年にわたるMargeryとの関係の始まりであった。 Thus began twelve years of association with the famous and controversial mediumship of Margery---one of the most intriguing, fascinating, and mysterious events of my life. こうして、12年にわたる、有名で、とかく問題のあるMargeryというMediumとの、私の人生で、もっとも複雑怪奇で魅力的で神秘的な事件のひとつといえた関係がはじまった。

Mediumが科学的探究の対象になるというのは大変なものだと思う。家族や友人たちと、自分で納得しながら、いろいろな超常現象があらわれるのを体験するのはいいが、科学的にということで、参加したすべての研究者を納得させるために、Mediumやその関係者がインチキをしないように、まず女ドクターがMediumの身体の隅々まで身体検査をし、口には水またはMarbleをくわえさせられ、ゆかたのようなものをはおっただけで、個室に入れられ、その出口には本をたくさん積み上げて・・・という具合で、いわば、こういう事前の準備を何百回となくやらされるのは、たまらないことであったろうと思う。科学という名のもとに何でもやれると思ういやらしさがある。

こういうひどい人権無視のような状態で科学的観察を行わねばならないというのであれば、私なら、Mediumshipがあらわれても、大騒ぎしないで、家族・友人との間で、超常現象があらわれるのを楽しむだけにとどめるだろう。ひどいものである。それでいて、納得せず、解明もできず、不思議は不思議でとどまっているのだから、科学者というのも、特権を利用するだけの、あつかましい、ただの人間であるといえる。本物の場合はホンモノだとわかっただけで、超常現象がどうしておこるかは解明されなかったのだから。ただ、インチキかホンモノかだけの確認に終わったわけだ。Mediumとその周辺の人は、科学者から本物ですと太鼓判を押されなくても、ホンモノであることはわかりきったことであったろう。口に水またはMarbleをくわえさせられて、30分や1-2時間も、その状態でいなければならなかったら、まさに拷問である。唾を嚥下することすらできないのだから。

ということで、大学教授の妻Margery Crandonは20世紀前半を代表するMediumのひとりとして、特にコントロールにあたる死んだ兄Walterが技術系出身であったこともあって、単なる、死者から親族へのメッセンジャーではなく、地上の科学では解明できないような物理現象を実演して、“the greatest psychic exhibit in history” 歴史上もっとも偉大なサイキック現象の展開 を演じることによって、Life after Deathを証明しようとしたのであった。

サイキック現象の研究家は、自分が死んだのち、メッセージを送って、死は別の次元への移行に過ぎないということを証明しようとするのだが、地上の科学者はSuper-ESPで、すべてを片付けて、科学的に証明されたとはみなさないため、コナン・ドイルにしてもイギリスの心霊学会設立者にしても、はじめはともかく、Mediumを探して、あの世からコンタクトしようとするのだが、すぐにあきらめて、もう地上の連中にかかわるのは馬鹿らしいという結論に達したに違いない。

どこかに何かを隠して、自殺して、あの世からコンタクトして、あの世の存在を証明しようとしたひとがいるが、全く無駄な試みであった。見つかっても、Super-ESPで、見つかったということで、死後の世界の証明とみなされないのだから、本当に無駄な死に方ということになる。熱心な探求者には、その辺のことをよく知っておいてもらわねばならない。教師の仕事も大変である。自分の教科以外は無関心でいたため、死なせてしまったということが過去に起きたわけだから。

ここで、Dr. Harlowが12年にわたるMargeryとのつきあいに関して、Controversialとか most intriguing とか述べていたことについて、追加説明しておこう。

資料は「Encyclopedia of Occultism & Parapsychology」 からである。まず、Mina Stinson Crandonが正式の名前で (189?-1941)となっている。Bostonのお金持ちの家庭に生まれ育った人間の生まれた年が?では、どうなっているのかと私は思う。1923年にMediumshipが現れてから1924,1925年が大活躍した年で、有名な学者たちによって調べられた。その結果もさまざまで、自分の意見はNo-Commentとした有名学者もたくさんいて、よくわからなかったようである。自分の名前を大事にして、慎重を期したというところらしい。1925年にたくさんのSittingをもったDr. Dingwall “phenomena occurred hitherto unrecorded in mediumistic history…the mediumship remains one of the most remarkable in the history of psychical research” Dr. DingwallはこのMargeryが起こしたサイキック現象はこれまで記録されたことがないようなものであり、心霊現象の科学の探求史上もっとも注目に値するものであり続けるだろう、という。

ただし、そのあとで、次のようにも言う。

He concluded that the mediumship “may be classed with those of Home, Moses and Paladino as showing the extreme difficulty of reaching finality in conclusions notwithstanding the time and attention directed to the investigation of them.” 彼女のMediumshipは19世紀に高名であった、Douglas Dunglas Home や Stainton MosesEusapia Palladinoと同様、結論を導くのは極端なまでに困難なケースの一つといえるであろう。その研究のために費やした時間と集中的研究が膨大なものであったにもかかわらず。

ということで、結局は、わからなかったという。Controversialなわけである。慎重を期した実験であったはずであるにもかかわらず、そういうことになって、インチキだとまで非難されれば、夫Dr. Crandonが反論を発表したのもわかる気がする。

科学者とは、科学という迷信にとらわれて、判断力をなくした人を指すのかもしれないと思えてくるほどである。

Margery Crandon その2 につづく。

村田茂太郎 2013年1月16日




「心霊現象の科学」をめぐって-その56  S. Ralph Harlow 「A Life after Death」(1961年)を読むーその3   Margery Crandon その2

 MargeryMediumshipは亡くなった兄Walterがコントロールとなって演出された。

 Dr. HarlowSittingに参加しはじめたころは、まだMargeryMediumshipも初期の段階で、Walterの声もかすかであったり、その演出も限定されたものであったようだが、そのうちにWalterの声が、Margeryの声帯を使って発せられ、さらにそれがすすんで、部屋のどこからでも発せられたように聞こえるほどになった。MargeryというMediumの身体に依存しなくなったわけである。これは、サイキック現象で Independent Voice といわれている。“独立した声”なわけだ。

 そこで、私たちのひとりが、Walterに彼の声について、質問した。

 “How can I talk to you?” he laughed. “Simple, I take ectoplasm from Margery while she is in trance. I make a voice box out of it and use it to create sound vibrations. Your own voice box does the same thing; so does a radio speaker. But while you use your own bodies to create your voices, or metal and paper and electricity in a radio, I use Margery’s ectoplasm and my own vibrations.” 

 どうして、話せるのだって?彼は笑って答えた。簡単さ、私はMargeryから彼女がTrance状態に入ったときEctoplasmをとる。それでVoice Boxをつくるわけさ。それで音の振動をこしらえるてわけさ。あなたがたの発声も同じようなものさ。ラジオのスピーカーも。違うところは、あなた方は自分の肉体で発声するのにたいし、私はMargeryEctoplasmとわたしのVibrationを利用するということだよ。

 Ectoplasm, we all knew, is filmy, plastic material which emerges at times from the mouth, nose, ears, or other orifices of a medium in trance and is able to take form and to exert physical pressure. I have seen it many times, sometimes as a solid substance and at other times as a vapor. Before the medium comes out of a trance, the ectoplasm returns to the medium’s body. 

 Ectoplasmがフィルム状でプラスチックのような物質であることは我々みんな知っていた。それは、Trance状態に入ったMediumの口、鼻、耳その他の穴から出てくるもので、形を成したり、物理的な圧力を生み出したりできるものである。私は自分で何度も見たし、時にそれは固形をなし、時に蒸気のようなものであった。MediumTrance状態から目覚めるまえに、EctoplasmMediumの身体にもどる。

 Walter frequently utilized the ectoplasm from Margery’s body, and some of his demonstrations were astonishing. One night two professors from the faculty of the Massachusetts Institute of Technology arrived with their arms full of equipment. One carried a delicate chemist’s scales in a glass enclosed cabinet which was capable of being locked. The other one carried two cameras, one with a conventional glass lens, and the other with a quartz lens. 

 WalterはしばしばMargeryの身体から出てきたEctoplasmを利用して、いくつかのデモンストレーションで私たちをびっくりさせた。ある夜、MITの二人の教授が両手に器具を抱えて、家にやってきた。ひとりは化学でつかう精密な秤をもち、それはガラスのケージに入っていて、ロックできるものであった。ひとりはカメラを二台用意してきた、ひとつは普通のレンズ、ひとつは水晶を使ったレンズのカメラであった。

 “Well,” he said, “you want a new trick performed tonight.” One of the MIT scientists said, “What do you think you can do?” And in the dim light of the small red bulb Walter said, “I’ll make an ectoplasmic hand and I’ll move your scale pans up and down while the cabinet is still locked. And you can take pictures with those two cameras you brought if you like.”

 「さて、あなた方は、今夜は新しいTrickをみせてほしいわけだ。」MITの科学者は「どんなことができる?」とたずねた。Walterは小さな赤いライトがついた薄暗がりのなかで、「よし、Ectoplasmで手を作り、Cabinetがロックされたままで、なかの天秤の皿を上下に動かして見せよう。そして、希望するなら、持ってきた二つのカメラで写真をとればよいと」と応えた。

 Usually when Walter formed an ectoplasmic hand we would see a thin vapor emerge from Margery’s nose and mouth. It would soon penetrate the glass wall of cabinet and come to rest on the table top. Gradually it would become less ethereal, more solid, and then at its end would be formed a tiny, perfect human hand, even to fingernails. It was the size of a baby’s hand. But tonight we saw nothing.

 ふつう、WalterEctoplasmで手をつくるとき、我々はMargeryの鼻や口からうすい蒸気がでてくるのを見るのがつねであった。それは、すぐにキャビネのガラスの壁を通過して、テーブルの上でとまる。そして徐々にヴェール状から固形になり、最終的には小さいが完全な人間の手ができあがり、爪までついている。サイズはベイビーの手のようである。しかし、今夜は、何も見えなかった。

 We waited and finally I asked, “Walter, can you tip one scale pan down until it touches the bottom of the cabinet?” “Certainly,” Walter’s voice replied.

Now in the dim red light we could see the left scale pan begin to dip and its companion rise from the point of equilibrium. We could see nothing else, no weights, no ectoplasm, and no possible source of physical energy. Two flash cameras exploded in the darkness as the visiting professors took their pictures. 

 我々はしばらく待っていて、それから最後に私が問いかけた。「Walter, あなたは一つの天秤の皿を下げてキャビネの底につけることができるかい?」。Walterの声が、「もちろん」と応えた。いまや、薄暗い赤い光の中で、皿の一つが下がり始め、もう一方が平衡状態からあがるのが見えた。われわれにはおもりも、Ectoplasmも、物理的なエネルギーのなんらかの形も、何も見えなかった。二台のカメラのフラッシュが閃光した。ふたりの教授が写真におさめたのだ。

 そのあとも、Walterは私の求めに応じて、秤を動かした。皿にキー・リングやペンナイフをのせてロックし、一方が下がって底についている状態で、Walterに平衡にするように要求して、彼はそれを果たした。MITProfessorたちは研究室に帰り、写真を現像した。普通のカメラでうつしたものは、秤の一方がさがっているだけで、なにも特にうつっていなかったが、水晶レンズのカメラはEctoplasmHandがもう一方の皿をおさえて、平衡状態にしているのがうつっていた。このたびのEctoplasmic Handは目でも見えなかったし、普通のレンズではうつらなかったわけだが、ちゃんと、Handは作られていたわけだ。

 Walterは生きているときも技術者の実務的な精神を持ち、小憎らしいユーモアのセンスをもっていたが、このMargeryが呼び出したWalterも全く同じであった。Dr. Harlowの友人であるドクターはイライラして、落ち着きのないタイプであったので、WalterはそのドクターをFlea蚤と呼んだほどである。自分、Dr. Harlowは彼が呼ぶときはParsonであった。He was a most human and most humorous spirit. 彼はもっとも人間らしく、もっともユーモアのわかるSpirit霊であった。このことは、ある種の心理学者がいうような、脳が機能しなくなったら(死んだら)no survival of personality 死んだら個性も何もなくなる というのが、まちがっていることを証明している。

 Walter seemed proud that he could produce phenomena that could not be explained by any known natural causes. He seemed delighted that his accomplishment confounded some of the world’s most alert scientists; … Often he emphasized that his one main interest, similar to that of those “working with me on this side,” was to give irrefutable evidence of survival in scientifically controlled experiments.

 Walterは自然の理由では今まで説明できなかったような現象を生み出すのを得意としていた。彼は自分のやったことが、世界でももっとも警戒している科学者たちを納得させたことを喜びとしていたようだ。・・・ 彼はしばしば強調していったことだが、彼の主な関心は、こちら側で自分と同じようなことをしている人たちと似たようなものだが、科学的にコントロールされた状態で、Survivalの証拠を疑う余地なく示すことだと。


 Walter scorned what he apparently considered amateur, unsophisticated, and unscientific evidence of survival- the delivering of messages from departed friends.

 Walterは、アマチュアで、幼稚で、非科学的なSurvivalの証明とみなしていたものについては軽蔑しているようであった、―つまり別れた友達からのメッセージを伝達する役目というのを。

 Walterはメッセンジャー・ボーイの仕事は軽蔑していたようであるが、頼めば、引き受けてくれたこともある。そして、Dr. Harlowは死んだ妹Annaをつれてきてもらって、彼は話すことができたのであった。

  I was fortunate to be present one night when Walter demonstrated one of his most unusual experiments. This was the production of his own thumbprint in dental wax, and over a period of years Walter produced more than a hundred prints.  It started one night when one of the most persistent investigators of the Margery mediumship asked Walter if he could leave behind him some physical evidence of his identity. “Can you make fingerprints?” he asked. “I don’t know,” Walter said, with some doubt in his voice. “But let’s try.”

 私は幸運にもWalterがある夜、とても珍しい実験を演ずる場面を目撃することができた。これは自分の親指の指紋を歯科用のWaxをつかってつくりだすというもので、何年かにわたって、Walterは百を数える指紋をうみだしたのであった。それは、ある夜、MargeryMediumshipについて執拗な探求者がWalterに彼の存在証明を物理的な形で残すことができるかを訊ねたわけで、「指紋をつくれますか?」という質問に対して、「わからない、やってみよう」と自信がないようすで応えたわけであった。

 Subsequently, using only dental wax, a cloth, and two pans of water-one boiling and one cold-fingerprints were produced with startling regularity, … They were pressed into the hot-water-softened slabs of wax, and were both positive and negative; sometimes they were mirror prints. … He had complained that the hot water was harming the ectoplasmic hand, and had suggested some other method of removing the wax slab from the pan.

 つづいて、歯科のWaxだけをつかい、布と、熱い湯と冷たい湯を用意し、ということで、恒常的に指紋は生み出されるようになった。・・・後ほど、彼は熱い湯はEctoplasmを痛めると訴え、彼の提案でPanからのWaxを取り除くのに別の方法を用いるようになった。

 I heard movement on the table, as he made his thumbprint in the soft wax, and then a splashing sound as he slid the slab into the cold water to set the imprint. He said, “All right, turn on the lights. I think we have a good print tonight.” And we did – a perfect imprint of a human thumb.

 私はテーブル上での動きを感じた。彼が親指の指紋をソフト・ワックスにつくり、冷たい水につけて刻印をセットするために塊を滑らせる音を聞いた。「OK, 電気をつけていいよ、今夜はとても立派なものができたよ」と彼は言い、実際、人間の親指の完璧な刻印・指紋ができていた。

 そして、アメリカ心霊学会のOfficerが調べた結果、Walter Stinsonの生前の指紋とまったく同じであった。

 この、Dr. Harlowが目撃した場合は、Walterはまじめに、本格的に自分の指紋をつくったようだ。この作業が100回近くつづくと、どうでもよくなったのではないだろうか。あるとき、自分の指紋だとつくった指紋は別の人間のものであったということで、Walterの信用性がいっぺんに崩れてしまった。インチキをしても、では、どうやって、ほかの人の指紋を作ったのかを調べれば、まさに科学的にいろいろなことがわかったにちがいないが、どうしたことか、インチキということにこだわって、自称科学者たちは産湯と一緒に赤ん坊も捨て去ったもようである。もう少し、まともな、建設的な、本当の科学者の精神を持った人間がSurvival after Deathを研究していれば、また違った結果が出たであろう。科学の進歩がおくれたのも、理由のあることであった。

 まあ、このMediumが、科学実験材料になるというのも大変なことだと思う。

 ここで現れた、Mediumの亡くなった兄Walterというのが、非常な個性を発揮していろいろすばらしい実験を示してくれる、それだけでも、充分に Survival after Deathを示しているように思われるが、どうであろうか。

Medium-Margery つづく。

村田茂太郎 2013年1月17日




「心霊現象の科学」をめぐって-その57  S. Ralph Harlow 「A Life after Death」(1961年)を読むーその Margery Crandon その3

 Margery CrandonMediumshipの続きです。前回はMargerySpirit Controlにあたる亡き兄のWalterが指紋をとったり、Independent Voice を演じたり、生前と同じ個性を発揮するところを紹介しました。

 以下は同じ本からWalterCross Correspondenceを演じたところを簡単に紹介し、Barbanellの本の中にあるWalterの演出を紹介したいと思います。

 Perhaps even more remarkable than Walter's ability to produce fingerprints was his facility at what is called cross correspondence by researchers in psychic phenomena. In this spectacular phenomenon, an experience repeated in many parts of the world through many different psychic mediums, a so-called “spirit” communicates simultaneously with several mediums separated by long distances, sometimes hundreds miles. He chops his message into as many parts as there are receivers or mediums, and sends one part to each of them. When the portions are joined they make the complete message. In essence this is thought transference, but instead of being between humans it is between a spirit and several humans. 

 Walterが指紋を生み出したという能力よりも、より際立ったと思われるものは、いわゆるサイキック・サイエンスの研究者たちがクロス・交信 Cross Correspondenceと呼ぶものである。あるSpirit(この場合、Walter)が、世界中に散らばったMediumに、個別にメッセージの断片を送り、それを合成すると意味のある文面になるというもので、基本的にはThought Transference(思考の伝達)と同じようなものだが、この場合は、生きている人間同士ではなくて、Spiritと人間たちとの交信という違いがある。

――― ――― ―――

BostonNiagaraNew York CityでこのCross Correspondenceが実行され、

1 WalterBostonMargery)には  11X と “kick a dead”

2 New York Cityではサイキック George Valentineが “equals 2” と “No one ever stops to”

3 Niagara Falls では  Medium Dr. Henry Hardwicke が、“2”と “horse”

を受け取った。合成すると、“11Xequals 22” と “No one ever stops to kick a dead horse.”という文言で、これはWalterが生前、しょっちゅう口にしていた言葉であった。

――― ――― ―――

 ここでは、詳細は省略する。Walterはもちろん、上記のように成功した。これは、WalterというSpiritMargeryというMediumとはIndependent独立に存在するという証明になるはずで(つまりWalterMargerySubconscious潜在意識が生み出したものではないということ、WalterがほかのMediumたちにもコンタクトできたということ)、Hereward Carringtonなら、これで、Survival after Deathは証明されたといえたはずであり(彼はMedium Eileen Garrettに接して、彼女のコントロールふたりがIndependentに存在するのを確認できて、Life after Deathを確信したという)、前回の、Mediumの声ではなく、WalterというSpiritの声をきいただけで、Nandor FodorならLife After Deathは証明されたと、自分で納得いったであろう(Fodorの場合は父親の声を、あるMediumTrumpet Séanceで聞いて、確信を持ったという)。いわゆる科学者が納得したかどうかは別問題で、これは科学者が死んで初めて自分で納得するものであると思う。

 さて、このDr. Harlowの本ではないが、すでに何度も紹介してきたMaurice Barbanellの「This is Spiritualism」から、Margery Crandonに関する面白い実験を引用しておきたい。これは、本当なら、まさに別の次元でしか起きない現象と思われる。Apportもそうであるが。

Barbanellの本の第14章 Defying the Law of Gravity (重力に挑む)と題されたところである。最初のところでLevitationを扱っている。(省略)。

この中で、特に、BarbanellPhysical物理的なサイキック現象が起きるには、特に、Mediumのガイド、Spirit Control と好意的な関係を持っていることが大事だといっている。今では、これはあたりまえになっているはずであるが、そういう量子力学でハイゼンベルクのいう“不確定性原理”(Uncertainty Principle)が意味するような、“参加者の姿勢が実験結果に影響をあたえる”ということが、19世紀から20世紀のサイキック・サイエンスの中のMediumを使った実験ではよくわかっていなかったため、思ったような成果がでないこともあり、インチキめいたこともあらわれたわけであった。BarbanellはたくさんのSéanceにたちあったので、その辺のことはよくわかっていたようである。

 The secret of success at séance for physical phenomena is to win the co-operation of the guides who are able to produce them. When this is secured, and they know that you can be trusted, then stage is set for success. That is one reason why sympathetic investigations fare better than cold-blooded researchers, who either inhibit the phenomena by their frozen attitude, or render the result nugatory by making it obvious that they regard the medium as a trickster whom they are going to expose. This failure to approach the medium as a human being is the reason why much of what is called psychical research becomes a blind alley. Mediumship is sensitiveness. The possessor of psychic powers feels more intently what others might easily shrug off. Thus the “convince-me-if-you-can” attitude, even when it is honest, is not calculated to produce phenomena that the inquirer wants to see. It is a human problem which must be faced.  

 物理的な現象が期待されるSéanceが成功するかどうかは、その現象を生み出す中心的役割を果たすガイドの協力を得ることが大事である。いい関係が保たれると、Sitterたちが好意的であると感じた場面がセットされ、ほぼ成功はまちがいない。これが、同情的な探求者が冷血な探求者よりも、よい結果をうむ理由である。冷血な探求者とは、インチキをあばいてやろうとか、成功などするものか、そんなことはできっこないとおもっているような連中で、かれらを相手にしても成功しない、つまり期待される結果は出ないということである。サイキックな人は、普通の人以上に、そういう態度に敏感なので、“やあ、おれを納得させるような結果を生み出して見せてくれ”というような態度でいると、それが、正直でもNegativeな結果しか現れないということである。向き合わねばならないのは人間の問題である。

 Photographic demonstrations of the “impossible” were also obtained at séance with Margery Crandon of Boston, U.S.A. One of the results was called “the greatest psychic exhibit in history”. It proved the passage of matter through matter. 

 Margery CrandonSéanceで“不可能”が実現されたという証拠写真もある。これは、サイキックの能力の歴史上もっとも偉大な表示といわれた。物体が物体を通過するということが示されたわけだ。

 The experiments began at the suggestion of William H. Button, who was then president of the American Society for Psychical Research. Button, a keen researcher, was also a prominent corporation lawyer. His legal mind had pondered the problem of producing evidence that would be in itself scientific proof of spirit power. Finally, an ingenious idea occurred to him, one that he propounded to Walter, Margery’s dead brother, who acted as her guide. 

 この実験はアメリカ心霊学協会のPresidentであったMr. Buttonの提案ではじまった。彼はなかなか鋭い探求家で同時に会社の弁護士でもあった。かれは弁護士的センスから証拠ということを重んじ、Spirit Powerを科学的に証明するような実験を探していて、あるとき、素晴らしいアイデアがうかび、それをMargeryのガイドにあたるWalterに打診した。

 If, Button suggested, two solid wooden rings could be interlocked at a séance, a feat that is normally impossible, they would be permanent evidence that could not be explained away, and would also reveal the working of a supernormal force. Walter promised to co-operate. The solid wooden rings were obtained at the next séance. In a few minutes they were joined, one inside the other. Button was delighted that he asked Walter to repeat the experiment, which he did. 

 Buttonの提案は、ふたつの固形木製のリングをSéanceで絡み合わせることができるか、ふつうは当然むりなのだが、もしできれば、Supernormal Power 超自然の力が働いていることの恒久的な証明になるだろうというものであった。Walterは協力すると約束した。次回のSéanceで、固形の木製リングが用意された。2-3分したら、ふたつのリングはからみあわされた。Buttonは喜んで、もう一回やってもらえるかとたずね、Walterはまたやってみせた。

 木製の二つのリングをからみあわせることに成功したSitterたちは、元気づいて、このことをイギリスのSir Oliver Lodgeに報告した。Sir Oliverは、さらに厳しい条件で実験することを提案し、おなじ木ではなく、違う材質の木をつかってみたらどうかといい、自分でTeakHard Pineを選んで写真に撮ったうえで、Bostonに送った。

 また、Walterにできるかと訊ね、彼は実行した。結果は上述した“the greatest psychic exhibit in history” といわれ、産物はガラスのケースの中にしまわれた。参加者はほかにもいっぱい自分が持参したもので作ってもらった。

 これには事後談がある。

 Then a series of strange events occurred. Whether these were due to joking on Walter’s part or not I cannot say, but it seemed as if he were playing games with the interlocked rings. Sometimes, in the séance room, sitters would see the rings looking as though parts of them had been eaten away. At other times Margery Crandon saw sawdust lying on the table and part of the pairs missing. Then the rings would be found broken or separated. Finally there remained only the exhibit in the glass case. … 

 それから、いくつかの不思議なことが引き起った。それはWalterの冗談のせいかどうか、私には何とも言えない。しかし、まるで、Walterがこのからみあったリングとゲームを演じているように思えるものであった。時々、Séanceの部屋で、Sitterたちはリングがまるで、一部分かじりとったようになっているのをみつけた。また別な時には、Margery Crandonはテーブルの上に鋸の屑がちらばっていて、リングが一部なくなっているのを見つけた。それから、ほかのリングもこわれたり、わかれたりして、結局、ガラス・ケースのなかの見せ物だけになった。

 ところが、この唯一の証拠品も、ある日、Buttonが人に見せようとしたら、リングの一つがこわれているのを見つけた。そこで、ButtonLaw of Frustrationというのがあるのではないか、と考え出した。

 “Walter has given us proof, time and time again, that this final evidence could be possible,” he said, “but then something always happens to take it away. It makes me wonder.” Is there such a law of frustration? I do not know.

 Walterは何度も何度も証拠をみせてくれた、この最後の証拠も可能であった、ところが、いつもなにかが起きて、その証拠をとりあげてしまう、わたしは、どうも、フラストレーションの法則といったものがあるのではないかと思うほどだ、とButtonは言った。わたし(Barbanell)は知らない。

――― ――― ―――

わたくし(むらた)が思うところ、どうもInvestigatorたちは性急すぎて、超能力だから無理なことでもできると判断し、無理を要求する。霊界の指導者は、協力的にやるが、無理は無理なので、一時的に無理は可能であったように見えても、すぐに無理のひずみがあらわれてきて、少し時間がたてば、破壊されていくのではないか。どうも、サイキック・サイエンスの探求家たちは、科学者の名のもとに、行うことは幼稚な子供の遊びばかりしていたように思える。こんなばかげた遊びにつき合わされたMediumのガイドもMediumも大変であったろう。

S. Ralph Harlow つづく。

村田茂太郎 2013年1月18日




「心霊現象の科学」をめぐって-その58  S. Ralph Harlow 「A Life after Death」(1961年)を読むーその Patience Worth(ペイシャンス・ワース)

 この有名なPatience Worthのケースも、Dr. Harlowは直接、このケースに参加している。 

 1913年7月8日、Mrs. Pearl Lenore Curran が友人の Mrs. Emily Hutchings とOuija Boardで遊んでいた時に、Patience Worthがあらわれた。有名な文言、“Many moons ago I lived. Again I come. Patience Worth my name.”を発して。

 これが、Mrs. CurranPatience Worthとのつきあいの始まりであった。それは、1928年、まで続いた。この年、1928年、Patience WorthMrs. Curran 経由の地上での仕事(詩と小説の執筆、ベストセラー、まさにGhost Writerそのもの)に満足して Mrs. Curranから永久に去って行った。ひとつだけ希望をつげて。セントルイスのある病院に子供が生まれようとしている。母親はすでにたくさん子供をもっていて、養っていけないから、よろこんで引き取ってもらうことに賛成するだろう。どこそこの病棟のベッド・ナンバー何番だ。その子供を養子にして、名前をPatience Worth とつけて、育ててくれということであった。Mrs. Curranは彼女の希望通りに行った。15年も付き合ったSpiritで、何千枚にわたる本を書いた仲だから、Mrs. Curranにとっては、自分の娘の希望をかなえるようなものであっただろう。

 Mrs. Pearl Curranは教育的には8th Grade, つまり中学2年ほどでおわったわけである。セントルイスに住む女性で、州の移民局に働く男の妻であった。このことが、Patience Worth事件に大きな意味を持つ。つまり、どうみても、彼女自身または彼女の潜在意識が作動したという解釈は無理ということになるからである。

 Dr. Roland UsherDr. S. Ralph Harlowのいとこ)はエリザベス朝、つまりQueen Elizabeth 1st, ShakespeareSpencerなど16世紀、17世紀の歴史と文学の専門家、Professorであった。その彼が、新聞に載ったPatience Worthという名前の女性の作ったPoemが、現代の詩ではなく、完璧なエリザベス朝の詩であることを発見しておどろき、新聞社に電話をしてきたのであった。そこから、彼とMrs. Curranそしてイトコの Dr. Ralph HarlowとのPatience Worthをめぐる関係が始まった。

 When did you live? と 訊いたのに対して、1649という数字が示された。この年が、彼女の生まれた年なのか、アメリカに来た年なのか、はっきりしなかった。死んだのは1675-1676のKing Philip’s Warのころで、Indian Massacreで殺されたらしい。まだ、アメリカ創立期のイギリスからの移民であったようだ。この女性が、のちにイエス時代の歴史小説を書くわけで、そのような女性が専門家も驚くほどの歴史知識に富んでいたというから、これも何度目かのReincarnationであったのかもしれない。

 Dr. HarlowはこのMrs. Curranにも会い、Patience Worthにもあったわけだ。Dr. HarlowMargery CrandonSpirit GuideであるWalterという陽気でPhysicalな現象を起こすことに熱心だったケースを知っているので、Patience Worthのケースにも興味を持ったわけである。WalterLevitationFingerprints, Scale-balancing といったことに彼の関心を集中したのに対し、Patience Worthは何百という詩を書き、3冊の長編小説をあらわした。それは、白昼のことであり、Mrs. Curranは終始、意識している状態でなされた。

 Patience Worthのケースは、のちにあらわれたBridey Murphy Caseと多くの点で似ているといわれたが、MurphyのほうはReincarnationそのものがテーマであったのに対し、Patience Worthは Mrs. CurranReincarnationに関しては直接には関係なかった。それはMrs. Curranとの関係では、Reincarnationは問題にならなかったということで、Patience Worthの書いた歴史小説、キリストの時代を対象にした小説”The Sorry Tale”は、そのころの歴史的資料を深く調べ、Holy Landをくまなく調査した人間が書いたものであろうといわれたから、丁度、古代エジプトを扱ったJoan Grantの小説”Winged Pharaoh” が、自分のReincarnationを思い出して書いた (biographical novel) というのと照応するといえるかもしれない。Patience Worthはそのキリストの時代のことを書きたいという希望を持っていて、Mrs. Curranに接近してきたくらいなのだから、Joan Grant風に考えれば、Patience Worthは1650年前後に生きた人間である前に、キリストの時代に生きた人間のReincarnationであったのかもしれない。

 Mrs. Curranは当初はOuija BoardCommunicationをしていたが、または、書き取っていたが、そのうち、Automatic Writingにかわって、まるでSecretaryが記述をしているような感じとなった。Mrs. Curranの趣味は音楽で、文学や詩は全然興味を持たない領域だったので、Mediumといわれることに恐怖さえおぼえるほどであった。

 この彼女の教育歴と趣味から、Patience WorthAuthenticSpiritであると想定され、彼女の潜在意識とは関係ないと考えられたわけである。

Dr. HarlowDr. Roland Usherとが一緒にMrs. Curranに会いに行き、一緒にSittingを行った。このときは、Automatic Writingではなくて、Ouija Boardであったので、アルファベットを読む人と記録係がOuija BoardPlayer二人のほかに必要で、それは一緒に訪問した別のドクターが行った。最初はMrs. Curranへの挨拶であったが、Dr. Harlowが発言して、自分は今、Turkeyから帰ってきたばかりだから、何かTurkeyの件で、報告することはないかと訊ねた。Planchette  が、猛烈なスピードで動き出し、必死に書留め、30分後、やっと終わって、あとで解読すると、そこには“The Land of Pasha”と題する見事な詩ができあがっていた。ということは、まさにWalterSpiritのように、話しかければ、理解し、自分の才能を示しながら、それを展開する、つまり個性を発揮することができたわけである。

彼女のLongest Poem “Tekla” は6万語をつかい、Total 35時間で書き上げられた(あるいは記述された)とDr. Franklin Princeは言う。

この話をきくと、丁度、Barbanellが紹介したMedium Margaret Lyonのガイドとなった自称日本人の女ドクターKahesdeeが若くして殺されたため、医者の仕事を続けたいという執念がのこって、MediumSpirit Guideとして活躍したという話をすでにこのブログで紹介したが、同じようなケースに思える。Patience Worthの場合は、詩や小説を書きたいと思っていたのに、それができないうちに殺されてしまったので、やはり執念がのこり、Ouija Boardで機会をとらえて、Mrs. Curranのガイドのようにして出現し、15年間、膨大な詩と小説を書き、当時、アメリカでベストセラーになるということで、自分で満足し、やっと生前の願望が果たせたということで、去って行ったように思える。

1918年ごろにはベスト・セラー やアンソロジーにはいり、詩も小説も不滅の価値を持つものと推奨されたが、それは当時の話であって、今は忘れ去られてしまった。しかし、Dr. Harlowによると、そのスピリットは今も感動を与えるという。

No one who has ever sat at an Ouija Board with Mrs. Curran or has studied the mysterious case of Patience Worth can possibly avoid the question: “Who was Patience?” After his long study of the phenomena Dr. Franklin Prince writes, “Either our concept of what we call the subconscious must be radically altered so as to include potentialities of which we hitherto have had no knowledge, or else some cause operating through, but not originating in, the subconsciousness of Mrs. Curran must be acknowledged.”

Mrs. CurranOuija Boardにつきあったひと、またはミステリアスなPatience Worthケースを研究した人は誰も、「Patienceとはだれだったのか」という問いを避けることはできない。長い研究のあと、Dr. Franklin Princeはこのように書いている:我々が潜在意識とよぶもの概念を、今まで知られていなかったものを含む可能性があるという風に根本的に変更しなければならないか、Mrs. Curranの潜在意識以外のところに起源をもつ何かが作動しているということを認めるかしかない、と。

Whatever conclusions we may reach, no one can read the poetry, the novels, and the aphorisms of Patience Worth without being deeply affected. Her comments on religion and immortality and the inspiration and faith that flow from her can make us better, braver persons-if we can meet her challenge to live by a larger faith.

どんな結論を導こうと、だれも、Patience Worthの詩や小説やアフォリスムに深く影響されないで読むことはできない。彼女のもたらした宗教や不滅性、霊感や信仰といった彼女から流れ出した、そういったものに対するコメントは、私たちがよりおおきな信仰のもとで生きるという彼女のChallengeを受け入れることができれば、私たちをよりよく、より勇敢な人間となすことができるであろう。

In a nuclear age when repressed fear is constantly with us and when confusion limits our horizons, the messages of Patience Worth can awaken in our minds and in our soul deeper conviction that the purposes of a good and loving God are ultimately beyond defeat.

抑圧された恐怖がいつもわれわれにともなっており、混乱が地平線を遮っているという核時代のなかで、Patience Worthのメッセージは、善き、愛するGodの目標は、最終的に敗北を超えているという、より深い確信を我々の心と魂に呼び起こす。

As her words echo in our souls we can gain a triumphant faith in immortality and a testament that man is created on the scale of two worlds, not one. Patience is, for me, a bridge that helps us travel from this world to the next.

彼女の言葉がわれわれの魂の中でこだまするにつれ、われわれは不滅ということと人間は二つの世界のScaleでつくられているということに対する信仰を勝ちとることができる。Patienceは、わたしにとっては、この世界から別の世界にわたることを助けてくれる橋である。

―――― ―――― ――――

Dr. Harlowは熱心なクリスチャンで、教会でも大学でもキリストの教えを講じたひとである。このPatience Worthに関して、どうも、熱心な崇拝者の様子を呈しているのも仕方がないかもしれない。彼によると、Patience Worthは宗教的な内容を展開したようである。魂の不滅、神の愛、・・・。「A Life after Death」 Dr. Harlow つづく 村田茂太郎 1/19/2013

「心霊現象の科学」をめぐって-その59  S. Ralph Harlow 「A Life after Death」(1961年)ーその5   Experience of Dying “死”をめぐってーその1

 死んで“無”であれば、それはそれで結構。“無”でなかったらどうなるのか。

 それをある程度、納得する形で教えてくれるのがPsychic Scienceであり、臨死体験とかMediumshipが提示するところである。臨死体験は、いわば入口までを示すだけで、なんといっても、Mediumの働きが、その解明に大きな寄与を与えているということは、すでに紹介したBarbanellその他の記述で明らかであったと思う。

 このDr. Harlowの本は、その点に関しても明らかに1961年の時点でおおいに貢献していると言える。

 Dr. Ralph Harlowはまだ学生で、アルバイトで本のセールスをしていたときに、こういう体験をした。家庭訪問で、本は買ってくれなかったが、若い女性が、うちあけた話を聞かせてくれた。彼が神学部の学生だと知ったから、人生の混乱・不幸を話す気になったのであろう。最近、彼女は3歳になる娘を亡くしたばかりで、ようやく悲しみから調整できるようになったばかりであった。

 ”I know she is all right now; I know I’ll see her in heaven. But I don’t want to see my little girl as a grown woman. I want to see her as she was when I saw her last.” I could not comfort her then but I think I could now. Psychical research has helped.

 「自分は、彼女は大丈夫だとわかっている。わたしは天国で彼女に会えるだろう。しかし、わたしの小さい女の子が大きくなっている姿を見たくはない。わたしは彼女を私が最後に見た姿で見たい。」。私は彼女を慰めることができなかった。しかし、今ならできると思う。サイキック・サイエンスの勉強が助けになったからである。

 Some years after this incident, while I was attending a séance, I contacted a woman who had died in her eighties and who had also lost a little girl of three. And she, too, when she had been in this life, had worried that she might not know her little daughter when her own time came to pass on.

 この出来事があってから、何年かして、私はSéanceに参加していた。80歳を超えて亡くなった女性とコンタクトすることができた。彼女も3歳の娘を亡くした経験があった。そして、彼女も、生きていた時、彼女が死ぬことになったとき、自分の亡くした小さな女の子をみわけられないのではないかと心配していた。

 “But when I came here to what you call heaven,” she said, “I found my little girl and she was unchanged. She was still three years old and she was even wearing the little blue dress that I had made for her.”

 しかし、わたしが、いわゆる天国にきたとき、わたしは小さな女の子を見つけ、彼女は全然、変わっていなかった。彼女はやはり3歳で、私が彼女のために作ったブルーのドレスを着ていた。

 The little girl ran to her mother and jumped into her arms and cried, “Mother!” in the voice her mother had known more than half a century before when they had both been on this earth.

 女の子はお母さんに駆け寄り、腕にジャンプして、お母ちゃん!と叫んだ、それは、ふたりが、この地上で半世紀以上前に知っていた彼女がよく知っていた声であった。

 Then the mother pushed her little daughter away from her and looked her in the eyes and said, “But, child, you’ve been here for fifty years or more, you can’t remain the same!”

 それから、母親はちいさな女の子をそばから引き離して、目を見つめ、言った、「ちょっと待ってよ、わたしの子供よ、あなたは50年以上ここにいるのでしょう、かわっていないなんておかしいじゃないの?」

 The child replied, “No, Mother, but I knew you’d remember me this way and would want to see me this way. Here we can be seen as we wish to be seen.” And later this child was seen by her mother in other stages of normal growth.

 子供は応えた、「そうよ、お母ちゃん、でも、私はお母ちゃんが私を覚えていて、こんな姿で会いたいだろうなと思ったから、この姿でいたのよ。ここでは、希望することがかなえられるのよ。」そして、そのあと、子供は母のそばで、成長の各段階でいるのがみられることになった。

 ここで、わたしは途中まで読んできて、例のRosemary Brownの話の中に出てくるHusbandの今は亡き最初の妻が17歳ほどの子供をつれてRosemaryの前に現れたとき(サイキックでないHusbandには見えなかったが)、Rosemaryの話すのを聞いて、Husbandは自分たちには子供は生まれなかった、流産したから、といったところ、この子はその流産した子供です、霊界で無事育って、こんなに大きくなったのですと最初の妻がRosemary(Husband)に言ったという話を思い出し、3歳の子がそのままというのは、Rosemaryの話と違うじゃないのと思ったが、そのあとの続きを読んで、なるほど、これはすばらしいと思った。確かに、子供を亡くした親は、“子供”を覚えているわけで、亡くした子供が大きく成長していたのでは感が狂うであろう。うまくしたものだと思う。

 自然流産の場合はいいが、堕胎にした場合がおそろしい。母親としては会うのがこわいであろう。身体、健康状態の理由で堕胎という場合は、まだ、仕方がなかったという言い訳は成り立つが、それ以外のケースはすべて殺人に匹敵するわけだ。女性は産むつもりでなかったら、はじめから、堕胎ではなく、受胎調節に心すべきということである。これは女性だけの問題でなく、男女あるいは夫婦の問題である。男が関係してこなければ堕胎も何も発生しないのだから。

 私は、母から、私が生まれた後、もう一度妊娠したが、流産したとかという話を聞いたことがあるように思う。もし、Rosemaryの話が本当なら、私は自分が死んだら妹と初めて会えることになるかもしれない。妹か弟かわからないが、わたしはいつも妹を欲しいと思っていたから、もしかしてそうだったのかもと思う。これは、このPsychic Scienceの勉強のおかげで、死んだときの楽しみができたというところである。

 Near death experience 臨死体験が真面目な研究対象になり、本がたくさん出回り始めたのは1970年代になって、特に1960年代後半からのElizabeth Kubra RossDying関係の本が出始め、1973年ごろからRaymond Moodyの本がでて、この二人の影響で飛躍的に臨死体験が有名になり、Near-death-experienceLife after LifeLife before Life、そしてReincarnationなどの本が急速にでまわったわけであるが、この1961年に発表されたDr. Harlowの本「A Life after Death」を読むと、すでに、まともな臨死体験と、臨死体験者では生き返ったから、そのあとがどうなったのかわからないわけであるが、Mediumから学んだ内容によると、臨死体験のあと、本当に死んで、それからどうなったがわかるわけである。私がMediumの研究が臨死体験よりも大事だと思ったのが正しかったとわかる。臨死体験だけの段階では、ともかく、死んでいないのだから、それは脳内体験に過ぎないという仮説はいつまでも残るのである。(立花隆「臨死体験」)。ところが、臨死体験とおなじことを体験して結局死んでしまった、その報告をMedium経由で霊界から報告するということになると、もし、このSpiritのある程度の信憑性が高まっていれば、より確実にAfter Deathがどうなのかを教えてくれるわけである。Medium Margery CrandonSpirit Guide、死んだ兄のWalterが、地上の人間では考えもできないようなことをいとも簡単にやり遂げ、同じ個性を保持して霊界で活躍しているということを証明することによってSurvival を地上の人間にわからせようとした話はすでに報告した。つまり、Survivalがあれば、このMedium経由で語る臨死体験とそのあとの報告も信憑性があるわけである。

 “What is death? And what is heaven? - have been with us in some form or other ever since there has been mankind. The answers are not so sharp and clear as we would like, but nearly eighty years of conservative research into the paranormal have given us some hints, some glimpses, some fleeting flashes of the future, some surprises, and a great deal of comfort.

 死とは何か?天国とは?といったことへの関心は、人類が生息し始めて以来ずっと何らかの形でみんなが持ってきたものである。それほどきわだった、鮮明な回答ものぞめないが、80年にわたる超自然的な領域への用心深い探求はなんらかのヒント、瞥見、未来に対するほんの一瞬のひらめき、ある程度の驚愕、そして大変おおくの慰めを与えてくれた。

 The literature on these two subjects repeatedly records irritation on the part of those who have passed on when we use the words “dead” and “heaven.” “We are not dead.” They say. “We are more alive than you are; we have simply passed along, or progressed, to another stage.” They are more tolerant regarding the word “heaven” but they say, “You have an incorrect concept of it, and we can explain it only partially, but the word itself gives a wrong impression.”

 死と天国を主題とする文学になんども繰り返してあらわされた記録に対しては、向こう側に行ってしまったひとびとが、いらだった反応をひきおこすことになった。つまり、死者とか天国ということばにたいして、「われわれは死んでいない」といって。「われわれは、あなたがたよりもより生きていると言える。われわれは単にパスしただけだ、あるいは別なステージへ進化しただけだ」と。Heaven天国ということばにたいしては、まだしも寛大な反応を示す、つまり、「それは誤解を与える言葉であり、それに対しては、部分的にわれわれは回答できるが、間違った印象を与えるのはまちがいない」という。

 What happens at death? What do we really experience when we die? All of us will learn this for ourselves one day, through personal experience, but few of us are content to wait for this eventual knowledge. We want to know beforehand, we are impatient, and many of us filled with fear.

 死ぬときに何が起きるのか?われわれが死ぬときに本当にどういうことを体験するのか? れわれすべてのものが、このことについては、ある日自身で体験することになる。しかし、そういうことで、満足できるのはほんのわずかな人だけで、われわれは事前にどうしても知りたい。われわれはせっかちであり、多くのものは恐れを抱いている。

But apparently there is no need for fear.

しかし、明らかに、われわれはちっとも恐れることはないのである。

 When death comes painlessly or suddenly, as it so often does, the surviving personality (or the astral body, if we accept this phrase), now free of the flesh, is not at first aware of the transition. This is reported again and again by those who have gone through the change. They are confused and puzzled over much that has happened. A soldier killed in combat by a shell explosion, will attempt to help his comrades carry in his own shattered body. A woman suddenly finds herself standing by her bed and walks downstairs and wonders why her loved ones do not seem to see her.

 よく起こるように、死が苦痛もなく、或いは突然に訪れる場合は生き残ったPersonality(あるいは、Astral BodyということばをつかってもよければAstral Body)は肉体を離れて、当初は移行したこと(死んだこと)に自分で気が付いていないことが多い。これは、移行をした人から(つまり死んだ人から)何度も何度も報告されている(つまり、Mediumなどを通して)ことである。彼らは大概、わけがわからなく、何が起きたのかわかっていない。戦いで、破裂断の爆発で殺された兵士が、自分の破砕された身体で、同僚を運ぶ手伝いをしようとする。女性が突然、自分がベッド際に立っているのを見つけ、階下に降りて、愛する人たちがどうして自分に気が付かないのかと不思議に思う。

 On the other hand there are deaths that are painful and prolonged, calling for fortitude and patience. When a person has endured much suffering or a long illness the transition seems to be of another character. In such cases there is evidently a period of rest, even of deep sleep, in which the person is not aware of survival or existence. The awakening in the other world comes gradually, where the newborn spirit finds himself lying on the bank of a brook surrounded by green fields and flowers.

 一方では、痛みを伴って、長引いた、忍耐と我慢を要求した死もある。長い間苦しんだ人、長い間病気であった人の場合は、死はまたべつの様相を呈するようだ。そういう場合は、明らかに、休養とか深い眠りともいう状態に入って、生きているのか死んでいるのか、わからない状態がしばらく続くようだ。別の世界で目覚めるのは徐々にであり、やがて、生まれたばかりのSpiritは、自分が緑の草原と花畑に囲まれた小川のほとりに横たわっているのを見つけたりする。

 Generally a friendly spirit is nearby, waiting to introduce the new spirit into the heavenly country. And as in sudden death the new spirit is often not aware that a transition-death-has taken place. Memories of the final hours come back and the astral self-dreads a return to the painful life in his physical body. And now spirit guide, perhaps a relative or loved one who has preceded the newborn spirit, will give assurance and confidence. This type of experience has been recorded in many messages.

 一般的に、親しみ深いSpiritが近くにいて、天国を新しいSpiritに紹介しようと待っている。そして、突然死んだケースのように、新しいSpiritは移行=死が起こったことに気づいていない。地上での最後の時間の記憶がよみがえって、苦痛に富んでいた肉体にもどることをAstralな精神はおそれる。そして、新しいSpirit ガイド(それは、先に移行していた肉親や愛する人たちだが)が、保証と確信を与える。この種の体験もたくさん報告されている。

 One message from a departed person, and recorded by a close friend of mine, says death “is more a passing through an inanimate barrier than the breaking of a stretched cord. When normal, death is a pleasant experience. Passing through shock is more difficult and takes longer recuperation.”

 亡くなった人からのメッセージで、私の近しい友達が記録したものだが、こう言っている、“死は伸びたコードを断ち切るようなものというよりは、無生物の防壁を通り抜けるようなものである。通常、死はよろこばしい体験である。死ぬときにショックがあるような場合は、もっとむつかしく、そのショックからの回復に時間はかかる。”

 Take the death of Louise Andrews, for example. She had been a very close friend of Marguerite and Howard Walter’s … and it was the Walters to whom she came after her own painful death. It was while the Walters were living in India that Louise contacted them. One evening while sitting quietly at home Marguerite Walter felt a sudden urge to write; she felt a force guiding her right arm and she could not control it. Her fingers picked up a pencil and her husband handed her a sheet of paper. At first her hand made large circles on the paper and then it began to write the words “Mary wants to write.” This sentence was repeated several times before words began to flow in orderly sequence. “Mary”-a spirit purporting to be a girl recently emancipated from her earthly body and still confused in her new environment-was only the first of several visiting intelligences from the other side who wrote hundreds of pages of automatic writing through Marguerite Walter.

 ルイーズ・アンドルーズの場合をみてみよう。彼女はマルグリットとハワード Walterの親しい友達であった。ルイーズが苦しかった死の床をおえて、Waltersにコンタクトしてきた。Walters夫妻がインドに居たときのことである。ある晩、家で静かに過ごしていると、突然、マルグリットは何か書きたくなった、彼女は何かが彼女の右手を動かして、彼女自身がコントロールのきかない状態にあった。彼女の指は鉛筆をピックアップし、夫が紙を提供した。最初は紙におおきな円を書くだけであったが、そのうち、Mary Wants to write. と書いた。何度か、同じことを書いた後、まともな文章が流れ出した。Maryは最近、地上の肉体から解放された(つまり死んだ)若い女の子のSpiritで、まだ新しい環境になじんでいない感じであった。それは、その後、何百ページも自動筆記でマルグリット Walterが書くことになるたくさんの知的なSpiritの最初の現れであった。

 Then one day Louise Andrews, their old and dear friend, began to come through. I learned from Louise’s father that she had died of cancer of the throat, but this was after I heard from Marguerite and Howard Walter what Louise had reported about her death.

 それから、ある日、ルイーズ・アンドルーズ、彼らの古くからの親愛な友達が、やってきた。私(Dr. Harlow)はルイーズの父親からルイーズは喉頭がんで亡くなったときいた。しかし、それは、マルグリットとハワードWalterから彼女が自分の死について語ったのを聞いた後のことであった。(つまり、Waltersはルイーズの死後のSpiritから、直接、自分の死ぬ場面をきいていたのである。)

 “My last memory of death,” she wrote through Marguerite Walter’s hand, “was lying in bed with my family around me. Some of them were weeping. The pain in my throat was worse-much worse-and I could not get air. I could not breathe. Then suddenly the pain was gone and I was lying on the bank of a beautiful brook beneath a huge tree that cast its shade over me.

 私の死に関する最後の記憶は、ベッドで寝ていて、家族がわたしのまわりにいて、そして何人かは泣いていた。のどの痛みはとてもひどく、我慢できないほどだった、そして、空気が入ってこない、息ができなかった。そして、突然、痛みはなくなり、私は大きな木が影を私に投げかけている小川のほとりで横たわっていた。

 “Standing near me and watching me was a man dressed in white. I had never seen him before but I immediately felt his friendship and his calmness and his goodness. He asked me if I felt strong enough to take a walk. I did not know, for I had just awakened. But I noticed immediately that I could breathe without pain. And I rose and walked toward him, and found that I could walk, but I wondered about the body I was then in, for although it was very real it seemed so different from the body of the flesh.

 私の近くに白い衣装を着た男が立って、私を見つめていた。私は一度も彼を見たことはなかった、しかし、彼が彼の友情・静謐・善意などを直ちに感じることができた。彼はわたくしに散歩できるほどの力があるかとたずねた。私は知らなかった、今、目覚めたばかりだったから。しかし、わたしは痛みを感じないで息をすることができるとわかった。そして、立ち上がり、彼のほうに向かった。私は歩けることがわかった。しかし、わたしは自分では体を持っているように感じたが、いわゆる肉体とは非常に違った感じであったので、いったいどうなっているのだろうと思った。

 “I began to fear this was a dream, for if it was I know I would walk into a world of pain again, and I did not want any more pain. Then I remembered my last earthly memory and my mother beside my bed weeping, and I looked at my guide with some sort of new understanding. I was struck by the beauty of the countryside, and I saw a group of persons strolling through the field, singing as they walked.

 私は、これは夢ではないかと心配になってきた。もしそうなら、またまた、あの激しい痛みの中にもどることになり、私はもう痛みはこりごりだったから。その時、私は地上での最後の記憶がもどってきた。私のベッドの横で母が泣いていた。私は、やっとすべてがわかった気になって、ガイドを見つめた。私は田舎の美しさにうたれた。そして、野原を散歩している一団が歌いながら歩いているのが見えた。

 “I asked my companion, `Is this heaven? ` And he replied, “That is what some call it, my dear, ` and then I knew.”

 私は同伴者に、これは天国かとたずねた。すると、彼はそういう風に呼ぶ人もいると応え、私はその時にわかった。

 Many persons who have been critically ill and who have been very near death have reported similar experiences of being detached from their physical bodies and being able to observe events outside the sickroom through some strange and unexplainable extension of their senses. A woman during severe sickness found she could leave her physical body and could walk downstairs. She strolled through the rooms, somewhat confused but without pain, until she heard a voice commanding her to return to her physical body. She told me, “It took great effort to return, but I did.”

 危険な状態にあって、ほとんど死にそうであった多くの人が、同じような経験―肉体から離れて、どういう理由かよく説明できない感覚で、病室の外の出来事まで観察する経験を報告している。ある女性がひどい病気のとき、彼女は自分の肉体を離れて、階下へ歩くことができるのがわかった。彼女はいろいろな部屋をさすらったが、苦痛もなく、すこし、どうなっているのかと思う程度であった。そして、突然、命令口調で、肉体に戻りなさいという声を聞いたのであった。彼女はその体験を私に語ったが、大変苦労して、肉体に戻ったとのことであった。

 And once when my sister Anna was extremely ill in a crowded hotel in Athens she “saw another country with a high wall and a gate, and I could see through the gate into a beautiful land, and I knew this was the other world. I wanted to go very much but I heard a voice say, `Don’t go, if you do you cannot return, and you are needed where you are. `She, too, told me it was very difficult to resist the urge to pass through. And later when she was ill in a hospital she saw a beam of light leading up to a beautiful country, and she knew she could ascend to the peace and tranquility of the other world. But simultaneously she saw her husband kneeling beside his bed at home, praying for her, and again she resisted.

 そして、わたしの妹がアテネの混雑したホテルで大変重い病気であったとき、彼女は「高い壁と門のついたもうひとつの国を見た。私はゲートをとおして、きれいな土地が広がっているのが見えた。自分にはこれは別の世界だとわかった。わたしはそこへ行きたかったが、ある声が聞こえて“行くな、でないと、帰ってこられないぞ、お前は今いるところで必要とされている”と言った。アンナも通り抜けたいという内心の欲求に抗するのはとてもむつかしいことであったと語った。そして、また後ほど、病気で病院に居たとき、光のビームが射して、美しいところへ上がっているのが見えた、彼女は平和と静謐さにみちた別世界に上って行けることがわかっていた、しかし、同時に、夫が家の彼のベッドで跪いて、彼女のために祈っている姿を見た、そして、また、別世界にゆくのに、抗しなければならなかった。

――― ――― ――― ―――

 まだ、つづきます。Dr. Harlowが語っているのは、いわゆる1970年代に有名になった臨死体験をして生き返った人と臨死体験をして死んでしまった人のMediumAutomatic Writingでの本当の死の体験談を死んだ本人が語っているという大事な状況説明です。この本が出版されたのは1961年であるということを知っていなければなりません。Elizabeth Kubler-RossRaymond Moodyなどよりも、はるかに早い時期にあたります。

 これは大事なところで、ちょっと長くなりそうなので、ふたつに分けます。

その1 終了。 その2につづく。

村田茂太郎 2013年1月22日




「心霊現象の科学」をめぐって-その60  S. Ralph HarlowA Life after Death」(1961年)ーその5   Experience of Dying “死”をめぐってーその2

 似たような臨死体験で、体外離脱をして、本人が見たこと(情景など)をほかの人が確認できたケースとして、つぎの例があげられている。1979年に出版された「Death Encounters」という本によると、この臨死体験は第2の分類に属すると言える。つまり、検証可能な体外離脱体験。体外離脱して、自分のベッドの身体を上から見ていたというだけでは、ほかのひとが検証できないので、主観的段階、臨死体験第1の分類というようなわけかたが、このDeath Encountersではなされている。いずれ、このブログで -多分、その64 で紹介する予定。ここにあげる例も、特に1970年以降たくさん報告されているが、このDr. Harlowの本が出たのは1961年である。

 One case is most fascinating, involving a medical doctor with a strongly skeptical and practical turn of mind. ひとつのケースが特に魅力的である、それは懐疑的であり、また実務的でもある医者がからんだものである。

 Critically ill and given up by his colleagues, the doctor was dying in the hospital bed. “Suddenly,” he told me, “I found myself outside my physical body. I cannot explain it in any other words.” He observed his nurse leaning against the wall of the room sobbing, and he watched attendants pull a sheet up over his physical body lying on the bed. He left the room then and strolled down the hall. He saw a wheeled stretcher pushed into Room 30 and returns with a patient. He entered Room 31 and watched a nurse help a patient out of bed.

 危篤の状態で同僚から見放されたドクターは病室で死にかけていた。“突然”、彼が私に語ったところによると、“私は自分の身体から抜け出しているのを発見した。私はそれについては、ほかの何らかの言葉で説明することはできない。”彼は彼の看護婦が部屋の壁に寄りかかって、すすり泣いているのを見守った。そしてつきそいが、ベッドの上に横たわっている彼の身体を、シートでカバーするのを見た。彼は部屋を出て、ホールをさすらった。30番の部屋に車輪のついた担架が運び込まれ、患者をのせて戻ってくるのを見た。31番の部屋に入ると、看護婦が患者をベッドからでるのを手伝っているのが見えた。

Then he heard a voice say, “You are not yet ready to come over. You must go back to your body.” But he protested, for he did not want to go back. And the voice said, “But you must. Your work on earth is not yet finished.” With great difficulty he got back into his physical body, and sometime later regained consciousness. 

そのとき、彼はある声が、“君はまだこちらには来られない、君のからだに戻りなさい”というのを聞いた。しかし、彼は逆らった。彼は戻りたくなかった。そうすると、再び、“君は戻らねばならない。君の地上での仕事はまだ終わっていないのだから。”と声が叫んだ。それで、大変苦労して、自分の身体に戻った、そして、しばらくしてから、意識が戻った。

 His doctor and nurse were astonished. His colleague said, “By all tests you died, and now you are here again.” 

 彼のドクターと看護婦はびっくりした。同僚は言った、“あらゆるテストから判断しても、君は死んだのだ。そして、今や、再び君はここにいる。”

 “Perhaps so,” my friend replied weakly, “but I must know some things.” He called the nurse and asked her to take careful notes on what he was to say. He told her what he had observed in the hall and in Room 31, and he asked her to check if these events had indeed happened as he had seen them. Naturally his nurse suspected delirium, for she knew he could not have observed what he had reported. She herself was unaware of what had happened outside the room, for she had remained there with her patient. But to humor him she granted his request and found that his report checked in every detail.

“多分、そういうことだ。”私(Dr. Harlow)の友人は弱弱しくこたえた。“しかし、ちょっと知りたいことがある。”彼は看護婦を呼び、これから自分の言うことを注意深く書き取ってくれと頼んだ。彼はホールで自分が見たこと、31番の部屋のことなどを話し、これらの出来事が、自分が見た通りに実際に発生したのかどうか調べてくれといった。当然のことながら、看護婦は、彼は妄想におちいっていたのだと疑った。というのは、彼が今報告したことを観察できたはずがないということをよく知っていたからで、彼女自身、彼と同じ部屋に居て、外の部屋で起きていることなど、全く、気が付かなったくらいなのだから。でも、からかってやるいい機会だとばかり、彼の要求を認めて、調べてみたら、すべてが彼の言ったとおりであった。

これは、臨死体験のなかでも、検証可能といわれるケースである。1970年以降は有名になった症例といえるが、1961年以前にすでに報告されていたということが大事である。(ムラタ)


 In most respects the people who have passed beyond are not much different mentally from the way they were here, and often they are doing the same kind of work and are concerned with the same things they were concerned with in this life.

 大概の場合、向こう側にいってしまった人は、行く前の自分とちがったMentalityをもっているわけではない。彼らはしばしば同じような作業をしており、この世で心配していた通りのことを、向こう側でも心配している。


 Apparently we go over the border as persons-our personalities are unchanged; we go as selfish and unselfish as we really are; we go as the noble or the evil characters that we are; and we go as the admixture of evil and noble, of good and bad that we really are.

 明らかに、私たちは私たちのそれぞれの個性がかわらないまま、向こう側にゆくのである。利己的であったり、そうでなかったり、高貴であったり、悪連れしていたり、われわれあるがままの、よい面も悪い面も、Evilな面もNobleな面ももったまま移行するようである。

 Heaven seems to be not a new life but an extension of life as we know it here; it seems to be a continuation of our lives here, except that there are no material things as we know them. The “Things” of heaven are there, and they are the same as we know them here, but they are made-if this word can be used in its earthly sense-only by the mind. It is the sort of thing that happens when a newly arrived spirit sees an older spirit in the form that the old-timer thinks the newcomer wishes to see. This is not a materialization as we see it in séances and in demonstrations of what is called ectoplasm; it is the sort of materialization we all have experienced in dreams when we have seen our friends as they were ten years ago.

 Heaven天国とは、新しい生活ではなく、今我々がしっている生活の続きのようである。物質的な面が取り除かれただけで、それ以外では、このいまの生活がそのまま続くようなものらしい。Heavenでのモノはわれわれがここで知っていたのと同じであり、ただ違いはMindでつくられたモノであるという点だけである。それは、新しいSpiritが移行してくるとき、新しいSpiritが見たいと思う姿で先に来ていたSpiritが迎えるのと同じである。これは、いわゆる、我々がSéanceなどでEctoplasmを使って見られるMaterialization物化ではない。たとえていえば、それは夢の中で10年来の友人に会うような、そういう形のモノとしての現れである。

 Again and again we receive messages such as this one recorded by a friend: “It is a good thing I was not looking for gold streets and wings! I have work to do here, and when it is done I can visit with you on earth. The change from earth means that the horizon is broadened, it continues developing but always vital and interesting. Someday you will learn that there is plenty of time. Live one day now; take tomorrow’s troubles tomorrow.”

 何度も何度も我々はある友人が記録した次のようなメッセージを受け取ったものだ。“わたしが金でできた街路や翼を求めていなくてよかった。わたしは、ここで仕事がある、これが終われば、地上を訪問できる、地上との違いは、地平線が広がったようなものだ、それは、広がる一方だが、いつも活気があって、興味津々たるものだ。いつか、あなたは、時間はたっぷりあるということを学ぶだろう。今を生きよ、そして明日の苦労は明日にまかせよ。”

 Shortly after her death my sister Anna, communicating with us by Ouija Board, told us of her activities in the other world. She was, she said, in charge of a home for children who had died as infants. With a staff of other young women as helpers she was teaching them and training them in a beautiful building surrounded by gardens. “I have every facility for helping these children gain in wisdom,” she said. “Some of them are getting far better care and opportunity than they would have if they had remained longer on earth. Distraught parents need not grieve; their children are happy.”

 私(Dr. Harlow)の妹Annaが死んでから、Ouija Boardをとおして、Annaがコンタクトしてきた。そして、別の世界での彼女の活動について報告した。彼女は、幼児の間に死んでしまった子供たちのための家をとり仕切っていて、ほかに若い女性たちがヘルパーとして居て、彼女は庭で囲まれた美しい建物の中で教えたり、指導したりしていると言った。“私はこれらの子供たちが知恵をつけるように援助するあらゆる施設を利用できる。あるものたちはもし彼らが地上に居残っていたとしても受けられるよりはるかにすばらしい機会に恵まれている。子供が死んで、とりみだした親たちは、悲しまなくてよい、彼らの子供たちは幸せである。”と。

 Another message, which I sincerely hope is accurate, said that no work of art is lost over there. In the libraries and museums and institutes are stored everything that has lifted man’s spirits nearer God and flooded him with a sense of beauty and wonder. The great masterpieces of all time are there-Plato’s Phaedo, St. Paul’s Letter to the Corinthians, Bach’s chorales, Handel’s oratorios, Rembrandt’s art, Rodin’s sculptures. The result is, the message said, that countless multitudes who on earth were denied the joy of contemplating such beauty are given the fullest opportunity over there to appreciate these works of genius.

 別なメッセージは、私は心から本当であることを希望するものなのだが、美術品などもひとつのこらず無くなっていない、図書館や美術館、研究所などで、人間の精神を高揚させて、神に近づけ、人間を美とワンダーで満たしたすべてのものは、保存されている。あらゆる時代を通しての偉大なる傑作、プラトンのパイドンからパウロのコリント人への書簡、バッハのコーラル、ヘンデルのオラトリオ、レンブラントの絵画、ロダンの彫刻・・・そうしたすばらしいものに接する機会がなかった、数えきれない多くの人たちが、これら天才たちの作品に接する機会が充分にあるということだ、とメッセージは伝えた

 And we are told of great liberality there, both in little things, and in matters we consider very important here on earth.

 そして、われわれは小さなことでも地上で重大と考えられることでも、おおいな自由度にめぐまれていると聞かされた。


 Other reports indicate that married couples are not bound by legal, matrimonial, or sexual relationships that started here on earth. Relationships there are dependent on mutual spiritual understanding and harmony. Husbands and wives who shared mutual love here continue to share it over there. But those who do not have spiritual experiences in common can go their own ways and are not required to live together. Couples whose spirits are utterly out of tune may part and find new companions, even though they were married on earth in St. Peter’s or in the Mormon Temple in Salt Lake City. Surely this message seems in accordance with the loving spirit of Jesus.

 たとえば、別のレポートによると、夫婦という組み合わせは、地上で始まった法的な夫婦関係、性的関係などによって拘束されているわけではない。お互いの精神的な理解と調和が関係を保つのであって、夫や妻たちがお互いに愛し合った人たちの場合は、向こう側に移ってもその愛情関係は継続するが、共通したSpiritualな関係を持たなかったものたちは、向こう側に移ると、それぞれ、自分の道を行き、一緒に住むことを強制されない。まったく不協和であった夫婦は、向こう側では別れて、おたがいに別の相手を見つけることになる。たとえ、彼らの地上での結婚が、神聖な各種の教会で執り行われたとしても、である。このメッセージはイエスの愛を基本とする精神に合致すると言える。

 In m file is the verbatim question-and-answer record of one session that should give much comfort to millions here on earth. It concerned a man named Everett who before his death had been blind from early childhood and in his later years was pitifully crippled with rheumatism in both hands and feet. This answer came in response to a question about him; “Everett is happy, filled with the beauty around him and not missing a jot. His hands are whole, his legs are whole, his eyes are whole, and his heart will be whole when I tell him his son is listening. Over here we are full of joy for every chance to carry happy news. We all rejoice when one uses an established line of connection with loved ones.”

 私のファイルの中のあるメッセージは、地上の何百万の人々に、慰めをあたえるものと思う。それは、質疑応答という形で展開されたものである。Everettという男の話である。彼は、死ぬ以前は、子供の頃から盲目で、後年にはリューマチのせいで、両手と両足が不自由であった。彼に対する質問への返事としてかえってきたものである。「Everettはハッピーだ。彼は美しいもので囲まれ、なにひとつ不足していない、彼の手も足も目も完全で、わたしが彼に息子が聞いていると伝えれば、こころも完全であるだろう。ここでは、機会があるごとにハッピーなニュースを伝えられるということで、われわれは喜びに満ちている。われわれ、みんなは愛する人たちと使い慣れたラインで連絡しあえるということで喜んでいる。」

  How do people who have not known each other here come to know each other there?

 お互いに知らなかった人たちが、どのようにして知り合えるのか?

 Likeness in mentality and spirituality draws people together here or there. 

 精神的、霊的に似たような人同士がここでは、ひきつけられるのだ。

 Everett sends a message. He says, “I do not have to miss any of the beauty here. No one would dread to come if they could half guess what it is like. California will have to take a back seat; it is hard to describe.”

 Everettがメッセージを送っている、彼は言う、“私はここでは、美をなにひとつ見逃すことはない、もし、この半分でも想像できれば、だれもこちら側にくることをこわがらないだろう。ことばでは言い表せないくらいで、カリフォルニアはうしろにひかえろということがいえるだろう。”

(ムラタ注、なぜ、ここでCaliforniaがでてきたのか、会話は主にNew York, Eastのはずである。CaliforniaBeauty自然美はアメリカ人は誰でもうらやむくらいによく知られていたということか。)



村田茂太郎 2013年1月24日




「心霊現象の科学」をめぐって-その61 S. Ralph Harlow 「A Life after Death」(1961年)を読むーその6 On Apport etc. テレポーテーション 

 Apport MaterializationTeleportation)の話については、私はすでにMaurice BarbanellMediumship 紹介の中でとりあげてきた。また、このHarlowの本の中でも、いくつか紹介してきた。Dr. Harlowの亡くなった妹Annaが死んでから二週間ほどして、両親の部屋のベッド・サイド・テーブルにメモの紙を残したというのもApportであった。

 ここでは、Fresh”新鮮な花などを持ち込むMediumが紹介されている。このMaterializationはインチキも多いのであるが、それは科学者を相手にすると、エネルギーが協調的に働かないため、演出がむつかしくなるということで、別に科学者を相手にしていない時は、彼らはごく自然に不思議を演出することが可能であったようだ。(もちろん、はじめからインチキな場合は別だが、ホンモノでもまわりのエネルギーが協力的でないと、うまくゆかない場合が多いということである。)特に、このMaterializationには和気あいあいとしたムードが大事なことは、Barbanellの中で、Party Moodを盛り上げる話がMediumSpiritガイドから提案されていたことからもわかる。

 Dr. HarlowQuakerである40年来の友人Ned WoodからLeonard Stottレナード・ストット というサイキックを紹介された。そこで、彼はGilbert E. Wrightギルバート・ライト というGeneral ElectricResearch Chemistと一緒に、StottSéance に参加した。StottSpirit GuideThunder CloudというAmerican Indianで何年か前に亡くなった人らしい。Thunder Cloudが最初出てきたが、しばらくして、いなくなって、今度は、Barbara Hutchinsonという女性がでてきた。Ned Woodは、彼女はIndianと同じほど、しょっちゅう出てくるとささやいた。

It was not the conversation or the messages that were important that evening; it was the apport that Barbara performed. As calmly as if such an extraordinary event were commonplace, and indeed it seemed to be at the Stott’s house, Barbara said, “I will bring you a fresh rose from a distant garden.” Within a few minutes we heard something drop lightly on the table in front of us, and when we turned on the light there lay a beautiful, freshly cut red rose, its petals still damp with dew.

その晩、大事なのは会話やメッセージの伝達なのではなかった。バーバラが実演したテレポーテーションであった。それがまるで特別なことでないかのように穏やかに、そして実際、ストットの家ではそのように思えたのであるが、バーバラは言った、「私は遠くの庭から、新鮮なバラをもってきましょう。」そして、2,3分もたたないうちに、私たちは前にあるテーブルの上に軽く何かが落ちる音を聞いた。そして電気をつけてみると、新しく切ったばかりのきれいなバラの花が、まだ花弁が露に濡れたままの状態で横たわっていた。

I visited Leonard Stott three times, and each time some object was apported, brought into the closed room, supposedly by spirits using paranormal techniques. Of course I had experienced apports previously, and had studied them ever since my mother had showed me the underlined forty-nine-word message apported by my sister Anna two weeks after her death. And therefore I was not too surprised by these almost routine demonstrations by the spirits who came to us through L.S.

私はレナード・ストットをサンド訪問した。いつも、何らかの物体が運び込まれた、閉じられた部屋に、Spiritたちが超自然のテクニックをつかって。もちろん、私は以前にApportテレポーテーションを経験していた。そして、母が私の妹がなくなって二週間後に、妹が書いたと思われる、下線を引いた49語のメッセージを私に示したときから、研究していた。それゆえ、LS経由でやってくるSpiritsたちがまるで日常的にこのテレポーテーションを実演するのにたいして、別に驚きはしなかった。

But one apport, experienced there by Gilbert Wright, was indeed remarkable. It was brought by Thunder Cloud, and in the words of Gilbert Wright, who corresponded extensively with me about the experience, it was “placed in my hands without feeling or fumbling as though donor could see in the dark.” It appeared to be “a clod of hard earth, half clay and half sand, with a sprig of wild asparagus growing out of one corner and a sprig of clover out of the other. Both were fresh!”

しかし、ギルバート・ライトが経験したApportテレポーテーションは、実際、驚くべきものであった。それは、Thunder Cloudが行った。私と頻繁にこの種の経験いつぃて交信していたギルバート・ライトの話では、「それは、ドナーが暗闇で見えるかのように、やりそこなったりする感じではなく、自然と私の手の中に置かれた。」、「それは、硬い土の塊のようで、半分粘土、半分砂でできていて、野生のアスパラガスの小枝が一方のコーナーから、クローバーの小枝がもう一方のほうから生え出ていた。両方ともFreshであった。」

“The clod weighed slightly more than four pounds, and when Wright returned to his home after the sitting he examined it more closely. The soil (four ounce of it, according to Wright’s meticulous records) was so thick that Wright did not suspect that it might be concealing other objects. Carefully he began to pare the soil away from the lump and found 1) a large stone ax weighing two pounds, 2) a stone maul weighing fourteen ounces, 3) a large arrowhead, and 4) a small arrowhead.

塊は4ポンド以上の重みがあった。ライトがSittingから家に帰って、もっと綿密に調べてみた。土は(ライトが緻密に調べた結果では、4オンス)分厚かったので、何かほかの物体が隠れていると疑わないわけではなかった。注意深く塊から土を取り去り、わかったのは、1)大きな石の斧で2ポンドもあった 2)石のおおづち で14オンスの重さ 3)大きな矢じり と 4)小さな矢じり が見つかったということであった。

“I spent half an hour,” he wrote me, “scraping off the dirt which adhered very tightly. I had literally to dig the dirt from the grooves in the stone implements before they became visible.” He carefully preserved the soil for later analysis and submitted the stone artifacts to an Indian expert for identification. The expert said: “The stone implements are of argillite, a mineral resembling basalt. They were used by the coastal Algonkins about 1000A.D. The maul is a particularly good specimen. Few museums could boast a better…. The soil came from Camden, N.J., or somewhere in the vicinity of Philadelphia. It is called a micaceous stealite. A bed of it stretches up the Susquechanna Valley to Lancaster, PA.”

私は半時間使って、かたくひっついていたほこりをかきとった。面倒なので簡単に要約すると、土は分析用に取り除いて、ほかのものをIndian文化の専門家に見てもらったら、東海岸アルゴンキン族が紀元1000年ごろに使っていたものだとわかった。品質のいいもので博物館でもなかなか見当たらないほどのものであった。土はNJからPAまでの地域にぞくするものであったとか。

Later an amateur anthropologist and collector offered to buy the ax and maul for fifty dollars. Arguing with himself, Wright wrote me, “Now assuming these implements to have been fraudulently introduced into the séance room, where did the Stott get them? Had they been stolen from a museum, they would have been clean. They could not have been purchased from a pawn shop for the same reason. The only relevant theory that is left, if we take the oblique view, is that the Stott have found a deposit somewhere, probably in their own back yard. But how did they recognize the find in the first place? In the condition in which they were received [by Wright] they were not recognizably artifacts. I couldn’t have recognized them and I am scientifically trained, and, I believe, more observant than the Stott.

あとで、マチュアのコレクターが斧と小槌を50ドルで買いたいといってきた。そこで、ライトはいろいろ考えた。「これらの物件がインチキな手法でSéanceの部屋に持ち込まれたのなら、このMediumストットはどこから手に入れたのか?Museumから盗まれたのか、それだったら、Cleanであったはずだ。同じ理由でPawn Shop質屋から手に入れたとも思えない。考えられる唯一のアイデアは、これも曖昧なものだが、Stottがどこかにあったのを見つけたということだ。多分、自分の敷地のどこかで。しかし、どうして、それを見つけられたのか。ライトが受け取ったような状態では、Artifact技芸品とは見分けられなかったわけだし、私自身も見分けがつかなかっただろう、そして、私は科学的に訓練された人間であり、まちがいない、Stottよりも識別力があることは確かなのだ。

“Besides, I cannot see how they could have been brought secretly into the séance room. There was nothing of that sort in the room when we entered. The sprig of asparagus might have been pinned up behind the curtain and likewise the clump of clover, but the floor was of linoleum and there was no sand on it. If fraudulently introduced, they must have been concealed in a bag and that would have been too bulky a parcel to conceal about one’s person. Lastly they are worth about fifty dollars for they are all excellent specimens. So, on the oblique theory, the Stott accept a dollar fee [for the séance] and hand out goods to the value of fifty dollars. That doesn’t make sense!”

おまけに、このSéanceの部屋にひそかに持ち込まれたというのがわからない。われわれがこの部屋の入ったときには、その種のものはどこにも見当たらなかった。アスパラガスの小枝はカーテンの後ろにピンでとめてあったかもしてない、クローバーのかたまりも同じようにして、しかし、床はリノリウムでごみ一つ落ちていなかった。もし、インチキで持ち込まれたのなら、バッグかなにかに隠していなければならなかったはずで、一人の人間が隠し持つにはあの物件は大きすぎたはずだ。最後に、それら、矢じりや 斧は博物館的に見てもすばらしい標本なので、50ドルの価値はあったという。StottはこのSéanceをもつのに、我々から1ドル受け取っただけである。1ドル受け取って、50ドルの価値のあるものを客に渡すなど考えられない。 (ムラタ 注:ここでSéance費用が1ドルと書いてある。今、電話でMediumにコンタクトするだけで、100ドルとか200ドル300ドルとかが必要である。今、Séanceをもってもらえば、200ドル以上はかかるだろう。仮に200ドルとして50倍すると1万ドルの価値ということになる。つまり、このMedium Stottがインチキをしたりしたものではないということ。4ポンド以上の重たい物体が、どこかから、まさに掘り起こされて、まわりにFreshな草が付着した状態でテレポートされたという、驚くべきApportであったといえる。)

And later Wright wrote me about other Apports he had received. “Under strict test conditions I have received an ancient coin, an issue of India and approximately two thousand years old. I have received two absolutely fresh poppies when none were available at that time of year in that particular zone. … and I have had the phenomenon of apportion take place in my own apartment in broad daylight, a package of cigarette vanishing from a closed desk and dropping in the middle of the floor in front of us, a small bell being torn from a curtain where it was sewn and placed on the middle of a studio couch, and many other phenomena.”

そして、そのあと、ライトは、彼自身が受け取った数々のApport物件をDr. Harlowに紹介した。2000年前のインドのコインとかFreshなポピーの花、その辺ではどこにも咲いていないものであったが・・・そして、真っ昼間に、自分は私のアパートの部屋の閉じた机からCigaretteのパッケージが消えてなくなり、われわれのいるフロアーの中央に落ちてくるのを目撃したし、カーテンから小さなベルが、ちぎりとられて、スタジオのソファーの真ん中に置かれるのも見た、その他いろいろ。

A friend recently remarked to me that this would indeed be a fascinating and inexpensive way of collecting a small, private museum. And this would be true if the method of acquisition was obviously not more important than the acquisition itself. For we cannot explain the apport, although we know it exists. Some Apports, of course, are the result of shameless and deliberate trickery and these we can dismiss. But what of those that so far defy explanation? Can we believe that they are what they purport to be? Are they really the use of physical principles that even our best scientists have not yet discovered? And more important, are they actually performed by spirits or “angels” or personalities who have survived the experience of death? For if they are, then we do have proof of immortality.

ひとりの友人は、これは実際、小さな個人のMuseumを金もかけずに集める魅力的な方法だねと言った。もし、その“方法”があきらかに獲得されたモノより重要でなければ、そう言える。しかし、われわれは、このApportテレポーテーションが、実際に起きることだが説明できない。ある場合に起きるApportsはトリックで恥知らずに行うインチキの結果である。これは無視してよい。しかし、実際に起きる説明を拒否するApportに対してはどう説明すればよいのか。われわれは、それらは、その通りのものだと信じることができるだろうか。彼らは本当にわれわれの最高の科学者がまだ発見していない物理原則を使ってやってみせたことであろうか。もっと大事なことは、それらが、本当にSpiritsAngelsまたは死をのりこえてSurvive生きたものが、実際にやったことなのだろうか。もしそうなら、われわれはImmortality不滅の証拠をもったことになる。つまり、テレポーテーションもひとつのLife after Deathの証明になる。

It was an apport that was clinching bit of evidence for my good friend Dr. Sherwood Eddy. Despite years of research and experience, including experience with Apports for other persons, he waited several years for his own apport before writing his excellent and convincing book, You Will Survive After Death.

このApportが、私(Dr. Harlow)の友人Dr. Sherwood Eddyが証拠としてひっかかっていたものである。彼はYou Will Survive After Death という素晴らしい、納得のできる本を書き上げるつもりでいたが、最後の画竜点睛として、最終的に納得のいくものにするために、Apportを自分の目で確かめたいと何年も前から思っていた。

 Sherwood Eddy と私(Dr. Harlow)は、もう50年来の友人で、海外へのあちこちの旅行も一緒にし、自分たちの考えや悩みについても相談しあった仲である。私は彼がDr. E.A. Macbeth New York Medium とFather TobeDr. MacbethSpirit Controlを紹介してくれたことを非常に感謝している。

 Dr. Macbethは医者であったが、のちほど、ビジネスにむかったひとだが、彼はめずらしいサイキック・ギフトをもっていた。彼の能力のひとつは Independent Writing (人間の手が鉛筆や紙にタッチしないで筆記する)、Direct VoiceSpiritsが自分の声でしゃべり、Mediumの声や唇に依存しない)などで、もう40年以上、そのSpirit ControlであるFather Tobeとつきあっていた。Father Tobeはわかっている情報では、Roam CatholicPriestで、アイルランドンで生まれ、牧師としてアメリカにやってきて、1852年4月2日ケンタッキー州のElizabethtownで亡くなった。

 私(Dr. Harlow)はDr. MacbethNew York CityのアパートメントでのSittingSherwood Eddyと何度か訪れた。Tobeは非常に興味深い、知的な個性を持っていた。彼は暖かく、友達づきあいもよく、ユーモアがあり、理解力もすぐれていた。私たちのFather Tobeとの雑談は、Dr. Macbethが静かに肘掛椅子にすわって、私たちの会話を聞くかたちですすんだが、時には神学について、時にはすでに亡くなった人を紹介するという形ですすみ、それ自体非常に報われることであったが、自分にとってのもっとも興味深い体験はFather TobeIndependent Writing独立筆記 を見せてくれたことであった。

 部屋は全部明かりがともされ、すべてをわたしは観察することができた。私たちの前にあるテーブルの上にNote Padがおかれ、しばらく私たちは全員(4人)、その上に手をおいた。そして、われわれのそれぞれがPadに何も書いてないのを確かめた。それからPadはテーブルの中央におかれ、小さな鉛筆がその横におかれた。そして、その上に緑色の布をかぶせた。この布をほかの3人と一緒にPadのうえでもち、布の端がテーブルに垂れた感じで、すべての参加者の手は誰にでも見える状態であった。

Soon I heard distinct taps on the pad, and Father Tobe’s rich deep voice announced that he would then write on the pad. I distinctly felt vibrations under the cloth and could hear the pencil scratching on the pad. The writing continued for several minutes, and when it stopped Father Tobe gave three distinct taps with the pencil on the pad.

まもなく、私はPadTapするあきらかな音をきいた。そして、Father TobeDeep VoicePadに書き始めるよと告げるのを聞いた。私は布の下で振動を感じ、鉛筆がPadをひっかいている音が聞こえた。数分間、筆記は続き、それが止んだ時、Father Tobeは鉛筆でPadを三度はっきりとたたいた。

When we lifted the cloth and took up the pad we found several pages covered with fine writing in pencil. Father Tobe’s message was concerned with the troubled conditions in the world, and he urged us all to devote our lives to working for peace. He also gave some personal and intimate messages to Sherwood Eddy and his wife from their daughter in the other world.

われわれが布をあげてPadをとると、それには数ページにわたって鉛筆できれいに書かれていた。Father Tobeのメッセージは世界の混乱状態を心配したメッセージで、われわれに平和に向けて努力するように働きかけていた。彼はまた、ある個人的で極秘なメッセージをSherwood Eddyとその妻に、別の世界に居る娘からということで、伝えた。

It was some time after this that Sherwood told me of the personal apport that Father Tobe had performed for him. Sherwood had witnessed several of Father Tobe’s Apports over the years and had been impressed by and intrigued with them. In one case Tobe had transported, in a matter of seconds, a tiny porcelain figurine across Manhattan, and later he had brought a heavy wrought-iron ash tray from Chicago to New York City while the Macbeth group was singing the first stanza of “Nearer My God to Thee.”

しばらくして、Sherwoodは私にFather Tobeが実行してくれたPersonal Apportについて語ってくれた。SherwoodFather TobeApportを数年間にわたって自分で観察してきた、それで、感心し、またと惑わされもした。あるときは、マンハッタンをこえて小さな陶器の人形を瞬く間に運び込んだ。またあとでは、シカゴからニューヨーク市へ重い錬鉄でできたアイロンを運び込んだりした。その間、MediumであるDr. MacbethSittingグループは歌を歌っていたのであったが。

But Sherwood felt he must have a personal experience, involving some of his personal property, before he had enough convincing evidence to write the book he had planned and he had talked over with Father Tobe.

しかし、Sherwoodは、彼はまさに自分の個人的な体験をしなければならないと感じていた、何か自分の持っている物件を使って、そうしなければ、人を納得させる形で今書いている本をまとめあげられないと感じていたので、彼はそのことをFather Tobeに話した。

And one night when the Eddys were at Dr. Macbeth’s home in Rhinebeck-on-Hudson, a hundred miles from the Eddy’s Jackson Heights, Long Island, apartment, Father Tobe agreed. He described the Eddy apartment in minute detail, even including some photographs on the mantel. Then he asked Sherwood if he had a pair of enameled ash trays in the apartment. When Sherwood admitted that he had, Father Tobe said that he would bring one to the Macbeth house.

そして、ある晩、Sherwood EddyDr. Macbethのハドソン川に面した家にいて、自分のLong IslandJackson Heightsにあるアパートからは100マイル近く離れていたが、Father Tobeは了解した。TobeEddyのアパートの詳細を告げたが、マントルの上にある写真についてまで言及した。それから、TobeSherwoodに、アパートに一対のエナメルの灰皿があるようだがと訊ね、そうだという返事をもらってから、それではその一方をMacbethの家に持ってこようとFather Tobeは言った。

After approximately fifteen minutes, one of the trays dropped out of air and struck Sherwood’s hand. He told me that he then marked it with a cross, for identification, and that night when he returned to his apartment he found one ash tray missing, although its mate was in the usual place. The ash tray he had received from Father Tobe was the one missing from his apartment.

約15分たって、ひとつの灰皿が空中からSherwoodの手の中に落ちてきた。彼は私に、IDのために、それに十字のマークをつけてアパートに帰った。アパートに入って、彼は灰皿の一つがなくなっているのに気が付いた。その一方はいつもの場所にあったが。彼がFather Tobeから受け取った灰皿が、まさに彼のアパートでなくなったもう一つの灰皿であった。

In the mass of psychic phenomena, Apports are comparatively rare, and the few authentic cases that exist have yet to yield information of a higher meaning. Perhaps, there is some merit to the viewpoint of Gilbert Wright when he writes me:

サイキック現象は膨大な数に上るが、Apports現象、物体がどこかからあらわれるということは、比較的まれである。したがって、インチキも多い中で、Authentic間違いなく起きた といわれるケースが起きるわけで、その説明はより高度な意味を持つものであるのか、まだ今のところ何もなされていない。そsこで、ギルバート・ライトが私に書いてよこした彼の意見・考察は紹介する価値があると私(Dr. Harlow)は考える。

 “I am coming to the conclusion that the task of psychic research is futile. The higher can never be expressed in terms of the lower. We cannot understand clairvoyance until we become clairvoyant ourselves; then no explanation is necessary. Science, reasoning, intelligence are but tools that we use to compensate for our lack of `sight` or `insight`. Science has to arrive at her conclusions the hard way. In the words of Claude Bragdon: “The consummation devoutly to be desired is not the pushing to the limits of the possible in the physical world, but the expansion of consciousness itself.”

 私はサイキック・リサーチという仕事は意味がないという結論に達したと思う。Higherより高次な次元 はLower低次元のモノからは説明されえない。われわれはClairvoyantに自分がなってみないと、Clairvoyanceを理解することはできない。そして、そうなれば、もう説明の必要はないわけだ。科学とか理由づけ、知性とかは、我々にかけている視力や眼識を補うために必要な道具である。科学は苦労して、そういう結論に到達することになる。Claude Bragdonの言葉を借りると、こういうことだ。「敬虔にだれもが望む到達点とは、物理的な世界で可能性を極限まで推し進めることではなく、意識そのものを広めることである。」

 ここでは、Apportsを中心に、Independent WritingIndependent voiceなども含めて、サイキック現象とそれをめぐる体験者の考察などをDr. Ralph Harlowが紹介しているところをたくさん引用して、ここに紹介した。

 このDr. MacbethFather Tobeというコントロールはすごいと思う。つぎに紹介するArthur Fordなどのほうが、世間的には有名になり、スキャンダルもうまれたが、こちらのほうがより内容豊かで、真実さに富んでいるように思える。

 Arthur Fordも、このDr. Harlowが接した限りでは、すばらしいサイキックぶりを発揮するわけだが。

村田茂太郎 2013年1月25日




「心霊現象の科学」をめぐって-その62 S. Ralph Harlow 「A Life after Death1961 を読む-その7 Arthur Ford Mediumアーサー・フォード

Mediumというのは、ともかく、科学者たちからは信用されないようだ。そして、疑ってかかる人がSitterをしめていると、当然、Negativeなエネルギーが作用して、まともなサイキックらしい能力もだせなくなる。有名になればなるほど、否定的に見ようとする科学者も増えるわけで、困難さも増加するわけだ。

Arthur Fordもその点に関して例外ではない。アメリカを代表するMediumといわれていたが、一方ではインチキだといっているひとも多かったようである。その点、科学的探究心も多く、みずから積極的に自分のMediumを解明したいと願い、科学者に協力をしたEileen Garrettのほうが、全く、問題は残さなかったといえる。

私は、Arthur Fordの自伝 Nothing so strange を読み、そのほか、Arthur Ford関係の本を4冊ほど持っている。彼が特にほかのMediumとくらべてどうだと思うようなものではなく、どれも本物のMediumであれば、向こう側とコンタクトできるということにかわりはない。Arthur Fordがとくに有名になったのは、Magicianで有名であった HoudiniCodeを解いたからといわれている。ほかに、1960年代にBishop PikeケースでもTVなどで有名になった。Bishop PikeケースはFordにかぎらず、Ena Twiggとか、ほかにもたくさんのMediumがコンタクトしているようで、結局、ひとりのMediumとしてはホンモノであったということで、ベストとかいう言い方は意味がない。その彼も、晩年、サイキック・パワーがおとろえたのか、問題があったというようなことが、Wikipediaに書いてあった。どうであったのか。われわれは、ともかく、自分で調べるわけにゆかないので、信用するほかないので、もし本当であればという強権をいつもつけないと、なにも言えないことになる。Margery Crandonもそういう意味では、インチキ騒ぎで、本当にインチキをしたこともあるようだが、ホンモノであったこともあり、不確定性原理のこともあるから、初めから疑ってかかる自称科学者を相手にしないということが大切な基本原則だと思う。当時は、そういうことは、量子力学の世界でしられていただけで、だれもサイキック現象の世界、特にMediumの世界では大事だなどとだれも知らなかったので、結果的にはみんなが苦労して、得るものは少なかったということである。

Dr. Ralph Harlowは直接、Arthur FordSéance に参加する機会があった。第一回目に良い印象を受けたHarlowは5年後に、親しい友人を連れて、もう一度、FordSéanceに参加した。そのとき、たまたま、友人の女性が訪問してきたので、彼女もつれて4人でSéanceに出かけることになった。Fordは、この最後の女性4人目が来ることは知らなかった。こういうPrivateSéanceはもっとも、うまくゆくようである。Arthur FordTrance状態に入った時、あらわれるSpirit GuideFletcherというコントロールで、有名であった。FletcherFordが子供の時の友達であったとか。9歳ころに分かれて、第一次大戦で亡くなったとか。1924年からFordのコントロールとして活躍することになった。それは、Margery Crandonのときのコントロールが彼女の死んだ兄であったのと、似たようなものである。

99分にわたるSéanceTypescriptしたNotesからDr. Harlowは、Verbatim Record生きた会話のレコードを引用している;

Fletcher: Hello, I have met you before. [He was speaking to me.]

フレッチャー:ハロー、以前あったことがあるね。(彼は私“Dr. Harlow”に話しかけている)。

Harlow: Hello, Fletcher. This is Mr. and Mrs. Kaplan and Mrs. Shapiro.

Dr. Harlow: ハロー、フレッチャー、こちらはカプランご夫妻、それからミセス・シャピロ。

Fletcher: I am glad to meet you all. Over here we make a distinction between religion and spirituality. Many people who are formally religious and not spiritual, and many who do not seem connected with formal religion are deeply spiritual. Race is not geographical and religion is universal. [This comment greatly interested me because here was Fletcher, a former Roman Catholic, speaking to three Jews. Then suddenly, as if he had finished a required, formal introduction, he changed subject.]

フレッチャー:皆さんにあえてうれしい。こちら側では、宗教というものと霊性Spiritualityというものについて、明確に区別している。形式的に宗教的であった多くの人が霊的Spiritualでなかったり、逆に、形式的な宗教にとらわれないひとが深く霊的Spiritualであったりする。人種は地理的ではないし、宗教は普遍的である。{ここでフレッチャーがコメントしていることは非常に興味深い、フレッチャーはローマン・カトリックだったのであり、そして彼が話しかけているうちの3人はユダヤ系なのだから。そして、突然、最初の紹介の段階は終わったと判断したのか、フレッチャーは話題を変えた。}

Fletcher: There are several people who want to speak with you. A man tells me his name is Herman and that he is well and happy over here.

フレッチャー:何人かがあなた方に話しかけたいようだ。一人の男性が自分の名前はHermanだといい、彼はここで、うまくいっていて、ハッピーだ。

Emily Kaplan: I had a brother Herman. He died several years ago. [At this point Fletcher gave Emily several intimates and personal messages that I do not wish to reveal. These gave evidence that the message was indeed from her brother, and Emily was deeply moved.]

エミリー・カプラン:私の兄弟にHermanがいる。彼は何年か前に亡くなった。{この時点で、フレッチャーはいくつかのエミリーに関する個人的な極秘のメッセージを伝えたが、ここでは明かさない。これらのことが、メッセージは本当にBrotherからだと納得して、エミリーは深く感動したようだった。}

Fletcher: Kivie’s mother is here. You look like your mother, Kivie. She wishes me to say that in her last years on earth you did all you could for her and she is most grateful. She has no conscious memory of when or how she passed away. She says that had she lived longer in your world she would have been an increasing burden, so she is glad she escaped from it for her sake and for yours.

フレッチャー:Kivieのお母さんがここにいる。Kivie、あなたはお母さんにそっくりだ。彼女は私にこう伝えてほしいといっている、地上での最後の日々、あなたはできるだけのことをしてくれた、心から感謝している、と。彼女はいつ、どのようにして死んだのか記憶に残っていない。彼女は言う、もし、もっと長く生き続けていたら、自分の存在はただ重荷を増加させただけであったろう、だから、そういう世界から抜け出せて、自分のためにもあなたたちのためにも良かったと思っている、と。

[Both Marion and I had known Kivie’s mother well, and the messages, many of which I do not include because they are personal and intimate, gave evidence of coming from the same sort of person we had known. Kivie’s devotion to his mother had been most admirable. Every morning on his way to his office he would drop in to see her. She had become very helpless, both physically and mentally, toward the close of her life, and Kivie gave unselfishly to her needs. Both Marion and I were witness to his wonderful care for her. As Fletcher relayed Mrs. Kaplan’s message, Kivie grew excited with delight. It was his first experience with psychic messages, and the remarks he was receiving were both humorous and very much the type his mother was wont to make.]

{マリオン(Dr. Harlowの妻)と私はKivieのお母さんをよく知っていた。ここで触れないが、多くのメッセージがお母さんから届いたが、そえは私たちがよく知っている同じ人物からのものと確信させた。Kivieはお母さんに献身的であって、毎朝、オフイスへの出勤前に、最後のころは、肉体的にも精神的にも救いのない状態であった母(つまり、認知症Alzheimerでもあったということか?)に、彼女のために損得を離れてヘルプした。マリオンと私はそのことをよく知っていた。フレッチャーがミセス・カプランのメッセージを伝えると、Kivie Kaplanは喜びで興奮につつまれた。これは彼にとってははじめてのサイキックな体験であった。彼が受け取ったメッセージはいかにも母親らしいもので、ユーモアがあり、母親らしいと納得させるものであった。}


Fletcher: There is a young woman here who says she wants to talk with mother. Her name is Mary and she has been over here several years. [Mrs. Shapiro had had a daughter who passed over many years ago. Neither the Kaplans nor I knew about this.] Mary says, “I came over here when I was very young but I have grown up and am very happy in my work here, Mother, I love you dearly and am so happy to have this first chance to tell you so and give you a short message. Also tell my father that I am proud of his work as a doctor and that he is doing much good.”

フレッチャー:ここに若い女性がいる。彼女はお母さんと話したいといっている。彼女の名前はMaryで、もう何年かここにいるという。{ミセス・シャピロは娘をもっていて、だいぶ以前に亡くなっていた。カプランも私もこのことについては全然知らなかった。} Maryが言っている、「私はまだ、ずいぶん若い時にこちら側にやってきた、私は成長し、ここの仕事で大変ハッピーだ、お母さん、私はあなたを心から愛しています、そして、こうして、はじめて、この機会に、あなたに短いメッセージを伝えることができてとても満足しています。お父さんに伝えてください、ドクターとしてがんばっていることを、とても誇り高くおもっています、とてもよくやっていますね、と。」

Fletcher: There is an ancestor here named Macoski.

フレッチャー:ここに先祖でMacoskiという人がいる。

Mrs. Shapiro: I had ancestors with that name.

ミセス・フレッチャー:私はその名前の先祖をもっていました。

Fletcher: Mrs. Kaplan says, “I want very much to build up knowledge of how to communicate with you now that we have begun this contact. Give my love to Marion.”

フレッチャー:ミセス・カプランが言っています、「こうして、私たちは、はじめてコンタクトすることになったのだから、今後、どうすればCommunicationが可能なのかの知識をたくわえたい、マリオンにも私からよろしくね。」

Kivie: Is my father there?

Kivie: わたしの父もいますか?

Fletcher: Yes, your father is here. There is a man here who has the same name as you. [This delighted Kivie, for he had been named after his grandfather, a famous European rabbi.]

フレッチャー:イエス、あなたのお父さんもここに居ます。それから、あなたと同じ名前のひとがここに居ます。{これを聞いて、Kivieは喜んだ、というのは、彼はおじいさんの名前をもらったのであって、そのひとはヨーロッパでは有名なRabbiであったのだ。}

Kivie: But my father knew no English, so how can he communicate with us?

Kivie: しかし、父は英語をしゃべらない、どうして私たちと会話ができるの?

Harlow: Do you use languages over there?

Dr. Harlow: そちらの世界では言葉を使いますか?

Fletcher: No. We use thought transference, but it is too difficult to explain to you in the earth plane. When we communicate with you we have to use the language we know, Rabbi Kaplan transmit his thoughts and I pass them on to you in English.

フレッチャー:いいえ、我々はThought Transference思考伝達 という方法を使います。しかし、それについて地上の感覚で説明するのは非常にむつかしい。我々があなた方に話しかけるとき、我々はわれわれが知っている言葉を使う、Rabbi Kaplanは彼の考えていることThoughtsを伝えてくれる、私はそれを英語であなたがたに伝えるわけだ。

The remainder of that sitting was concerned with intimate messages that would serve no purpose to be reported here.

残りのSittingは個人的な情報の交換であったので、ここでは省略する。

As remarkable as that sitting was to the Kaplans and to the unannounced Mrs. Shapiro, my first meeting with Ford five years earlier was even stranger, because I came in on him as a complete stranger only five minutes after telephoning him for an appointment, and Fletcher brought me myriad messages from persons who were complete unknowns to Ford.

このKaplan夫妻やMrs. ShapiroとのSittingはなかなか際立ったものであったが、私の5年前の、最初のFordとのMeetingはもっと不思議なものであった。なぜなら、私は5分前に彼に電話で予約して、全くの見知らぬ人として彼の前にあらわれたわけであったが、彼はFord自身にとっても完全に未知な人々からのたくさんのメッセージを伝えてくれたのだから。

The most convincing message came from Mary Hussey, a member of the department of religion at Mount Holyoke College whom we had known slightly and who had died suddenly the previous summer. She said, “I want you to tell Paul something for me. Tell him that I regretted leaving so suddenly with my work unfinished. It was in the classics. Tell him I am proud of him and his work and will try to help him find someone to finish my work.’

その中でも、とくに納得のいくメッセージはMary Hussey からの、ものであった。彼女はMount Holyoke大学の宗教学科に属していて、私自身はほんの少し彼女を知っている程度であったが、彼女は突然、その前の年の夏に亡くなったのだった。彼女は「私はあなたに頼みがある、私からとPaulに伝えてもらいたい、こういく内容です、私の仕事が終わらないうちに、突然死んでしまったことを悔いています。それは、古典の領域に関するものであった。彼に伝えてください、私は彼と彼の仕事を誇りに思っている、彼が、だれか、私の仕事を完成させてくれる人を見つけるようにヘルプしようと思っている、と

It was perfectly clear to me who Paul was. He was Paul Williams, a very close friend of mine who was chairman of Mount Holyoke’s department of religion. When we returned to Northampton I went over to see Paul and asked him what Mary Hussey had been doing at the time of her death. He said, “She was translating some cuneiform tablets and had not finished her work. We are trying to get someone to complete it, as the publishers want it as soon as possible.”

私にとっては、Paulがだれを指すかは、きわめて明白であった。彼はPaul Williams、私の特に親しい友人の一人で、Mount Holyoke大学の宗教学科のChairmanを務めていた。私たちがNorthamptonに戻ってから、Paulに会に行き、Mary Husseyが死んだときに何をやっていたのかと訊ねた。彼は言った、「彼女はあるクネイフォルムのタブレットを翻訳していたのだよ、しかし、完成しなかったが。我々は誰かそれを完成してくれる人を探そうとしているのだ、出版社ができるだけ早くおわらせてくれと言っているからね。」

I suppose it is possible that some of Arthur Ford’s, or Fletcher’s, messages could be explained on the basis of telepathy, but if so the telepathic ability involved seems as remarkable as Fletcher himself. But even granting telepathy we must exclude the Mary Hussey message; Arthur Ford did not know Paul Williams or Mary Hussey; and none of us in that room knew of her work in the classics.

私は、Arthur Fordの、或いはFletcherのメッセージの幾分かはテレパシーで説明できると思う。しかし、そうだとしても、そのテレパシーの能力はFletcher自身と同じほど、際立ったものだといえる。しかし、テレパシーがかなり説明可能としても、このMary Husseyに関するメッセージはそうはいかないと思う、Arthur FordPaul WilliamsMary Husseyを知らないわけだし、あの部屋にいた我々の誰も古典に関する彼女の仕事については知らなかったのだから。

――― ――― ―――

Dr. Harlowもただ単純になんでも信じる人ではない。彼なりにいろいろな可能性を検討し、やはり、ホンモノのサイキックは居て、向こうの世界とコンタクトできるという確信をつかんだから、この本の題名が示すように“A Life After Death”を信じることができたわけである。

やはり、この領域は科学的証明などということはあまりあてにならないものとして、無視して、自分が納得できるかどうかにかかっていると私は思う。私も、30年以上前から、いろいろな本を読んで勉強して、あの当時も、30年前の昔、やはり、ホンモノのMediumに会って、自分で確かめてみるほかはないというのが当時の結論であり、最近、その一部、つまり、電話でMediumと話すということが実現して、私はなるほどと思った段階である。もう少し、自分で探求しなければならないが、なんとなく、臨死体験はほんもので、脳内体験ではないという結論、つまりLife After Deathは事実だという確信に向かいそうである。そして、私が死んで、だれかに、やっぱり、意識はSurviveするぞと伝えても、科学者たちは Super-ESPで説明して終わるのは明らかだから、After Lifeがあっても、よほどのことがない限り、地上の人にコンタクトする気にはならないであろう。

村田茂太郎2013年1月25日




「心霊現象の科学」をめぐって-その63 S. Ralph Harlow 「A Life after Death」(1961年)を読むーその8 on Spiritual Healing

 このDr. Ralph Harlowの本には、ほかにもいろいろ面白い話が紹介されている。第二次大戦前に有名であったというTalking Horseの話など、人間以外の生命体を考えるときに慎重な考察を要求する問題と言える。あるときInvestigatorが、ある馬に、7,890,481のFourth Rootをたずねたところ、数秒のうちに53という正解を出したという。これらの馬に関してはドクターたちが研究して150件に上る研究論文が発表されたというが、The horses were mediums 「この馬たちは霊媒であった」 というのが結論で、ほかの説明は何も出てこなかったとか。この53はすごいと思う。わたしも暗算でこれは無理だと自分でわかる。これでも、ロサンジェルス二世Weekの算盤大会で全勝優勝したことがあるのだが。

 ほかに、聖書のイエスと使徒たちの反応に関して、サイキックな面から考察していて、まあ、すでに紹介したMaurice Barbanellと似たような意見を述べているが、BarbanellMediumがコントロールをとおして、向こう側の人物をMaterializeするのを見ているので、より真実に近い解釈であると言える。それゆえ、この件は省略して、最後にSpiritual Healingに関して、紹介する。

 Spiritual Healingといえば、古代では新約聖書に書かれたイエス・キリストのHealerとしての奇跡的な活躍がまず思い浮かぶが、20世紀ではなんといってもEdgar Cayceエドガー・ケイシーであろう。驚いたことに、このDr. HarlowEdgar Cayceとは生前に会っていないが、最高のEdgar Cayce伝ともいる“There is a river”を書いたThomas Sugrueとは、彼の親しい友人であったという。ほかに、もうひとり、先に紹介したDr. Harlowの友人 Dr. Sherwood EddyCayceの知人で、彼は「You will live after death」という本の中でCayceを取り上げているという。

 私はEdgar Cayceに関する本を30冊ほど持っていて、あるものは全部読み、あるものは置いてあるだけだが、ときに、何かがあると、引っ張り出すことがある。したがって、ここでは、ほかの本はともかく、このDr. Harlowに記述してあるところから、紹介したい。Edgar Cayceに関してはPsychic Fieldのジャーナリストとして有名なJess Stearnsが書いた1960年代のベストセラー「Sleeping Prophet」(眠れる預言者)が有名だが、これは紛らわしい題名で、Prophet預言者としてよりも、Trance状態でのDiagnostician診断者 というほうが、より正確で、この方面でまさに医学的にも貢献したと言えそうだ。そういう意味で、Stearnsの本はCayceの伝記としては最悪、ベストはThomas SugrueThere is a river”という人が多い。Stearnsはジャーナリストのせいで、どうも書くことが大げさで、かえって信用を無くす傾向がある。もちろん、世の中に広く知らせたという意味では貢献はしているかもしれない。わたしも、このブログで、ほかの本から彼の話を紹介したこともある。(お墓の中には何もないというMediumの話。)情報としては参考になる。

 まず、このDr. Harlowの本からCayceについて引用する。

 Cayceは小学生の時、英語の単語のスペルが苦手であった。したがって、成績も優等生ではなかった。あるとき、父親が厳しくしかったので、彼はちょっと時間をくれ、何とかするからと応え、Spellerの本を枕に(文字通り)寝て、数分間して起き上がると、なんと、そのSpelling Lessonだけでなく、本全体のスペルに通じていたという。そのことがあってから、Wholesalerで働いたときも、Firmのカタログ全体を全部覚えてしまうといった調子なので、喜んで雇ってくれた。

When he was twenty-one he became mute, unable to speak for some unknown reason. A New York City specialist treated him through hypnosis-certainly a daring treatment in those days-and, learning of his patient’s psychic abilities, suggested he might cure himself.

21歳の時に、ケイシーは話せなくなった。理由はわからなかった。ニューヨーク市のSpecialistが催眠術で手当てをした。そのころとしては、思いきったやりかたであった。そして、患者がサイキックな能力を持っているのを知って、自分で治せるだろうと提案した。

Young Cayce tried, and succeeded. Having learned from his physician the method of self-hypnosis, he placed himself in light trance, diagnosed his trouble, and cured himself by autosuggestion. From that point on he began to apply his gifts to helping others. Word of his ability spread, and soon doctors baffled by patients who did not respond to treatment, began to call on him for help. Cayce discovered that he need not see the patient to diagnose the trouble and prescribe treatment. It made no difference if he had never heard of the patient, and many of his readings were made from letters sent to him by persons hundreds of miles away. Before each reading he would bow his head for a few moments of silent prayer, place himself in mild trance, and dictate his findings.

若いケイシーはその通りにやってみて、成功した。医者から自己催眠術の方法を学んでいたので、彼は自分を軽い催眠状態にもっていき、自分の問題を診断し、自己暗示で治すことに成功した。この時から、彼は自分のギフトをほかの人を助けることに用い始めた。彼の不思議な能力はまたたくまに知れ渡った。まもなく、自分たちの治療にうまく反応しない患者をドクターたちはケイシーを呼んで助けてもらうことになった。ケイシーは本人を診なくても、診断でき、処方箋を記述することができるとわかった。患者のことをかつて聞いたかどうかは問題でなかった。彼の診断の多くは何百マイルも離れたところに居る人が送ってくる手紙で、診断が行われた。彼はこの自己催眠でReadingに入る前に、頭を垂れ、しばらくの間、静かに祈りを捧げた。それから、MildTrance状態に入り、診断の読みを始めた。

Often his diagnoses were phrased in technical medical terms understandable only to men trained in the medical profession, terms which he did not know or understand when out of his trance.

しばしば、彼の診断は医学を本業としたものでなければ理解できないようなテクニカルな用語を用いて、診断が行われた。その用語は冷めた状態のケイシーにはとても理解できるものではなかった。

Sherwood Eddy recounts the results of questionnaire he sent to a dozen physicians who had worked with Cayce over the years. The doctors reported that out of 150 cases brought to their attention Cayce’s diagnoses had been 80 per cent correct. Some of their comment included: “He is highly accurate in diagnosis and beneficial in treatments, not quite understandable in a layman.” “His readings are wonderful. I presume you would call it supernormal. I think he has the power to contact a higher vibration, or that which is eternal.” “This man certainly has something. Yes, I would call it supernormal.”

Sherwood Eddyは自分で長年ケイシーとつきあってきたという1ダースほどのドクターに質問状を提出したことを語った。ドクターたちのレポートによると、150のケースを調査したが、ケイシーの診断は80%正確であった。彼らのコメントには「彼はとても正確な診断を行った、そして手当も適切であった、それは素人にはとても理解できるようなものではなかった。」、「彼の診断はすばらしかった。私は、あなたなら超常現象と呼ぶと思う。私はより高いVibrationというか永遠なるものというか、そのようなものにコンタクトできる能力を持っていたのだと思う。」、「この人は確かに何かを持っている。イエス、私はそれを常なるものを超えたものSupernormalなパワーと呼ぼう。」

 ここまでで、なぜ、Dr. HarlowEdgar Cayceの話を持ち出したのかというと、以下の話を紹介するためである。Edgar Cayceの話は、普通の人には信じられないような話である。しかし、それが事実であった。そういう不思議な能力をもったひとが実在していたという話を前提として、そして、すでにこのブログで紹介してきたMaurice Barbanellの伝えるMediumKahesdeeの話などを前提として、次に彼が紹介する話は、不思議ではあるが、彼がそうだといえば、そういうこともあるのかと、信じるほかないといえるかもしれない。Dr. Harlowも、かれの以下の話を紹介するに際して、いろいろ予防線を張っていると言える。私個人の感想としては、すでにこのブログで紹介・展開してきたことが真実なら、彼の以下の話もあり得るわけで、私はできれば、今もそういう超能力の人が見つかれば、私の友人・知人たちをぜひ助けてもらいたいと思う。

At the risk of stretching credulity to its breaking point I now move on to the strange case of Dr. Benjamin Rush, who treated and cured three friends of mine more than 125 years after his death.

私の信憑性をやぶるほどの危険を冒して、今や私はDr. Benjamin Rushの不思議なケースを紹介しよう。亡くなって125年たってから、彼は私の友人3名を治したのだ。

I do not know what to think of Dr. Rush and the psychic group he once visited. I cannot explain and I do not understand. But I can report what I have been told, and I can vouch for the honesty, intelligence, and integrity of my sources; it is unthinkable that these friends of mine would be involved in a hoax, a fraud, or a lie.

私はDr. Rushのことをどう考えるべきか、彼が訪れたというサイキック・グループをどう考えるべきか戸惑う。私にはわからない。しかし、私は、話されたことを告げることはできる。話した本人たちが正直で知的で誠実な人たちであることは保証できる。これらの私の友人たちが悪ふざけやごまかし、嘘を平気でやったとは信じられない。

 Dr. Harlowはまず、Dr. Benjamin Rushの簡単な伝記から紹介している。

Dr. Benjamin Rushはアメリカ史に名を残す歴史上の実在人物で、プリンストンを卒業したPhiladelphia出身の学者。1769年には化学のProfessor, そしてWhig党からでて、Continental Congressのメンバーとなり、1776年の独立宣言にはちゃんとサインをしている。政治生活から引退してからは、1793年、医学の理論と実際の教授、そして黄熱病が街を襲ったときには6千人の生命を救ったといわれている。1813年4月19日に亡くなり、彼の名前はシカゴ大学 Rush Graduate School of Medicineに残されている。それで、これで、充分、Dr. Rushは大活躍をして、愛国家、政治家、熱心な医者として終わったはずなのだ。

But a few years ago a group of psychic investigators meeting regularly in New York City were visited by a spirit purporting to be Dr. Benjamin Rush. He told this group that he now has much more skilled than when he practiced his profession in Philadelphia, and that he was willing to treat some patients. However, speaking almost as if he had consulted the American Medical Association before appearing, he said that he must insist on either of two conditions: 1) the patient must already beyond help by competent physicians, or 2) the patient must be too poor to pay for medical attention.

 ところが、New York CityPsychic Investigatorの集まりの中で、自己紹介をしながら、このDr. RushSpiritが現れたのである。彼は、Philadelphiaで医者をやっていた時よりも、今でははるかに腕も上がったので、患者を助けたいと言い始めた。ただし、彼も、かつて医者であったので、医業を妨害する気はなく、次の二つの条件のどちらかで、患者を引き受けたいと伝えた。すなわち、1)患者はまともな医者が手当てしても助からないという末期的状態 または 2)医者の援助を受けるには貧しすぎてどうにもならないという状態。

A short time later a woman friend of mine, afflicted with incurable cancer and considered a terminal case by five cancer specialists, heard of Dr. Rush’s offer. Obviously she qualified, and because she certainly had nothing to lose, she went to New York and attended a sitting with the medium who had previously brought the message from the early American doctor.

しばらく後、私の女友達が治ることのない癌にかかり、5人の癌専門医から癌で死ぬだろうとみなされたが、Dr. Rushの提案を知り、彼女はあきらかに、Dr. Rushの救済条件に適うので、また、彼女自身失うものはなにもないということで、ニューヨークに行き、その古い医者のメッセージをもたらしたMediumSéanceに参加した。

At this sitting Rush listened to what she had to say, and like any modern specialist he said he wanted to consider the case after making an examination. He instructed her patient to go to bed early the following night, to place herself in a state of complete repose and confidence, and to pray. He said that he would then make an exploratory examination of her and that she was to return the following night to the séance group for his report.

このSittingで、Dr. Rushは彼女の話を聞き、現代の医者の誰もがやるように、まず診察してみないと引き受けられるかどうか確かでないと応え、彼女に、次の夜、ベッドに早い目に入り、完全にリラックスした状態になり、自信を持ち、祈りを捧げなさいと教示した。彼はその状態で彼女を探査、診断するから、その次の日にまたやってきて、グループのSéanceで、彼の報告をききなさいと言った。

She told me, “That night I followed his directions explicitly. I prayed fervently and felt great peace; it was as if some supernormal power enveloped me.”

彼女は私(Dr. Harlow)に、「次の夜、私は彼の指示通りにまちがいなく行った。熱心に祈りを捧げ、大いなる平安を感じることができた。まるで何か普通ではないパワーがわたしを包んだように感じた。」といった。

At the séance the following night Dr. Rush announced brusquely that he would take the case. He instructed her to repeat his orders of the preceding night. He emphasized calm repose and prayer. While she was asleep, he said, he would remove the cancer, for the next week she was to remain quietly in bed, taking nourishment to keep up her strength and using prayer to comfort her.

次の夜のSéanceで、Dr. Rushはぶっきらぼうに、よし引き受けようといった。彼は前の日の彼の指示をまた実行するように伝え、落ち着いて休み、祈りを捧げなさいといった。そして、彼は、彼女が眠っている間に、Cancerを取り除くだろう、それで、次の週は、ベッドでおとなしくしていなさい、栄養をとり、力をつけて、やすらぐように祈りを捧げなさい、と。

That night she passed into a coma. “When I woke in the morning I knew I had been healed,” she told me. “The only sign of an operation was a small spot of blood on the bed sheet.”

その晩、彼女は意識不明に陥った。「朝、目が覚めると、私は自分が癒されたのを知った。手術らしきもののあとは、ベッドのシーツに血らしきものが、少々ついていただけだった。」と私に語った。

Within a week she was able to dress herself, and a few days later she went to her doctor for an examination. He checked her thoroughly and pronounced her entirely free of cancer. “It’s almost miraculous,” he said. The cancer has never returned and she is now in better health than she has known in years.

一週間ほどのうちに、彼女は自分で服を着られるようになり、それから2-3日して、ドクターを検査に訪問した。彼は彼女を徹底的にしらべて、癌などどこにもない、「まったく、奇跡的だ」と言った。そして、Cancerは二度と戻ってこなかった。彼女は今では何年も知っていた状態よりもはるかに健康な状態にいる。

Some years later I was preaching at the Eastern women’s college, and one night during a lively blizzard I sat before a roaring fire with the college chaplain. He mentioned that he was writing his master’s thesis on the topic of psychical research. This of course led us into a long and most interesting exchange of experiences. As we talked, I mentioned Dr. Rush and the incurable cancer that he had healed in my friend.

何年かのち、私は東のほうの女性の大学で説教をし、ある夜、軽い雪嵐のあいだ、私は炎がいきおいよく燃えている前で、大学の牧師と一緒にすわった。彼はマスター論文を書いているところだと言い、その内容はサイキックな研究についてだと述べた。このことから、話題は長い、興味深い会話のやり取りへと移った。私たちの話の行き掛かりで、私はDr. Rushと彼が友人のCancerを治療したという話をした。

I rather expected him to scoff, but to my utter amazement the chaplain said, “Yes, I know. I know about him and the work he is doing. In fact he cured my wife of very serious stomach ulcers. She was suffering great pain, and several doctors were completely unable to do anything.  Then when we were in deep despair of ever getting any help we heard of the New York group which was in contact with Dr. Rush. We went there; Dr. Rush gave my wife several treatments; and she is completely cured. No, I don’t need to be convinced. I know. We have evidence of a spirit with supernormal power who is interested in helping people who are sick.”

私は、彼がばかにするだろうと思っていた。ところが、私がまったく驚いたことに、牧師はこう言った。「イエス、わたしはよく知っています。彼についても、そして彼がやっていることについても。事実は、彼は私の女房の病気を治したのです。彼女は胃潰瘍が悪化して、痛みもひどく、何人かの医者も助けようもないという状態だったのです。それで、どんな助けでも欲しいという絶望的な状態にいたときに、ニューヨークのグループがDr. Rushとコンタクトしているという話を聞き、私たちはそこへ行きました。Dr. Rushは女房を数回治療し、彼女は完全に治りました。いいえ、わたしには納得させる必要もありません。私自身がよく知っています。私たちはSupernormalなパワーを持ったSpiritが居て、病気の人たちを助けようとしている証拠をもっています。」

  Later I received another Dr. Rush testimonial – this one from unlikely source, a college psychology professor. Often, perhaps as a result of their training and occupation, psychologists are stubborn and biased when it comes to paranormal occurrences. They go far past the skepticism of the scientist and seem to close their minds to things that cannot be explained in their own terms. But there are exceptions, and this one was a magnificent exception. Here was a psychologist who admitted that Dr. Benjamin Rush, dead for more than a century, had cured his wife of gallstones after a competent physician had given up the case.

 のちほど、私はもう一件、Dr. Rushに関する証言を受け取った。これは、信じられないようなケースで、大学の心理学の教授からのものである。しばしば、訓練と仕事の関係で、心理学者というのは超常現象に関しては頑固で偏見を持っているのがつねである。彼らは科学者以上に懐疑的で、自分たちの言葉で説明できないものに対しては、心を閉ざしてしまう傾向がある。しかし、例外もあるわけで、このケースは例外中の例外と言えるかもしれない。ここには、Dr. Benjamin Rushという100年以上前に亡くなった人を認め、彼によると、専門医があきらめたケースであった妻の結石を治したという心理学者がいる。

There seems to be no doubt that prayer – and remember that in the fantastic Dr. Rush cases he asked his patients to pray – often have extraordinary therapeutic power. Edgar Cayce always prayed before each reading; the Episcopal Church is encouraging its clergy to hold regular services at which prayers for healing are offered.

祈りを捧げるということが、しばしば病気治療に大きな力を発揮するということは、疑う余地がないようだーあのすばらしいDr. Rushが患者に祈りを捧げることをもとめたことを覚えているだろう。Edgar Cayceエドガー・ケイシーもいつもReadingに入る前に祈りを捧げたのであった。Episcopal Churchは牧師たちにHealingのための祈りをささげることを日常的に行うことをすすめている。

―――

Dr. S. Ralph Harlow “A Life after Death” 紹介終わり。

 すでに以前に紹介したSandra Gibsonも、徐々にMediumの技術を身に着けてゆくにつれ、Trance状態に入って、名前と住所をきくだけで、ある程度、病状の診断から治療法まで口述できるように成長した。ケイシーが言うように、Akashic Recordとかというものが存在し、能力のあるひとは、それに接して、そこからさまざまな情報を得ることができるのかもしれない。Edgar Cayceエドガー・ケイシーは素晴らしい能力を保持していたが、このSandra Gibsonとか、ほかにもケイシーと同じようにTrance状態で診断できる人がいるようなので、あきらめる必要はないかもしれない。

村田茂太郎 2013年1月26日




「心霊現象の科学」をめぐって-その64 「Death Encounters」(死との邂逅)臨死体験 など  by Charles Fiore & Alan Landsburg を読む

 Alan Landsburgといえば 「In Search Of ….」シリーズで有名なInvestigatorである。彼はまた宇宙人で有名なフォン・デーニケンをアメリカに紹介したTV Producerとして有名だとか (In Search of Ancient Astronauts)。わたしは、このシリーズのいくつか 「In Search Of Ancient Mysteriesby Alan and Sally Landsburg 、「In Search of Magic and Witchcraftby Alan Landsburg  などをもっているが、読んだのはこの「Death Encounters」だけである。この本に関しては、194ページの本を一日で読んで、Goodと最後に書いているから、面白かったのであろう。1979年のことである。

 今読んでみると、なかなか論理的な人たちらしく、上手に分類しながら、わかりやすく、手際よく書いてある。1979年出版で、私が読み終わったのも1979年、今から30年以上前の話である。当時は、すでにElizabeth Kubler-Ross, Raymond Moodyの“臨死体験”に関する研究・出版からだいぶ経っていて、真新しいものではないが、この臨死体験の諸報告をうまく分類・整理していて本当にわかりやすい。  

 彼らは臨死体験者の報告を整理して4種類に分けられることに気が付いた。

 1      臨床的に死んだ、意識不明、死にそうな状況などで、体外離脱(Out –of-Body)体験があったが、それをサポートする事実確認の材料がない場合。したがって、主観的ということはいえるが、間違っているということではない。Elizabeth KublerRossRaymond Moodyによって集められたケースは、ほとんどこれにあたるという。

 2      これは、1の状態を体験して、事実確認材料を提供できるようなケース。Emergency Roomでの医者たちの会話や、回復のために扱われた手段・器具などを正確に提供できるケース。UnconsciousであったというときにOut-of-Body体験があって、見聞きしたということを客観的に証明できる材料を提供する場合で、科学的に検証可能。

 3      臨床的に死んだはずの人が、第六感その他を使って近親者にコンタクトしようとし、近親者もなんらかの胸騒ぎを感じるというケース。情報を受け取る側が、はっきりとはいえないが、何かおかしいという胸騒ぎを感じて、本人にコンタクトしようとするケース。

 4      臨床的に死んだはずのひとが、Out-of-Bodyで相手の人に見られたり、聞こえたりする場合で、これはSurvivalの直接の証拠とかんがえられる。

 シカゴ大学のNational Opinion Research Centerのある学者の調査によると、アメリカ人の27%(5千万人)は、死んだ人となんらかのTouchがあったといい、そのうちの6百万人は、何度もコンタクトがあったという。アメリカ人の人口の四分の一にあたる人が、何らかの形で死んだ人と何度かコンタクトしているという。この調査をした人が自分で驚いていたと書いてある。Belief in contact with the dead is widespread. (これは、1979年以前のデータである。今から30年以上前の。今はどうなのか。)

 Lenz Ph.D. は 「Lifetimes」でReincarnationを研究し、MediumshipHypnosis以外で過去のライフを思い出すケースを集計分類して、その兆候を取り出した話はすでに紹介した。

 臨死体験者が経験するいくつかの段階または体験に付属する内容もそれぞれの有名な本で(Kubler-Ross, Moodyなど)描かれているが、この本でも一応、整理して例示されている。

  1. Peace and Contentment 多くの人が、平和で心地よい印象を受けている。 Most wonderful feeling とってもすばらしい気分、など。
  2. Ineffability 言葉でいいあらわせない素晴らしさを感じる。それを体験した人でなければ、伝えられないような素晴らしさ、明るさなど。
  3. Seeing Spirits 亡くなった近親者を見て、まだ時期じゃない、帰れといわれる。いろいろなケースがある。
  4. The Light 輝くようなとか、まぶしいようなとか、といった光に包まれる、しかし、目を傷めるような光ではない。
  5. Dark Void or Tunnel多くの人は光に出会う前に暗黒を通過したとかという。移行の時期。光はトンネルを通った最後に出遭ったとか。
  6. Out of the Body ほとんどの死にかけた人は、この体外離脱を体験する。自分の肉体が横たわっているのを客観的に見つめる。
  7. Sense of Responsibility 死にそうになって生き返った人の多くは、あとに残される子供や夫、妻のことを思って、まだ死ねないと感じて生き返るよし。

といった風にまとめられている。

 この本は実に内容豊富であるので、何回かに分けて内容を紹介したい。

すでに、「その65」 はある本を紹介する予定なので、「その66」または「その67」 からこの本について展開したい。



村田茂太郎 2013年2月13日、25日




「心霊現象の科学」をめぐってーその65「On the Fringe of the Para-normal」 Bonnie Golightly を読んで

 これは奇妙な本である。著者の名前がすでにおかしい。どこかで聞いたことがあるLast Nameだと思っていたら、その通りで、Truman Capoteの“Breakfast at Tiffany”の主人公の名前であった。

 オードリー・ヘップバーンのおかげで、有名になりすぎた映画ができ、Tiffanyの名前も素人にまで知れ渡った。ただし、レストランではなくて宝石商として有名だとは知らなかった。Breakfastというから有名なRestaurantだと思ってしまっていた。

 どちらが先かということで、Internetでサーチすると、このBonnie GolightlyCapoteと映画会社を訴訟して、敗訴になったことがわかった。つまり、自分が小説のモデルだとかという争議であり、これからすると、本名がGolightlyであったらしい。1919年生まれだから、小説発表の1950年代後半よりは、はるかまえに生まれた人である。

 名前はともかく、自分がモデルだというのもおかしな話で、このCapoteのなかのヘップバーン Hollyは、きれいで、Tiffanyという名前に合う感じの女性になっているが、Capote自身は、Prostitute娼婦ではなくて、American Geisha芸者のようなものだと説明したらしい。実際的には, 永井荷風のいわゆる私娼(墨東奇譚)的な感じで、金持ちの男をさがしているような感じであり、小説ではDrugのとりつぎでもやっている感じがし、いわゆるまともな女性ではないといえる。Office GirlとかBusiness Womanなどでなく、1950年代に出てきた新しいタイプの女性であったのかもしれない。もっとも、オードリー・ヘップバーンの演じるほかの映画、たとえばケーリー・グラントと出演した Charadeシャレードなどでは、殺された夫について、職業についても何についても“I don‘t know”ばかり返事するという、わけのわからない妻を演じて、そういう役割が似合うような女性を演じるのが得意であったといえそうである。

 この本(サイキック回想録“On the Fringe of the Para-normal超常現象の縁で”)を書いた女性Bonnie Golightlyは作家であったらしく、いわゆるアメリカ文学史に残る女流文学者のレベルではなかったが、三文小説 Pulp Fictionをたくさん出版したらしい。Internetで調べると手に入れることは可能なようであるが、数が少ないため、今では内容はともかく、稀覯本みたいに高いものとなっている。Pulp Fictionも馬鹿にはできないということは、日本の作家・村上春樹が1920年1930年代のホラー・SFジャンルで活躍したという作家デレク・ハートフィールドの作品を愛好し、村上春樹の小説志向の原型を形作ったということからもわかる。

 このPara-normalはある種の自伝であって、興味深い話が書かれている。彼女自身はそれほどサイキックではなかったようだが、ある種のサイキックはもっていて、娘がちゃんとGhostsを見分けることができたという。彼女自身はそこまではいかなかったようだ。が、そのうちに、あるGhostが見えるようになったともいう。

 特に興味深かったのは、大学の心理学教授(行動主義心理学者)であるという父親が一度だけ出遭ったGhostの話である。特にサイキックではなかったという父親の唯一のサイキックな経験だとか。大学生の時に見た夢として語られている。

 マントルの上の時計が急に止まったので、目覚めた(夢の中で)。

Though still sleeping in actuality, he thought he looked up to see a short, stout gentleman with sandy hair and sandy beard staring down at him. Then he noticed that his dream visitor was holding the pendulum still by the crook of and oiled cane which he carried. “Who are you? What do you want?” my father asked. “Why have you stopped the clock?” 

実際はまだ眠っているのだが、彼は見上げて、背の低い、がっしりした、砂のような毛色をし、砂のようなひげを生やした男が彼を見下ろしているのを見たように思った。そして、彼は夢の訪問者が、時計の振子を油のついた杖で抑えているのに気が付いた。お前は誰だ、何の用だ、なぜ時計を止めたのだと私の父はたずねた。

 “I have stopped time to give you a message for your roommate, my son, Harry.”

 わたしが時間を止めたのは、お前のルーム・メート、つまり私の息子にメッセージを伝えたいからだ。

My father waited, then the old man went on. “Tell him that I can’t find my spectacles, that I want my spectacles.” 

私の父は待っていた、そうすると年老いた男はつづけた、わたしのメガネが見当たらないと伝えてくれ、と。

As the guest seemed on the verge of releasing the pendulum, my father asked, “Is that all? Do you have any message for me?” 

この見知らぬ訪問客が振子を放そうとしたので、私の父はたずねた、それだけか?私へのメッセージはあるのかい、と。

The visitor seemed to consider, “Yes, I do have a message for you. Beware of Stone’s River!” Then he was gone, the clock began to tick again, and my father woke up. 

訪問客は考える様子であった。そうだ、わたしはあんたにもメッセージがある、Stone Riverに注意しなさい。そして彼は去った。時計は時刻を刻み始め、父は目が覚めた。

As he used to tell it, Harry went white when my father gave him the message upon his return. It was correct in every detail. Harry’s father had been a short, stout sandy-haired man with sandy beard; he’d been fond of clocks and he had habitually walked around with an oiled cane. He had died some years before and had been buried without the spectacles which he always wore. 

父はメッセージを告げることに慣れていたので、そのメッセージを帰ってきたRoom Mate の Harryに告げたところ、Harryは顔面蒼白になった。Harryの父親は背が低く、がっしりしていて、砂のような色をした髪の毛と口ひげをはやしていた、そして時計が好きで、習慣的に油っぽい杖をもって歩くのが常であった。彼は何年か前に亡くなり、彼がいつも身に着けていたメガネをつけないで、葬られたのであった。

But what of the message the old man had given my father for himself? He could not make it out. The college where this had taken place was in Connecticut; no Stone’s River there, nor back home in Illinois.

しかし、この老人が、私の父に残したメッセージは、一体なにであったのか。父には何のことかさっぱりわからなかった。このことがあった大学はコネチカットにあったし、そこにも、そして出身地のイリノイ州にもStone Riverなどなかったのである。

He did not make the connection until years later - not until he moved to the very town in Tennessee where two of the bloodiest battles of the Civil War had been fought, the Battle of Stone’s River.

 彼は何年もたつまで、このことに関係づけることができなかった。テネシー州のまさにその名前の町に住みうつるまで。そこは南北戦争のなかでも二つの最も凄惨な戦いが行われたところ、Battle of Stone‘s Riverが闘われたところであった。

And that is where I grew up and where he grew old. 

そして、そこで私は成長し、父も年老いていったのだった。



 Bonnie GolightlyOuija Board(ウイジャー・ボード)をいじるのが好きで、100年ほどの古さの建物を借りてひとりで移り住んだ時、いろいろな怪事件が発生した。そこで、噂のとおり、Haunted House幽霊屋敷だとわかったわけで、ここはFictionでなく、彼女の生の回想なのでとても面白い。

 特に、セミ・プロのMediumといえる男性と知り合って、(なぜセミ・プロなのかという説明はあとでわかる。)その男から、彼が感じ取ったという、その家の中のGhostsとその反応が面白い。このMediumは家に入るなり、いっぱいGhostsが一緒にいるのを感じ取ったようである。

“Tell me,” I asked. “Do you see anybody in this house?”

私はたずねた、この家に誰かいるか教えてくれる?

“Oh, yes,” he said at once, “I saw somebody the minute I walked in the door.” 

やあ、もちろん、私はドアーを入るなり、だれかを見た、と彼はすぐに言った。

“Who?”  I asked, and we all waited breathlessly.

誰を? 私はたずね、みんな息をするのも忘れて待っていた。

Wesley gave me an uneasy look. “Really want to know?” 

サイキック、ウエスリーはどうこたえていいかわからないような様子をし、本当に知りたいの?ときいた。

“Certainly, I do,” I said seriously, for certainly I did. 

もちろんよ、と私はまじめに応えた、実際、そうだったから。

“It’s a woman. She’s hanging at the top of the stairs in the hall on the second floor. She’s dressed in a late nineteenth century costume-rather gaudy, with a floral print.” 

女だ、二階のホールの階段の上で首をつっている、彼女は、19世紀後半のむしろ派手な、花模様のついた衣装を身に着けている。

We all gasped. “Good God,” I said faintly, feeling shaken and sick. 

私たちはみな息をのんだ、まるで、震えと病とでかすれたような気分で、“おお、神様!”と叫んだ。

“There’re others too,” he went on. “Over there in the corner there’s a man-in his sixties, I’d say-a big, hearty man, with a very red face. He’s grinning at us most of the time tonight. Not a pleasant grin either, but not vicious-he was probably practical joker.” 
ほかにも居るよ、そこのコーナーには60代の男がいる、どちらかというと大きな、力強そうな、大変赤ら顔の男だ、今晩は、ほとんど、彼は我々を見てにやりとしている、楽しげな表情ではないが、べつにアクドイというわけではない、どちらかというと実際的なJokerおどけ者といったところだ。
As for spooks, he listened very soberly to what I told him with the Ouija board, and about my blood-chilling first night in the house. 
幽霊のことに関しては、彼は私の話をたいへんまじめに聞いていた、わたしはウイジャー・ボードでの体験を話し、この家での最初の夜の、血も凍るような体験を語ったのであった。
“They were just testing you,” he said. “They won’t bother you. They like you very much and they’re glad that you’re occupying the house. And they’re delighted with your friends and the people you have around all the time.” 
彼らはただ、あなたをテストしているだけだ、あなたを困らせるようなことはないだろう、彼らはあなたを好んでいるようだ、あなたがこの家の住人になったことを喜んでいる、そしてまた、あなたの友人たちも、そしていつもあなたのまわりに居る人たちをも喜んでいる。
I felt positively flattered; imagine, little me, the darling of the spirit world! 
私はまじめに喜ばしく思った、想像してご覧、ちっぽけな私が、このスピリットの世界でかわいがってもらっているわけだから。
“But don’t make fun of them, though,” he warned. “They are very sensitive.”   
しかし、決して彼らをからかわないように、彼らは非常に繊細な感受性を持っているから、と彼は私に忠告をくれた。
Soon after the sudden death of a close friend whom the Warlock hadn’t known, I was to discover just how sensitive indeed they were. 
このサイキックな男が知らなかった、私の近しい友人が突然亡くなったすぐあと、実際かれらが、どれほど神経がこまやかなのかを発見することになった。

 彼女(Bonnie Golightly)は親しかった友人が急に亡くなり、その兄弟からPaintings, Etching, Lithographsなど、その友人の蒐集したものを貰い受けた。そのなかに“Children’s Revolt”(子供たちの反乱)という有名な物語の、あるシーンをイラストしたのにつかわれたLitho があり、内容はGruesome恐ろしげなもの であったが、Technically Superb技術的にはすばらしく、友人のものであったということで、Dining roomに降りる階段の上に、ほかの作品と一緒に飾った。絵は、女が扉のところで首をつっていて、二人の子供がその辺で遊んでいて、女のほうをみてにやりとしているというものであった。それを見たサイキックは、絵を飾ったその日に”すぐに取り去りなさい“と忠告した。
“Why?” I asked, quite puzzled. 
どして? と、まったく訳が分からなくてたずねた。
“The hanging woman doesn’t like it.” 
首をつっている女が好まないからだ。
“But I do,” I said. 
でも、私は好きよ。
The next morning just before dawn I was awakened by an awful crash and sped downstairs to find that the picture in question not only had fallen off the wall, crashing its glass to bits as it fell down the stairs, but had taken along some others in its path-for good measure. I was furious. All the fallen pictures had badly damaged frames. Defiantly, I hung the whole lot up again, after doing what I could by way of unprofessional repair, and made sure they were really solidly installed this time. 
翌朝、丁度、夜明け前、私は、ものすごい、壊れるような音がして目を覚ました、そして階下へと突進した、問題の絵が壁から落ち、階段から落ちる途中、ガラスが粉々にくだけただけでなく、その落ちる道連れとして、ほかのいくつかも巻き添えにしてしまっていた。わたしはかんかんに怒った。すべての落ちた絵はフレームがひどく壊れてしまっていた。わたしは、挑むような気持で、私にできる素人のやり方で修理をして、今度は本当にしっかりととめた。
The next night, of course, the same thing happened, but this time, mysteriously, the hanging-woman picture went all by itself. The violence of hurtling was unmistakable, both from the sound of it and the damages. And yes, I was beginning to have second thoughts about my defiance. Wesley came by and I told him what had happened, and produced the evidence. “Better rid of it immediately, “he advised. 
次の夜、もちろん、同じことが起きた、しかし今度は、不思議にも首つり女の絵だけに変化があった。その音と破壊の様から判断して、びゅっと飛ばしたその荒々しさはあきらかであった。わたしはどう扱おうかと考え始めていた。そうするとウエスリーがやってきた。私は何が起きたかを説明し、その証拠を見せた。すぐに取り除きなさいと彼は忠告した。
“What can she do to me?” She’s doing the harm to herself,” I said, exhibiting my last shred of stubbornness. “After all, this is my house. She’s my guest, so to speak.” 
彼女にいったい何ができるの、彼女は自分を傷つけているだけじゃないの、と私は自分の頑固さの片りんを示しながら言った。結局、ここは私の家で、彼女は私に言わせればただのゲストじゃないの。
“It’s not her picture,” he reminded me. “It would be better for you if it were. She thinks you’re making a joke of her. And as for being your guest, well, your guest can set your house on fire. And probably will.” 
彼女の絵でないからというのではない、もしそうだったら、あなたにはそのほうがよかっただろう、彼女はあなたが彼女をからかっているのだと思っているのだ。それから、あなたの家のゲストだということについては、あなたのゲストは家に火をつけることもできるのだ、そして多分、そうするだろう。
That did it. I had no intention of having my nearly completed house set on fire by poltergeist, accident, or coincidence. Besides, the picture was not pleasant and I could well live without it. I arranged for it to go on “permanent loan” to a friend who rather liked it. The Warlock one day announced that the hanging woman on the stairway had gone, “Where to?” I asked. “Don’t know,” he said with a shrug, “But I believe they’re all going to leave.” 
それを聞いて、きまった。私はほとんど完成しそうになっている家をポルターガイストや事故、あるいは偶然ということで、火事でなくすつもりはない、おまけに絵は楽しいものではなかった、それなしでも充分やっていけた。私はその絵をその絵を好きだという友人の一人に永久貸与という手配をした。サイキックはある日、階段の首つり女はいなくなったと告げた。どこへ?知らないよ、彼は肩をすくめた、しかし、どうやら、彼らは全員、去る様子だ。
“Why?” I wanted to know. 
どうして? 私は知りたかった。
Once more he shrugged, “Something about the house,” 
もう一度、彼は肩を竦め、多分、何か家のことで、と言った。
“Don’t they like it here anymore?” 
彼らは、もうこの家を好まないのかしら?
“Sure, they do. At least I think so. But I have a feeling they’re going.” 
たしかに、彼らは好いていたよ、少なくとも、私はそう思う、しかし、彼らは去っていくという感じがする。
Over the course of the next few months, he reported another departure, and another. Then the thing that I, and the occupants of the tenement house in front had feared would happen, did happen – the Housing Authority notified us that the landlord wanted to put us out and close the buildings. … 
それからの二-三か月の間に、彼は別のが去って行った、また別のが去って行ったと私に報告した。そして、私と家の前のほかの住人が心配していたことが起きた、家主が私たちを追い出し、ビルを閉鎖したがっていると政府の居住問題関係者から通知があった。
A few weeks before I moved, the Warlock announced one day that except for living occupants, the house was now completely deserted. 
私が移動する何週間か前に、サイキックはある日、生きている住民以外、この家には何もいなくなったと告げた。
“Spook-free at last,” I said rather sadly. “It won’t be the same.” 
幽霊はなにもいなくなったわけね。そうなると、同じじゃないね、とわたしはむしろ悲しそうにこたえた。
“Oh, you may hear from them again,” he said, “Somewhere, sometime.” 
やあ、また彼らからコンタクトしてくるかもしれないよ、いつか、どこかで、と彼は言った。
家を出るにあたって、借りるつもりでいたアパートをやめて田舎のほうに家を借りることに決め、必要でないものは倉庫を借りて入れることにした、その家を出る二日前に、友人が例の”絵“を返してくれたので、ほかの絵と一緒にバレルに入れて、倉庫にしまって、もうそのことは忘れていた。それは夏のことであったが、秋にニューヨークにもどると、私の倉庫で火事があったとわかった。わたしの所有物は水でかなりダメになった。このときは、彼女はその関連に気が付かなかったが、あるとき聴衆に自分がすんでいた家にいたSpirits ゲストについて話していた時、その関連に気が付き、あとでサイキックにそのことをたずねたが、例のごとく”Who knows?“どうだかね、という返事であった。
― - - - -
ここに語られたGhostsの話は重要である。
父親の唯一の体験というまさにサイキックな夢、そして予告。ここで、わたしが不思議に思うのは、その幽霊としてあらわれた男が、めがねが無いというメッセージを伝えるためにあらわれたということで、これは、エジプトや日本そのほか各地で死者を埋葬するのに所有物を一緒にいれて埋葬した、そして日本では埴輪がつかわれたということなどと関係があるように思われる。また一方、このブログの心霊現象の科学の最初のほうで紹介したJess Steranのサイキック(Maria Moreno)が語った、“お墓には何もない”という話と関連させると、どうなっているのかと思う。自分が必ず身に着けていたメガネを身に着けないで葬られて、Spiritが注文を付けにくるということは、どういうことなのか。メガネなど必要でないSpiritになっているのではなかったのか。そして、今更、メガネといわれても、どうしろというのだろう。お墓に葬った場合は掘り起こして、入れなおすということは可能だが、火葬の場合はどうなのか。わけのわからない話である。
Stone River の話は、まさに予知といえる。それも、かなり先の未来が、どうしたことか、Spiritにはわかったということは、予知の意味について考えるとき、大事な例証の一つといえるかもしれない。
彼女のふるい家にすみついていたSpirits達は重要な事実を伝えている。まさに、Earth Boundこの地上世界に密着したSpiritsがいるということ、まるで天井にはりつく蜘蛛の巣のように、旧い家に密着して存在し、まるで生きているかのように、反応し、感情をもち、しかもPoltergeistとしてある種のエネルギーで額に入った絵を物理的に投げ壊す能力・エネルギーを保持していること、場合によっては火事までおこさせるちからをもっているということ、などがここに語られていた。そして、その家が近いうちに取り壊しになるということを事前にキャッチして、家に住み着いたGhostsが先につぎつぎに家を出て行ったという話。(サイキックが最初にこの家に入ったときの印象では、この家には20を超えるSpiritsが一緒に住んでいるとのことであった。)そして、ホンモノのサイキックにはそうしたSpiritsの存在をキャッチできるということ。
Life after Death があり、肉体を離れたSpiritsが、別の世界、別の次元に移行しないで、自分が死んだことも知らないで、自分が、嘗て住んでいた家にへばりついているというのは、まさに地上に密着したあわれなあり方で、こういうことにならないように、我々は“チベットの死者の書”のような、次の次元を調査した研究書をよく勉強しておく必要があるように思われる。これらEarth Boundのスピリットがあるということは、まさに人間は死んだ後も意識と感情をもった個性ある存在でありつづけ、別の発展を期待されているといえる。
D. Scott Rogoの研究(「Man Does Survive Death」 その他)によると、ホンモノのGhost Houseといえるものにはなかなかぶつからないそうである。なんらかの原因で音を立てているケースがほとんどだとか。しかし、彼はみな嘘だといっているわけではない。本物のGhost Houseというのは存在するのである。この著者が住み込んだ100年の歴史をもった家もそうした本物のGhost Houseであったと思う。そうして、このGhostの研究はやはり人間の死後の世界の在り方の研究につながるものであると思う。
この本は、個人のなんとなくサイキックな人生をふりかえった、それなりに面白い、大事な本である。おおげさに扱わないで、しかも、本当にGhostHouseが存在し、それがどのようになっているか、Life after Death を正面からでなく、付属品から証明しているような感じがする。そういう意味でも、小品ながら、重要な本である。
さらに、ここにあらわれたサイキックの語る話、次に述べる体験談がとても重要である。それは、彼がなぜホンモノのサイキックでありながら、Semi-proというStatus、つまり、この本の著者をサイキックとして助けたりしながら、ほかの職業で生活しているありかたを続けているかという話である。いつものことながら、無断で引用・紹介という展開をした。悪用しているわけではないということで、著者または版権所有者のご容赦を乞う。つづく。村田茂太郎 2013年3月1日

No comments:

Post a Comment