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3/02/2012

“折れた剣” ある感想

旧い文章です。
チェスタートンの魅力の紹介と漢詩への関心をつなげて、子供たちに興味をもってもらおうと思いました。
当時はフォークランド戦争とそのあとのイラン・イラク戦争の時代でした。

村田茂太郎
2012年3月2日

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 チェスタートンの“ブラウン神父”もの推理小説は私の愛読書のひとつである。およそ20年も前に読んだにも拘わらず、いつまでも鮮やかに記憶に残っているものがある。“折れた剣”と題する短編もその一つである。私がこれをいつまでも覚えているのは、“方法の問題“を考える手がかりとして、よく友人に話してまわっていたからかもしれない。

 “小石を隠すにはどこがいいのか。”“海辺の小石の中である。” “木の葉を隠すのにはどこがいいか。” “森の中である。” “それでは、もし、森がなければどうするか。” “隠すためには森をつくればよい。”これは恐ろしい事だ。しかし、ブラウン神父は、折れた剣の謎を、同じ推理で解き明かす。“死体を隠すにはどこがよいか。” “死体の山の中である。” “それでは、死体の山が無ければ、どうすればよいか。” “死体の山をつくりだせばよい。”かくして、一人の男が殺人を計画し、それを隠蔽するために、無駄な戦争がなされ、沢山の人間が死ぬ事になった。これが、ブラウン神父が明らかにした、忌まわしい犯罪の真相であった。

 いつの世でも起こり続けている不幸な戦争のニュースに接したり、過去を振り返ってみるたびに、私はこの“折れた剣”を思い出し、また、もう一つの漢詩を思い出す。

己亥歳 (キガイノトシ)                    曹松(そうしょう) 七言絶句

澤国江山入戦図 生民何計楽樵蘇 憑君莫話封候事 一将功成万骨枯

たくこく こうざん 戦図にいる、せいみん なんの計ありて しょうそをたのしまん、君によりて話す無かれ ふうこうの事、いっしょう こうなって ばんこつ かる。

結句は特に有名だが、戦前、軍部が嫌って、漢文教科書からは覗かれていたという。

 “揚子江沿岸が戦争圏内に入った。住民は木を切ったり、草を買ったりといった日常生活を楽しむ事ができない。そんな中で、特に君に頼みたいのは、戦功を立てて大名にしてもらおうといった話しはしないでほしいことである。なぜならば、戦勝の巧名は、ただ将軍一人だけであり、そのために何万という沢山の兵隊が死んで、骸骨を野原にさらすことになるのだから。”

 現代の戦争といえども似たようなものでないだろうか。どうでもよいようなことで争い、殺されていくのは指導者ではなく、普通の民衆なのである。フォークランド戦争や現今のイラン・イラク戦争など、いまだに日常的に戦争がおき、人々が死んでいっているということは、一見、平和な日本やアメリカにいると信じられないほどである。一日も早く、世界に平和がやってくることを願っているのは、私達だけではあるまい。“一将功成万骨枯”は今も真理である。

(完                  記 1985年6月6日) 

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