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7/19/2012

拙著「寺子屋的教育志向の中から」の”はじめに” 紹介(本からのコピー)

拙著「寺子屋的教育志向の中から」の”はじめに” 紹介(本からのコピー)

 わたしは、ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園での15年の生徒指導中に、子供たちを刺激しようと、様々なテーマにわたって、文章(エッセイ)を書いて、教室で子供に配り、説明したりしました。15年のあいだに、本2冊分くらいの量になり、去年、2011年9月、壱生社から、その一部を出版しました。そのとき、分量の関係で半分以上カットしたので、心残りがしていましたが、今年2012年の2月22日にはじめて私自身のブログを開設し、そこに、すでにWordにInputしてあった、他のエッセイをコピーしてもちこむことが可能とわかり、もれていたものなどほとんどすべてブログで公開しました。直接教育と関係ないようなさまざまなエッセイがありますが、基本的にほとんどすべて、生徒指導用に私が書いて子供たちに提示したものです。”寺子屋的”となづけることになったわけです。今回、InternetのSearchで自分の名前を入れると、各出版社でのInternet上の販売宣伝のほかに、自分の本の”はしがき”の部分がでてきて、コピーしてみると、ちゃんとコピーできました。拙著に載せたエッセイはブログに収録するわけにゆきませんが、”はじめに”はブログの内容とも関係があり、自分で書いたものなので、出版社には無断でここに掲載いたします。許されるでしょう。すでに目次に関してはブログで公開してあります。本当に興味をもたれた方は、アマゾン、紀伊国屋、ジュンク堂その他からお求めください。興味をもたれたみなさんに読んでいただきたいと思って、コスト以下の値段にしてありますから。日本では本当に安く手に入ります。アメリカでは今はわたしの手元に200冊ほどあるだけで、売れ残ったら、学校に寄付するつもりでいます。日本でも2年経って売れ残ったものは中学校・高等学校などに寄贈するつもりでいます。

”拙文集あとがき”も本当はコピーして、ブログで公開したいのですが、わたしが出版社に渡したWordのコピーなら添付可能かもしれません。PDFはどうも勝手にコピーして添付は出来ないようなので、こまります。

村田茂太郎 2012年7月19日

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拙著「寺子屋的教育志向の中から」(瞑想と回想と感想とーロサンジェルス日本語補習校あさひ学園での15年)ー壱生社 ISBN 978-4-9905937-0-4
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はじめに
わたしは1979年8月から1994年7月までの15年間、ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園で生徒たちを指導する機会に恵まれた。
 あさひ学園は、基本的には日本帰国を予定した海外子女教育の場であったが、時と共に実態もかわり、現在は帰国子女だけでなく、日本に帰国しなくても、日本語で、日本の教科書で、日本の教育課程を学びたい永住組みや日系アメリカ市民の子弟でも通学可能。土曜日だけなので全日制と異なり、補習校といわれる。週日はアメリカン・スクールで学び、土曜日だけ日本語補習校でそれぞれの学年分を学習する。あさひ学園はロサンジェルスの日本語補習校の総称。はじめ1校だけ(ヴァージル校)であったが、生徒数が増えて6校になったこともある。現在(2011年現在)は、サンタモニカ校、サンゲーブル校、トーランス校、オレンジ校の4校。現在、学校によっては幼稚園部から高等部まである。日本語を、英語を交えながら教える地元の日本語学園とことなり、あさひ学園では、日本語で文部科学省の選定した教科書を使いながら、それぞれの学年分を1年で終える。たとえば中学生の場合、国語・数学・社会・理科の4教科を土曜日週1回で、日本の同じ学年の教科書を全部やり終える。1週間分を土曜日1回で指導。生徒は6日間(アメリカン・スクール5日、補習校1日)勉強し、日本での1週間分を1日でマスターしなければならないので、苦労は大変。私立であるが、日本からの派遣教官が校長・教頭等としてマネジメントにかかわり、ロサンジェルス現地の日本語のわかる教員が生徒指導をする。ある程度日本語が分かる児童(日本語で読み・書き・話し・聞くことが出来る生徒)でないとついていけないので、入学資格テストが実施される(有料)。
 わたしは、当時まだ1校であったあさひ学園ヴァージル校(小学部)でスタートし、パサデナ校とサンタモニカ校を行き来する形で、中学部・高等部を担当した。
 あさひ学園は補習校であって全日制ではないとの認識の下、わたしは文部省(文部科学省)の教材(教科書・指導書)は参考資料として扱い、生徒諸君の能力に応じて、学年を超えた指導をもおこなった。結果的には教科書全部をこなし、さらに小学6年生から漢詩・漢文や百人一首、あるいは1、2年上の数学指導などを行う事になった。ある学年では国語文集を11号まで、いわば毎月発行するようなことまで実現できた。補習校なればこそであったろうと、私は私流に補習校の特権を生かした、私の望む寺子屋的教育を幾分か実行できたことを懐かしく、そして誇らしく思い返すことが出来る。放課後、職員会議のはじまるまでの30分足らずを、有志を対象に古典講座と題して、漢文指導や百人一首を、小学4年生から中学3年生までの生徒と一緒に、そしてときにはお迎えのお母さま方にも参加していただいて、数年間展開できたのは、まさに寺子屋的教育の実践であったと思う。ここに収録した拙文のほとんどすべては、その教育の中で生まれた。
 ここに収載したエッセイは、子どもたちを刺激し、すべてに関心をもてるようにと、わたしが読んだ本や、見たニュース、テレビの感想から、日ごろ考えていた日本語と日本人に対する考え、そのほか様々な問題に関する感想を子どもたちに示したものである。わたしは、一般的な感想ではなく、この生徒諸君と接している「私 ムラタが」どう思ったかを示すことによって、すべてがより身近に感じ取れるだろうと期待した。対話が成立する場を提供したといえる。
 あさひ学園での教育15年の間に、小学6年生から高校数学・古典・国語表現まで担当したが、場所の特殊─海外子女─を考慮して、中学生の国語教育が一番大事と思って、できるだけ中学生の国語指導ができるようにと希望した。従って、中学生を指導していた時期は10年になる。中学生には国語、数学、社会、理科のほとんどすべてを指導する機会があったため、エッセイで扱った内容も多岐にわかれたわけである。しかし、わたしの文章はとくに子ども用という書き方ではないので、お父様お母様がたが、熱心に読んでくださり、それが刺激にもなって、わたしはある時期は毎週のごとく書き続けたりした。子どもたちには、難しければ、ご両親と一緒に読んでくれるように期待した。
 最初は、子どもたちに読書感想文のサンプルを示そうと書いていたが、そのうちにいろいろと書きたいものがあるのがわかり、補習校という特殊な環境の中での教育指導に関する教育論を書き続ける(一部収録)と同時に、ここに収載したさまざまなエッセイをも書き上げることになった。ひとつひとつが書いた当時の思い出とつながっている。効果はあきらかで、たくさんの生徒がみごとな作文を書いてくれるようになった。
 このエッセイ集をうみだす原動力となったあさひ学園で、わたしが接することができた生徒諸君には、わたしに人生の生き甲斐を感じさせてくれたという意味でも、心から感謝する。
 わたしの指導ぶりを遠く日本から応援してくださった、今は亡き畏友─防衛庁〔当時〕の田中敬史博士(UCLA Ph.D. Physics)の霊に感謝の思いを捧げ、また、あさひ学園で精神的支柱としてわたしを励ましてくださった、わたしのよき理解者長嶋昭子先生、そしてわたしの教育の模範であり、高等部国語教育の在り方を実践的に示されて、すべてがそこから生まれる事になった本当の恩師─当時大阪府立生野高校教諭─田中住男先生に感謝の思いを込めて、このエッセイ集を捧げる。


 補記─収載エッセイの中であさひ学園以外のところで書いたものは、「コウモリの飛翔をめぐって」、「ビタミンCをめぐって」、「哲学の成立次元について」そして「メールストロームの渦をめぐって」の4篇だけであるが、メールストロームに関しては、小学六年生担当当初から生徒諸君に紹介してきたものを、後日、エルパソ時報(注)にエッセイを載せる必要があって執筆となった。

2011年4月                           村田茂太郎

(注)エルパソ時報…エルパソ日系人社会の横の連携を助ける一助として当時日系会社20社足らずの組織(エルパソ日本人会)の会長を務めていた大昌電気工業アメリカ会社・社長小棹工(おざお・たくむ) 氏が作りはじめた会報で7号まで続いた。


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