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6/10/2012

Travel Japan (21) 西行法師終焉の地ー弘川寺周辺 大阪府南河内郡

Travel Japan (21) 西行法師終焉の地ー弘川寺周辺 大阪府南河内郡

 姉夫婦が老後は山の麓で棲みたいと、葛城山のふもとに移り住んだおかげで、わたしは姉夫婦を訪問するたびに、南河内郡の様々な史跡旧蹟を訪れることが出来ました。

 西行法師終焉の地として知られる弘川寺は姉夫婦の家からクルマで10分もかからず、付近には小野妹子の墓や孝徳天皇、推古天皇の御陵、そしてもちろん聖徳太子ゆかりの寺社等いろいろ古代文化の遺跡・旧蹟があり、はじめて知りましたが、源氏の三代、三代目源義家にいたる三人のお墓まで、寂れて存在するのを知りました。今は源家直属の子孫など居ないわけで、墓碑が建っているだけでも、まだましなのかもしれません。

 大阪は随分開発が進んで、昔の田畑などなくなっているだけでなく、羽曳野など、昔、うさぎ追いとかで小山を駆けた、そんなところなど跡形もなく消えてしまう状態で、今ではわたしは小さな森がのこっているところは、古墳か寺社の領域だと推定できるようになったほどです。自然保護のためにはどこも寺社か保護地域に指定する必要があるようです。ただ、地方に旅行して、まだ田舎らしい自然が残っているのを見て、少し安心するとともに、ほっとしたものです。そして、これ以上発展しないように祈りました。

 弘川寺(廣川寺?)周辺は山の中で、境内は森を歩くようで、なかなかいいハイキング・コースだと思いました。付近は昔ながらの山村の農家で、まだこういう環境が存在していることを懐かしく感じました。

 小野妹子など、立派なお墓が作られていたので、びっくりしました。権勢誇る隋の煬帝に”日出る処の天使、つつしみて日没するところの皇帝に致す”などといった意味の天皇書簡をとどけることは、或る意味では決死の行為であったかもしれません。もちろん煬帝は激怒したわけですが、ここにお墓があるところから、無事帰国したのかもしれません。わが国(日本)でも元の使節を北條時宗は切り捨てたりしたほどですから。

 コンクリートでできた古墳型近代建築美術館のようなものもあり、時間がおそくて中に入れませんでしたが、外人さんも何人か見学に来ていました。

 日本最初の国道一号線ともいえる竹内街道を記念する碑も立っていました。

 彼岸花が咲き乱れる秋の一日でした。

村田茂太郎 2012年6月10日










































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