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6/19/2012

“秋色のMogollon Mountains-White Water Baldy登山”New Mexico-紀行文と写真


“秋色のMogollon Mountains-White Water Baldy登山”New Mexico-紀行文と写真

 1995年10月14日〔土曜日〕午後、初めの予定に従って、登山の用意をしたうえで、Highway I-10からI-25に入り、I-25Caballo(カバジョ)でNew Mexico Highway ルート152に乗った。そして、New MexicoはどのルートもScenic Highway, Bywayといわれているが、その中でも屈指のScenic RouteHillsboro-Kingston-San Lorenzoのルートを辿り、秋の紅葉や、すばらしい山景を楽しみながら、Silver Cityについた。

 まず、モーテルに入り、部屋をとってから、次のScenic Driveに移った。今度はInner Loop Scenic Bywayといわれているルートで、10月の秋色を味わおうというものであった。Silver Cityからルート15をとってPinos Altos経由でLake Robertsの横を通って、ルート35のMimbres、そしてルート152、ルート180と一周する。

 ルート15は、Pinos Altosを過ぎてCopperas VistaといわれるView Pointにくる。眺めはすばらしい。私が7月に来たときは、Gila山系の雨期で、夕立に襲われたりしたが、10月はドライで感じも全然違ったものであった。ルート15はDead EndにあたるGila Cliff Dwellingにまで通じているが、これは前回見たので今回は省略して、Mimbresのほうに回ったのであった。Gila Cliff Dwellingは1マイル・ループの快適なハイクで、A.D.1270年ごろに、ここに住んでいたインディアンはわりと快適な生活を送っていたに違いないと感じられるものである。

 ルート35からルート152に入り、Silver Cityに向かうと、左側にSanta Rita Open Pit Copper Mineがクルマから眺められる。どう感じるかは人によって違うが、坑道のMineと違い、Open Pit露天掘り式は外部からよく見えるため、私は一つの地球破壊ととる。(落盤事故による人命被害は発生しないが。)

 超特急でドライブしたため、モーテルに戻ったときはまだ早かった。次の日、早朝に出発するが、少しCityを見学しておこうと思い、Big Ditch Parkを訪問した。これは一見の価値あるParkで、街の真ん中に、深い峡谷ができたようなところである。19世紀末、放牧で下草がみな食べられたHillsidesに集中豪雨が降り、大洪水となって、街の中心を襲った。その結果、ナント、Main Streetに55Feet(約16-17メートル)の深さの溝(Ditch)が出来上がったというのである。これは、コントロールしないで放牧するとどういうことが起こるかの一つの大きな教訓としてのこされている。今、ここは、下まで降りれる道がつくられ、樹木が生い茂り、水もあって、風変わりなパークとなっている。夕食はガイド・ブックに従い、Old TownにあるJalisco CaféMexican Restaurant)ですませた。

 10月15日(日曜日)、まだ真っ暗な時間に起き出し、Glenwoodに向けてドライブを始めた。目的地はGlenwoodから約22マイルの山の中にSandy Pointといわれるところがあり、そこにクルマをとめて、登山を始めるわけで、そこへつくまでにSilver Cityから距離的には90マイル足らずであるが、ドライブで2時間半から3時間かかるというわけで、6時前にモーテルを出たわけであった。Glenwoodには7時過ぎにつき、Gasを入れたいと思ったが、Stationがあいていない。仕方なく、あきらめて、往復100マイル以内なら大丈夫と踏んで、Mogollon Town経由、Sandy Pointに向かった。ものすごく急な坂や、クルマが1台しか通れないようなコワイ道、急激なカーヴと冷や冷やするようなドライブをしてMogollon Townについた。

 Mogollonは鉱山の街からGhost Townとなり、今はまた趣を変えて、ArtistたちのTownとなっているといわれている。小さな狭い町並みが険しい山越えのあとに、ひっそりと展開している。街はSilver Creek Canyon沿いにあり、今では12所帯くらいが住んでいるだけらしいが、その昔、GoldSilver の鉱山として栄えていた頃には、何千人と棲んでいたという。

 MogollonからSandy Pointまでは10マイルほどの砂利道なのに、このドライブは自足15マイル以下で、約1時間かかる。そして、Sandy Pointに近づくにつれ、黄葉の気配が強く感じられ出す。クルマをゆっくりとドライブしながら、後ろを振り返ると、全山が黄色に輝いている。アッと声を出したほど、それは感動的な光景で、これを見ただけで、はるばるエルパソから1泊してまでドライブしてきた甲斐があったと、私はそのとき、心からうれしく思った。

 ほとんど真っ黄色になって、太陽に輝いているのはAspenであった。New MexicoのこのGila Wildernessでは、Aspenは2700メートル以上のところに生育しているようで、3350メートルのWhite Water Baldy登頂のつもりで、高いSandy Pointまでドライブして、やっとアスペンが光り輝いているのに出会えたのであった。

 このあと、私はCrest Trailに入っていった。森の入り口にはサインがあってHummingbird Saddleまでは約4.75マイルとわかる。従ってHSまでの往復だけで9.5マイル歩く事になる。私はHSから更に1マイルほど歩いて、このGila National lForestの最高峰White Water Baldy〔10895Feet, 3350メートル〕に登頂するつもりである。13マイルは覚悟して森の中へと入っていった。入ってしばらくするとGila Wildernessに入ったことを示す意味深長なサインを見つけ、私は写真に撮った。道はよく整っていて迷うことなく、本当の山道のすばらしさを充分味わいながら歩くことが出来た。ところどころアスペンの林があり、アスペンは白い幹を高く伸ばし、上部で黄色い葉っぱを風に揺らめかしている。下には落ち葉ができ、とても美しい。Douglas FirSpruceの茂る森の中を一心に歩いているうちに、私はリスの鳴き声を耳にし始めた。

 John Murrayの“Gila Wilderness”というすばらしい本の中に次の文が見つかる。「The forest here, like that throughout the Mogollon, is filled with the chattering of sentry like squirrels.Chattering of Sentry like Squirrels---まさに、その通りであった。私は一匹のリスが高い木の枝につかまって、私を見て、ギャギャと鳴いているのを確かめた。それからナント約20分ほどの登山の間中、私はリスの鳴き声を耳にしつづけた。そこで、私は歩きながら、いろいろなケースを考えてみた。このとき、のぼりの登山で出遭ったのはHummingbird Saddleにいた一つのグループだけ。雄大なMogollonの山中を私ひとりがテクテクと歩いていたのである。

 そこで、森の中に闖入してきた私を見つけた一匹のリスが、それぞれ決められた持ち場で合図の声を発する。それは、或いは「オイ、ヘンな奴が来たゾ、用心しろ!」という叫びなのか、それを耳にした次のリスは、その持ち場で「オイ、今、通ったゾ」と声を発し、次々と20分近く、私一人の行方をたしかめていたということであろうか。それとも、一匹のリスが偵察隊としての任務を帯びて、職務に忠実に、私がドンドン歩いていくのを、ムササビの如く、木から木へと綱渡りしながら、そのリスのテリトリーを離れるまで、ついてきたということであろうか。本当に、しきりに鳴き続けるリスの声を耳にしながら、私はアレコレとそのなぞを解こうとしたのであった。John Murrayもやはり、Sentry like Squirrelsという言葉で、森への侵入者に対する番兵の反応のようなものを感じとっていたことがわかり、やはり、ここはこのリスで有名なのだと改めて感心したのであった。

 すばらしい林道を休みなく2時間近く歩き続け、やっと、Hummingbird Saddleに到達した。同じJohn Murrayは次のように書いている。「One of the most breathtaking experiences in the entire Gila Wilderness is breaking out at Hummingbird Saddle (10400 Feet) and gazing up at White Water Baldy, which rises majestically from the surrounding mantle of spruce-fir and aspen forests.

 その通りであった。Douglas firSpruceの森林を歩いている間は、特に周りの山が見えるわけでもなく、ただ、黙々と快適な登山を楽しむだけであったが、Hummingbird Saddleにおいて、森の一端が切れ、はじめてWhite Water Baldyの全貌が見え、まわりの様子も鮮やかに見てとれる。そして、見えたものが、ある斜面は全面にアスペンが黄色く輝いており、様々な森の中に黄色くなったアスペンがゴマ塩のように、その存在を明らかにしている様であった。FirSpruceの森の中に、一本アスペンがあっても、それが鮮やかに黄変して、その存在がハッキリと認められるのであった。森は生きているということを本当に鮮やかに感じさせる光景であった。

 このとき、正午前であった。このまま、Turnして帰っても、満足のいくものであった。しかし、John Murray は次のように書いていた。「Although there is no formal trail, White Water Baldy can be ascended from the obvious ridgeline due south of Hummingbird Saddle. The roundtrip takes about an hour, and the view from the far side over the headwaters of White Water Creek, is superb.

 道らしい道はないけれど、1時間ぐらいで往復できると言い、眺めは最高と書いてあり、しかも、この White Water BaldyがこのGila National Forestの最高峰(10895Feet)なのである。エルパソのFranklin Mountains登山で、道なき道を登るテクニックを身に付けたはずの私にはラクに登れそうである。2700メートル程の出発点からNon-stopHummingbird Saddleまで来たのだから、そのまま頂上まで登って休憩しようと判断し、ほとんど止まりもしないで、歩き続けた。山の頂上まで樹木で蔽われたWhite Water Baldyの頂上らしきところには石ころが集められ目印となっていた。付近の石ころをとってみると、真っ黒で穴があちこちあいている。火山性の岩石である。頂上は今、樹木でおおわれて、火山の感じはしないが、その昔、ここは激しい火山活動があったことがわかるわけである。

頂上らしきところから少しおりた見晴らしのよい岩に腰を下ろし、まわりのアスペンの黄葉ぶりを眺めると、斜面一体黄色くなっているところ、ところどころ黄色くなっているところ、一本か二本だけ黄色くなっているところと様々である。私はサンドイッチをかじり、スナックを食べながら、自然の美しい装いを心行くまで味わった。

 さて、帰ろうと、頂上に上り、来たはずのコースを元に戻りかけて、私はハッとした。Hummingbird Saddleがどこにあるのか、わからなくなったのだ。White Water Baldyは全面が頂上までFir-Spruceで蔽われていて、本当に道などはなく、のぼりは焦点が一つで、ためらうことなく頂上まで辿れたが、道なき道を来たということは、逆に、どこも同じに見えて、元の場所に帰れるかどうかわからないのだ。あいにく、Mogollonの山はどこも同じように見え、アスペンの黄葉にしても、いたるところに部分または斜面一面が黄変しているので、どこがHummingbird Saddleか見当がつかない。コンパスを出してきて、私は大きなエラーに気がついた。自分のいる場所から北がどちらかわかるだけでは、コンパスとして役に立たない。私はHummingbird SaddleWhite Water Baldyがどの方角にあるかをたしかめておけば、今度は頂上からHummingbird Saddleがどちらにあるかスグわかったはずである。また、私はこのWhite Water Baldyまでのルートは単純だから出来るだけ荷物を軽くしようと、大事なTopo Mapまでクルマの中においてきてしまった。そして、懐中電灯もみな用意してきたのに、クルマの中に置いてきた。こうして私はいくつかのミスにスグ気がついた。

 Sierra Blanca Peak (3660メートル New Mexico, Ski Apache) のように、ほとんど独立峰のようにそびえている山であれば、それが目印になって、自分が今どこにいるかスグわかる筈である。Mogollon Mountainsは最高峰3350メートルとはいえ、どれもみな同じような高さに見え、どれがどれにあたるのか見当がつかない。おまけに時間が丁度12時半ごろで、太陽で山の位置を判断しようとしても、特に目立った位置がわかるわけでもない。

 私はパニックに陥らないように気をつけ、まず冷静に判断しようと、もう一度頂上に上がり、見晴らしのよい縁を歩くようにしながら、見え覚えのある場所をさがそうとした。そのうちに、このWhite Waterのまわりを二本のTrailsが走っているはずで、下におりてゆけば、ともかくTrailにぶつかるに違いないと考えた。そして下に向かっておりながら、今度は、これだけ下りたのにTrailにぶつからないということは、もしかしたら、丁度Trailが走っていない部分に向かっておりているのではないか、もし、そうであれば、ますます迷路に入っていくに違いないと思って、これは体力を失わないようにするしかないと考え、ますます慎重に行動した。そして、とうとうTrailの一つを見つけたとき、ホッとして、その道を辿っていくらか歩き始めたが、Switchbackで三度ほど下り始めたとき、これはおかしい、これはドンドン急降下して下っていく、これではHummingbird Saddleとは反対の方向に行くと判断し、簡単なMapでこれがWhite Water Creekへ行く道であることを確かめて、疲れた身体にムチ打って、もう一度、このTrailを登り始めた。そして、とうとうHummingbird Saddleへ戻りついたのであった。HSから入り口まで4.75マイル。ラクではなかったが、安心して元への道を歩き始めた。夕方近くから登り始めている二組のグループに会い、もう少しだと励まして、やっと何とかクルマにたどり着いたとき、本当に私はホッとした。これが、冬山であったり、夕暮れであったりしたらどうなっていたことだろう。単独行の私には自分しか頼るものはいないのだから、二度とコンナ失敗はしないように気をつけないと命取りになると切実に思った。

 Mogollonへの砂利道はすべりやすく、危険に思えたが、今、考えると、その方が、みな慎重にドライブするから、ワザとそうしてあるに違いない。アスファルトにしておけば走りやすいから、スピードを出し、簡単に谷底に転落していくクルマが絶えないにちがいないと思う。時速10マイルか15マイルで走っていても、すべって崖にぶつかりそうになったりして、本当にコワイ思いをした。

 しかし、幸い、無事Mogollonを過ぎ、急なスロープをGlenwoodへと何事もなく走り抜けたとき、本当に解放されたような気分になった。一生の思い出になるようなアスペンの見事な黄葉を見、同時にミスのために貴重な教訓と苦い体験を味わえたのであった。Silver Cityについたころには暗くなっていた。エルパソへは充実した思い出を抱いて走り続け、無事、アパートに帰り着いた。この日は1時間近く山の中をさまよったため、普通以上に歩き、トータルで13マイル近く歩いた事になった。TaosWheeler Peak登山15マイルにつぐ歩行距離であったが、生まれて初めて見事なアスペンの秋色を見たという喜びで胸はいっぱいであった。

 私は今回の登山でAspenAutumn Colorの美しさを初めて知った。AspenNew MexicoではLife ZoneTransition(7000-9000Feet)やCanadian Zone (8500-11500)に見出され、Mogollonにおいては、約2700メートルくらいの高さのところにはじめて現れたことから、Gila National ForestColorado RockyTaos, Santa Feにくらべて南に位置し、気候もコロラドに比べてMildといえるぐらいであるから、高度も2100メートルではなく、もっと高いところに生育しているのであろう。Big tooth mapleが真っ赤に変わるのにたいし、Aspenは真っ黄色といえる色にかわる。白い幹とポプラ科のハート型のかわいい葉っぱは、それが真っ黄色になって、高く伸び、澄みきった青空に輝いている様は本当に見事であり、斜面全体、太陽のよくあたる部分が全面的に秋色を示す美しさはたとえようがない。

 私は日本でいろいろ美しい紅葉を見てきたが、Mogollon MountainsGila National Forestが秋色を示して、全山、燃えているような輝きを見せていたのには感動した。

 いろいろなところがあり、やはり自分の足で体験しないと実感は湧かないものだとつくづく思った。アメリカにはすばらしい自然がいっぱいあり、私はもっともっと自然を探訪しようと決心した。この広大なGila Wildernessのすばらしい黄葉を本当に体験している人は、この日、私のほかにホンの10本の指で数えられる程度の人数であった。大自然の静寂と秋色の饗宴。森の中の動物達の自然なざわめき、すがすがしい空気、本当にひとりでこんなにすばらしい体験をしているだけではもったいないと思った。

Gilaはヒラと発音する。Mogollonマギヨンは1700年代にこの地域のGovernorであったスペイン人の名前。)

村田茂太郎 オリジナル執筆1996年4月15日

Word input 2012年6月19日

















 

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