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2/29/2012

自然管理―アメリカと日本

 アメリカの自然管理に接して、日本をながめると、色々な感想がわきおこります。
わたしは政治は苦手ですが、環境庁というPositionがうまれたとき、そうだ、日本の自然保護のために環境庁の長官ならやってもいいななどと勝手な夢想を描いたこともありました。

 それをめぐる随想です。

 どこででも、オームステッドの名前がでてきます。このひとはAmerica Landscape学問の創始者といわれていて、スタンフォード大学の校庭なども彼がやったといわれています。

 ともかく、アメリカと日本の自然管理の違いは、創世の時期(明治政府)にVisionaryが居て、方向をきめたかどうかということかもしれません。原生林保護法を世界で初めて設定したのも、Aldo Leopold という人が中心になってすすめたからでした。

村田茂太郎 2012年2月29日

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あるとき、マネジメントにきわだった才能を発揮した社長に私は冗談をいった。「社長が日本の内閣総理大臣になるようなことがあったら、私を環境庁の長官にしてください」と。社長は言下に「あんたが環境庁の長官になったら、すぐに暗殺されるよ」といわれた。

 アメリカの場合、大統領は誰でもなれるし、国民的人望をえたり、有名になれば誰もチャンスはある。それは史実が示している。日本はすこしちがって、ほとんど一党独裁のような形(?)で首相は選定されてきた。第一党の首班でなければ、首相のチャンスはほとんどない。しかし、内閣の閣僚は議員だけとは限らない。日本でも外野から大学教授やめぼしい人材を閣僚にすえることは、おこなわれてきた。わたしの、環境庁長官という発言になるわけである。もちろん、ある社長が首相になるなどということは、すぐには日本では出来ないわけで、私の話は夢物語である。

 アメリカの国立公園の管理はみごとである。世界で初めて国立公園や原生林保護地域を率先して実行してきただけのことはある。わたしは機会をとらえてあちこちのアメリカの自然を観察してきた。膨大な国土で自然現象のほとんどすべてが、どこかに存在している国なので、わたしが訪れたのは国立公園、国定公園、原生林、国定保護地域といっても全米の半分にも満たない。しかし、アメリカの自然保護政策の具体的な姿を見ていると、おのずからなにかがわかってくる。

 その顕著なすがたは、わたしが有名なナイアガラ瀑布をおとずれてはっきりとした。ナイアガラ瀑布は国境を接するエリー湖からナイアガラ川に流れ出る地域にあらわれた滝である。従って、カナダとアメリカが共有するようなかたちであるが、川の流れがカナダ側で大規模な滝となっておちるので、景観としてはカナダ側からのほうが壮大である。しかし、アメリカ側もそれなりの雄大な景観もあり、より近くから見られたという印象はつよい。だが、わたしがなによりも感心したのはアメリカのナイアガラ瀑布管理制度であった。

 前日、カナダ側に泊まって、カナダ側の観光施設その他を見学したが、沢山の観光客がくるので、商売気があらわれ、ともかく自然観光とは関係のない娯楽のビジネスが盛況で、ナイアガラ川沿いには沢山の客を収容するホテルが点々と存在しているのである。

一方、アメリカ側は私のおぼえている限りでは公園内に観光案内所(Visitor Center)とレストラン・みやげ物店が一箇所あっただけで、ナイアガラ川沿いにはホテルなど一軒もなかったのである。

 カナダ側はまさに日本的な現象であったのにたいし、アメリカ側は世界に率先して自然保護を手がけてきた国らしく、その面目をナイアガラにおいても保っていたのであった。


 そのちがいはどこからきたのか。あとでアメリカのナイアガラ公園を企画したのはフレデリック・ロー・オームステッド(Frederic Law Olmsted)であったことがわかり、すぐに、これだと私は納得したのであった。

 オームステッド、この名前はわたしには神聖なひびきがする。アメリカが世界に初めて国立公園システムなどを設立するのに最大の貢献をした一人がこのオームステッドであった。まだ、そういうシステムもない時代に、カリフォルニア州シエラ・ネバダ山中に展開するヨセミテの自然景観に驚嘆したオームステッドはその管理責任者として将来を予測し、自然保護政策を描いた。かれはビジョナリー(Visionary)といわれている。夢見る人ではなく、未来の設計を予見できる能力を持った人で、ヨセミテ訪問客がまだ二、三千人というときに、将来は年間何百万人の観光客がくるだろう、それに備えて自然保護をやる必要があるといえた人であった。彼のヨセミテ保護案はときの大統領リンカーンのサインを得て世界最初の自然保護法案となった。一八六四年のことである。

 オームステッドは自然を出来るだけ破壊しないで、自然のままの姿で保とうと努力をした。そしてもちろん、誰も寄せ付けないのではなく、自然を愛する誰もが親しめる形で自然を保護しようと努力した。アメリカの国立公園にある宿泊施設は周りの自然環境を破壊しないような、樹木を多くつかった、自然と調和した建物となっており、レストランやみやげ物店も同様であり、無制限ということはありえない。自然を生かすような管理、それがオームステッドの遺産であり、わたしが日本の自然保護政策にも適応したいと思い、土建業者と癒着した行政で悪名高かった政治の是正運動は「暗殺」につながるという冗談話となった。

村田茂太郎 2009年執筆

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