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2/26/2012

人間と孤独

1986年の文章です。ここでも、孤独だけでなく、いじめとか自殺を扱っています。
ユングやリルケを手がかりとして、孤独の問題を展開しようとしたものです。
わたしの文章はすべて文末常体で書かれています。

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 エドガー・アラン・ポーの散文詩に“沈黙”という名作がある。“一つの寓話”と副題がつけられている。ザイレ河のほとりの絶壁に孤独を求めて立つ男。悪霊は苛立ちを感じ、嵐を呼んだが、男は孤独の中で身を振るわせるだけであった。とうとう悪霊は自然のすべてに沈黙の呪いをかけた。すべてが静寂になったとき、男は恐怖に青ざめ、あわただしく、はるか遠くへ逃げのびていった。

 たしかに、意味深長な寓話である。人は、しばしば、孤独への憧れを洩らす。しかし、その孤独とは、環境的孤立であっても、自然や人間との連携が断絶したところに成立する絶対的孤独ではない。リルケは、しばしば孤独な生活を送った。ある時は、友人に宛てて、こういう手紙を書く。“何週間も前から、私は二度ばかり、ちょっと中断されたほかは、ただの一言も口にしませんでした。遂に、私の孤独は閉じ、私は果実の中の核のように、仕事に没頭しています。”しかし、これは、モーリス・ブランショ〔文学空間〕も言っているように、実は、“精神集中”であって、本当の孤独ではない。リルケの孤独を人は誤解しやすいが、リルケはすぐれた友人や支持者にめぐまれ、特に晩年は内的精神的に豊かな人生を送ることが出来た。有名なミュゾットへの隠棲も、確かに孤立した生活ではあったが、リルケの心は孤独でなかった。

 人はどんなに孤立した場所に住んでいようと、信頼し、愛する友人や恋人と心でつながっているとき、孤独ではない。その逆に、どんなに群衆の中に居ようと、人間的になんらの連携を持っていなければ、人は“人間的に孤独”である。エドガー・アラン・ポーは、名作、“群集の人”で、そのような奇怪な人間を見事に描出した。

 ユングが自伝(回想録)の中で述べた女ドクターの孤独も、絶対的孤独といえるものである。この女性が若いときに、自分の欲望を充足させるために、親友である女友達を毒殺したとき、彼女の世界のすべてが崩壊した。彼女がそれに気づくのは、遅すぎたのであった。利己的な目的のために、親友を抹殺できる人には、他の人間とのどのような人間的関係も成立せず、自らが作った人間不信の世界の中に埋没していくほかなかったのである。

 一方、リルケの方には、高貴な女性が絶大な援助の手をさしのべた。この女性の名は永く記憶されるべきである。マリー・フォン・トゥルン・ウント・タクシス・ホーエンローエ侯爵夫人といい、富と美貌と教養を兼ね備えたイタリア女性である。リルケが生まれた年に、二十歳で侯爵と結婚した彼女は、本物の教養を身に着けた魅力的な女性であった。彼女はリルケのドイツ語の詩をイタリア語に訳したり、他のドイツ語の本をフランス語に訳したりし、老年になっても、イタリア語のダンテやペトラルカの詩を何ページにもわたって、全部、暗唱することが出来た。“リルケ伝”(Rilke: A Life)を書いたヴォルフガング・レップマンも、この、すばらしい知性を持ち、暖かい心を持ち、ユーモアを解した魅力的なマリー・タクシスが、ジェームズ・ジョイスと知り合いになることが出来ていたら、どれほどイギリス文学が豊かになったであろうと書いている。

 彼女はロンドン心霊学会の会員でもあり、テレパシーや霊媒にも興味を示した。リルケの詩の業績における最大傑作“ドゥイノの悲歌”は、マリー・タクシスの古城ドゥイノで書き始められ、十年後に完成した。完成の喜びを彼女に伝えた手紙は、詩的スタイルで構成され、この詩の全体が彼女のものであることを示した。“書物になるときは、(はじめから、あなたの所有であったものを、あなたに差し上げるわけにゆきませんから)献辞はつけず、<・・・の所有より>とするつもりです。”

 事実、この名詩は“ドゥイノの悲歌 マリー・フォン・トゥルン・ウント・タクシス・ホーエンローエ侯爵夫人の所有より”という体裁で発表された。それが、リルケの、彼女の精神的、物質的援助に対する心からの感謝の意の表明であったし、彼女もよく、それを理解することが出来た。以前、私は、死と愛の書である孤高の名作“マルテの手記”を読み、訳者大山定一の跋文を読んで、孤独なリルケというイメージが焼きついてしまっていた。今、レップマンの書によって、マリー・タクシスを中心とするすぐれた女性や交友に恵まれていたことを知り、心から救われたように思った。

 人は、愛する人が、この地上のどこかに存在していることを知っている限り、孤独ではない。それは、人間だけに限らない。大自然や犬猫とも、連帯の意識を持っている人には、世界は愛に満ちている。自然のざわめきは、愛と生に満ちているからこそ、孤立していても充分耐えていけるのだ。私は、時折、ポーの“沈黙”を思い起こす。そして、その鋭い真実の把握に驚嘆する。自然のざわめきさえ絶え、地上に愛する対象(人間・動物・植物)がなくなれば、世界は死んだも同然である。

 孤独には、また別な孤独がある。ドゥイノやミュゾットで前人未踏の詩篇“ドゥイノの悲歌 ”に没頭していたとき、リルケは、ある種の絶対的孤独を体験していたに違いない。丁度、探検家が前人未到の領域に突き進むとき、あるいは、自然科学者が未知の発見に挑むときに感じるに違いない孤独を、文学者(作家・詩人)もまた、味わっていたといえる。一方、生み出された作品も、読者の理解にゆだねられ、孤独の中に投げ出される。作家・評論家ブランショは、この孤独を問題にしているが、私にとっては“人間的孤独”が問題である。

 過去の自殺の多くは、“孤独”とは関係が無かった。日本の封建社会においては、責任感や恥辱という社会体制が生み出した理由による自殺が多かったが、これらは“自殺”というよりも、ただ、“死”というべきものであろう。殺される代わりに、自分で殺すだけであって、個人の内面の問題の表出としての自殺ではなかった。殉教や殉死としての自殺もあれば、貞節というモラルによる自殺もあったが、みな、その社会で認められたり、強制されたりして起きる現象であった。

 現代の自殺にも、もちろん社会的責任を理由とした自殺など、外的自殺や半強制的な逃避的自殺がある。しかし、現今、かなりの部分を占めているのは“孤独”を根本原因とした自殺であるといえる。その孤独が、どのような形で生まれたのかはわからないが、ある人々は人間不信を起こし、絶対的孤独の世界に入ってしまうことによって自殺に至る。

“いじめ”による自殺も、起きたことに対しては、今更どうすることも出来ないが、新聞等の論調は、教師等の反応を主に責める形で終始している。教師達が対応をまちがったのは事実に違いないが、学校だけがすべてではない。自殺者が、人間的孤独や人間不信に陥ったとすれば、そういうことが起こりえた“家庭”にそもそも問題がある。

 愛と理解は、まず、家庭から始まるものであり、子供を鍛え上げていくのも家庭での対応を通してである。家族あるいは本人にも問題があったことを忘れて、ただ経過だけを追うならば、生まれてくるものは、もっと悲惨な結果である。子供のいたずらであり、一時的な思い付きのいじめであったに過ぎないかもしれない行為が生み出した予期せぬ結果は、当事者たちの心に、一生、暗い重荷となって跡を残すに違いない。

 私の理解するところによれば、家庭内の愛と理解が絶対的な強さを持っているとき、子供は外部のどのような苦労にも耐えることが出来る。家庭が空ろになっている時、はじめて、子供を支える何ものも無く、子供は外部の圧力をまともに、抵抗力も無く受け止めることになり、それに耐え得ない子供は、人間不信に陥り、絶対の孤独に陥っていく。絶対の孤独からは、自殺に行くのは当然である。

 私にとっては、頻繁に起きる、青少年の自殺は、外的社会的理由以前に、家庭内の愛と理解と対話の喪失が最大の原因に思われる。これは、精神主義的な理解であろうか。

(完)1986年2月16日 執筆
村田茂太郎 2012年2月26日

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