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2/27/2012

“シンクロニシティ”Synchronicity

あさひ学園・母の会のリクエストで短い文章を提出しました。
わたしがあさひ学園で公式に書いたはじめての文章で、1979年の途中から、小学6年生の担任になりたてのころの文章と思います。
ユングとシンクロニシティに自分では興味があり、ほかのひとも興味を持っているだろうと思って紹介しました。

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 最近(1979年ごろ)、私が、特に興味を持っているのは“偶然の一致”という出来事である。
 例えば、ある劇場の切符のナンバーと、コートをカウンターに預けたナンバーが同じであったとか、フレデリック・チャンスというモーターサイクリストがクルマと衝突したが、ナント、相手の男の名前も全く同じであったというケース。

 私たちの日常生活においても、それに類したことを、時々、体験することがある。そして、それらには、いわゆる“第六感”がからんでいるのもあれば、全く何の覚えもないような場合もある。みなが経験していることではあるが、普通は“偶然の一致”ということで片付けてしまい、このことについて、まじめに考えた人は少なかった。
 ドイツの生物学者パウル・カンメラーというひとは、毎日の生活でぶつかる偶然の一致を克明に記録して、そこから何らかの“意味”を見出そうとした。そして、彼は“偶然の一致”では片付けられない何らかの“法則性”があるということを、ケース・スタディによって、少なくとも立証したと信じた。科学的研究の第一歩であり、方法的にも正しく、さすがに、相対性理論というとてつもない理論を考え出したアインシュタインは、その努力の価値を相応に評価した。

 しかし、この種の研究を世界的に有名にしたのはスイスの偉大な心理学者カール・ユングであった。彼が何度も語った有名な話。ある女患者と書斎で話していて、たまたま、話題が夢に見たエジプトのスカラベ(黄金虫)に及んだとき、窓に音がして、開けると、時季はずれに、しかも明るい外から暗い部屋のなかに、黄金虫が飛んで入った。
 ユングの研究も模索的で曖昧であるけれども、“シンクロニシティ”Synchronicityの名の下に、自分の体験の意味を捉えようとした大胆さは評価されてよい。最近では、このシンクロ二シティをまじめに研究する人がふえている。アーサー・ケストラーもそうであり、最近、“信じられない偶然の一致”Incredible Coincidence というシンクロニシティをテーマとした本を出版したアラン・ヴォーンなどがそうである。この本はとても面白く、こうして収録された多くのケースを見ていると、確かに何かあるのではないかという気がしてくる。

 ユングはこう考えた。宇宙には、科学の世界を形成している原因・結果という法則性と同じ程度に重要で、全く別な法則が働いているに違いない。そこでは、二つ以上の意味のある出来事が“偶然の一致”としか言いあらわせないような形で同時に起きたり、交互に起きるのだ、と。
 そう考えることによって、テレパシーや予知を説明できると考えた。自然界には、混沌の中から秩序を生み出そうとする隠れた力が働いているらしい。シンクロニシティとは、それを理解しようとする努力の一つであるが、ユングによれば、それは、哲学的見地ではなく、経験的な概念なのである。

 ユングの例の女患者は、黄金虫の出現によって、コチコチの彼女の価値観を一挙に変え、治療も成功することになった。
(完)

1980年ごろ 執筆
村田茂太郎 2012年2月27日



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