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2/28/2012

“ローレンツと自然教育”


幼児期・成長期に何に接するかによって、人はその人生に終生影響を受ける可能性が高いということは、コンラート・ローレンツのImprinting刷り込み の発見によって私たちに示されたわけですが、それは何も鳥だけの話ではないということです。

わたしはコンピューター時代に育った子供たちが、自然の中で生きるすばらしさを知らなかったり、わからない人間に成長する可能性を恐ろしいことだと思いました。子供の頃に美しい自然になじんで、はじめて自然を愛する心も生まれてくると思います。そういう危機意識がこの文章を生みました。 1990年の作品です。
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 以前、一度か二度、コンラート・ローレンツのImprinting(刷り込み)について述べたことがあるが、最近、環境破壊が目立ってひどくなり、自然保護が世界的に叫ばれている中で、私はこのImprintingの重要さを、人類は再認識する必要があるのではないかとしばしば考える。
 ローレンツの研究によると、ガチョウの子供を生まれるなり、すぐに母親から離して育て始めると、ガチョウの子供は育ててくれている人を母親として取り入れ、親しみ、なつき、つきまとう。つまり、初期体験が大きな意味を持って存在することになるという意味であり、ローレンツはこの発見を拡張解釈して、人間も子供の頃に慣れ親しんだものや慣れ親しんだ光景を心の底にインプリント(刷り込み)してしまい、大人になっても、その過去の体験や光景に特別の感慨を抱くことになるという。

 私は何を言いたいのか。人間教育という視点から、子供の頃に美しいもの、すばらしいものに接しておくことが重要だということである。偉大な環境保護家、自然保護者 David Browerは子供の頃からヨセミテやイエローストーンのすばらしい大自然を何度も訪問し、自然の美しさ、すばらしさ、大切さを心から学び取った。そうして、彼の子供もまた、自然の中で生きることの大切さ、すばらしさを学んで育った。私はコンラート・ローレンツが言うように、人間も、幼い頃から、自然の美しさ、雄大さ、すばらしさに接し、自然を愛する心を育ててゆけば、きっと大人に成長してからも、自然を愛し、大切にする人間になると信じる。
 反対に、一度も神秘的で壮麗で雄大で繊細な自然の美しさ、すばらしさを味わう機会もなく成長していったとき、その人にとって、自然とは物質社会で富を生産する対象としかうつらないことになる可能性が大きい。殊に、最近の子供たちのように、家庭でコンピューター・ゲームに取り組む方が、森の中に入っていくよりもすばらしいと思うようになると、自然など目に入らなくなり、保護しようとか、鑑賞しようとかといった心が生まれなくなる。その時こそ、恐ろしい。

 最近、私は大阪にいる母と電話で話した。その時、母は今、アチコチで地域開発が盛んで、古く立派な何百年も経った大木が次々と切り倒されて、ホテルにかわっていっており、そんなニュースを見ていると、木がかわいそうで涙が出てくると言った。そして、どうして、そんな立派な木を庭に取り入れて、囲む形にしてホテルをつくらないのかと心ない業者をのろった。すべてが、カネのために犠牲にされている。カネになるのなら、何をしても良いという態度が今の日本人の態度だという感想を述べた。
 セコイアの年老いた巨木を見て、その偉大さ、逞しさ、美しさに心から感動したことがある私は、母の言葉を本当だと感じ取った。そして、今、日本の孤立した家庭の中で、ひそかにコンピューター・ゲームにだけ凝っている子供が大人になったとき、美しい日本の自然がどのようになるだろうかと思うと、私の心に危機意識が生まれてくる。

 子供の頃から、自然に接し、自然と親しみ、自然を愛する人間であって、はじめてDavid Browerのように、自然破壊に対して怒りをもって戦える人間が生まれてくる。自然に早くから親しくなじまなかった人間は、丁度、レーガン政権がイエローストーン国立公園周辺の土地を宗教団体や金持ちに切り売りしたように、カネになるなら、どんどん切り売りし、開発、開拓の名の下に、大切な、母なる自然を破壊していくだろう。
 その意味で、子供を持った親の責任は重大である。機会があれば、出来るだけ国立公園を訪問し、自然の美しさ、すばらしさになじませることが大切である。

 KCETPBC番組―“Nature”のような、Nature Conservancy”自然保護“を基体とした記録映画に接し、動物や植物の個性あり、魅力的で、それぞれ完璧な姿を知り、自然と親しむ心を早くから育てていく必要がある。
 この、美しく、同時に、全生命の存在にとって、欠くことのできない大自然を、そのまま子々孫々に伝えていくことは、人類の崇高な任務であるはずだが、今、それが危機に瀕しており、私は人間教育、自然教育の大切さを切実に感じる。

(完)1990年4月19日 執筆
村田茂太郎 2012年2月28日

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