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1/21/2013

雑感―2013年1月21日 Inauguration Day & Martin Luther King Jr. Memorial Day

雑感―2013年1月21日 Inauguration Day & Martin Luther King Jr. Memorial Day

 私は今朝、TVでアメリカPresidentの就任式をみることができた。前からわかっていたはずであるが、わたしはたまたまPCのニュースで知り、TVをOnにしたら、うつっていたというところである。

 私は自然保護の立場から、どうしてもDemocarteを応援するほうで、今回もObama氏が第二期大統領になれてよかったと思う。(Repblicanは企業優先で、自然破壊が先行する、地球的規模で考えると、危険なPartyである。)

 しかし、難問が山積している感じで、大変である。

 大体、どの大統領も二期目をつとめたひとは、うまくゆかない場合が多いようだ。

 下院がRepublicanのPowerのもとにあるため、何を決めようとしても、楽ではないだろう。

 今は例のSandy Hook小学校銃撃事件の衝撃で、世論は、そしてオバマ政権は銃を取り締まる方向に動いているが、早速、テキサスの下院議員が憲法保護という形式をとりだして、大統領をImpeachしようと動き出している。自分の家族がそういう目に遭えば、彼も形式と実際のちがいに気が付くだろうが、今はまさにチャンスとばかりに、売名に必死というところである。昔、マッカアーシー旋風が吹き荒れたことを思い出す。ほかの政治はともかく、反共だけで時の情勢にのった上院議員の悪いイメージが浮かぶほど、今すぐImpeachを言い出す下院議員の姿はあわれである。こんな男を議員に選出する世間も馬鹿だとしかいえない。

 今日はワシントンD.C.も気温は46度Fとかで、ワシントンD.C.としては、暖かく、天気も良く、大統領就任式にとっては過去歴代最高の日和であったといえるだろう。
White Houseに向かう大通りを大統領夫妻が手を振って歩いていたのは、好もしい光景であったが、Seceret Serviceにしては、大変なことであったろう。安全なリムジンに戻ってもらってホッとしたのは間違いない。

 閲兵式も簡略でよかったと思う。アメリカでも過去には3時間もかかって、軍隊が通過するのを見送ったというケースがあったそうであるが、今回は、仰々しくなく、わたしはよかったと思う。これが、ほかの国の特殊な場合は、国威発揚とかで戦車やミサイルが引き出されて、それで威張るというケースがおうおうにしてあるが、その点、世界のデモクラシーの国アメリカである、そんな示威行進はしなくてもわかっているからであろうが、ともかく、簡単で、ある部隊が、時代祭的に昔の軍隊衣装と旧い銃をかかげて通過していたのには好感が持てた。ともかく、就任式はアメリカ・デモクラシーの基本を確認する重大な儀式の一つである。

 アメリカはともかく、いろいろ問題もあるが、基本的にはデモクラシーの世界で、その意味で、全体主義の国とは全く違う。ある意味では安心できる国である。

 昔、1950年代に、梅棹忠夫という京都大学理学部の動物学科を卒業した学者が、カラコルムその他、世界のあちこちを探検し、最終的には京都国立民俗学博物館長、文化勲章受章という経歴をたどったが、その探検での考察をもとに、1957年、37歳の時に、「文明の生態史観」という非常に重要な論文を発表した。

 通俗の西洋・東洋という分類ではなく、世界を生態学的に再考察した、独創的な世界史観であって、和辻哲郎の「風土」をはるかに超える見事な論考であった。

 私は、世界の国々の騒乱をみるたびに、この「文明の生態史観」を思い出す。

 梅棹忠夫(うめさお ただお)によれば、イギリスやフランス、その他のヨーロッパ国、イタリア、ドイツなどとアメリカは代表的なデモクラシーが浸透した国である。彼によれば、日本もこのデモクラシーの国のひとつなのである。もちろん、それは正しい。日本はなにも第二次大戦後、マッカーサーのもとで、はじめて、デモクラシーの世の中になったわけではない。一時、軍隊の専横で、誤解される向きもなかったわけではないが、明治以来というよりも、山本七平によれば、鎌倉北条政権のころからすでにそういうデモクラシーの傾向が強かったようである。岡崎久彦の名著「陸奥宗光」伝(PHP文庫)によれば、第一回総選挙が始まる前に、農民の青年たちは、ものすごく民主主義について勉強していたという記述にであうが、もっとまえから、日本人はデモクラシーが好きであったのである。下剋上や一向一揆その他をみてもよくわかる。

 さて、梅棹忠夫は地球を長円または楕円であらわして、第1地域と第2地域とにわける。第一地域は長円の東の端と西の端、ちょっぴりである。とくに東はほんのちょっと(つまり日本だけ)。第2地域はそれ以外のすべてである。この二つの違いはどこにあるか。第一地域の特徴は高度な文明国で、どこもが植民地争奪をやった国ということになる。第1地域と第2地域とは社会の構造がかなり異なる。第1地域は高度資本主義国でブルジョアが実質的支配権を握り、その体制はみな革命によって獲得された。第2地域はその裏返しである。第2地域は主に巨大な専制帝国が出現した。いわば、巨大な破壊力が出現した国々で、ここから生態学的考察が生きてくる。

 第2地域は乾燥地帯、その歴史は征服と破壊の歴史。内部からの革命ではなく、外部からの破壊。それに対して、第1地域は恵まれた自然環境であった。中緯度温帯、適度の雨量、高い土地の生産力、端っこに位置するため中央アジアからの暴力が及ばなかった。サクセッションがちゃんと進行した国々である。

 と、こういう具合に梅棹の考察はすすんでゆく。そして、この第一論文を修正して、もう少し、よりまとまった議論が提出される。(「文明の生態史観」 梅棹忠夫 中公文庫)。

 ここで、あとは省略。なぜ、梅棹忠夫が出てきたかというと、このデモクラシーを考えるとき、いつも、私には”文明の生態史観”が浮かぶのである。そして、たとえ巨大なパワーを持つ国になっても、中国やロシア、その他の国々は生態的にはデモクラシーの国ではなく、つまり、私にとっては安心できない、信用できないくになのである。中国の文化大革命のおろかさ、悲惨さは、名著「Life and Death in Shanghai」を読めば明らかである。

 そういう次第で、大統領式典は、アメリカ独立宣言やデモクラシーのありかた、そして、全体主義の国や独裁政治の悲惨と、私にはつぎつぎと思いが巡り、その辺の違いを解明したと思われる「文明の生態史観」は、日本人の提出した独創的な世界史観としては出色のものであり、世界の社会制度や人権の問題を考えるときに、重要な視点を提供すると思うのである。

 Martin Luther King Jr.博士に関しては、私は昔、ちゃんと立派なBiographyを読み、彼がヘーゲルの「精神現象学」を勉強していたのを知って、好感をもったことがある。もちろん、偉大なリーダーであった。10月のコロンブス・デーはIndian土着民族への侮辱だが(アメリカ大陸は無人の土地であったのではなく、アメリカ全体にIndianが散らばっていたのだから、いわば不幸占拠、植民地化でアメリカは始まったのである。)、King Memorial Dayは抑圧された人々すべてにとって、大事な記念日であると思う。

大統領就任記念日に何か記念に書いておこうと思った。

村田茂太郎 2013年1月21日 On Inauguration Day.

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