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3/05/2013

ある年の国語文集―1989年度 サンタモニカ校 中学2年1組 その2-1

ある年の国語文集―1989年度 サンタモニカ校 中学2年1組 その2-1

 ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園で私が子供たちを指導したのは1979年8月から1994年7月までの丁度15年間でした。

 最後の5年と3か月はサンタモニカ校の主事補の役職を引き受けながら、中学生の国語や社会、理科 などを担当しました。サンタモニカ校ではある年は中学生全体の理科だけ担当したこともありました。

 サンタモニカ校の子供たちもみなすばらしく、わたしは本当に恵まれた教師生活を送れました。

 ここに紹介するのは1989年度、サンタモニカ校中学2年生のクラスの国語と社会科と理科の3科目を担当したときに作成した国語文集の一部です。1983年度のパサデナ校での国語文集は11号も出せましたが、それは例外として、このクラスでも7号まで作成できました。この文集のおかげで、今見るとあのころの子供たちの面影が浮かび上がってきます。わたしはこのクラスの子供たちとMagic Mountainsまで一緒に行って楽しんだのでした。

 文集紹介のまえに、ご覧いただきたいものがあります。一人の女の子が中学2年生最後の日に自発的に原稿用紙に書いた手紙を直接手渡してくれました。自賛のようにも見えますが、いかに私がこのクラスの生徒指導を楽しんだかわかるような内容なので、名前だけ匿名にして(A子)ここにScanしました。これは文集用の原稿ではないので、誤字などありますが、別に添削はしていません。わかる内容なので、その必要はないでしょう。手紙に添削などすれば、だれも手紙を書かなくなります。国語指導ということで、作文には添削は必要でしたが。

 この子は子供の頃、心臓を手術したということを話してくれましたので、今頃どうしているだろう、元気にやっているのかしらと心配になって、一度、Facebookにでもはいれば、探せるかなと思いましたが、FacebookはE-mailアドレスがわかっていないと何もできないと、わかり、E-mailアドレスを知りたいと思ってFacebookをはじめたのにそれでは本末転倒であるとがっかりしました。

 文集のほうは、執筆順に匿名でABCをつかいました。
人数が少なかったし、全員からあつまったわけではないので、一つの文集は2回でカバーできると思います。普通はわたしは国語学習の心得に関する私が書いた文章を説明してはじめるので、第1号には、それを反映した作文がでてくるのですが、今、私の手元には2号から7号までしか見当たらず、第1号を載せられないのが残念です。ここには、2号と3号を紹介したいと思います。それぞれ2回に分けて載せます。倉庫から探し出すのも大変で、そういうことになります。ご了承ください。これらは、私の宝物で、なくしたはずはありません。でも、今では倉庫の底から見つけるのはほとんど不可能です。

村田茂太郎 2013年3月5日

















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