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9/18/2018

寺子屋的教育志向の中から - その34 “日本の歴史”を学ぶ意味

寺子屋的教育志向の中から - その34 “日本の歴史”を学ぶ意味

 これもすでにこのブログで紹介したはずである。
拙著の一部なのでもういちどここで公開する。
2016年5月11日のブログに 小学6年生社会科「”日本の歴史”のための拙文集 まとめ」ということで、Wordで作成して全部コピーしてあるので、興味がある人はそれを読んでいただきたい。補習校最後の小学6年生の社会科を担当した時に、エルパソに職を見つけて学校を中途で退職するまでの3か月の間であったが、私も真剣に取り組み、日本の歴史上の人物に関する私の感想・紹介文を展開したその集成版である。週一回、3か月の授業の補足が50ページほどの私の紹介文として結実したわけで、それなりに反応・効果があったことは、直接、母親の一人と出会ったときに確認できた。私自身の小学・中学・高校までの日本史・世界史の成績は優秀な方であった。教科書だけの暗記式内容記憶でなくて、それぞれの歴史的事項の背景に関する知識が豊富であったから、歴史の勉強は面白かったわけであった。

村田茂太郎 2018年9月18日

 “日本の歴史”を学ぶ意味

      

 日本に居る小学生・中学生・高校生が“日本の歴史”を習うのは別に不思議でもないが、このアメリカにいて、アメリカ生まれで、永住権・市民権をもっている子供が、なぜ“日本の歴史”を学ばねばならないのか、この疑問に答えておかなければ、“あさひ学園”での授業の効果もあがらないであろう。どこに行っても名所・旧蹟・史跡にぶつかる日本の子供と異なり、アメリカに居て日本の歴史に興味を持とうとすることが、すでに困難なわけで、ただ名前や年代を覚えるだけの日本の歴史なら、勉強する必要もないといえる。

 それでは、簡単に、歴史とは何か、そして私たちはなぜ歴史を勉強するのか、そして特に日本の歴史をどうして学習しなければならないのかについて私の考えを述べてみよう。

 歴史とは、人間社会の移り変わりの様子を史料を元にして記述したものである。そして、人間社会の特に“何か”について記述すると、“科学”の場合は“科学史”が、“文学”の場合は“文学史”が出来上がり、それが“ある国”についてであるとき、“アメリカ史”とか“日本史”という具合になり、場合によっては“東洋史”とか“世界史”となったりする。また、時代区分によって“古代史”とか“現代史”とかというわけ方もあらわれる。それが、ある個人の場合は、“ニュートン伝”とか“チャーチル伝”といった形であらわされることにもなる。

 では、そうした歴史を勉強することがなぜ大事なのか。それは、現代という私たちが生きている時代が、遠い過去から延々と継続した人間社会の、そのすべてのものの結果としてあるわけであり、過去からのその遺産の影響を受けて存在しているから、今までに至る人間社会のさまざまな出来事を理解することが、現在から未来へと生きていく私達に貴重な教訓を示してくれるからである。歴史を学ぶことによって、私たちは自分をよりよく知ることができ、また、この現代世界をより深く知ることができるようになる。

 歴史は鏡といわれてきた。それは、鏡のように、人間社会におきた偉大な出来事も、おろかな行為も、すべて映し出し、それによって、ちょうど自分の顔を見るように、人間社会の様々な出来事が良くわかり、それに対してどう対処すべきかという積極的な方針を見つけ出すのに大いに役立つからである。この現代に至る膨大な歴史の移り変わりの中には、悲惨な出来事や失敗の記録がたくさんある。それらはすべて、私達に現代社会をよりよくするための貴重な教訓を示してくれている。

 今から約二千四百年ほど前、古代ギリシャでツキュヂデス(Thukydides)という人が、“ペロポネソス戦史”という本を書いた。彼は、スパルタとアテネという古代ギリシャの二大都市が戦争状態に入っていくとき、今、自分の目の前で演じられている出来事は、世界的に見てものすごく大きな事件であり、これは正確に記録していけば、きっと後世の人に役立つであろう、なぜなら、歴史は繰り返すものであり、人間のおろかな行いもまたその例外ではないからと、はっきりと自分の役割を自覚して、その歴史を記述し始めた。今も、彼のこの“戦史”は、それ以降のあらゆる歴史書とくらべても、ベストのひとつに数えられている。そして、実際、私達は、彼の本によって、様々な教訓を引き出せるし、なぜギリシャが没落していったのかといったような大きな問題解明の手がかりもつかめるわけである。そういう次第で、歴史を深く勉強すると自分自身、現代、そして世界というものがよくわかるようになり、ハッキリと自分の位置を見据えて、将来への指針を立てたりすることができるようになる。

 それでは、なぜ、日本の歴史を学習しなければならないのか。

まず、別に、その国の人間でなくても、歴史はいろいろなことを教えてくれるから面白いし、役に立つ。従って、私など、一度も訪問したことはないが、ギリシャ史とかローマ史、あるいはイギリス史、フランス史、アイルランド史、ポーランド史といったものに興味を持っている。最近は現代世界を理解するためにはイスラム教の世界や歴史も知っておかねばならないと切実に思いはじめ、“Muhammad伝”(マホメット伝)に取り組み始めているくらいである。その国の人間であろうとなかろうと、“歴史”は面白く、また現代社会をよりよく理解するうえで大いに役立つのである。

 しかし、特に、“日本の歴史”をここで学ぶのはなぜか。それは、ひとつには諸君が何らかの点で日本人の血を受け継いでいるからである。100%の人も居れば、50%の人もいるかもしれない。いずれにしろ、日本人の血の一部を受け継いでいるかぎり、諸君は自分のルーツから抜け出せず、自分のルーツをハッキリ知っておくことが、この現代社会で生き抜いていく上でなによりも大切だからである。どの国の歴史も面白いが、日本の歴史も、ものすごく面白い。その中には悲惨な出来事やおろかな出来事、日本人として恥ずかしいと思うような出来事もあるが、また、一方では、誇りに思えるすばらしい行為にも満ちている。そして、将来日本に帰る人も、アメリカにずっと居続ける人も、日本人のひとりとして自国の歴史をよく知った人は、誇りと自信を持って生き続けていけるであろう。日本の歴史はそれに値するものを生み出してきたのだから。

 日本の歴史を学ぶもうひとつの理由は、日本という国の世界に占める重要性から指摘することができる。昔、小さな島国イギリスが、ユニオン・ジャックの旗をひるがえして七つの海を支配した。日本もイギリスと同じような島国である。そして、現在、日本という国が世界政治や経済面で占める位置、あるいは与える影響の大きさは他の国とくらべると信じられないほどである。何が今日ある日本を生み出したのか。現代社会の動きに関心のある人は、すべて、日本と日本人というものに大いに興味を持っている。今では、世界の各国で、日本語や日本文学そして日本史を勉強しようとしているひとが沢山居る。なかには、日本文化に引かれて、日本研究の専門家となった人たちも沢山出たほどである。日本人でなくても、現代世界で、ほとんどあらゆる領域で貢献をしている国 日本 をよりよく知ろうという人が増えている。彼らには日本語という大きな障害がある。しかし、日本語はまた大きな魅力でもある。そして、今までにも、沢山の人が日本語と日本人そして日本文化にひかれて、一生懸命その勉強に取り組んできた。

 アメリカに住む日本人(あるいは日本人の血を引くもの)として、以上述べた理由によって、諸君は日本の歴史をしっかりと勉強しなければならない。私は子供のころ、歴史学者になりたいと思ったことがある。それほど“歴史”は面白い。そして、どの国の歴史も面白いが、諸君がまず学ばねばならないのは自分のルーツ(Roots)といえる“日本の歴史”である。その上で、アメリカ史やメキシコ史、スペイン史、イタリア史、イギリス史といった国の歴史の学習へ移っていかねばならない。

 それでは、歴史の勉強はいかにすすめるべきか。まず、何よりも大切なことは興味を持つこと、関心を持つこと、好奇心を持つことである。手がかりは、マンガ日本史とかマンガ人物伝とかから始める。そして、いくつか興味ある人物や出来事にぶつかったら、図書を利用して、もう少し詳しい伝記や歴史に関係のある本を読む。大事なことは、中途半端にしないで、興味を持ったら徹底的に調べるということである。たとえば、アメリカでは今ガン・コントロールが問題になっているが(1994年ごろの話)、いろいろ障害があってむずかしい。みごとに武器がコントロールされている日本から何か学べるかと考える人は、ただちに豊臣秀吉の“刀狩”や明治9年の“廃刀令”が浮かぶはずである。アメリカで“刀狩”方式は無理かもしれないが、“廃刀令”方式は参考になるのではと私は考えたりする。

 ともかく、“歴史”は面白く大事である。日本の歴史は本当に面白い。教科書だけに満足しないで、どしどし本を読み、歴史の勉強をがんばろう。

(オリジナル 記 3/20/1994      

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