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10/18/2012

小学6年生―社会科 日本の歴史 のための拙文集(7)源為朝

小学6年生―社会科 日本の歴史 のための拙文集(7)源為朝
 
 
源為朝(みなもとのためとも)をめぐって

 

 先日、「弓勢(ゆんぜい)するどき 源為朝」という歴史カルタを思い出したあと、保田予重郎という人の書いた“木曽冠者”という文章を読んでいて、しきりに源為朝について書いた本を読みたくなった。“あさひ”を出る前に、図書から「為朝物語」(岩崎書店、井本農一)と太平記(偕成社、福田清人)を借り出して読む事にした。「為朝物語」は実は二つの作品から作られていて、ひとつは源為朝が主人公といえる保元物語(保元の乱1156年)、他の一つは源義朝(みなもとのよしとも)とその長男悪源太義平(あくげんた よしひら)を主人公とする平治物語(平治の乱 1159年)であった。

 

 私は平家物語や源平盛衰記は子供の頃から親しんだが、平治物語は読んだことがなかった。このたび、子供用に書かれた「為朝物語」を読んで、あまり知らなかった源義朝の周辺の事情がなんとなくわかるようになった。

 

 1156年の保元の乱は、平清盛と源義朝という二人の武士の棟梁が権力者として登場し、古い貴族の世界が無力であることを示し、武家政権成立のための重大な第一歩を占めた事件であったが、このとき、源氏側は大きなあやまちを犯した。

 

 私は日本歴史のなかで、武家政権の成立過程ほど陰惨で暗い時代は無いと思ってきた。そして、そのはじまりは、この保元の乱の事後処理からと思ってきた。保元の乱の時、源氏は源義朝以外はみな敗れる崇徳上皇(すとく じょうこう)側についたため、義朝の父為義(ためよし)や弟にあたる為朝など全員がつかまった。その時、義朝は為朝以外の父や弟全員斬罪で殺してしまった。このため、源氏の血統は義朝一族だけになった。

 

 平治の乱で義朝一族を滅ぼせば、あとは実力を持った武士として、平清盛を頂点とする平家だけになったわけである。そのあと、約30年で平家が滅びると、義朝の子供の頼朝(よりとも)が武家政権を確立するが、その間、腹違いの弟の源範頼(のりより)や義経(よしつね)を攻め滅ぼし、結局、源氏の正統は頼朝とその子供だけになった。頼朝なきあと、頼朝の妻北条政子は自分が頼朝との間で生んだ子供、二代将軍源頼家、三代将軍源実朝をいろいろな手段を使って殺してしまうのである。

 

 そのため、源氏の正統は三代で断絶してしまい、建武中興期になって、義家の次男の系譜にあたる新田義貞(にったよしさだ)と足利尊氏(あしかがたかうじ)が源氏再興を企てるまで、平氏である北条政権が生まれた。従って、この保元の乱から実朝暗殺(1219年)までの63年間に、親子兄弟親戚関係で権力の把握をめぐって陰惨な殺し合いが行われ続けた。そのはじめとなった源義朝による父親為義斬罪こそ、非情な歴史のもとであると長い間、私は思ってきた。

 

 今、「為朝物語」を読んで、実は源義朝が一族を皆殺しにするように仕向けたのは、どうやら平清盛のはかりごとであったらしいと知った。平清盛はおじの忠正だけが敵になったため、戦いが終わって、甥の清盛に助けてもらおうと思って逃げてきた忠正を残罪に処した。一方、義朝の方は、義朝一族以外の全員が敵となったため、清盛と同じ処分をすれば、全員斬り殺すことになったわけである。(為朝は流罪)。

 

 俳人芭蕉は“義朝の 心に似たり 秋の風”という句をつくった。私は、60歳を超え、出家までして逃げようとしていた父親を殺してしまえる義朝の心のすさまじさを芭蕉はうたったものと思っていた。しかし、もしかして、清盛がおじを殺したため、義朝は自分だけ親や弟を助け出すことができなくなり、孔明の“泣いて馬しょくを斬る”という形に追い込まれた心境をうたったものかもしれないと思うようになった。

 

 結局、古い貴族の世界から新しい武士の世界へ移っていく途中で、上皇・天皇・貴族・武士という四者がからまりあって権力闘争を行っていたため、血縁関係よりも新しい権力機構の設立が優先せられた結果生み出された悲劇といえるかもしれない。

 

 保田予重郎は、“木曽冠者”の中で、源頼朝は、豊臣秀吉・徳川家康二代に渡ってやっと統一した仕事をひとりでやりとげた英雄であり、専制君主の理想像であると説いている。たしかにその通りかもしれない。政治家としての頼朝は、清盛や義経やのちの足利尊氏などをはるかにしのぐ、超一流の人物であった。

 

 この「為朝物語」の最後のほうに、平治の乱で敗れた義朝一族が逃亡する場面で、12-13歳の頼朝が立派な行動をする様子が描かれている。保田予重郎の感想では、平家物語に頼朝が登場する場面は、わずかであるが、どれも偉大な将軍の貫禄を充分に示している。「凡そ頼朝は天造物ともいうべき人物であった。」

 

 そういう次第で、「為朝物語」を読んで、保元・平治の乱という大事な事件の内容がなんとなくわかった。また、第一の主人公ともいえる、源為朝の姿が本当に豪快で、明るく頼もしく愉快に描かれていて、子供の頃、そろばん塾で読んだマンガを思い出した。

 

 源平の時代は多くの英雄を生んだが、なかでも源氏の系統にすぐれた英雄が続々と現れているのは、興味ある現象である。平家は清盛一人といえるのに対し、源氏は義家以来魅力ある人物として、為朝、義平、木曽義仲、義経、実朝と、たくさんの天才・英雄を生み出してきた。

 

 為朝の「その心のさわやかさも、朝明になりわたる鏑の響きに似ていた、こういう人物は、平家にはなかったのである。」(木曽冠者)。また、「平家物語」のような、日本民族の生み出した比類ない名作は、世界中みわたしてみても匹敵するものがほとんど無いといえるほどである。ホメーロスの「イーリアス」を超えているのではないか。ぜひ、読もう!
 
 
1994年5月6日執筆  

村田茂太郎

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