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10/23/2012

小学6年生―社会科 日本の歴史 のための拙文集(12)太閤記


小学6年生―社会科 日本の歴史 のための拙文集(12)太閤記
 
「太閤記」をめぐって

 

 私は日本史の常識として、‘源義経(牛若丸)をめぐる源平の興亡“、”楠木正成たちをめぐる南北朝の動乱“、”「太閤記」を中心とした、織田信長から豊臣秀吉、徳川家康への政権移動期“、そして”坂本竜馬・高杉晋作・勝海舟・西郷隆盛たちをめぐる幕末・維新の動乱期“について、単に名前と年代だけでなく、時代と人間の動きを知っておくことととらえる。

 

 この4つの時期は、どれも、政権が交替しようとする激動期であり、それにふさわしい天才・英雄・豪傑・名将といった人々が大活躍をし、それにともなって悲惨な出来事もたくさん発生したわけで、人間として体験する喜びや悲しみのすべてが、この時期の登場人物達をめぐって、極端なまでに正直に現れた。私は従って、ただ教科書に出てくるちょっとした記述だけでなく、本当に面白く、また哀しい時代と人間の動きを、様々な本(平家物語、太平記など)によって、みんなに知ってもらいたいと思う。そうすると、はじめて、日本史の動きというものが、生きた人間の活動として捉えられることになる。そうすることによって、日本人の心情とかといったものまで、なんとなくわかるようになる。

 

 いくら日本史の知識をふやしても、事件と人名と年代をただ覚えているだけのような知識では、日本の歴史の動きを理解したとはいえない。日本人の心の動きがつかめるのは、時代と人物をその全体の動きの中で知り、苦悩や喜びを共感できたときである。従って、「赤穂浪士」の事件なども、日本人の常識として、みんな知っておいてもらいたいと思う。そして、これらは、すべて本当に興奮するほど素晴らしい物語であり、出来事なのである。

 

 「平家物語」などは、私は叙事詩の中で世界最高の傑作であると思う。これは、ホメーロスの「イーリアス」や「オヂュッセイア」あるいはドイツの「ニーベルンゲンの物語」やフランスの「ロランの歌」などすべて読んだあとの、私の感想である。

 

 日本人といえる人が、平家物語や源義経をめぐる世界、あるいは、日吉丸から木下藤吉郎、羽柴秀吉、豊臣秀吉と、まるで出世魚(ツバス、はまち、メジロ、ブリ)のように名前が変わっていった太閤記の主人公をめぐる戦国武将の息詰るような興味深い世界を知らないでいるとしたら、何か大事なものを身に付けないで、成長していくようで、かわいそうに思う。

 

 たとえば、私はアメリカの南北戦争Civil Warには興味をもっており、いろいろな本を集めて読んでいる。その中にはBruce Cattonの「Stillness at Appomattox」のような名著もあれば、Grant将軍のメモワールやSherman将軍のメモワールのような名著もある。どれも素晴らしい本で、南北戦争をただ人名と年代だけで知っているだけでは、結局、何も知らないに等しいことを確認させてくれる内容に満ちている。このように、ある事件、ある時期、ある人物をめぐって様々な本を読み、いろいろな角度から人物と時代の動きをつかめるようになって、はじめて、人間が生きている歴史というものがわかるようになり、また、一層、それぞれの出来事に対して、興味も益すのである。

 “あさひ学園”の図書には、いろいろな「太閤記」があるようだ。太閤記の原本に当たるものは、江戸時代に娯楽用として登場し、とても詳しくて膨大な量になるそうであるが、その中から、いくつかの逸話を取り出して一冊にまとめあげたものが子供用の「太閤記」である。今回、私が手にしたものは、岩崎書店 日本古典物語全集19高藤武馬著「太閤記物語」というもので、わりと簡単なものであったが、それでも大体常識的な話はすべて書かれているし、織田信長や徳川家康などについても、大体、人物がつかめる程度には描かれていて、やはりこういう本も読んでおいた方がよいと思った。ふりがなはふってあるが、そのページで一度ふりがなをふると、アトはふらないという方針になっているようで、「父」や「母」までフリガナがふってあるわりには、一見むずかしそうに見えるのは、「緒戦」(ちょせん)や「美濃街道」(みのかいどう)まで、ともかく、一度、フリガナをふると、アトはふっていないため、何となく漢字が多く見えるためであると思う。これも、ひとつのやり方で、すべてにフリガナをふるよりは、学習のために役に立つかもしれない。あまり、いつもサービスが良すぎると、漢字を読まないで、フリアガナを読んでしまう人が多くなることもある。

 

 太閤記の物語は、才気と度胸をもったひとりの男が、あの戦乱の世の中を見事に生き抜いて、ついに天下を取る話で、源義経のような悲劇ではない。義経の場合は、まさに軍事的天才・英雄として、見事な活躍をしながら、頼朝と貴族の政争にまきこまれて、いくつかのまちがった行動のため、肉親の一族でありながら、結局、兄に殺され、同時に愛人静御前の生みたての子供まで殺されるという悲劇が読者の共感を呼んで、“判官びいき”という現象が「義経記」以来出現した。太閤記にも悲劇はあるが、主人公・豊臣秀吉自身は、ほとんどいつも見事に難局をのりきって、百姓・足軽出身から関白となり、太政大臣となって天下統一を達成した成功談である。

 

 その晩年には、権力者としての欠点がたくさん現れたが、天下統一に至るまでの苦労談は、波乱万丈で、本当に面白く、またいろいろな意味で参考になり、国民常識として知っておかねばならないと言える。ほとんど悲劇で満ちている日本史のなかで、戦国の激動の時代を見事に生ききったこの男の生涯は、私達に人間の可能性のひとつの典型として明るい光を投げかけてくれる。この人物の行動が生き生きとイメージで描けるようにならないと、生きた歴史の面白さは味わえない。教科書にとどまらないで、ドシドシ本を読もう。あさひ図書にも、いい本はいっぱいあるのだから。

 

1994年5月25日 執筆
 

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