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3/28/2012

“回想のエルパソ市―West Texas”

未完でしたが、もうこれでいいと思う事にしました。
写真はまた別に紹介します。
エルパソでの12年足らずは、すばらしい体験でした。
こんなところでスキーができるとは驚きでしたが、なによりも大事なことは自己発見ができたということで、人間、どこででも真剣に生活すれば、必ず得るものが在るということの自己証明のようなものでした。

ロサンジェルスで、雨のあと、翌朝の澄んだ青空を見るとエルパソやアルバカーキーを思い出します。
村田茂太郎 2012年3月28日

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“回想のエルパソ市―West Texas”       

 “エルパソ”!、この異国的な名前を始めて耳にしたのはTV連続ドラマ・西部劇の“ローハイド”の主題歌がレコードで売り出されたときであった。高校生の頃である。その裏面にあった曲が“エルパソ”という名前の、のんびりとした西部劇を歌った曲であったのだ。それ以来、“エルパソ”など聞いたことも無かった。それが、奇妙な因縁で、というか、不思議なめぐりあわせで、エルパソが第三の故郷といえるくらいに長い滞在をすることになった。11年を超える期間、エルパソに住み、私の人生の転機にもなったし、自己発見の場所ともなった。

 今、エルパソをはなれてみて、エルパソはなつかしい故郷としてよみがえる。Los Angeles に雨が降り、風が吹いて、スモッグが流れ去り、青い空に白い雲が浮かび、木々が緑に輝いているのを見るとき、なんと,私は、ああ、エルパソの空のようだなあとエルパソを思い出す始末である。Los Angeles近郊で、すかっとして、さわやかな大気に接すると、いつもエルパソが浮かび上がる。Southwestは総じて、スモッグはすくなく、クルマもすくなく、広い空、ひろい空間に見事な大気現象があらわれる。これはエルパソだけに限らない。アルバカーキーも、Southwestのそのほかの街も同じである。Taosに滞在した、D.H. Lawrenceが、ニューメキシコ、タオスの夕日の美しさを嘆賞したことは有名であり、Lawrenceがしばらくタオスに滞在したことによっても、そのことはわかるのであるが、ともかく、空は青く、雲は白く多様であり、魅力的である。

 エルパソがビジネスで注目されだしたのはメキシコ政府のマキラドーラ政策が稼動し始めたことが、大きな原因であったと思われる。国境のまちに企業誘致政策として、採用されたマキラドーラ政策が、アメリカの、メキシコとの国境の街に、ビジネスのチャンスを用意した。アメリカ企業も日本企業もアメリカとメキシコの国境の町で、企業の再生化を図ろうとして、エルパソやサンディエゴ、そしてフアレスやティファナに進出してきた。


 私がエルパソに行くことになったのも、エルパソの日本企業で働くためであった。

 はじめてエルパソを訪れた年は1994年で、あとで例外的に暑い年であったことがわかった。100度Fを超える日が何十日と数えられるほどあったのである。私はモーテルで夜寝る前に窓を開けて、依然として暑いのにおどろき、Los Angeles の場合は、昼暑くても、夜になると野外劇場など毛布が必要なくらいに冷え込むのを思い出し、これは、やはりエルパソが1100メートルの高台にあり、内陸性だからなのかと思ったりした。翌年からは、暑さも異常ではなくなり、その年だけが異常であったのだとわかり、安心した。


 今、冬で、Los Angelesに住んでいて、アメリカ各都市の気温変化を調べてみると、ほとんどの都市は非常に寒い世界に位置していることが分かる。LASan Diegoあるいはアリゾナの南側はMildまたは暖かいので有名であるが、ほかにエルパソ周辺やニューオリンズなどをのぞくと、どこも寒いのである。

 Los Angelesでは長年住んできたけれど、一度も平地で雪を見たことがない。Downtownの高層ビルの23階で雪らしいのを窓から認めたことがあるが、地上に着く前に溶けて雨になった。

 エルパソは海抜約1100メートルの平地で、2200メートルのフランクリン山脈とリオ・グランデがその主な自然である。人口は変動はあるが約60万人でテキサス州では四番目の大都市である。気候はドライでチワワ砂漠性であり、モンスーンと呼ばれる雨季は夏で、雷雨とともにやってくる。南カリフォルニアの雨季は冬であるのとは対照的である。

 エルパソでは、私にとってはめずらしいBlizzard雪嵐を体験することが出来、非常に興奮した。1997年1月6日、午後から雪模様になり、5時ごろではもう雪が舞い始め、エアーポートの広い空間では雪が横殴りに吹きつけ、初めて体験するブリザードの状態になった。勤務を終えてかえるクルマの多くが雪と氷で動けなくなるのを目撃し、アパートへの帰宅も普段の30分から、なんと2時間半もかかるほどの大変な状況であった。そのとき、クルマは四輪駆動でなければ、大変だということがよく分かった。

 Los Angeles では、あまり樹木の黄葉・紅葉を見なかったように思っていたが、エルパソではみごとなCottonwoodの黄葉やほかの落葉樹が紅葉するのをみることができ、雪に出会えたのと同様、私にはすばらしいことであった。


 住むのに快適なLos Angelesよりは少し暑く、また少し寒いが、澄んだ見事な青空や、すばらしい雲の変容、そして夏の雷雨のみごとさは、私を魅了した。稲妻が遠くの山で暗い背景の中、すばやく横に走ったりするのを見ると、わたしは写真に撮りたくなり、何度もトライしたが、もちろん、光ったのをみてからシャッターを押すのでは、無理な話であった。しかし、その瞬間を捉えたいと思わせるほど、カミナリの電光は魅力的なものであった。

 また、雨雲がある部分だけにあり、そこから雨が降っているのがよくわかるという光景は、わたしに昔見た安藤広重の東海道五十三次の絵を思い出させた。“雨脚”という表現の意味がよく分かったと思うほど、雲から、そこだけに雨が降り、それが風でななめに降っているところが遠くからでも分かるのであった。あるときはドライブの前方が半分土砂降りで半分ふっていないとわかる方向へ車を進め、あるいはそういう光景を横に見ながらドライブすることがしばしばあった。エルパソ周辺の大気現象はわたしには本当に興味深いものであった。

 ドライなエルパソとその周辺、そして Southwestに来て、はじめて私は、Water水 の持つ意味が分かったように思った。Los Angeles周辺では、山手は緑であり、住宅街も緑であるが、それは当然と思っていた。エルパソの山に接し、周辺の自然を見つめる中で、私は Dr. Clinton Hart Merriamドクター・メリアムのLife Zone ライフ ゾーン (19世紀末1889年ごろ) のアイデアが芽生えるわけがわかったように思った。(Dr. Merriam はアリゾナの San Francisco Peaks 登山で気がついたのだが。)それは、特に日本の繁茂した植生とくらべると鮮やかな違いとなってあらわれているように思える。混成林が多い日本の森林では、一つの山をながめても、それほどの際立った違いはスグには目に付かない。

 ドライなSouthwestでは一つの山で植生の違いが目立って顕著であるため、いやでも気がつくということになる。その主な理由が水の存在によるわけであった。低い山はドライな地域では雨も少なく、山が高いとドライな地域でもあるていど雨が上部に降って、水分がかなり下部までゆきわたるわけである。そして、もちろん山の高度の違い(温度の違い)が植生に影響を与えるわけで、Life Zoneがわかたれることになる。アリゾナ Tucson周辺のMount Lemmon のScenic Driveを、ふもとからスキー場までドライブすると、その変化がよく分かる。ドライなサボテンから、Juniperをへて、Ponderosa Pine そしてAspenDouglas FirSpruce とかわっていく。そして、上に上がるほど水分も豊富になり、見事な森林が形成されることになる。


 エルパソにそびえるフランクリン山脈はドライなエルパソを象徴して、高い樹木はほとんどない。1800メートルから2200メートルの山脈の頂まで各種のサボテンが繁り、そしてエルパソの古代の地形を示す貝の化石が頂上からみつかる。

 Franklin Mountains State Park はエルパソ市内に属しており、これは全米でもCityに属する公園としては最大級の一つだといわれている。


 エルパソはスペイン語の El Paso del Norte からきたといわれており、いわば北への通過点であった。16世紀のおわりごろ メキシコからスペン人Don Juan Onate 〔オニャテ〕の一行がサンタフェめざして北上していったわけで、エルパソ市の南部に当たるSan Elizondo(サン・エリゾンド)でアメリカではじめてThanksgiving(感謝祭)の祝いをしたと伝えられている。つまり、通常のアメリカ史でまなぶPilgrim FathersMayflower号の東海岸Cape Cod到着よりも何十年も前のことであった。

 従って、エルパソはメキシコ・スペイン系文化と土着インディアン文化そして19世紀からのManifest Destinyによる西部開拓史をもち、そうした史跡に富む。


おわり 村田茂太郎 2007年。



























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