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1/04/2013

「服装で楽しむ源氏物語」近藤富枝 を読む


服装で楽しむ源氏物語」近藤富枝 を読む

 オリジナルは1982年に文化出版局から出版され、わたしの手元にあるのは、PHP文庫 2002年版である。ISBN:4-569-57735-0

 著者は、「世界で一番美しい衣装は十二単(女房装束)だと私は思っている。」と書いている。この文庫本に収められた一枚の口絵写真の、モデルが身に着けた衣装の見事な美しさを見ると、私も確かにそうだと思う。別に世界中の衣装を見たわけではないが、だれが見ても最高に美しいと思うに違いないと思う。

 平安時代の特にこの藤原道長隆盛のころは、政治的には汚いところもあったに違いないが、文化的そして上流貴族社会としては、世界でも最高に洗練された見事な文化を生み出したと思う。

 その確実な証拠が、私が世界最高の文芸作品と思う「源氏物語」である。

 この「服装で楽しむ源氏物語」を読むと、それまで、気にしないで読み飛ばしていた女房たちの衣装のそれぞれが、そしてもちろん男性貴族の衣装も、それぞれ重い意味を持ち、紫式部がすみずみまで気を配る形で物語の展開に生かしていたことがよくわかる。そして、それは光源氏や紫の上の最高に研ぎ澄まされた美的感覚をとおして語る紫式部の美的センスそのものなのであった。

 この本は平安朝の上流貴族の衣装を扱うことによって、ある種の謎解きまで行っているのはみごとである。

 夕顔の巻で、源氏が夕顔との関係をもつにいたる端緒は、夕顔に属する女童が、歌を書いた扇を差し出すことから始まる。この動作に関して、この本の著者によれば円地文子説と黒須重彦説とに分かれているそうである。円地説は夕顔の娼婦性(あたらしいパトロンをみつけようとした)、黒須説は夕顔が別れた恋人と勘違いしたためというものらしい。わたしは夕顔の性格からして、空蝉などとちがった娼婦性があったのは間違いないと思うが、この場面で、いきなり、自分がなにもわからない男を誘い込むような客引き的な行動を女童にさせるのは無理だと思う。そこで、この著者の説が納得のいくものとなる。暑い夏の日で、夕顔の宿を眺めようと光が車の外に首をだし、夕顔の侍女たちに、その姿をすき見され、その光の姿が夏の直衣姿であったため、二十歳前後で直衣を着る男性は、平安時代では少なかったため、その瞬間、元恋人の頭中将だと判断し、夕顔が普段使っている白い扇を女童経由で差し出し、頭中将にとってはよく知ったはずの香のにおいで、夕顔がこの宿の主人だとわかるだろうという意図で、その一見不審な行動になったというわけである。これは、したがって、光の衣装=直衣、侍女の瞥見、頭中将との勘違い、女童と扇 というかたちで展開したというのが、この著者の推定で、そうであれば、夕顔との関係が生じたのも、光源氏が直衣という衣装をたまたま身に着けていたからだということになる。これが正解かもしれない。なにしろ、花を光の従者が折り取っただけで、女童が扇を持って出てくるというのは、正直、謎であったが、わたしにとっては、これで納得がいったというところである。

 空蝉(うつせみ)と小袿(こうちき)に関する考察も立派なもので、なるほどそういうことであったかと感心するばかりであり、同時に紫式部は本当に細部にまで気配りをして物語の展開を奥行きのあるものにしていたことがわかり、この著者の衣装に関する本を読んで、ますます紫式部の偉大さに驚嘆する。

 現代人、私など、にとって、十二単の大変な衣装を暑くて寒い京都で身に着けていて、生活ぶりはどうであったのだろうと思うところであるが、たとえば暑い夏場は、お姫様といえども、スケスケルックのベール紗(しゃ)のような透けた単一枚でいたとかいうことが、「常夏」の巻の“雲居の雁”と呼ばれる少女(内大臣の姫)の描写を引用して証明している。そして、「源氏物語絵巻」のなかでも彼女は子持ちの古女房だが、スケスケルックで登場しているとか。

 源氏の中心テーマとなる光と藤壺の関係の発端に関しても、この著者は衣装のありかたから、おもしろい考察をしている。長い袴の紐をときはなつのを、藤壺に許す気がなければ、光といえども意を遂げることはできなかっただろう。そのあと、宮は後悔しているが、一方的な暴力への屈し方ではなかったはずだという具合に。

この本を読んでいて、たくさんの衣装を着ているはずの女性たちが、いとも簡単に性関係に踏み込むかたちになるのがどうしてかということもよく理解できた。

「当時の慣習からいくと、身分の高いほど軽いなりをしていると思えるので、私室でひとりくつろいでいるときの宮は軽い姿だったろう。しかも紐は一本も使っていないから、光の手がきものの裾をひっぱれば、袿も単もそろって簡単にスルリと脱げて、玉のような肌があらわになったのではないだろうか。しかし、緋の長い袴ははいていただろうから、その紐をとくことなしに、光を受け入れることはできない。・・・」となる。

 ということで、源氏物語を本当に楽しみ味わうためには紫式部が本格的に扱った登場人物たちの様々な衣装についての知識をもっていることが大切だということがわかる。衣装の記述だと気にしないで簡単に読み飛ばすにはもったいない、重要な内容を秘めている可能性が大いにあるのは、夕顔や空蝉そしていろいろな場面での展開であきらかなようだ。

 わたしは、この本を読んで、源氏物語の別な面白さに目が覚めたような気持がする。

 ほかに、紫式部の衣装哲学 に関する著者の考察やさまざまな場面に対する衣装関係の識者らしい考察が展開し、小冊子ながら、重要な意味を持った源氏関係文書だと思う。

ぜひ、未読の人に、一読をおすすめしたい。

村田茂太郎 2013年1月3日、4日

 

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