そのあとの後日談などもあり、小編ながら三回にわたって書かれたものです。
話に出てくる佐藤英明博士は、その後、東大助教授、東北大教授と移動され、現在は東北大学のDistinguished Professor。ご自分の研究では世界的に名を知られ、専門的な本もたくさん出版されています。さまざまな賞も受賞されたようです。
2009年3月に社団法人 畜産技術協会から出版された「畜産学の視点」-畜産学の立脚点を考えるー という140ページほどの本をいただきましたが、すばらしい本で、すぐに読了しました。現在の動物生殖科学、畜産学の現代階を簡潔に示し、”先端的産業の創成と殺生への関与という2つのベクトル”がからむ複雑な学問が見事に描き出され、こういう本に私の学生の頃に出会えていたら、わたしの選択も農学の方に向かったかもしれないと思ったほど、興味深い本でした。値段が表示されていないので、一般向けに販売されていないのかもしれません。これはよい本で、誰でも理解できるので一般の人の手にはいるかたちであればいいのになあと思います。第8章 ”犬研究の魅力と倫理” などという章もあり、幅広い研究分野の存在があきらかにされています。
わたしが感心するのは佐藤博士の関心が、子供の頃から一貫していることで、京大学生時代ヘーゲルの小論理学について話し合ったあいまに、すでに牛の生殖の関係を研究したいと洩らされていて、その後のご研究はその道一筋にまい進されたことを示しています。わたしは拙著"癌と人生”の最後でも書きましたが、親の意向に対抗できるつよさをもたなかったのか、理科系工学部から退学までして方向転換をし、その分、時間的にもいろいろな意味でロスがあり、子供の教育・指導という面で考えさせられました。人生に無駄は無く、わたしの工学部経由は結果的にプラスとなりましたが。
「人は、子供のころに見たり、経験したことに生涯にわたって影響されるといわれるが、私もそのことを実感する。」と、この本の”はじめに”の冒頭に書かれていますが、まさにローレンツのいうImprinting刷り込みであり、そのとおりだと実感し、いかに幼児期、少年少女期が大事かということの証明のように思えます。
このカエルの話で、今読むと奇妙な点は、1970年ごろ発見され、1981年ごろに”絶滅”という点で、このわたしの文章は1984年TV番組を見た感想で、映画はそのまえに撮影されていたとはいえ、もう、絶滅寸前か、していたのか、ずっと以前に作成されたものなのか、ちょっと気になります。
絶滅 といえば、David Quammen の"The Song of the Dodo" を思い出します。500ページを超える厖大な本で、ミステリー・サスペンス小説を一日で読むようなわけにいかず、何ヶ月もかけてゆっくり読了し、すばらしいと感激した記憶があります。
カエルの鳴き声も、北白川の田んぼでにぎやかに聞こえたものですが、もうそんな時代があったのかと思えるような、昔話になったのは、仕方がないことかもしれませんが、残念です。
村田茂太郎 2012年2月29日
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ロサンジェルス・オリンピックが始まったが、チャンネル7のオリンピック報道ぶりは全くひどいもので、既に、各種の公機関から正式にクレームが出ているときく。レーガン再選に向けて、アメリカのナショナリズムの高揚という意図が露骨にあらわれたものといえる。公的なニュースであるべきものを、ABCが独占しているというカネと政治の動きも気に入らない。どうしたことか、ボクシングの放映が多く、嫌気が差して、女房がチャンネル28にきりかえた。8月4日、土曜日の夜である。丁度、運よく、ナショナル・ジオグラフィーが始まるところであった。そして、私はこのナショナル・ジオグラフィーを、たまたま見ることができたということで、チャンネル7の愚かな放映ぶりに感謝したいくらいであった。
オーストラリアの動物が、その日のテーマであった。まず、女房が、“アーッ、エリマキトカゲだ、かわいいョッ”と叫んでくれた。最近、日本を騒がせているこの高名なトカゲを、私も見たことが無く、これは見なければなるまい、と国文法の研究書を放り出して、テレビにしがみついた。エリマキトカゲはすぐには出てこなかった。ところが、大変なものが出てきて、私はびっくりした。
解説では、1972年にオーストラリアではじめて発見され、世界中の動物学者たちを驚かせたという。私は、何の事を言っているのか、たかが一匹のカエルではないかと思っていた。要するに、カエル一匹の発見が、世界を驚嘆させたというのだが、なぜなのか。それは、スグにわかった。
ふつう、カエルは沼や池や小川の中で、粘液質の膜で保護した中に卵を産み付ける。中には天然記念物モリアオガエルのように、樹の葉の上に、やはり粘液質の泡のような膜をつくり、そのなかに卵を産み付ける。ところが、このカエルは口の中から、カエルに成長した子カエルを吐き出す。カエルの腹の中で、卵から孵化してカエルになり、ちゃんと一人前になって、母カエルの口から出てくる。
動物の出産については、卵性とか胎性とか卵胎性とかといった区別がある。そして、今までのカエルの分類は、もちろん、卵性に入っていた。しかし、たとえ、卵性でも母カエルのおなかの中で孵って、オタマジャクシの期間を経るのかどうかはともかく、一人前のカエルのかたちに成長したあとで、母カエルの口から出てくるとなれば、これは明らかに卵胎性である。世界の動物学者が驚いたのも無理は無い。私にとっても、チャンネル7のオリンピックよりも、はるかにすばらしく、驚嘆に値するニュースであった。
そして、私は、このカエルについて考えてみた。風土と生態との関係である。どうしたことか、オーストラリアには、カンガルーのような生物が多い。つまり、生まれたばかりの赤ちゃんを自分のお腹にある袋で守り育てるというケースである。
この同じ記録映画の中に、鳥のような口を持った、カワウソのような水棲動物がでてきたが、その動物(カモノハシ)も、やはり生まれた子供をお腹にある子袋で育て上げるのである。この驚異的なカエルといい、カンガルーといい、これは何を意味しているのか。ヒントは、オーストラリアの自然条件、つまり気候と関係がありそうだということだ。同じフィルムの中で、ある鳥は、炭坑夫のように、一生懸命に穴をほっていた。その穴に卵をうめるのである。解説によると、孵化するまで、華氏90度を保てる状況として、砂の穴に卵をうめるという方法をこの鳥は本能的に身につけているのだ。そして、情況が変わると、穴から掘り出して、また別のところに移すという作業をやる。動物が子供を産み育てるという作業は、どのような動物でも単純ではない。本当に涙ぐましい努力をする。
また、同じフィルムで別のカエルがでてきた。雨季と乾季のあるオーストラリアの厳しい環境の中で、このカエルが体得した生存法は、雨季に繁殖し、乾季に泥にもぐって、一種の冬眠状態に入る事であった。それぞれが、生存するための適応の方法を独自な形で見出しているのは面白い。そして、私は、口の中から子カエルを生み出すカエルも、カンガルーの子育て法も、みな、オーストラリアの厳しい自然環境が強制し、案出させた方法である事を確信した。ひ弱な乳児は、そのままでは、とても厳しい自然条件に耐え切れず、独り立ちできるだけの頑丈さを備えるまで、親が面倒をみなくてはならなかった。それが、この種の動物が生まれ育ってきた原因であろう。
それでは、どうして、オーストラリアと同じような環境の自然条件にありながら、カンガルーのような動物が他の大陸に生まれ育ってこなかったのだろう。これは、適者生存とか隔離とかがからむ進化論の領域に入る事になる。ともかく、面白い研究課題だ。
さて、そのあと、例のエリマキトカゲがでてきた。女房が言っていたように、とてもかわいいトカゲであった。威嚇するために、襟巻きを傘のようにひろげて、口を大きく開け、ガニマタで、まっすぐ襲い掛かるようにして進んでくる。愛嬌があり、たしかに人気も出るはずだと思った。そして、相手が恐がって逃げないと悟ると、今度は、自分がエリマキをたたんで、急いで、近くの樹に登って逃げていった。
いろいろの動物がいるものだ。この地球はなんと、楽しいところだろう。彼らの生態を観察していると、全く、いつまで見ても見飽きない。厳しい環境にもめげず、何とか工夫し、努力して生きている彼らの姿の荘厳さにくらべれば、チャンネル7の政治力の汚さには吐き気を催すほどである。
(記 1984年8月7日)
“カエル”後日談
“環境と生物”を書いたのは、約2年前、オリンピックの最中であった。そのあと、ひと月足らずして、京都大学の畏友 農学博士 佐藤英明氏に会った。佐藤氏は3年近くにわたるロックフェラーでの研究を終えて、帰国の途にあった。
私が書いたものを、いつも恥知らずにも、郵送して、読んでもらっていたこともあり、話しが、たまたま生物のことでもあったので、私は比較的新しいこの文章を彼に手渡した。彼は一読して、自分はこのカエルの話は聞いた事が無い、と言った。そして、“面白いですねえ”ということで、話しは終わった。
私は、それまで半信半疑ともいえる状態であったが、ともかく、自分の目で見たのだから、書いた事は事実だと思い、高校生の国語クラスでも一度読んで聞かせてやったほどであった。その時、オーストラリアにいたことのある生徒の一人は、彼が見た奇妙な動物について語った。しかし、考えてみれば、カエルが口から子を産むなどとは、とても信じられない話である。私はもしかして、見間違ったのではないかという不安に襲われ始めた。それ以来、私はもう一度、自分の目で確かめねばならないと心に決め、この文章のコピーを渡さない事にした。私は、京都大学に帰った佐藤博士が、同僚の研究者に、このカエルの話しを伝えている場面を想像し、もし、間違っていたら、とんでもない恥さらしだと情けなく思った。
私が、親カエルの口の中から、子カエルが出てくるのを見たのは確かなのだが、身間違いの可能性というのは、たとえば、それが出産でなくて、環境に危険が迫ったときに、親カエルが口をひらいて、子カエルを安全な隠れ場所に隠すという場面かもしれなかったと思ったのであった。魚の中には、そういうのがいることを私は知っていた。そのため、これは、どうしても、もう一度、見るしかないと思った。あとで、冷静に考えてみても、口から成長した子を生み出す生物など、下等動物は別として、カエルほどの高等さの仲間では、見たことも聞いた事もなく、いよいよ、私は自信をなくしていった。
私は、いつか、ナショナル・ジオグラフィーが再放映してくれるに違いないと思い、その日を待っていた。わたしは“自然もの”は大好きで、”Living
Planet”, ”Wild America”, “Wild Animal”, “Survival”, “Nature of the things”, “Making
of a Continent” といった、シリーズは、いつも、興奮しながら見、毎回、ほとんど、VHSのビデオにとるように心がけてきた。そして、2年余り立った昨日、11月25日、チャンネル5でナショナル・ジオグラフィーの2時間にわたる“自然”ものがあり、そのタイトルが“オーストラリアのアニマル・ミステリーズ”とかということを知ったとき、私は、これは、もしかして、あのオリンピックのときに見た、あのフィルムではないかと直観し、いつも、その日にはビデオをとっていた“アフリカン”の方は今回はあきらめて、この“オーストラリア”の方を、ビデオにとることにし、自分の目でも確かめたいと思って、私はテレビを見つめた。そして、鳥が砂の中に、卵をうめるのを見た時、まちがいなく、あのフィルムであることを確認し、私は大きな興奮に包まれた。
そして、私は、あの時の目の記憶は正しかった事を確認した。1972年の発見。生物学者たちを驚嘆させたという話し。私は、この目で、再度、画面を見つめながら、感嘆にとらわれていた。このカエルは、たしかに変態するのだが、オタマジャクシになるのは、カエルのお腹の中でであり、オタマジャクシが大きくなるにつれて、カエルのお腹も大きくなり、約2ダースのカエルがお腹の中で誕生した時点で、一匹ずつ、母カエルの口から飛び出してくるのである。
何という、自然の妙であろう。このカエルの存在は、ダーウィンにとってガラパゴス諸島の動植物がそうであったように、生物の環境と適応の問題に重要な光を投げかけてくれるに違いないと私は思った。そして、ガラパゴスよりも、より中世的な鎧に覆われたトカゲ達の姿や、その他の動物の姿を同じフィルムで眺めながら、私はオーストラリアの厳しい自然への適応が強いた結果に違いない、このカエルの適応の姿を心から賛嘆した。自然の不思議、生命の驚異を、まざまざと見せ付けるものであった。
そして、この地上のどこかで、発見されるまで、細々と、しかし、息長く生き続けてきたこの生物は、生命の貴さを象徴するものであった。環境と適応、遺伝と進化の問題の解明に対して、一つの大きな光を投げかけてくれるに違いないこのカエルの存在は、一見、つまらない存在に見えるどのような生命体も、それぞれが、かけがえのない尊い意義をもち、探求者の執拗な努力を待っているとわたしに感じさせた。早速、このビデオをダビングして、京都大学の友人に堂々と送れる事を私はうれしく思った。
(記 1986年11月26日)
“カエル”最終談
口から成長したカエルを吐き出す、オーストラリアのカエルの話しは、いつまでも、私の印象に残り、一体、どういうことなのかという疑問がいつまでも消えなかった。私は、大体、こうした、学問的領域では執念深く、執着力の強い人間で、疑問は疑問のままで、十年でも二十年でも心のソコに残っていて、或る時、フト解決して、安心すると言うケースが多い。このオーストラリアのカエルもいったいどうなっているのかという疑問がいつまでも残った。
“Science News” 1990年3月3日 Vol.137、No.9 が届いて、何気なくページを繰っていると、“オーストラリアのカエル”という文章が目に入った。私はただちに、あのカエルに違いないと思い、短い文章に目をとおした。そこには、哀しい事実が記されていた。
それは、つい最近、この世にも珍しいカエルーーーおなかの中で卵を孵化させ、オタマジャクシになり、一人前のカエルになった時点で、口から一匹ずつ吐き出すというカエルが絶滅したらしいということであった。
川に棲む、このカエルのメスは、卵を産んだあと、飲み込むのであった。そして、胃の中で、消化もしないで、成長し、カエルになり、母親の口から出てくる。その特性のため、Gastric Brooder と呼ばれるこのカエルは、オーストラリアのアデライデ大学のドクター タイラーが発見し、紹介したもので、1970年代中ごろには、ブリスベーンのRain Forestで一晩に、100匹程、観察する事が出来たのに、1981年までには完全に消滅してしまった。このカエルは、遺伝学的・進化論的に見て、重要な存在であったに違いない。
ふつう、カエルは水の中の葉に、ひっつけるような形で、粘液に包まれた卵を生む。卵はサカナに食べられたりすることもあるが、おたまじゃくしになり、これもまた、生きながらえてカエルになる。カエルになるまでに、敵に襲われ、食べられる可能性はいつでもあるが、普通は、そのようにして、生み続け、生きつづけて来た。この、オーストラリアのカエルが産んだ卵を飲み込むという事は、卵のまま、水中にあると全部食べられてしまう可能性が大きいということであり、そうした、厳しい環境の中で子孫を保護繁栄させるために起きた肉体的構造的変化が、卵を飲み下して、しかも消化せず、安全な胃袋の中で、立派にカエルにならせるということであろう。どういう内部構造になっているのか、興味があるが、もう永遠にわからないのであろうか。
(記 1990年4月1日)
村田茂太郎 2012年2月26日
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