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2/27/2012

“鞭撻”(べんたつ)

わたしの16歳の記憶です。
耳の手術で冬休みに入院していたときの話で、学校もしばらく休んでいたように思います。
自分の恥を知った貴重な体験の一つです。
わたしの書いたものの中でこれが一番よいと言ってくれた友人が居ました。
もしかして、わたしの姉と同様、(本の中の”失敗談vs成功談”)、わたしが成功したような話ばかり書くのを暗に批判してくれたのかもしれません。

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 高校一年生の冬休み。私は慢性中耳炎の手術で、街医者の病院に入院していた。安物つくり(安普請)の建物で、隣の病室の会話が聞こえてくる。隣の患者は二十歳を過ぎた農家育ちの若者らしく、流れてくる音楽は流行歌ばかりであった。

 当時、阪大を目指して猛勉強し始めていた私は、流れてくる低俗な歌を聞いて、そのようなものに没頭している若者をバカにしがちであった。そのうちに、いかにも田舎ものじみた、その若者のお母さんが手紙を誰かに書いているらしく、漢字について話し合っているのが聞こえてきた。“べんたつ ・・・て、どう書くんだったけ。そうだ、隣のお兄ちゃん、しっかりして、よう勉強したはるみたいやから、訊いてみよ。”と言っているのが耳に入った。私は、ゾーッとした。自分ではよく勉強して、スマートに見えているつもりであったが、“べんたつ”などという字は、見たことも聞いたこともなかった。

 やがて、その母親は私の部屋に入ってきて、たずねたが、私に答えられるはずもなかった。私は恥ずかしそうに、“知りません。”と応えた。私には、田舎の土臭い感じの、あまり教育も受けていないような人間が、そのような、むつかしそうな字を知っていることが驚異であった。そのうちに、その母親は、この病院のドクターに訊きに行き、ドクターはすらすらと書いて教えたということがわかった。

 私は自分自身に対して恥ずかしくなってきた。学校で教わっていることだけを知っていれば、もう一人前に分かったつもりでいた自分が、いかにも安っぽく感じられてきた。その母親が、当然、私は知っているに違いないと思ったこと、そして、ドクターのほうはちゃんと知っていたということ、この二つで、私は自分の教養がまだまだ未熟もいいところだとハッキリ悟った。

 この“べんたつ”という字については、その後、辞書で調べなるほどと合点した。そして、そのあと、時たま、本を読んでいて、特に、手紙の部分などで用いられていることを知った。しかし、たまたま耳にして、私自身の無知を身にしみて感じさせられることになったこの字を、私は忘れることはないだろう。

(完)

1983年 執筆
村田茂太郎 2012年2月27日

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