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2/29/2012

“人間と科学”-理科のすすめ

 あさひ学園で中学生の理科を1,2,3年と全体にわたって受け持ったときもあり、理科を担当したときに、エドガー・ポーの「メールストロームの渦」の話をすすめながら、この種の文章も配って科学に対する関心を高めようとしました。私自身が子供のころから、一時、地球科学者になりたいと思っていた時期もあったくらいなので、理科の授業も楽しめました。

科学的な態度というとき、ポーの渦のなかで漁夫が示した態度こそ、まさに科学の基本であり、不思議を不思議ととらえて、その解明を志そうとしない科学者たちよりも、よほど科学的だと今も思います。

村田茂太郎 2012年2月29日
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 私が高校生のときに読んだ岩波新書の一冊に、天野貞祐の“学生に与うる書”とかいう本があった。“とか”というのは、今から三十年近く前に読んだだけで、表題も忘れかかっているからである。その本に何が書かれていたのかも、今では、ハッキリしないほどだが、一つだけ忘れていないものがある。そこに引用されていた“言葉”で、それは、古代ギリシャの哲人アナクサゴラスが“お前は何のために生きているのか”と問われたときに、応えた言葉とされている。アナクサゴラスは次のように応えたという。“天と地を貫流する秩序の照観のため”。哲学は、古代ギリシャにおいて、自然哲学として、まず始まったが、まさにそれを象徴するような言葉である。

 私は、大学時代、ギリシャ哲学を研究しようと、ギリシャ語原書の“ソクラテス以前の哲学者断片集”という高価な上下二巻本を買って、大事に持っていたが、私がのぞいてみたのは、ヘラクレイトスなどで、当時はアナクサゴラスへの興味は失っていた。そのため、せっかく、原書を持っていながら、本当に、アナクサゴラスが、そのような言葉を言ったのかどうか、調べてみることもしなかった。今になって、少し残念な気もする。

 では、なぜ彼が言ったというこの言葉が記憶に残っていたのか。たぶん、私の自然に対する関心のせいであり、宇宙の起源から、人間社会史への過程を大自然史として捉えようとする私の哲学的関心の故であったに違いない。今から二千五百年前のギリシャで、いくら文化が発達していたといっても、現在の科学の到達点から比較すると、ほとんど、薄明の状態にあるといえた。それにもかかわらず、彼らの理解できる範囲で、世界には秩序が支配していると、アナクサゴラスは言っていたのである。

 “秩序”、この言葉は、今の科学、技術の言葉で言い換えると、“法則性”ということになる。当時、“万有引力の法則”も発見されていなかったが、自然に関心を持つ人々にとっては、天地の間に起こる様々な現象が、ある種の“法則”に従った、見事に秩序だったものであったのである。

 太陽が東から昇り、西に沈むという事実。月が約ひと月の周期で満ち欠けを繰り返す事実。春になると花が咲き、夏になるとセミが鳴くという事実。こうした、あたりまえの出来事が、人間界の出来事とは無関係に繰り返されているということに対して、ある人々は素直に驚嘆し、そうした見事な秩序を、じかに、観察できるということを生涯の喜びとした。アナクサゴラスの言葉は、そうした、自然の秩序ある美しさへの、人間の感動を素直に表現したものであった。

 この自然の美しさへの素直な賛嘆が、もう一歩深められたところから、科学が始まったといえる。つまり、“なぜ?”という意識が芽生えたとき、もう科学は、スグソコマデという地点にいたのである。古代最大の天才数学者・科学者アルキメデスが“浮力”に関する彼の有名な“原理”を発見したのも、当然といえる。

 “賛嘆”が“賛嘆”におわらないで、“なぜ”という好奇心が生まれたとき、あらゆる学問がはじまったわけであり、アリストテレスは、“人間は本来的に好奇心の強い動物である。”という言葉で、そのことを表現した。

 “好奇心”・“探究心”こそ、すべての基礎であり、これなくしては、なにものも発展しない。自然の世界、日常の世界には、様々な出来事が起きる。目に触れるもの、耳に聞こえてくるもの、それらのすべてが驚嘆に満ちた現象であり、好奇心の強い人間は、どうしても、その原因や理由を探り出し、自分が納得する説明を見出さないでは、落ち着いた気分になることは出来なかった。

 “なぜ、りんごは木から落ちるのか“、”なぜ、潮の満ち干が起きるのか“といった”疑問“をもつことが、人間にとって、まず大切なことであり、マルクスは、そのことを、”正しい問いを見つけた人は、半分、解答に到達したに等しい“という言葉で表した。問いを提出した人が、すべて謎を解いたわけではないが、少なくとも、まじめに問題として提出しない限り、解答が出てくるはずもなかったのである。しかし、問いは、何も無いところから出てくるわけではない。自然や人間界の出来事を熱心に、真剣に観察した人が、はじめて、ある種の法則性、因果性に気がついたのである。

 従って、まず、“観察”があり、その結果、ある種の“疑問”が解決を迫る“課題”として設定され、それをめぐって、更なる“観察”や人為的に操作を加えた“実験”が行われ、ある種の“結論”が導かれる。“実験”結果に対する“推論”あるいは“考察”によって、この”結論“が成立し、この過程の繰り返しによって、誰もが認めざるを得ない結論に至ったとき、”法則“が確立されたということになる。

 従って、人間の周りに起きる様々な現象に対する、まじめな“観察”と、それに由来する“疑問”とが、現代に至る科学の大発展を導いた原動力であったといえる。しかし、歴史的に見た場合、この一見、単純そうで、自然な過程が、“科学の方法”として確立するまでには大変な闘争があり、苦労があった。ガリレオ・ガリレイが、宗教裁判の後、“それでも、地球は動く”とつぶやいたといわれているが、いろいろな制約の中で生きねばならなかった過去の人々は、想像を絶する苦悩を体験し続けたに違いない。それは、まさに、天才にのみ可能な道であった。

 現代に生きる私たちは、そうした苦労から解放され、すばらしく発達した道具、器具、装置に囲まれ、偏見を持たないで、対象に接近することが出来るため、方法さえ誤らなければ、様々な発見を行うチャンスが沢山ある筈だという世界に住んでいる。

 天才を待つ時代ではなく、誰もが過去の天才に匹敵する仕事を行えるチャンスに恵まれているのである。

 以前には、自然を征服するという意見を持つ人がいたが、今では、自然とは、征服されるべき対象ではなく、理解され、共存されるべき対象であるということが、一般の人々にも分かる形でひろまっている。

 そして、この大自然は、現に今も、驚異に富んだ運動を行いつづけている。今では、大陸移動からオーロラの発生、二重らせん、ビッグバンと、ほとんどあらゆる領域にわたって、すばらしい発見や解明が行われている。そして、それらの輝かしい発見(法則性の発見)も、みな、観察・疑問(仮説)・実験・推論という過程を経て行われてきたものであり、“なぜ”という素朴な問いが、すべての起爆力であったのである。中学理科は、こうした基本の研究過程に親しむ貴重な機会であり、思考力を鍛える場所である。

(完)1988年4月6日 執筆





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