Murata Blog 最近の感想 2025年3月10日
ワイフが亡くなって2年以上経ち、Hana,
Thumperが亡くなって1年半以上経った。
そして昨日、2025年3月9日、私にとってまた悲劇が起きた。
今、Cal
Pet Cremation (New
name:West
Coast Pet Memorial)から帰ってきたところである。
West
Valley Animal ShelterからAdoptして丁度1年と7か月たったばかりのオス犬Busterが急に亡くなった。急にと言っても事故死でなく、なくなる3-4日前から食欲をなくし、水も飲まず、大好きなスナックのビーフ・チキン・ジャーキーも食べなくなって、もうダメかなとは思っていたら、昨日の夜中に静かに、眠るようにして亡くなったのか、朝、息をしているか確かめたら、もう半ば遺体が冷たくなりかけていた。解剖する気はなかったが死因は心臓だったと思う。心臓麻痺!?
なにしろBusterと私はいつも一緒に過ごしていたので、その居なくなった空虚感は巨大である。Busterは敏感で、私が服を着ると、どこの部屋に居てもすぐにわかって、散歩に行けるのだと喜びを表す。黙ってそっとというわけに行かない。敏感で鋭敏で、私のそばを離れない。朝起きてコンピューターに向かおうとするとすぐに膝に抱いてくれとせがむ。これは一日に3回ほど。体重はそれなりに重く、25ポンド前後で、落とさないように膝の上でしっかり抱いていなければならない。
私はいつもBusterに感謝し、縁があったのだね、お互いにしっかり頑張ろうねというのが私の口癖であった。
なにしろ2023年7月に20歳と15歳の家族の大事な一員であったふたり(Senior
Dogs Hana と Thumper)を相次いで亡くして、茫然としていた時に、縁があって、2023年8月9日 West
Valley Animal Shelterをおとずれて、小さなCageに入れられていたBusterをみつけて、すぐにAdoptしたのである。Busterは夫婦離婚の犠牲者であったが、私にとってはそれが良かった。まさに縁があったのである。10歳OverですでにShelterでSenior扱いであった。Busterはすでにその名前でケージに入れられていて、今更、10年後で私が名前を替えるのもかわいそうで、そのままRegisterした。
Busterは心臓が悪く、そのために避妊手術をすると死ぬかもということで、これは将来の仕事であった。私は10年以上避妊手術もしないで生きてこれたのだから、少し金を払うことになっても避妊手術をするつもりはなかった。
そして、私たちふたり(私とBuster)は本当に幸せな共同生活を続けることになった。
もちろん我が家の三銃士の一員としてである。穏やかな性格のBusterは、別に、
猫Eureka IIとも喧嘩するわけでなく、CheCheも仲間で、3Mの一員として村田家を明るく保つのに貢献してくれた。
しかしBusterは特別であった。
BusterとCheCheをAdoptした同じ月に、私にとってアメリカでの初めての大事件に遭遇した。老人が一人で、しかもSecurity
Systemもなく老犬も居なくなったと知った男が深夜にドアーを蹴破って、大きな音を立てて侵入してきた。誰かほかの人間がいるとわかっていたら、そういう騒々しい音を立てる侵入はしなかったであろう。
私の推測では隣の家が大規模なRemodelingをして1年近くたくさんの作業人の出入りが頻繫であった。作業人自体は失業者でないから、危険なことはしないであろう。誰かの友人知人に情報を漏らしたに違いない。
そして夜の侵入者に驚いた私は真っ暗闇のなかで侵入者と対面することになり、驚いた侵入者はガンでなく、ナイフでもなく、手に用意したPepper
sprayを私の顔にまともに吹きかけた。初めての体験で、目が見えず、すぐにトイレに逃げ込んだ。そのとき、なんとBusterがワンワン吠え騒いでくれたので、侵入者は驚いて、聞いていた話と違う、これは危ないと感じて予定を変更して、逃げ去ったのだと思う。911で救急車、パトカーなどやってきたが30分以上何もせず、私の血圧を測って異常なし、病院に運ぶ必要はないということで、結局2台目のパトカーがくるまで何もしなかった。そのあと警官5人で家の中に入ったが、もちろん犯人はとっくの昔に悠々と逃げ去ったあとであった。
ここで大事なことは、Busterがワンワン吠えてくれたおかげで、これは聞いていたことと話が違う、やばいと思って侵入者がそれ以上は何もしないで逃げ去ったことであった。
つまりBusterのおかげで私の命は救われたのであった。まさにBusterは私の命の恩人、Life
saverであった。もし、Busterがいなければ、私は拷問され、いらなくなった体は殺されてどこかMojave砂漠に捨てられ、遺体発見は何か月か後ということになったであろうというのが私の推測で、まさに私がShelterから助け出したつもりのBusterのおかげで、命拾いをしたと私は今も信じている。まさにBusterは私の命の恩人、恩犬である。
Busterは雑種犬であったがダックスフント系の雑種犬で胴が長く、肌に毛がなかった。そのため、すでに老犬で夜も昼も寒いのであろう。私がLiving
Roomにホーム炬燵を置くと、まさにその愛用者となり、電気のついた炬燵にもぐりこむのが常であった。別に窒息するわけでもなく、自分でこたつに出入り出来るので、問題はなかった。
そして毎朝、8時9時にBee
Canyon Parkの散歩に連れて行った。CheCheが起きていれば一緒に、寝ていればBusterだけというのが常の行動で、CheCheはめくらで歩くのも苦労するので、一緒にクルマでParkに来た時は、5分ほどぶらぶらした後、CheCheはクルマに入れ、私とBusterのふたりで公園を一周するというのが常であった。このやり方で、昼からも訪れ、必ずCheCheをチェックして、寝ていれば起こさないでBusterだけを連れてパークを一周した。そして毎日3-4回パークを訪れた。運動量としては少ないが、それでも私の健康管理に大いに役立ったと思っている。
今、Busterが亡くなった後、このままでは私の運動量が少なくなって健康に良くないので、ひとりでO‘Melveny
Parkを歩くようにしなければと思うが、何しろどの道もHana,
Thumper, そしてBuster,
CheCheと歩いた道なので、一人で歩くのは気が滅入る。
本当にBusterの陰から解放されるまでに時間がかかるようだ。
Busterといえば、夜の侵入者の事件を記すことになって、すでに過去に記述した内容と重なったと思うが、Buster亡き後の回想にBusterのLife
saverとしての話を抜きにできないので、また記した次第である。
本当に私にとってはBusterとの出会いは運命的であったといっても言い過ぎでない。Busterには感謝するばかりであり、今、Buster亡き後、その素晴らしい思い出がいっぱいである。
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