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3/16/2012

“ガラスのうさぎ”(高木敏子著)を読んで

 灰谷健次郎を読んだことが引き金になって、ほかのいろいろな作品を読み始めたようです。
こうした作品を読む刺激をもらええたという意味でも灰谷健次郎の作品「兎の眼」、「太陽の子」を読めたことをありがたく思っています。

 わたしは1971、1972年にはアメリカに居ましたから、この作品を知らなくても当然でした。
村田茂太郎 2012年3月16日


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“ガラスのうさぎ”(高木敏子著)を読んで

 この高名な本を、どうしたことか、私は今まで読んでいなかった。先日、灰谷健次郎の“太陽の子”を読んで感動し、それまで知らないですごしてきた沖縄への興味をかきたてられ、同時に戦争を体験した児童の回想記なども読んでみたいという気持ちになった。“あさひ学園”を退出する前に、この本、“ガラスのウサギ”を借り出し、その日のうちに読了した。百五十ぺじ程の小冊子で、読み易く、またスグに読み終わらせるだけの静かな感動を孕んだ、すぐれた書物であった。

 これは小説ではなく、元は“私の戦争体験”として発表された実話―十二歳で戦争を体験した少女が、約三十年経って回想した体験記であり、それが、フィクションを交えず、淡々と語られて、かえって感動を生み出すに至っている。

 十二歳の少女敏子(としこ)は、東京空襲で母と二人の妹を亡くし、敗戦の十日前に、疎開先から父と新しい出発をしようと、神奈川県二宮駅で列車を待っていたときに、米軍艦載機P51小型戦闘機による機銃掃射により、ほとんど目の前で父親を殺される。特攻隊員として出征し、生還の可能性の薄い兄のほかには誰も居ない孤児となってしまった敏子は、しかし、友人・知人や知らない人の親切・情けに助けられて、困難に耐え、たくましく生き延びる。この、戦争で両親と妹二人をなくすという悲惨なストーリーにもかかわらず、この本の読後感に一種のさわやかさが残るのは、実は、この少女の明るく逞しく健気な生き方のせいである。

 母が病気、父が満州にという状況の中で、特攻隊志願の兄から、最後の別れに兵庫県西宮まで来てくれと連絡が届いたとき、彼女は東京から単身、会いに行く。父が機銃掃射で殺され、火葬する事になったとき、友人・知人に助けられながらも、すべて一人でこなしていく。十二―三歳の少女が、いろいろ困難に耐えて、すべてを処理していく姿が、実はこの本の最も感動的なところである。そして、敏子もわかっているように、どうしたことか、彼女の前に現れる友人・知人、そして知らない人が、みな、とてもやさしく親切なので、彼女も困難に耐えて、なんとか一人でやっていけるのであった。これは、実話なのだから、本当に、彼女の周りの人たちが、情け深い、親切な人たちであったに違いない。そして、これが、第二の感動的な部分をつくっているといえる。

 十二歳の少女が一人でうろついていれば、今でなくても、いろいろ恐い場面が起きる可能性にあふれていたのだが、あまり利己的でない、親切な人達に助けられて、彼女は無事生き延びることが出来た。空襲による戦闘機壊滅のおかげで特攻隊員ながら、飛ぶ飛行機がなくなって終戦を迎えたため、無事生還した兄と再会して、新しい出発をはじめた彼女は、一時、親戚を頼って生活するハメに陥ったため、かえって苛酷な、非情な生活を体験することになる。友人・知人や未知の人々が親切であったのに対し、親戚の人々は、冷たく、利己的・打算的で、生まれて初めて、彼女は様々な苦労を体験する。しかし、持ち前の逞しい精神力で、くじけることなくやりこなすが、そんな彼女にとっても、とうとう我慢できない状況にいたり、黙って脱出して東京の兄と合流する。そうして、なんとか東京で生き延びていくという話である。戦争の悲惨をなまなましく体験した彼女は、戦争放棄を宣言した日本国憲法の発布に感動する。そして、このすばらしい憲法を守り続けたいと決心する。

 灰谷健次郎の“太陽の子”は小説ではあるが、十二歳のフウちゃんという少女が、明るく逞しく感動的に生きていく。この“ガラスのウサギ”は実話であるが、やはり十二歳の少女が、戦争の悲惨に耐えて、健気に逞しく生きていく。フィクションであれ、事実であれ、十二歳ぐらいの少女が健気に、明るく逞しく生きていく姿というのは、私を心から感動させる。

 戦争というものは、残酷なものであり、南北戦争の将軍シャーマンなどは、ハッキリと、“戦争は地獄だ”と言っていたくらいで、悲惨で恐ろしいものであるのは昔からわかりきったことであるが、中でも残忍なのが機銃掃射である。これは、兵士対兵士、あるいは一対一の闘いとは異なり、戦争とは直接関係のない無力な人間たちを、標的遊びのように殺戮して楽しむという恐ろしい殺人ゲームであり、この残虐性には弁解の余地がひとつもない。

 一度見ただけの名画“禁じられた遊び”の冒頭のシーンを私は思い出す。列を成して逃げていく難民の群れめがけて情け容赦もなく機銃掃射によって殺戮していく場面。戦争の恐ろしさを衝撃的に訴える場面である。

 “ガラスのウサギ”の機銃掃射の場面も、おそろしく迫力に満ちたものであり、その悲劇性によって、この体験記のヤマ場となって、戦争のおそろしさを私たちに訴える。いろいろな意味ですぐれた作品といえる。

(記      1993年7月11日)村田茂太郎



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