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3/18/2012

“雀”スズメ

 大分前の話です。
その後、となりからクレームがあって、ごはん・こめ・パンをやらなくなりました。
都会に住んでいると、いろいろと面倒があります。
自然を楽しむという余裕がなくなるのでしょう。かなしいことです。

 わたしは庭を訪問する三匹のリスにも名前をつけて、放し飼いのようにして、落花生をやって楽しんでいました。三匹を観察すると、一番大きいのが一番大胆、したがって、つかまるリスクも在るけれど、相手が信用できると判断できれば、落花生を手からもらって、どんどん大きくなり、こわがりで遠慮深いのは、たべのこしが塀の上にのっているのをたべるだけなので、いつまでも小さく、わたしは、順番に太郎、次郎、花子と名前をつけていましたが、そのとおりでした。つまり、花子が女の子で、一番Shyで,すぐに逃げ出して、小さかったのです。ところが、花子が妊娠して、おなかが大きくなってくると、食べないといけないので、Shyなどといっておれない、わたしをこわがらないで、落花生のちかくまで来て食べるようになりました。

 それからしばらくして、うちの裏庭でちいさなリスが遊んでいるのをみかけ、無事、こどもを産んだのがわかりました。かれらにも人間をみわける能力が必要で、自分にとって安全か危険かをすぐに見分けられる動物はめぐまれた生き方をできるようです。

 野良猫も苦労したせいか、全然、なつかない猫と上手になつく猫が居ます。なつかないことには、注射も何も出来ません。人間に限らず、他の動物でも判断力が必要といえます。

村田茂太郎 2012年3月18日

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“雀”スズメ         

 アメリカは、まだ歴史が浅いせいか、或は、広大な自然を完全に支配するに至らなかったせいか、野生動物が豊富であり、身近なところにいろいろな動物が居て、私たちの心を和ませてくれる。日本だと、野鳥を観察する会にでも入って、郊外に出かけねば、いろいろな鳥に出会えなくなっているが、このロサンジェルスのような都会でも、ハリウッド山やサンタモニカ連峰、或は、アンジェレス・フォレストなどの山々が、比較的近いからなのか、様々な鳥が家の周りをうろついていて、自然との交わりの楽しさを教えてくれる。

 時には、ものすごく攻撃的な鳥が居て、ヒッチコックの名画“Birds”(鳥)の現実版のように、うちの猫サーシャが外に出ると、遠くからその行動をマークして、ちょっとでも動き始めると、激しく攻撃してきたりした。(モッキングバード)。サーシャの方が恐くなって、クルマの下に逃げても、そのクルマのしたにまで激しく攻撃してくるのには驚いた。その頃、同様なケースはアチコチで起こり、人間までアタックされて、テレビでニュースになったりした。これは例外的なケースで、ふつうは、私たちから離れたところで、いい声を聞かせてくれたり、美しい姿を見せて、喜ばせてくれたりする。

 しかし、なんといっても、一番庶民的なのは雀である。女房がご飯のあまりなどを裏庭の芝生にまきはじめてから、雀は私たちに一層身近なものとなった。最近では、雀にご飯を沢山やれるようにと多い目に炊くだけでなく、もし、ご飯やパンがなければ、お米をそのまま投げてやれば、喜んで食べるという事がわかったので、何もない時は朝夕、米を一合ずつ芝生にまいてやる。今では、雀も、私が安全で信頼できるとわかったのか、私が裏庭に出ると、一羽また一羽と、庭の真ん中にあるオレンジの木に集まってくる。彼らの中にはちゃんと見張りがおり、合図するものもいるのか、遠くの木からもすべりこむようにして、オレンジの木に集まってくる。そして、私がご飯やお米を撒くのを待っている。じっと観察すると、今では、朝夕、規則的に食事がもらえるので、みんな丸々とよく太っている。衣食足って礼節を知るというのか、みんな態度もよく、特にせっかちに騒ぎ立てる事もなく、オレンジの木の下枝にまできて静かに待っている。そして、私がサッと撒いて、スグに姿を隠そうとすると、まだ私の姿が見えていても、平気で降りて来て食べ始める。時には、スプリンクラーで水浴びをしたりして、やはり、雀はかわいいと感じさせる。去年は、巻き上げてある簾の上に巣を作り、卵を生み、それが孵ってかわいい子雀になるのを見ることが出来た。まだ飛べない状態の時に地上におちると、ほとんど確実に死んでしまい、そのようにして死んだ雀も何羽か見つけた。一度はスプリンクラーに脚をはさんでもがいているのを見つけ、私はいそいで栓をひねってやった。脚が折れてはいなかったのか、スグに飛び去ったのでホッとした。

 ともかく、最近では、雀達は私がごはんや米をまくのを首を長くして待っており、わたしの姿を見かけると、遠くからでもやってくるので、いつのまにか私も、何も持たないで庭に出るのを遠慮するようになった。いずれにしても、今では、雀達は放し飼いをされているようなものである。私は期待されており、それだから一層かわいく思い、期待を裏切ってはいけないと出来るだけ沢山食べ物をやるようにしている。家の中に入って見ていると、約30羽の雀が上がったり下りたりして、一生懸命食べている。やはり、考えてみれば、雀達にとっても、食べ物を見つけることは容易ではないはずである。餌になる昆虫がいつもいるわけではない。こんなに身近で、庶民的で、明るく騒ぎ立てる雀は、本当に私たちにとって安全と平和の象徴のようなものである。何でも食べ、どこにでもおり、どこでもにぎやかにさえずっている雀は、まさに生命力の逞しさの象徴といえる。

 昔、中国大陸で、雀は、米を食べる害鳥だから、全滅させようということで、あるとき、全民衆が、銅鑼や鍋をたたいて、雀をとまらせなかったため、一網打尽となり、焼き鳥となってしまったという。しかし、雀は米は食べるが害虫も食べていたわけで、その後、天敵が居なくなったため、害虫が繁殖して、結局、雀がいたときより悪い結果になってしまったという話を、本当か嘘かしらないが、父から聞いたことがある。中国でなら起こりそうな話である。

 私にとっては、朝早くから、にぎやかに騒ぎ立てる雀は、まさしく、“雀の学校”のイメージにふさわしく、生命力とその尊さを象徴しており、もし、雀がいなくなれば、世界は死んだようになるに違いないと思う。いつまでも、元気にさえずっていて欲しいものである。
(完              記 1987年6月1日) 村田茂太郎

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