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3/21/2012

ある手紙”

 まるで私の自慢ばかりしていると思われかねませんが、拙著のなかの”失敗談vs成功談”の中で書いておきましたように、子供たちへの参考になればという気持ちから書いているのであり、発表しているので、その気持ちが無くなれば、私の書いたものはどうでもよいということになります。

特に海外子女を持つ保護者の方が批判的に読んで、参考にされることを希望しています。

村田茂太郎
2012年3月21日
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“ある手紙”

 つい最近、私は教え子の一人から手紙を受け取った。二年前、私が高等部で二年の国語と倫理・哲学を教えていたときの生徒であり、手紙をもらったのは、はじめてであった。

彼は、能力的にも、人間としても、すばらしい生徒であったが、残念な事に、国語に関しては、全く興味を示さず、倫理・哲学に関してだけ、非常な熱意を示してくれたので、私も一生懸命頑張ったのであった。従って、お母さまとお会いしたときも、私は、国語に関しては、あるいは、日本文化に対しては、彼の興味・関心を呼び覚ますことが出来なかったと無念の報告をしたのである。私は、自分のヤル事に対しては、いつも自信をもってやっているので、優秀なはずの彼の興味をひくことが出来なくて残念であった。この高等部の有様については、私は既に“教え子”という文章の中で述べてあるが、ともかく、まじめに取り組んでくれる中学生のほうが、私には合っていると判断し、パサデナ中学部へ戻ったのであった。

 その後、彼が、日本へ行って、日本語の勉強をしているといううわさを何度か聞いた。日本でチェスのかわりに、将棋と取り組みながら、日本語への関心も深まっているという話を聞き、私はうまくいってくれることを願っていた。集中力のすごい生徒であったので、いったん、関心さえ高まり、意欲さえ持てば、どんなに遅れていても、努力次第でやりとげられるに違いないと思っていた。

そうこうしているうちに、ある日、お母さまから手紙が届いた。彼が、京都大学経済学部に合格したという朗報であった。私は心から喜んだ。文面には、短期とはいえ、私の指導が失敗してからでも、日本語と日本文化への指導を怠り無く続け、息子を叱咤激励しながら、なんとかして、日本人らしい教育と生活を身に付けさせようと苦労した母親の努力のあとがにじみ出ていた。彼の大学合格は、まさに母子の合作であり、その勝利であった。

その彼から、あの高校クラスの印象を伝える手紙が、はじめて、日本語で書かれて届いたのであった。まだ誤字や誤法もまざっているが、当時、ほとんど仮名しかかけなかったことを思えば、格段の進歩であり、努力のあとを示すものである。

その手紙を、彼には無断で、こうして掲載するのも、最後に彼が言っていることが、まさに経験の重みを持って迫ってくるからである。

アメリカで生まれ、アメリカの教育はすべてOKであったが、日本語教育は彼には重荷であった。母親からきびしくせがまれ、仕方なく、あさひに通う生徒であったため、事、国語の授業に関しては、ほとんど関心が無く、レベルも低かった。彼にはアメリカがぴったりという気がしていたし、日本にはほとんど関心が無かった。そのため、結局、高校では日本語を通しての社交生活は楽しんだが、読み書き漢字は全くダメであった。日本に行って、それこそ、一からはじめなければならなかった。その苦労は、下に彼が簡単に述べていることからも明らかである。彼は、いわば、程度の低い“あさひ”の生徒としての、苦い反省を踏まえて、真剣に、あさひの教育に取り組むことが、いかに大切かを述べているのである。

村田先生へ

 先生が朝日にいて下さって励みになりました。

当時は、朝日の授業に出るのがやっとでした。

けれども、先生の倫理学の授業、いや、存在そのものが

  なければ、それも疑わしいことであります。残念ながら、

先生から日本語の力、国語力をそれほど学びとることは

できなかったが、先生の日本語や日本文化を生徒に

教えようとする熱意はすごく伝わりました。

ですから、どんなに程度の低い生徒であったにも

拘らず、先生の倫理学の授業や国語の授業に出る

ために、私はほとんど毎週朝日に通いました。

それが私にとって数少ない日本人との接触の機会

であって、日本語をそれ以上ひどくなるのを避ける

ことができました。ありがたく思っております。

今、私は大学生活を楽しんでいます。しかし、ここまで

くるのに苦労をしました。(日本語の文章もろくに書けず、

一年生の漢字の勉強からやり直しました。)その苦労の

大部分は、朝日学園で勉強していれば、避けられる

ものであったと思います。

 私みたいに、アメリカに長い者がいれば、その人に

 
 “がんばるように”と伝えてください。悲惨なことに

それは、アメリカに長くいればいるほど、分からないことなん

ですが。

                                                                                                    サイン

                         P.S. またチェスを指すのを楽しみにしています。

・・・君

お手紙ありがとう。いろいろと苦労したに違いないと思いますが、大学生活を楽しんでいるとの事、うれしく思います。なにをするにしても、しっかりと頑張って、何でも身に付けてもらいたいと思っています。

 ともかく、貴君が京大の経済学部に入学したとの知らせをお母さまからいただいた時、本当に、心からうれしく思いました。もちろん、日本語をもう一度はじめから学ぶことは大変だと思いましたが、意欲と意志さえ持てれば、貫徹できるはずだと思っていました。既に、立派な手紙を日本語で書く程成長された様子で、これからのますますの勉励と活躍が楽しみです。いろいろと学ぶべきこと(もの)が沢山ある筈で、あとで悔いを残さないようにして、充実した生活を築きあげていって欲しいと思います。

 そして、ロサンジェルス帰宅の際には、必ず、ご連絡ください。

 ぜひまた、チェスのご教示をお願いしたいと思いますし、貴君の京都での生活の感想をお聞 かせいただきたいと思います。

 拙宅では、一月に白い犬サンディが亡くなり、九月には猫のサーシャが亡くなりました。サンデイのかわりにダッチスが入り、老犬ぺぺと二匹になりました。今年は、サンタモニカ校で中学二年生の国語、社会、理科を担当しています。高等部で使っていた教室の辺りを通るとき、いつもあの頃のことが思い出され、不思議な気持ちになります。

では、身体に気をつけて、頑張ってください。

                                                                                          村田茂太郎 19891126

 彼が、アメリカに長く生活している日本人生徒に対して“がんばるように”伝えてくれといっているのを見て、私はこの紹介文を書く気になった。彼の手紙によると、私の国語の授業についてこれなかったけれども、私の国語や日本文化への熱意は伝わったということである。してみると、悪戦苦闘のあの一年は、無駄ではなかったわけだ。彼が、苦手ながらやりとげたという“一年生の漢字の勉強から”というのは、私が口をすっぱくして言っていることである。高校を卒業する頃になって、小一の勉強からはじめるというのは、大変である。それにくらべれば、今、中二の段階で、もう一度、基本に戻って、しっかりと一から身に付けていくのは、姿勢さえハッキリさせれば、可能なはずである。頑張って欲しい。
(記   19891127日)

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