1983年、中学1年生の国語指導のクラスで、子供たちに読書感想文のひとつのサンプルとして示したものです。植村直己氏の文章にはこの国語の教科書での出会いからはじまって、日本の友人にいくつかの文庫本を送ってもらったりして、かなり親しんだので、その後、氏がマッキンレー山(Mount Denali)で遭難というニュースを他人事でなく身に感じ、最後に追悼の漢詩までつくったほどです。
村田茂太郎
2012年3月18日
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読書感想文 - 植村直己氏の本を読んで
中学一年国語の教科書に氏の文章が載っているし、私自身、日記や自伝・紀行文に興味を持っているので、友人に送ってくれるように頼んでおいたところ、八月末に届いた。私は受け取った四冊の文庫本を執筆順に読み始めた。氏の北極圏単独行は、私も新聞報道でよく知っていたし、あのあと、National Geographic誌上にも写真と記事がでていたので、よく承知しているつもりであった。壮挙だとは思いながらも、無線による飛行補給が可能な冒険というのは、二十世紀の初頭、まったく未知の世界に、今から見れば不十分な装備で踏み出した真の冒険とは、かなり質が異なると感じていた。
しかし、これらの本を読んでみて、成る程いろいろな意味で便利になり成功率も高くなったけれども、やはり単独で異常な場所を行動しようとするのは大変なことであり、植村氏が成功したのは、氏がやはり自分自身の内部に、事を成し遂げさせるだけのものを持っていたからだと了解した。そして、彼の本を次々と読み進むにつれて、やはり偉い、私も彼からずいぶんと学ぶことができると感じるようになった。これらの本は、そうした意識を高めるだけの力強さと迫力をもっていた。
私は彼の記録を読んでいて、随分、ラッキーな男だと思った。私は前からユングのシンクロニシティに興味を持っている関係上、幸運が続くとか、不幸が続くとかといった出来事にもかなり興味を持っている。植村氏はなんと運の良い、運の強い男だろうというのが、行間から最初に私が感じ取った印象であった。そして、もちろん、その幸運を支えた条件ともいうべきものが、私が植村氏の中に見出した偉大さであった。普通の人間であれば、自分にまわってきた幸運さえも、充分生かしきれず、失敗してしまうに違わないものを、氏においては、生かしきるだけの能力が備わっていた。その能力とは何か。そしてこれこそ、ひとつのことを成し遂げるか失敗させるかを決定するものに違いない。
私が氏の中に認めた特性として次のものをあげることができる。ものすごく強固な意志力、粘り強さ、努力家、柔軟性、慎重さ(計画性・準備周到さ)、失敗から学ぶ学習性、陽気さ、偏見のなさ、行動力、気転のよさ(臨機応変の才)、そして冒険心。
これだけのものを持っていれば、目指した何かを成し遂げられないはずはない。普通の人に最も欠けている意志力や忍耐力・不屈の行動力を備えている植村氏が、次々と偉業を敢行できたのも当然だと思われる。
五大陸最高峰の登頂(エベレスト=チョモランマ以外は単独登頂)以降、氏が狙いをつけた南極大陸縦断計画を前に、グリーンランドに入り、エスキモーの中に住み込んでエスキモーの生活技術を身に付け、極地のエスキモーでさえ恐れている旅行を次々と計画し、実行し、成功させ、準備万端、滞りなく行っている氏の姿は真に堅実そのものの冒険家であって、一発屋の不安さなど微塵もない。北極点への単独行や北極圏グリーンランド何千キロという行程が南極への準備として位置づけられているところに氏の驚くべき、緻密な計画性というか慎重さがあらわれている。これだけのことをやって、準備がすべて整ってから実行に移すという氏の姿は、まさに“人事を尽くして天命を待つ”という諺がそのままあてはまる状態にあるといえる。
以前、ジョン・ガンターという人の書いた“Luck Factor”という本を読んだときも、たしかに運のよさとか悪さとかいうものはあるけれども、その運をまさにそのとおりのものにするかどうかは本人の自覚と努力次第だというようなことが書いてあり、私も成る程その通りだと思った。
今、植村直己氏の本を読んでいて、氏が前人未踏の冒険を次々と成功させているのも、その恵まれた運を自分から完全に自分のものとして成功に転化させるだけの能力を備え、常に準備怠りなきように努力を積み重ねてきたからであり、氏の幸運とはすなわち、氏のものすごい意志力・忍耐力・努力・頭脳の総合に他ならないと悟った。私は、まだまだ氏から学ぶことができると心から感じた。
(記 1983年9月7日)村田茂太郎
植村直己 青春を山に賭けて 文春文庫
極北に駆ける北極圏一万二千キロ
北極点・グリーンランド単独行
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