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3/21/2012

私の補習校国語教育論(方法と信念)

 わたしは1994年7月にエルパソに職をもとめて移動したため、あさひ学園はやむなく退職しました。

 エルパソにも補習校はありましたが、わたしは全然タッチしませんでした。
ロサンジェルスでのあさひ学園での15年はまさにそれが生き甲斐となるものでしたが、そのため、ほとんどどこへもゆけませんでした。エルパソでは土日、祭日・休日を利用して、アメリカ南西部の旅を実行し、わたしにとって自然の再発見となりました。

 この文章は1993年、ほとんど最後のまとめのようにみえます。

村田茂太郎 2012年3月21日
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私の補習校国語教育論(方法と信念)

私は、過去十年ほどの間に、いくつかの国語教育論を展開してきた。それらに於いて述べたことをまとめると、次のようなことになる。

1)時間的に制限された補習校は、日本と逆にのびのびと国語指導を展開できるチャンスではないかということ、

2)文部省選定教科書はあくまでも、文部省としての標準への希望の入ったガイダンスとしてみればよく、それに縛られる必要はないということ、

3)補習校は、単に知識を与えるだけの学校ではなく、好奇心や探究心を喚起し、生徒に自主的にヤル気をおこさせるような楽しい時間とならねばならないこと

などであった。

 私の補習校での国語教育に対する信念は揺るがず、私は自分の信念に基づいて、比較的自由に、のびのびと国語指導を行ってきた。そして、その成果は、私が絶大な自信を持っているもので、沢山の保護者や教え子達から、直接、“先生のおかげです。”という言葉をきくことができた。

 私がやろうとしたことは、総合的な国語力をつけることであり、何よりもまず、“国語”の“魅力”を知り、国語を“大好き”になってもらうこと、日本語学習が、日本人にとってすべての基礎であり、いかに日本語が日本人と日本文化にとって大事なものであるかということを知ってもらうことであった。

 そのための“方法”として、、私はいつも、“漢字”は、まず基本からマスターしなければならないので、小学一年、二年の漢字の復讐・宿題からはじめ、同時に中学生教科書にでてくるすべての漢字をマスターしてもらった。


 次に、“作文―添削・評注”を徹底して行い、一年に多い人は二十篇ほど作文を書いてくれたし、最低一人四、五篇は提出してくれた。この評注は膨大な時間とエネルギーを要するものであるが、確実に手ごたえがあり、ハッキリと国語力の充実が追跡できるので、私にとっては最も遣り甲斐のある楽しいものであった。

 “教科書”はもちろん、出来ればすべてカバーするが、私の場合、それ以上の事をする。“文法”は大事なので、ある程度、集中して指導するし、“読解”の方法も、わかりやすく説明する。他に、“漢文・漢詩入門”や“百人一首”を行う。これらは、国語教育上、はかりしれない重要な位置をしめるもので、これもある程度集中して行う。堂々と、国語の時間中に行う。

 生徒諸君にとって、大事なことは、“集中”であり、国語への積極的なコミットメントである。宿題はこなし、作文を書き、教科書を音読し、漢字をマスターし、私の国語でいろいろな話を聞いて、わかるようになれば、国語は楽しくなり、総合的な国語力はグングン伸びるであろう。

(記 1993519日) 村田茂太郎

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