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3/21/2012

国語と漢字

 最近のコンピューター、ワープロの時代になると、漢字を書かなくても変換漢字がでてくるので、ますます漢字離れになっているのではないかと、心配です。漢字は体で覚えるもので、見ているだけでは身につきません。これからの漢字教育はますます大変だと思います。

 
 まず面白さをわかってもらうことが大事だと思います。なんでもそうで、面白いと、人間は自分から取り組みます。わたしは漢字に関心を持ってもらおうと、国語の最初の時間には、必ず"一字の漢字”を書いてもらうようにしていました。

村田茂太郎 2012年3月21日

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国語と漢字

 漢字の学習は、国語学習の基本であり、日本語学習の基本である。読解力を高める中学国語の学習も、その前提になる漢字の習得が徹底されていなければ、充分な効果を挙げるどころか、国語そのものに対する興味も湧くはずがない。まともにスラスラと読めて意味がわからなければ、読書の意欲すら起きないであろう。


 この間、漢字の復習テストを行って、発見したことは、驚いた事に、小学六年の漢字どころか、三年、四年、五年で習う漢字が、分かっていない人が非常に沢山いたことである。一体、どうなっているのであろう。これでは、国語に興味を示さなくなるのも当然である。


 正しい、日本語の理解は、日本におけるすべての学問の基本である。そして、その修得が、努力なしで可能と考えている人がいたら、それは非常に甘い見方であるとハッキリいえる。どのような学問も、苦労しないで身に付けることは出来ないが、その中で、最も大切なのが国語力であり、国語に対する正しい理解とそれを踏まえた自信なしには、他のなにものも成就できないと言っても言いすぎではない。国語に対する正しい理解は、そのまま文化や民族性に対する理解へもつながっている。そして、外国語に対する理解とも深くかかわっている。


 自分の国の言語や文化や歴史に対する理解が無くて、他の言語とその特色を充分理解できる筈がないのである。たとえば、自分は、もう英語のほうが良くできるから、日本語などこれ以上勉強しなくても良いと考える人がいるかもしれない。そして、実際、アメリカで生活するのに、英語さえ出来れば充分である場合が多いかもしれない。しかし、それは、言ってみれば、生まれた国では教養がなくても、何とか生きていけるというのと同じである。文化的に最低生活は可能だということにすぎない。


 しかし、人間は食っていければそれでいいというものではない。どのようにコスモポリタンの意識を持とうと、私たちはどこに行っても日本人である。そして、いつかは、日本人としての、自分のルートの問題にぶつかる事になる。その時、自国あるいは自分の祖国の言語や文化や歴史を知らない人間は、自分個人としても大きな問題に直面するだけでなく、他の民族、民衆との付き合いの中でも、大きな恥辱を味わわされるに違いない。ユダヤ人やアルメニア人や中国人の例を引くまでも無く、どの国からの移民も、自国の文化と言語は忘れたことが無いからである。


 さらに、英語が良くできるので、日本語との通訳とか翻訳とかをやりたいと、甘く考える人がいるかもしれないが、その時、日本語に対する深い理解が無くて、どうしてそれが可能と言えるであろう。翻訳文化と言われるほど、日本では翻訳が盛んであり、また、誤訳も盛んであるが、本当にすぐれた翻訳は、英語とイギリス・アメリカに対する十全の理解だけでなく、日本語と日本文化とに対する深い理解があって、はじめて可能なことなのである。


 日本語も充分マスターしていなくて、英語が良くできるのを喜んでいる人間というのは、日本人としてみれば、マンガ的としかいいようがない。そして、私の考えでは、高校国語をマスターして、はじめて、まともな日本語を身に付けることができたという事になる。従って、あさひ学園の生徒も、当然、全員、高等部に行って、しっかりと学習してもらいたい。


 ところが、中学部で、というよりも、小学部以来、国語に対する取り組み姿勢ができていなかったために、なまけてしまい、ついていけなくなって、義務教育である中学部が終わった時点で、やめていく人がいつも何人かいる。全く、残念なことである。これは、本人の責任でもあるが、親の責任でもあるとハッキリといえる。小・中学部の学習、特に、海外での国語学習は、絶対に、子供任せにしてはいけない。それが破られると、子供は自然と学習を怠り、徐々にわからなくなり、それが重なって、ついていけなくなるのである。


 漢字・語句を理解することは、国語学習の最も基本であり、従って、はやくから、私はあさひ学園に対して、角川書店の“新しい常用漢字の書き表し方”を生徒一人ひとりに配るように推薦してきた。今回、関係者の苦労のおかげで、この基本資料が各人に手渡されたことを知って、私はとてもうれしく思った。これで、やっと、みんなが本格的に漢字と取り組むことが出来る事になったわけである。適当な資料なしに学習を進めることは困難であり、漢字に関しては、正確な字形と筆順とが見やすく書かれた資料が絶対に必要であった。今、この簡便な書が、各人の手に渡ったので、私は安心して、国語学習に対する指導を行うことが出来る。


 まず、“音訓一覧表”をよく活用してもらいたい。どんなに易しい漢字でも、一度はこの表で眺めなおして、正確な字形をまず、確認してもらいたい。さらに、読み方や熟語の例をよく見て、意味のわからない語句があれば、国語辞典で調べて欲しい。そして、単に、今調べた字だけを見るのではなく、同じ発音の漢字とか、出来れば同じ頁にある漢字・熟語も良く見るようにして欲しい。そして、まだ知らない字があれば、あるいは、書き方の紛らわしい字があれば、必ず、“筆順”の章を見る習慣をつけて欲しい。


 小・中学時代は記憶能力もすぐれ、漢字修得期にあたるので、なんでも努力次第でしっかり覚えることが出来る。いったん間違って覚えてしまうと、大人になっても、なかなか直すことがむずかしい。漢字は沢山知っていて悪いとか損をするとかというものではないから、その学年で学習するとかしないとかに関係なく、見知らない漢字に出会えば、必ず、理解し、覚えるようにして欲しい。


また、136頁から、“同訓漢字の使い分け”が、143頁から“同音異義語の使い分け”が載っている。折に触れて眺め、確認し、記憶をあらたにするようにつとめれば、自分の国語力の向上に大いに役立てることが出来るだけでなく、受験対策にもなるだろう。更に、162頁からの“送り仮名用例集”も非常に役に立つ。これを見れば、“明るい”や“暖かい”の送り仮名がすぐにわかるし、“表す”は“表わす”でも、許容されていることがわかり、文章表現を正確にするうえで、とても参考になる。他にも、“人名の読み方”とか、いろいろ興味深い資料も収録されていて、これ一冊を眺めているだけで、退屈しないで、何時間でも過ごせるといえるくらいである。だが、何と言っても、一番大事なのは、“音訓一覧表”であり、一日一回は、必ず、この表を広げて、漢字に親しむ習慣をつくってほしい。


 そして、何度も繰り返すが、漢字の学習は、何度も練習して、はじめて身に付けることができるものであり、毎日、労を惜しまず、ほんの少しの時間でも良いから、取り組んで欲しい。漢字をマスターすれば、読書は楽しみとなるだろう。すばらしい本がこんなに沢山出版されている現代において、読書を恐れることは、宝の山を恐れる以上に愚かなことである。最後に、漢字は、あくまでも、ていねいに、正確に、きっちりと書くこと。つづけたり、あいまいな書き方をしている人は、絶対に改めなければならない。諸君の努力は、必ず実を結ぶだろう。


(記      1986424日)



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