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3/16/2012

“中学国語”学習の心構え

 1985年4月に中学3年生に与えた私の国語教育論のひとつです。
子供たちを刺激しようという姿勢が顕著です。
今も、わたしは自分の補習校教育論は正しかったと思っています。

村田茂太郎 2012年3月16日

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“中学国語”学習の心構え

 私は、最近、“エリセーエフの生涯”という本を読んだ。エリセーエフとは、明治時代の東京帝国大学への最初のロシア人留学生であり、後にロシア革命渦中での体験をふまえた“赤露の人質日記”を日本語で書いた人であり、更に、ハーバード大学に招待されて、はじめて東洋学部を創設した、世界における最初のジャパノロジスト(日本学者)であり、ケネディ下で日本大使になったハーバード大学教授ライシャワーやハワイ大学グリエルモなど、有能な日本学者をいっぱい生み育てた人物である。

 彼は夏目漱石の弟子である小宮豊隆の生涯を通じての親友であり、小宮を介して漱石の木曜会にも出席、生涯漱石を尊敬し続け, 愛読し続け、フランスやアメリカの大学で、漱石について講義し続けた人でもある。

 彼は、厳格な日本語修得のシステムを作り、それによって、世界中にすぐれた日本学者を育てたが、その方法のひとつとして、中国の漢文を中国人風ではなく、日本人が読むように、訓点式の読み方を教えた。それも、ハーバード大学で日本語を学び始めて一二年学生に教えているのを知ったとき、私は戦後日本の国語教育における質の低下を切実に感じざるを得なかった。

 エリセーエフは、日本語を本当に身につけ、日本人のものの見方・考え方を学ぼうとするには、日本語を形成する上で重要な役割を果たした中国の漢詩・漢文を、日本人が読むように読むことが、基本であると考えたわけであった。従って、エリセーエフの弟子たちは、みな、日本の優れた学者並みに、古文や漢文に習熟していた。

 わが国に於いても、明治・大正時代には、早くから古文・漢文に親しむ教育がなされてきた。学校教育としても行われたし、各家庭でも、早くから、古文・漢文に接することが多かった。たとえば、日本女性史の研究で有名な高群逸枝は、七歳のときから、源氏物語の原典や漢文十八史略を教えられて育った。夏目漱石や正岡子規は中学時代から漢詩を沢山作って育った。

 経済学者河上肇は、数え年十二歳(小学六年生)の時に、次のような文章を書いていた。

“・・・方今、旧日本スデニ去リテ新日本将ニ生レントス、而シテ英アリ露アリ、ツネニ我ガスキニウゼン乗ゼント欲ス。・・・而シテ、我国工業盛ンナラズ、・・・実ニ我ガ神州ノ為ニ悲ム可キ事実ナリトス、・・・然ルニ世人常ニ尚武ヲ唱ヘ、敢テ工業ノ盛ンニス可キコトヲ察セルモノ比比皆然リトス、後慮ナキモノト言フ可シ、尚武論者以テ如何トナスヤ。”(“日本工業論”河上肇 数え年十二歳)。

 これが、若干、十二歳の子供が書いた文章とは信じられないくらいである。しかし、考えてみれば、昔の子供たちは、きっとものすごく勉強していたに違いないと思い当たるものがある。幕末、長州で海防僧といわれた僧 釈月性(しゃく げっしょう)が十五歳で故郷を出奔するときに、家の壁に書いたといわれる有名な漢詩、“題壁”(かべに だいす)を思い出す。

男児立志出郷関                                            男児志を立てて郷関をいづ

学若無成死不還                                            学もし成るなくんば 死すとも還らず

埋骨アニ唯墳墓地                                       骨を埋むる あに ただに 墳墓の地のみならんや

人間到処有青山                                            じんかん 到る所 青山あり

この詩は、学の未熟さを自覚した十五歳の子供が、命がけで学問を身に付けてやるぞと覚悟を決めて家を出たときに、その心境を書き付けたものといわれている。これだけの漢詩を十五歳の少年が書き、そして彼はまだ全然学問が身についていないつもりなのである。そして、その詩は既に中国の蘇軾の漢詩を踏まえているのである。(是処青山可埋骨いたるところの青山 骨をうずむべし)。

戦後育ちである私は、是だけのものを書き付けるための能力を身に付けた彼らの教育をうらやましく思ってみたりする。私達にとって、とうてい不可能と思えるほどの能力の低下は何に由来するのか。

戦後既に四十年が経過したが(1985年現在)、どうやら戦後の教育方針(漢字制限や新仮名遣い)にその原因があるといえるようである。戦前の教育を受けてきた人達が立派な文章を書くのに対して、戦後教育で育った私自身をふりかえってみても、そのことは切実に感じる。それもその筈である。

文芸春秋新年号(1985年)に載ったフランス文学者市原豊太氏の“国語審議会への公開状”によれば、戦後の漢字制限は、軍隊による南洋進出統合計画の副産物であり、それを米軍占領下で、そのまま新教育制度として適応したものらしいということである。そのおかげで、古典が読めなくなり、表現力が低下した訳である。

日本語を正しく理解しようと思えば、単に現代口語日本語だけでなく、日本の古典や中国の漢文を正しく理解できるだけの能力を身に付けていなければならない。なぜなら、国語というものは、生きており、過去の文化を踏まえて日に新たにつくりだされていくものであって、過去がないところに文化も言語も存在しないからである。私たち一人ひとりの発想の中に、伝統として築かれてきた日本文化の最良のものが息づいているのであり、そのことは、日本人であれば、芭蕉の“古池や 蛙(かわず)とびこむ 水のをと”という名句がすぐに理解されることでも了解される。

そして、こうした、古典や漢文の教養が日本と日本人の理解に欠かせないことを、東京大学で日本文学を勉強したエリセーエフは気がついていたため、日本学を志すアメリカ人やヨーロッパ人の学生に、ほとんどスタートから日本風に漢文を読む教育を授けたわけであった。

さて、そのような次第で、戦後教育で育った人達にとっては、不幸なことに、中学教育という義務教育を終えた段階では、ほとんどまともに日本人の書いた本が読めないといえる状態にある。最近は、私たちの頃より、少しは良くなって、中学の教科書にも、ほんの少しではあるが、漢詩・漢文や古文が載せられている。しかし、もちろん、その扱い方をみれば、ほんの少し、慣れ親しむ程度であることはすぐに了解さえられる。従って、まじめに中学国語を終えた人でも、実は、日本人として自在に日本語をつかいこなせる能力は身に付けていないのだ。

そこで、ほとんどの人達にとっては、高校国語教育が、日本語を本格的に身に付ける最後のチャンスといえるのだが、驚いたことに、あさひ学園の高校生には、その事が切実にわかっている人がほとんどいないのである。このことは、昨年、一年間、高校一年生に古典古文の基本文法や漢文法の基礎を指導していて、歯がゆいほどに感じたことであった。

日本語をまともに使いこなすためには、古文や漢文の理解が前提となっているということは、外国人であるエリセーエフでさえ、わかっていたのに、肝心の高校生が、全く理解できず、切実感を持っていないということが、私にとっては、もっともかなしく、つらい体験であった。限られた時間で、私は基本文法の説明に力を傾けたが、余り効果はなかったといえる。適当な基本教材がなかったからとはいえ、心残りがする。

さて、前書きが随分長くなってしまった。実は、あさひ学園の高校生の多くは、古文や漢文どころか、中学でマスターする筈の口語文法さえ、ほとんど理解していなかったのである。国語は、数学とは異なるにもかかわらず、コツコツと積み上げていってはじめて身に付くという点で、似たようなところがある。国語の学習は、たゆまない、長く地道な努力によってはじめてホンモノとなるといえる。中学国語を学びつくしていない人に、高校国語がわかるはずがないのである。

このたび、私は自分で希望して、パサデナ校中学三年生の国語の担任となった。私の野心は大きい。単に文部省選定の教科書を終えることだけでなく、国語というもの、古文や漢文を踏まえた日本語というものに諸君の関心を誘い、口語文法を完全に身に付けるだけでなく、高校で苦労しなくても自然に古典が吸収できる下地を作ろうと思っているのである。今の日本のシステムでは、あきらかに、中学教育だけでは日本文を自由に読みこなせる能力は身に付かない。しかし、日本語学習の方法とか、文法的発想とかは、身に付けることが出来るはずである。

もっとも、限られた時間と私自身の能力をふりかえってみれば、どれだけの事が実際に実現できるかはおぼつかない。しかし、私は、今のままでは、ますます日本語力が低下していくだけであるという切実感を持っており、それを踏まえて、出来る限りのものは身に付けさせたいと考えている。そして、その範囲は、単なる教科書理解にとどまらず、百人一首や漢詩・漢文・古文や全文法にまで及んでいるのである。諸君も、教科書程度で満足することなく、ドシドシ自分で勉強対象を見つけて、積極的に取り組んでいって欲しいと思う。

中学国語で学習することを簡単に並べると、次のようなものである。

文字(漢字、かな、熟語)読み書き、意味、用法


語句(ことばの意味・用法)


読解(文学的―小説・随筆・紀行文・伝記、 説明的―説明文・評論)


鑑賞(詩・短歌・俳句・漢詩)


文法(口語文法―単語・構造・活用・敬語法)


文法(文語文法―初歩)


古典(古文、漢文 初歩)


作文(表現力)


義務教育での国語とは、日本人として最低知っておかねばならないことという意味なので、教科書に出てくる漢字や語句は完全にマスターしなければならない。しかし、大切なことは、これは最低ということであった、これ以上勉強してはいけないということではないのだ。教科書を早くマスターし、そrを乗り越えていく姿勢を持つことが大切である。

また、最近、大学入試では、ほとんど必ず論文形式の問題が出題されるようになった。この論文ということ、つまり、作文ということによって、漢字や語句の用法と言った基本的な知識から、自分を表現するという最も大切な能力までを見抜くことができるからであり、論理的な筋の通った文章を書くことが出来るかどうかも、すぐにわかるからである。過去にも、私はこの作文教育の重要性を認めて、実験的に努力し、かなり成功したという心地よい想い出をもっている。今回は、あのときのようにやれるかどうか、わからないが、時々、国語文集をまとめたいと思っている。

また、三年生という学年では、日本に帰っていく生徒が多いので、私は口語文法全体の復讐を、七月までに実施したいと思っている。私の希望は、全員に文法が大好きという風になってもらいたいことにある。不可能ではなく、その点、文法の好きな私は、自信を持っているので、みんなと一緒に頑張りたいと思う。

今まで、何らかの理由で国語学習を怠ってきた人は、この辺で、決意を新たにして、真剣に国語の学習に取り組んでもらいたい。特に、漢字・語句の理解で遅れている人は、わからなくなった地点までもどって、もう一度、はじめから真剣に取り組むことが非情に重要である。(一年や二年の教科書の復習)。

教育というものは、教えるほうと学ぶほうとの両者の熱烈な努力が合致したときに最大の実を結ぶものである。学問というものは、自分のためにしているのであり、積極的に取り組んでいくだけの主体性と意欲がなければ、努力に比して効果はすくない。中学国語教育や高校教育の重要さを切実に感じ取って、これからの一年を後悔のない年となるように、お互いに頑張ろう。

二刀流の宮本武蔵は、“我事に於いて後悔せず。”という言葉を坐右銘としていた。諸君も、光陰矢のごとき人生において、最も大切な青春の一時期を、真剣に学問に励み、後悔を後に残さないようにして欲しい。限られた時間で最大の効果をあげるためにも、授業には集中し、最良のものを身に付ける努力をしよう、いつまでも甘えていることは、もう許されない。

(記                     198542日)

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