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3/25/2012

醒めた炎”(木戸孝允伝)村松剛 を読んで

 村松剛の大作 木戸孝允伝 ”醒めた炎”を読んだ感想文で、いわばこの本を読んで、今まで知らなかった史実、廃藩置県や版籍奉還という明治維新の最大の政治政策の実行が木戸の推進によってなされたという情報に接した驚きをあらわしたものです。

 1994年、3ヶ月の間、わたしは小学6年生の社会を担当し、子供たちに日本の歴史への興味をひきおこそうと、歴史上の主な人物をえらんで、わたしの感想を入れながら、紹介した文章を毎週書きまくり、そのなかで、桂小五郎についても言及したことがあったのです。

村田茂太郎 2012年3月25日

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醒めた炎”(木戸孝允伝)村松剛 を読んで         

 ‘維新の三傑“として、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通 があり、この三名が幕末から維新にかけて他の誰よりも傑出した働きをしたということで、三傑と呼びならされてきた。私は、この三名の中で、幕府打倒に関しては西郷隆盛、明治維新の新体制に関しては大久保利通が傑出しており、どちらかというと、木戸孝允は、特に、明治になってからは見劣りがすると以前から思っていた。桂小五郎の名前で活躍していた頃のさわやかな生き方に対して、明治になってからは病弱気味であったせいもあって、あまりたいした活躍はしなかったと思っていた。

 この村松剛の膨大な伝記を読んで、そうした私の理解の仕方がまちがっていたということがよくわかった。木戸孝允は桂小五郎の時代だけが魅力的に生きたのではなく、明治維新になり木戸孝允になってからも、見事な人生を生き、それは新しい日本の構築にとって、かけがえのない政治家として、日本の将来に偉大な貢献を様々な方面でやり遂げた事実によって示されている。

 たとえば、私は廃藩置県や版籍奉還は大久保がやりとげ、それで彼は偉大だと評価していたのだが、実は、切り殺される覚悟で、これらをすすめたのは木戸孝允であったことがわかった。そうなると、私の三名の評価は逆転して、木戸孝允がNo.1ということになる。

 西郷の活躍は倒幕でおわった。大久保の活躍は明治体制の確立できわだっている。木戸孝允は桂小五郎と名のった青春時代の活躍と、木戸孝允として明治体制確立への貢献者として、一貫して歴史の中心に居り、長州藩という実はまさに倒幕の原動力の中心に居て、すべての動きに関係していたのである。

 薩長連合の成立という倒幕の起動力は坂本竜馬の仲介の元、長州藩代表として桂小五郎がなしとげたものであり、慶喜の死刑を拒否したのも桂であり、多くの人材を発見し、育て上げたのも桂であった。単に長州藩の人材だけでなく、広く他藩の人材発見にもおよび、大隈重信や江藤新平や陸奥宗光など、みな、桂・木戸によって政治の舞台に活躍することが可能になった。

 板垣の民選議員設立建白書以前に、木戸のほうから民選議員に関する建白書は提出され、桂・木戸の明晰な頭脳と決断力と穏やかな、人情豊かな人格は、専制的・保守的な大久保利通の存在に対して、貴重な緩和剤の役を果たしたのであった。それは、対外国との交渉においても、見事に発揮され、各国公使も桂・木戸の存在には一目おいたのであった。木戸の立派な見識の前にあっては、その後、大物となった伊藤博文や山県有朋その他多くの政治家、軍人がなんとオッチョコチョイの子供に見えることであろう。

 私は昔から、桂小五郎が大好きであった。この、すばらしい本を読み終えて、木戸孝允になった明治の十年も、彼は立派に生きたことを知って、私は満足した。

 十年ほど前、私は幕末・明治維新に日本は桂小五郎をもって幸せであったと書いたことがある。今、私は木戸孝允の全貌を知って、本当に、桂小五郎が活躍してくれて、日本は、そして、明治は幸運であったと思う。

 木戸は何にでも関心を示し、外国旅行中には英語の勉強まではじめ、各国の政治機構を熱心に勉強し、開明的政治家として、最後まで貢献したのである。

 この本は幕末・明治維新がよくわかる、すばらしい本である。

(完) 2000年10月16日 執筆  村田茂太郎

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