このあと、『太陽の子」も読み、それも私の感想文・紹介文を書いて、子供たちに配りました。
二作とも、感銘深い作品でした。
「二十四の瞳」 同様、永く読みつがれることを期待します。
村田茂太郎 2012年3月14日
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“兎の眼”(灰谷健次郎)を読んで
教師と生徒との関係を描いた名作として、“二十四の瞳”が過去にあり、今、私たちは“兎の眼”をもっている。他に、中三の生徒を扱った新田次郎の“風の中の瞳”というさわやかな小説もある。こうしてふりかえってみると、この種の小説はみな“瞳”とか“眼”とかといった表現が内容を象徴するような形でつかわれているのに気がつく。そして、この“兎の眼”という本も例外ではない。表題から判断して、うさぎが出てくるのかと思ってしまうが、あくまでも力点は“兎の眼”であり、それがやさしさの象徴として使われているのがわかる。
若い新任の小谷扶美(こたに ふみ)先生は、奈良西大寺(さいだいじ)の彫像 善財童子(ぜんざいどうじ)が好きで、それを見つめると、心が清らかになるような気がする。“あいかわらず、善財童子は美しい眼をしていた。人の眼というより兎の眼だった。それは、いのりをこめたように、ものを思うかのように静かな光をたたえてやさしかった。”
つい先日、サン・フェルナンド・バレー“フェアー”がグリフィス・パーク近くのイクエストリアン・センター(Equestrian Center) で開かれていたので、見に行った。カーニバルのセットもあり、みな人々でにぎわっていたが、私たちは主に牛や豚、羊、馬などを見て回った。ニワトリとウサギも、それぞれ一匹ずつケージに入れて、沢山売り出されていたので、私は“兎の眼”を読んだこともあり、ふつうウサギは赤い眼をしているとかといわれているが、どうだったヶと思いながら、熱心に見て回った。そうすると、ウサギは大きなつぶらな眼をしているのがわかり、安心した。ウサギに限らず、草食動物は大体みなやさしい、きれいな眼をしている。らくだも牛も鹿も、みなそうである。今回、豚が、みな清潔好きで、きれいで、やさしく、かわいいので、感心し、かわいそうになった。
さて、この本、“兎の眼”は、実に豊富な内容を扱っていて、感動的な場面がいくつもでてくる。
H工業地帯のスモッグの真っ只中にある塵芥処理所、そのスグ隣に、学校が建っていて、処理所の長屋に住む子供達が、その生徒の何割かを占めていた。ここは、そういう、あまり良いとはいえない環境の中にある学校なので、いろいろな意味で“たいへんな学校”であった。そこへ、大学卒業したて、そして結婚したばかりという新任の小谷扶美先生が赴任してきた。従って、メインのテーマは、この先生になりたての女性が、学校で起きる様々な出来事と、それへのコミットメントを通して、一年の間に、教師として、人間として、立派に成長していくという、いわば、成長小説・教養小説である。そして、この小谷先生の成長にとって大きな役割を果たすのが、鉄ツンこと臼井鉄三(うすい てつぞう)であり、足立(あだち)先生たちであり、処理所の子供たちであり、小谷学級である。
物語は、鉄三とハエの話から始まる。この鉄三とハエの関係が、この本の展開にとってとても大切な要素となっている。いきなり、ハエがらみのトラブルにまきこまれた小谷先生。一見、知恵遅れの子とも、問題児ともとれる鉄三。突然理由もなく凶暴になるようにみえ、一言もしゃべらず、ただ、にらみかえすばかりという状態の鉄三の心を開き、人間としての心の交流ができるようにするには、どうすればよいのか。これが、この本の大きなテーマである。そして、彼女はそれに成功する。その媒体になるのが、ハエである。
これは、なんというすばらしい着想であることか。ハエという、昔から忌み嫌われる生物が、鉄三の心を開け、文字や絵、そして科学的研究の世界へと鉄三を導いていく。そして、それにあけがえのない役割をはたすのが小谷先生である。
ハエという、ふつうゴミやふん便にたかるため、ばい菌の運び屋として、誰からも嫌われている生物を採集して、飼育している鉄三の心に近づく道は、鉄三のしていることを理解することであると決心し、小谷先生は、鉄三にハエについて教わり、一緒に図鑑で名前を調べ、分類し、生態観察から実験研究へと進んでいく。その中で、いつのまにか、鉄三は熱心に文字を覚え、精密描写を行うようになる。そして、ハエのたべものや、ハエの一生、産卵、変態、発生場所と調べていく。
そのうちに、近くのハム工場から、ハエが発生して困っている、保健所等に頼んだがダメだった、ハエの研究をしておられる小谷先生に助けて欲しいと連絡が入り、小谷先生は鉄三を連れて工場にのりこむ。ハエを見た鉄三は、スグにイエバェだと指摘し、原因は田んぼの堆肥にあることを解明する。鉄三はマスコミで、一躍、六歳の“ハエ博士”となる。しかし、彼はそんなことは気にしていない。
小谷先生のクラスに一ヶ月ほど、みな子ちゃんという特殊児童をおいてやることになる。みな子は良く笑い、よく走る。自分の席に三分もじっとしていられない。みな子がなにかすると、それはたいてい人に迷惑をかけることであった。ひとつの事に集中していられないので、小谷先生はみな子に一日中ふりまわされたようになる。他の生徒たちに何かすることを言いつけておいて、みな子の世話をする。このみな子の世話は大変で、時には、“このションベンタレのくらげ野郎め”と、怒鳴りつけたくなるときもある。しかし、小谷先生は叱らない。彼女は自分に宣言をした。“必ず、おしまいまで面倒を見る。誰にも絶対ぐちをこぼさない。”と。
彼女がこんな決心をしたのは、鉄三のおじいさんから、戦争中のすさまじい話をきき、感動を受けたからであった。西大寺の善財童子の美しさ、バクじいさんのやさしさを自分にも欲しいと思い、自分の人生をかえるつもりで、みな子をあずかった。さて、一週間たって、みな子が休んでいるときに、はじめてみな子のことを学級の話題にした。この、みな子をめぐる挿話は、この“兎の眼”の中でも、最も感動的な部分となっており、まさに、“兎の眼”-子供の心の“やさしさ”を見事に描き出していて、全体の中での圧巻となっている。
はじめ、みんな、みな子はアホやと言っていたが、小谷先生が、むかしアホの子が生まれると、みんな殺したり、捨てたりしましたと説明した。すると、“どうして殺したのか。”、“人にめいわくをかけるからか”、“みな子ちゃんもすごく迷惑をかけるわねえ。”、“ぼくらもお母さんに迷惑かけとるで。”、・・・“みな子ちゃん、あしたくるか、せんせい。”、“さあ”、“くるよな、せんせい”、“来て欲しい?”、“うん、きてほしい。”、“めいわくをかけられても、きてほしいの?”、“いいよ”・・・ということになる。
そのうち、みな子に迷惑をかけられて、まともに勉強できないため、学力が落ちると心配した親達が、学校に訴えてきた。“先生の趣味で何をなさるのも勝手ですが、そのために、ほかのものに迷惑がかかるとしたら、話は重大ですわよ、ねえ、みなさん。” これも、小谷先生は居直って、“私は自分のために仕事をします。”といって、親を唖然とさせる。
みな子がやってくると、子供たちはよろこんだ。しかし、依然として、迷惑になるのにはかわりはない。いちばん被害を受けているのは、隣に座っている淳一で、よくノートをやぶられ、教科書までやぶられ、ベソをかいていたが、そのうち、みな子に対する態度が少しずつかわってきた。
二回目の話し合いのとき、淳一が言った。(断っておくが、この小谷学級は小学一年生のクラスである。)“せんせいは、みなこちゃんがめいわくですか”、“はい、めいわくです”、“だけど、せんせいは、みなこちゃんをかわいがっているでしょう。みなこちゃんがすきなんでしょう。”、“はい”、“めいわくだけど、みなこちゃんはかわいいから、こまっているんでしょう、せんせい。それで、ぼくらにそうだんしているんでしょう。”、“そうよ”、“ぼく、いいかんがえをおもいついたんだ。”、“どんなこと、淳ちゃん?”、“みなこちゃんのとうばんをこしらえたらどうですか。、せんせい。”、“みなこちゃんのとうばん?”、・・・“どうして、ぼくがそんなことをおもいついたか、おしえてあげようか。ぼく、みなこちゃんがノートやぶったけど、おこらんかってん。ほんをやぶってもおこらんかってん。ふでばこや、けしごむとられたけど、おこらんと、でんしゃごっこして、あそんだってん。おこらんかったら、みなこちゃんがすきになったで。みなこちゃんがすきになったら、みなこちゃんにめいわくかけられても、かわいいだけ。”
みなこちゃんを迷惑に思っているうちはダメですよと淳一に教えられているようなものだと、小谷先生は思った。おまけに淳一は、そういう機会をみんなに分けてやろうと言っている。“淳ちゃん、あなたは本当にかしこい子ね”、小谷先生は心から言った。そして、みな子当番は、クラス全員が賛成した。みんな、精一杯努力をし、苦労し、いろいろな出来事があったが、世話をする中で、思いやりとやさしさをつちかい、短いがそれなりに楽しいときを過ごして、みな子ちゃんとの最後のわかれを迎えた。みな子を見送ってから、給食を食べるために、みんな教室へかえった。・・・誰も食欲がなかった。みんな泣いていた。
この物語の中には、他にキンタロウという鳩をめぐって子供達が成長していく話、鉄三のかわいがっている犬キチが野犬狩りにとられたため、ゲリラ救出作戦を展開し、その後の処理をめぐっての苦労話、ゴミ処理所の移転と住民待遇改善問題をめぐってのストライキ(同盟休校)や足立先生のハンスト、あるいは、小谷学級での鉄三のハエやみな子の取り扱いをめぐっての校長・教頭等管理者側、体制側と子供たちの側に立って頑張り続ける何人かの教師たちのたたかい、鉄三のおじさんの体験した戦争中の出来事、そして、小谷扶美の夫と彼女とのいさかいという具合に、様々な問題が扱われている。
ミスター小谷が、薄っぺらな人間として描かれているため、大学卒業したてで、新婚ということは、もちろん、恋愛結婚に違いないのに、どうして、こんなに性格も考え方も違う人間同士が一緒になったのかと、なんとなく腑に落ちない点があるが、小谷先生のほうが、この小谷学級での体験を通して、人間的にも成熟し、教師として成長していっているのは、よく描かれている。特に、足立先生をめぐっての交流は、このストーリーに活力を加えていて、とても、味のある作品となっている。小谷先生は、足立先生の子供たちとのやりとりや、学級指導を見て、いろいろ学ぶことができた。そして、それは、小谷先生の研究授業の日に、最大限に生かされた。
学級での作文指導を通して、それまで、まともな文字も書けなかった鉄三が、感動的な文章を書いたのだ。“こたにせんせいもすき”、というところへくると、小谷先生の声はふるえた。たちまち涙がたまった。、“教室は拍手で波のように揺れた。”
教育において最も大切なものは何か。ここでは、やさしさ、思いやりが、様々なエピソードを通してとりあげられていた。やさしさ、思いやり、愛情、忍耐。これらが、人間同士の交流にとって、特に、子供たちとのやりとりにおいて最も大切なものである。この物語は、関西弁の会話を生かして、そうした面について、生徒・親・教師間の交流の中で、みごとに具体的に展開した感動的な名作といえる。
(記 1993年7月21日)村田茂太郎
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