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1/19/2020

ブログ表紙写真 その414回目 日本の風景 その6 京都、その2 宇治川・平等院 Japan

ブログ表紙写真 その414回目 日本の風景 その6 京都、その2 宇治川・平等院 Japan 

 宇治といえば源氏物語 宇治十帖 浮船の悲劇が、宇治川といえば平家物語 佐々木高綱と梶原景季の宇治川の先陣の話、そして源三位三頼政の対平家追討失敗の話が浮かぶほど歴史に富んだ名前であるが、もちろん先陣争いは平等院の経っている付近ではなく、琵琶湖 瀬田川に近い宇治川であったに違いない。そして平等院を建立した藤原頼通は道長の息子であるから道長と同時代人であった紫式部は知らないわけで、いわば山と川に囲まれた静かな場所であったに違いない。宇治という名前で源氏と平家が、そして源氏物語と平家物語がつながるわけで、不思議なものだ。

 そして京都大学の教養部も昔は宇治にあり、私の時代(1960年代)には京都・百万遍・吉田神社にある本館の向かい側にあったが、その後、また宇治に戻ったときいた。明治は遠くなったが、私には日本も遠くなった感じで、ちょっと見てみたいと思って簡単に確認できないところがつらい。明治といえば、不思議なもので、昨日、盆栽クラブの松の木植樹祭がPacoima、JACC(Japanese American Community Center)のParking場にある松の木の前で施行されたが、そのあとの感謝パーティで明治クラブの新年会に合流招待となって、和服の女性が踊りながらテーブル際を通るのを見る機会があった。明治クラブのメンバーには明治生まれの人など誰もいないはずだが、明治生まれの人の子孫だという風に考えれば、まあ、つながるわけだ。

 私は宇治は小学校4年の遠足で訪問し、発電所があったのを覚えている。今も平等院のおかげで、高校生の修学旅行の訪問先の一つであるようで、私が友人・元メキシコ工場長と宇治平等院を訪れたときも生徒が沢山きていた。宇治は今も静かな、きれいなところで、平等院も戦乱もなかった紫式部の時代には、もっともっと静かで美しいところであったに違いない。日本は都会を除けば、地方は本当に自然が美しい。自然と調和した文化というのが日本文化だったと思う。


村田茂太郎 2020年1月19日

宇治川 京都 Japan


有名な宇治平等院 鳳凰堂のある正面の建物







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