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7/14/2012

万葉集をめぐって(難訓の歌、なぜ?)藤村由加と李寧煕を読む


万葉集をめぐって(難訓の歌、なぜ?)藤村由加と李寧煕を読む

 2018年9月2日に私は 万葉集をめぐって その2 を公開した。上野正彦氏の万葉集難訓歌に関する研究書の一部を読んだ感想・紹介文である。このオリジナルの文章がたくさん読まれているのに、その2 がほとんど読まれた形跡がないのが残念で、このオリジナルの文章の最初に、その2 を再掲することにした。その3 はまだ書いていない。

村田茂太郎 2019年3月2日

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万葉集をめぐって 難訓の歌 その2

2012年7月14日、このブログで表題の感想文 その1を発表した。(その2 のあとに続く)。

 「人麻呂の暗号」 という本と 「もう一つの万葉集」 という本を読んだ後、すぐに感想文・紹介文を書いたわけであった。

 この 「もう一つの万葉集」 では、額田王の歌が露骨な性のやりとりを歌い上げたものということで、まさに斬新な解釈に驚いたものであった。



 2017312日、私は知らない人、上野正彦という私より少し先輩らしい京都大学法学部出身の弁護士 兼 公認会計士の方からG-mailを受け取った。それには、このいわゆる万葉集の難訓歌に取り組んで、ある程度解明し、それに関する本を出版したということで、問題の第9番 難訓歌に関する抜粋が添付されていた。

 一読、素晴らしいと思い、すぐにでも礼状を書くべきところ、少し待ってもう少し内容を検討してからなどと考えているうちに私は返礼の機会をなくしてしまった。丁度、A Teaching Company のGreat Courses 講義シリーズをたくさん購入して、Origin& Evolution of Earth などという素晴らしい講義に没頭して、毎日45時間、講義集をTV/PC画面で見続けて、万葉集を顧みる余裕がなかった。地球が生まれてまだHalf Billion yearsもたたない頃に、(現在の推定地球の年齢は4.567Billion Yearsとのこと)、月(オリジナルの)が本当に地球にぶつかり、そのため、地軸を23.5度傾けて逃げ去り、現在も遠ざかっているという話や、あるころは地球は真っ白であったり、Emerald Planetであったりと、まさに地球の起源に子供のころから関心があった私にはすばらしい新智識・情報の展開で、万葉集どころではなかったわけだ。

 そして201711月に日本の姉を訪問して一緒に四国旅行をする計画を立てたとき、アマゾンJapanに日本語の本をオーダーして姉の家に送ってもらおうと考えた。私が日本に着いた時、すでに私のオーダーした30冊ほどの本がすべて届いていた。その中に この上野正彦の 「万葉集 難訓歌 1300年の謎を解く」学芸みらい社の出版 ¥3800 が届いていた。立派な本で、値段以上の価値があり、万葉集に興味のある人は全員読んでみる価値があると思う。

 すぐに読むつもりが、私は膨大な本や講義集を勉強していて、なかなか万葉集に向かう気がしない。とうとう20188月を迎え、私の本 「寺子屋的教育志向の中から」をこのブログで順番に公開していくことに決めたとき、この万葉集の難訓歌に関する立派な本をPublicに紹介しておこうと思ったわけであった。

 この本を読んで(まだ全部読み終わっていないが、)気が付いたことは、原文付きでない万葉集の本は中途半端で、やはり自分の目で、感じを確かめながら、どう読まれているか調べてみないことには、評註・通釈が著者の勝手で読まれている可能性があるということで、万葉集は原文付きが必要ということ、さらに原文がこの本に表示された原文と違っていたりして、どれが万葉集の原文に当たるのかわからないケースもあり、原典付き万葉集一冊だけでは研究などは不可能で、何冊も原文・万葉集が必要になるようであった。

 上野正彦氏はまちがいなく原典で万葉集の歌全部を何度も読まれたということがよくわかる内容で、まさに専門の万葉学者を凌駕する仕事を成し遂げられたように思う。もちろん、ずぶの素人の感想に過ぎないが、色々感じるものがあった。

 語学的に読みこなすだけではより深い解釈は不可能なようで、歴史関係、歌の配列の意味、万葉集中のほかの歌との関係、特に植物の生態に関する知識など、いろいろ雑多な知識も必要であるということがよくわかった。また万葉集に関しては様々な偉い学者が自分勝手に苦労して解釈し、ある字は誤字・誤写で本当はこの字であったの違いないとか想定するケースも多くあるようで、そうした過去の研究成果(?)をある程度踏まえなければ自分の研究も意見もあったものではないので、雑多な文献の渉猟も大変手間のいる作業であったに違いなく、そういう意味でもこの本は本当に本格的な研究内容である。ある時はまさに推理小説の謎解きのように深い分析が提示されて成程と感心するばかりである。

 私は、弁護士兼会計士という職業を体験された上野氏が余暇を有効に活用されて見事な研究をなされたということに対して称賛するばかりである。何よりも飛鳥・奈良時代の史実を踏まえて、深く読み込みを行っておられるのをうれしく思った。

 韓国人著者の解釈では、問題の第9番難訓歌はほとんど史実と関係なく、セックスを大ぴらに歌い上げた歌ということで、まったく別な世界が開示されていたわけであるが、この韓国人の解釈に関しては、やはり古代朝鮮語、古代日本語、任那日本府などをめぐる朝鮮半島事情、朝鮮人の日本帰化とその子孫の大和朝廷などとの関係を理解したうえで、この著者の解釈が正当なものかどうか判断しなければなるまい。もし、表面上、本当に古代朝鮮語の影響がもろにあらわれたセックスを謳歌する歌でもあるということであれば、額田王のうたは2重にも3重にも読めるまさに複雑多岐な、雲をまくような難解な歌であったということになろう。上野正彦氏による第9番難訓歌の解釈は正しいと認めるとしても、韓国人の解釈もありうるということであれば、万葉集のどこまでが朝鮮語による解釈が必要かあるいは可能かということになろう。あきらかにほんの少しの歌がそれに該当するだけで、大部分は日本語の歌として解釈できるはずである。

 この上野正彦氏の本は見事に整理されていて、読者は自分でこの本を読んで成程と納得できるといえる。

 難訓歌といわれるものは約40種近くあるようで、そのほかに読み誤っているのではないかという準難訓歌が30種ほど提示されている。



誤った先入観が招いた難訓

語学以外の知識を必要とするもの

異なる原文があるために生じたもの

状況把握ができないためのもの

語彙の理解不足によるもの

そして超難訓歌として3種―――その一つが難訓のTopを占める例の第9

と、いろいろのケースを上手に分類して整理解明されている。本当に面白い。



 万葉に詳しかったはずの大先生たちが失敗したのも理由があったということで、言語学上の知識だけでなく、自然科学、社会科学の諸領域、つまり生物学、気象学、法学、歴史学などの知識も必要ということになるようである。

 次に、難訓歌の代表といえる第9番 額田王の歌について上野氏の解釈を紹介したい。

この500ページを超える本の中で、この9番の解釈に19ページもつかわれている。

 私も項を改めて、難訓歌その3 で上野氏の解釈を紹介しよう。韓国人のセックスをあからさまに歌った歌という解釈とは全く異なった、まさに歴史の中での微妙な政治関係を意識した微妙精細な歌で、額田王が天皇に代わって読み上げた歌にふさわしいといえる解釈となっている。



 私は上野正彦氏にはまだ何も返事をしていない。恥ずかしい話である。この際、全部読み終わってから私の正直な感想をE-mailで伝えたいと思っている次第である。

 ともかく、韓国人の解釈では納得のいかなかった私は、この上野氏の解釈を読んで、やっと安心したという次第である。

 国文学者でなくても、まじめな探求心と緻密な思考能力を併せ持っていれば、すばらしい研究が可能だということを証明したといえる立派な内容で、本当に楽しく読める本である。私はまだ5分の1ほどしか読んでいないが、小林秀雄が、ゆで卵がダメかどうかは全部食べなくてもすぐにわかると言ったという意味で、この本は本当にすばらしいと思う。



村田茂太郎 201892


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2012年のブログ オリジナル

 わたしが持っている万葉集は中西進全訳注原文付き講談社版文庫本(5冊)である。ほかに岩波文庫、角川文庫など。岩波、角川は原文付きではない。そして、折口信夫訳「口訳万葉集」。

最近、藤村由加「人麻呂の暗号」新潮社1989年1月出版を読む機会があった。同時に、文芸春秋社の「もう一つの万葉集」李寧煕(イヨンヒ)1989年8月出版、も読み終えた。

この二冊の本はとても面白く、いろいろと考えさせられた。

 特に面白いと思ったのは、第一巻No.9の額田王の“バクゴウエンリン・・・”の歌に関してである。これは、万葉集中、古来、万葉第一の難訓の歌といわれ、1000年以上にわたって誰も読み解いたものはなかったそうである。えらい学者・先生方が苦労して解釈しようと努力し、そのTrialは30種類を超えるとか。(「もう一つの万葉集」李寧煕(イヨンヒ))。中西進原文対訳も最初の2節は漢字そのまま引用ということで、注釈に古来からの解釈がつけられているだけ。その解釈は筆者李寧煕(イヨンヒ)によれば、全然、的外れということになる。

 藤村由加はアガサこと中野矢尾先生指導のもと、朝鮮語(韓国語 古代・現代)などを学びながら万葉仮名について考察し、トラカレと呼ぶグループの仲間と”万葉集”を、とくにそのなかの <柿本人麻呂>の歌について研究し、発表したものが「人麻呂の暗号」で、李寧煕(イヨンヒ)はすぐに、この「人麻呂の暗号」に目を通した模様である。”その作業はアマチュアの手にゆだねられ・・・歌の解読に挑戦、・・・しかし、これらが正しい解読をしているかというと、残念ながら部分的に鋭い指摘があることを認めながらも、「解読」というには程遠い”という意見が第一章に書かれている。(P.16)。そして第五章P.121に人麻呂の最も有名な 東野炎・・・ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ の 月西渡 に関しての誤訳の指摘が韓国語の達人らしくなされている。

 しかし、P137には次のような意見が記されている。“言語交流評議員 中野矢尾女史指導による一団の万葉研究女性チームが、この「手節」を『守節』と解釈していますが、韓国語を熟知されていられない方たちがここまで解読しおおせた卓見と努力に敬意を評し、今後のより一層の精進を期待します。”と。何だか子供をあやすような言い方だが、朝鮮語(韓国語)を外国語として学ぶ人間には、どうしても超えられないハンディキャップといえるだろう。

 藤村たちは柿本人麻呂が刑死したらしいということを万葉集の中の歌を読み解く事によって、引き出す。すでに人麻呂が刑死したらしいという説は梅原猛が名著”水底の歌”で展開したことであるが、古代朝鮮語(韓国語)と漢語、古代日本語のやりとりをめぐって、漢語辞典・朝鮮語辞典などを活用しながら、歌の表だけでなく、隠された裏の意味を見つけ出そうとする作業は、推理小説のなぞの解明の過程を読むようで、興味深い。

 考えてみれば万葉最大の歌人と言える柿本人麻呂が生没不明などというのは、本来ならありえない話で、これは時の権力が(藤原不比等など)批判者・反対者をその肉体だけでなく、歴史上の存在さえ抹殺しようとした結果であるにちがいない。(もっとも、紫式部も生没年不明のようだが)。

 藤村の本は主に人麻呂をめぐってであるが、万葉集を読み解くのに、朝鮮語(韓国語)、漢語の知識なしでは不可能であることを鮮やかに示している。

 そして、李寧煕(イヨンヒ)の本は、難解といわれてきた万葉歌が、難解であったのは日本語読みしようとしていたからで、朝鮮語(韓国語)の知識を持ってとりくめば、歌の本来の意味が無理なく理解されたであろうということを、例を挙げて説明する。

 第一巻No.9の額田王の“バクゴウエンリン・・・”の歌は韓国語に造詣が深ければ、それ程無理なく理解できたであろうということがわかるという。

問題の歌を李寧煕(イヨンヒ)は、次のように訳す。以下は本からの引用。(P.55.

まぐをまわせよ 大股のまぐを識らせよ 来たれ まぐ立ちにけりに 行き来せむ 幾度

(まぐをおまわしなさい。貴方のその大股のまぐを識りたいのです。さあおいでなさい。まぐが立っているのですから、行き来しましょう 何回も)

これを5.7.5.7.7にするなら、つぎのようになりましょうか。

まぐ(麻具)まわせ 識らむとぞ思う おおきみの さち立ちにけり ゆかむいくたび

当時の最高権力者である中大兄に対し、「あなたのセックスがどのようなものか、とくと体験つかまつろうではありませんか」と挑発的ともいえる意味をこめてこのように歌った額田王・・・、

 云々ということで、李寧煕(イヨンヒ)によれば、この歌はセックスを大胆に歌ったとのことである。ともかく、日本の古来からの有名な学者達全員が解読できなかった歌が、韓国語(古代・現代)に造詣の深い、同時に日本語も理解する韓国人・作家兼国会議員 李寧煕(イヨンヒ)女史が解読したことになる。

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 ちなみに、従来、この第九番 万葉第一の難訓の歌 はどのように扱われてきたのか。幸い、中西進「万葉集」第一巻のこの歌の脚注に、いくつかが例証されているので、ここに紹介しておこう。

”初・二句不明。「夕月の仰ぎて問ひし」(仙覚抄)、「夕月し覆ひなせそ雲」(代匠記)、「三諸の山見つつゆけ」(古義)、「紀の国の山越えてゆけ」(考)、「紀の国の山見つつゆけ」(村田春海)、「・・山の霜消えてゆけ」(玉勝間)、「まがりのたぶし見つつゆけ」(私注)、「静まりし浦波騒ぐ」(注釈)、「坂鳥の覆ふな朝雪」(粂川定一)、「夕月の影踏みて立つ」(伊丹末雄)、「み吉野の山見つつゆけ」(尾山篤二郎)、「三楢山の檀弦はけ」(口訳)・・・三十余種の試訓がある。下句も異訓がある。・・・”

 折口信夫ー口訳万葉集 には次のように記されている。 「三楢山(みすやま)の檀弦(まゆみつら)はけ、わが夫子(せこ)が射部(いめ)立たすもな。 吾か偲ばむ」
紀伊の国のみす山の檀でこさえた、弓に弦をかけて、あの御方は、今頃張り番をつけておいて、獣狩りをしていられることだ。それにわたしは、こうして焦れていねばならぬか。(この歌は万葉第一の難訓の歌とせられているもので、これもまた、一説と見て貰いたい。万葉辞書の中「三楢山」参照。)
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 ここで、わたしが面白いと思ったのは、古代日本語は中国文化の影響をもろに受け、同時に朝鮮半島の新羅や百済や任那と関係が深く、朝鮮半島からの帰化人が文化的にも重要な役割を果たしたこともわかっているにもかかわらず、どうして、日本のエライ学者達は、ヤマト言葉、日本語と漢文の知識だけで万葉集を読解しようとし、おとなりの朝鮮語(韓国語)の知識の援用を求めなかったのか不思議である。この第一巻No.9が読解不可能ということで、どうして日本語の知識だけでなく、中国語や朝鮮語の可能性を検討しなかったのかという疑問がわいてくる。

 李寧煕(イヨンヒ)女史は次のように書いている。「どうしてもすっきりよめない場合、強引に日本語一点張りでよもうとしないで、これはあるいは外国語でなかろうかと、疑ってもみないのがかえって不思議なのですが・・・」。「万葉歌が詠われた五世紀から八世紀にかけての日本の国際政治的背景を考えると、渡来・非渡来を問わず、当時知識階級のことばであった韓国語で、これまた知識階級の文字であった漢字を使って歌を詠む、あるいは文書をつくるということは、むしろ自然の成行きではないでしょうか。」(P.211)。

「それにしても、この万葉歌人たちの韓国語式漢字訓読に対する実力と、韓国古代語に関する語彙の豊富さに、またまたびっくりさせられます。」「したがって、ひとつの漢字に、幾通りもの意味を与えてよませている韓国語式訓読法に関する正確な知識なしには、万葉歌の正解は不可能に近いといえます。」(P.281)。

 わたしは拙著「寺子屋的教育志向の中から」の<言語と文化>に関するエッセイの中の”日本語と朝鮮語”という文章で、金田一晴彦の「日本語」を引用しながら、渡辺キルヨンの”朝鮮語のすすめ”のなかで指摘されていた話を引用し、結局、朝鮮語の理解なしには日本語もまともに論じることはむつかしい、そして国文学専攻生に朝鮮語の学習を必須とする京都大学国文学科の方針は正しいというような感想を記したが、この李寧煕(イヨンヒ)や藤村由加の本を読むと、まさにそのとおりで、今後は朝鮮語(韓国語)の知識なしには、特に万葉集は読解不可能とはっきりいえるだろう。

 問題は日本語の知識だけで、古代の文芸が読解できると考えるエライ学者たちの偏見で、すでに1960年代に単独で、万葉集第一番の雄略天皇作といわれる歌が、古来からの通俗解釈とはまったく別の”天皇即位宣言”ということを見破った日本人がいたそうで、この二人の著者も、和歌山県の郷土史家であった宮本八束氏に敬意を表しているが、当時、彼の意見はエライ専門学者からは無視されたと記されている。

 そして、今までただ語調を整えるための無内容なことばとして説明されてきた”枕詞”が実は無内容どころか、重要な意味を持ち、なくてはならないものだということが、藤村・李 両者の本を読むとよくわかる。この枕詞の理解のためには、古代朝鮮語(韓国語)の理解・援用なしでは不可能らしい。「枕詞を古代韓国語で読むと、実にすんなりと、明快に解読されます。」(P.282)。

 たとえば、 ”そらみつ やまと” の そらみつ が朝鮮語の知識、古代の歴史の知識を援用する事によって、無意味どころか、どうしてつながっているのかが明快にわかることになる。(P.34, 35.こうなると、日本語・ヤマト言葉だけで日本古典を理解することは不可能ということがハッキリ証明されたようなものである。
村田茂太郎 2012年7月14日

今から23年前、1989年に出版されたこれらの本をなぜ今読んでいるのか。というと、実は、これらは私の知人の書庫にあった本で、ドイツ人である未亡人から20箱近い日本語の本を譲り受け、のちほど、私は何百ドルかの代価を支払った。古本で売れば、ただみたいな値段であったかもしれず、Over Paidだと思う人もいたが、わたしはその彼の蔵書のなかから、村松剛の桂小五郎・木戸孝允伝「醒めた炎」を見つけてすぐに読めたし、ほかに何冊かのいい本を見つけ、それだけでも価値はあると思った。そして、今、わたしの蔵書を倉庫に入れる作業をしていて、これらの本に気がつき、おそまきながら、今、読み始めたということである。「百人一首の秘密」 という本を教えてくれ、貸してくれたのも、彼であった。この本も私に新しい視野を開いてくれた。”あさひ学園”の国語の時間で百人一首の説明で紹介したほどである。この新しい万葉集の読解は性教育の面まででてきて面白い。「平安万葉集」と「あたらしい万葉集」。まさに私達は二種類の万葉集を持つに至ったといえるかもしれない。額田王が蝋人形ではなく、激動期に生きた、したたかな女性として蘇るのも興味深い。

これらの本が出版されてすでに20年以上経った。今の日本の万葉学はどのような段階にいるのだろう。いまだに、”難訓”ですませ、朝鮮語(韓国語)の学習はおろそかにしているのであろうか。興味の湧くところである。エライ筈の先生がサザンカとツバキの散り方さえ知らないで、堂々と評注した例を、私は安東次男の芭蕉俳諧の研究書「風狂始末」(p。26)に引用されていたので知っている。ビックリしたものであった。出版までにだれかが気がついて間違いを指摘できたはずだと思い、それができないほどエライ先生の権威が高すぎるのでは、学問も何もあったものではないと思った。

村田茂太郎 2012年7月14日

 

1 comment:

  1. 現在の国文学者が「万葉集は古代朝鮮語で読める」という説を一切受け入れていないのは、別に検討しなかったからではなく、検討した結果、デタラメだとわかったからなのではないでしょうか。
    この説に反論しているサイトや本がいくつかあり、私にはこれらの反論の方が説得力があるように感じられます。ご一読をお薦めします。

    ・『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』(安本美典、JICC出版局)
    ・『古代朝鮮語で日本の古典は読めるか』(西端幸雄、大和書房)

    http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/intiki.html

    そもそも、「万葉集が古代朝鮮語で書かれている」と主張するためには、その「古代朝鮮語」が万葉集の語彙をカバーできる範囲で再構成されている必要があります。
    ところが、実際には古代朝鮮語は日本書紀などに本当に断片的にしか残っておらず、百済や新羅で実際に使われていた言葉がどんなものだったのかはよくわかってません。

    つまり、万葉集と同時代の古代朝鮮文献資料が新たに発掘されない限り、本来は「古代朝鮮語による解釈」など成り立たないはずで、それらの「古代朝鮮語で読める」と解釈する本は、自己流にでっち上げたものでしかないのではないでしょうか。

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